第22話 その後のお話 ただいま異世界!

「……ただいま」


誰もいない部屋に、俺はそう言って帰る。

部屋の奥に向かった俺は、上着も脱がずにデスクのパソコンを起動した。

ネットにつなぎお気に入り登録してある[よろず相談サイト]にログインする。


「……やっぱりないか」


そこにアディからの投稿はなかった。




あれから、幾度かの季節が過ぎていた。


無事に大学院を修了し、そんなに有名でもないけれど、かといってブラックでもない、そこそこの建設会社に就職した俺は、ごくごく普通の生活を当たり前のように過ごしている。

大学院修了の年、俺の身に起こった異世界トリップなんて、まるでなかったかのような平々凡々な日々だ。


(もっとも、この平穏な生活とも、もう少しでおさらばだけどな)


俺は、今の仕事を辞めて海外の発展途上国で技術指導をする意志を固めていた。


びっくりしたって?

うん、俺もびっくりしている。


理由は、いろいろある。


まず、一番現実的な理由だが……姉貴が昨春結婚したんだ。

相手は地方出身の農家の次男坊で大らかで気の良いフツメンだ。

いや、掘り出し者だと思うぜ。俺なんかにも気安いし、何よりあの姉貴の傍若無人ぶりを許してやれるとこなんて大物だと感心する。

ダブルハッピー、つまりはできちゃった結婚で、式を挙げて数か月で出産した姉貴は、当然のように親と同居した。

もちろん旦那もセットで。そう、いわゆるマスオさんってやつさ。

つまり俺は長男だけど、家に入る必要がなくなったってわけなのさ。


「父さんと母さんの老後は私が見るわ!」


なんて言っていたけれど、庭付き一軒家と子供の子守りまで確保して、姉貴にとっちゃ大満足の成り行きだろう。

両親も、結婚する気配どころかいまだ彼女の影すらない俺に期待するよりも、姉貴夫婦と暮らす方が安心のようだ。


俺が元気で暮らしてさえいれば、両親はそこがどこであっても、もう気にしたりはしないだろう。


だったら俺は日本じゃなく、これから自分達の国を築いていく、そんな国の力になりたいと思った。


…………そう、ロダのような国の力に。


これこそが俺が今の仕事を辞めて、発展途上国の指導に就こうと思った最大の理由だった。


直接アディ達の力になる事はできないけれど、アディと同じように努力している人の力になる事ならできる。

まあ、まだ準備段階だけれど、身の回りなんかを少しずつ片づけながら俺は決意を固めていた。



ただ、問題なのは、そういった国に行って今まで通りネットができるのかという事だ。


(多分、無理だよな)


このご時世でネットがつながらないなんてことはないだろうけれど、今までみたいに好き放題にできるかと言えば、そうじゃないだろう。



――――俺は、あれからずっと毎日暇さえあれば[よろず相談サイト]にアディからの連絡がないか調べていた。


もちろん俺は、自分が無事に戻って来られた事や、それ以外にも折につけ自分の身に起こった出来事なんかをアディに発信していたが、返事がきた事は一度も無い。

相談サイトを個人の連絡に使っている事には、ヤバいかなと思ったけれど、それについて他の相談者やサイトの管理人から何か言われた事は少しもなかった。

むしろ、俺の『就職できたぞ! アディ』なんて投稿には、多くの人から『おめでとう』の言葉をもらった。

うん。ホント居心地の良いサイトなんだ。


ただ、アディからの返信だけは、ない。


既に向こうの世界が救われた事から、もうこっちのネットに繋がるなんて事自体ができなくなった可能性も高いが、それでも俺は諦める気にだけはならなかった。



……でも、それすらも、もうできなくなるかもしれない。


(――――アディ。ムリしていないか?)


せめて、ほんの少しでいいから情報が欲しかった。





俺の祈るようなその思いが、思わぬ形で通じたのは、その夜の事だった。


「ぎょえぇぇ~っ!!」


び、びっくりした!

心臓が止まるかと思った。


なんとその夜、寝ついたと思った俺は、夢の中で突然のドアップに遭遇したのだった。

しわくちゃの顔が、ニタァッと笑う。


(こ、怖ぇ~っ)


どんな悪夢よりも恐ろしいこの状況に、俺の心臓はバクバクと鳴っていた。


「やれやれ、やっとお会いできましたじゃ。ユウさま、お久しぶりでございます」


小さな頭がペコンと下がって丸い耳がつられて下を向く。


うん。間違いない。

獣人族最長老の巫女ヴィヴォだ。


「お、お久しぶりです。……本当に、本物のヴィヴォ?」

「わしの偽物になど出会った事はございません」


たしかにヴィヴォの偽物になるのは、ハードルが高そうだ。



(……そうか。ヴィヴォか、本物なんだ)



突如、俺の中にその事実がストンと落ちる。


「ヴィヴォ! ヴィヴォ! ――――アディは? みんなは、無事ですか? ……あれからどうなったんですか? 獣人は解放されたましたか? 有鱗種は? 水害の被害はそんなに大きくなかったですよね」


ついつい止まらなくって発した俺の矢継ぎ早の質問に、ヴィヴォはあからさまにイヤそうな顔をして、耳をペタンと伏せた。


「ユウさま。少し落ち着きなされ。そんなに一度に聞かれてもこの年寄りには即答する事ができません。やれ、落ち着きのないところまで、あのヘタレ――――前国王に似ておられる」


相変わらず、アディのおじいちゃんへの評価は最低だ。

俺は、とりあえず深呼吸して落ち着く。


「そうですね。すみません。――――えっと、何から聞けばいいのかな? そうだ! みんな元気ですか?」


ひとつひとつ順番に聞けば良いのだと思った俺は、まずみんなの安否を尋ねる。

ヴィヴォは、笑いながら安心させるように大きくひとつ頷いた。


「大丈夫ですじゃ、ユウさま。心配はいりませぬ。全員元気ですじゃ」


良かったと俺は、ホッと息を吐き出す。

しかし、その息は、直ぐに止まりそうになった。



「――――そうじゃの。わしがくらいで、後はみんな無事で過ごしております」



「……へっ?」




……死んだ?

死んだって、ヴィヴォが?

え?

え?

え?

……じゃあ、今俺の目の前にいるのは?


「獣人最高齢記録を塗り替え続けてきたわしじゃが、ようやくお迎えがきたのですじゃ。つい今し方、亡くなりました。やれやれやっと永眠する事ができますわい」


ヴィヴォは、本当にホッとしたように笑った。


(永眠? ……永眠って?)


俺は、ジッとヴィヴォの足辺りを凝視する。


「そんなに見ぬでも、尻尾はちゃんとついておりますぞ」


ヴィヴォは、ふさふさの尻尾をブンブンと振った。


(へ? 尻尾? 獣人って亡くなると無くなるのは足じゃなくて尻尾なのか?)


俺は、混乱の極致にいた。

そんな俺におかまいなしに、ヴィヴォは話を勝手に進める。


「尻尾はあっても、わしがここにおる事が、わしの死んだ事の何よりの証明ですじゃ。生きておる者が神殿の泉も使わずに異世界に来ることなどできませんからのぉ。まあ、死んだとしてもこんな真似ができるのは、わしくらいのものじゃろうが」


フォッ、フォッ、フォッとヴィヴォは笑う。


「長い長い年月を巫女として生きてきたわしには、人知を超えた力が宿っておりますのじゃ。そして死んだ事によってその力を解放する事ができるようになりました。こうして異界に心を飛ばす事も――――それ以上の事も」


ヴィヴォは小さな目を開いて、俺を凝視した。

そのままゆっくりと頭を下げる。



「お迎えに参りました。ユウさま。どうか我らのために我らの世界にお渡りください」



「え?!」


俺はびっくりして固まった。


「ユウさまのおかげで有鱗種の侵攻も無事退け、獣人の奴隷の立場からの解放、有鱗種との関係改善等、我らの世界は『神』のご意志である調和に向けて日々忙しく回っております。――――誰もが忙しすぎる程に、忙しく」


それは良い事のはずなのに、ヴィヴォは大きくため息をつく。


「ユウさま。年老いたわしには、それが急ぎ過ぎておるように見えますのじゃ。皆が皆、何かを忘れるかのように心を失くし働いておる。……特に、陛下は、お



俺は思わず息をのんだ。


(アディ、お前――――)


忙しいという字は、心を亡くすと書く。忘れるという字も同じだ。

がむしゃらに働いて、周りが見えない程に……何も考えることすらできない程に働いて、心を亡くす。

アディは、そんな状況にあるというのだろうか。


愕然とする俺を、ヴィヴォは下から覗きこむように見てくる。



「ユウさま、ここはひとつもう一度我らの世界に来て、陛下にをしてやってくださりませんか?」


「――――っ!」



な、なんでそれをヴィヴォが知っているんだ!?

……コヴィか?

いや、コヴィは獣人の言葉を話せないはずだ。

コヴィが、うっかり誰かに話して、それが巡り巡ってヴィヴォの耳に入ったのだろうか?


ヴィヴォは、フォッ、フォッと笑った。


「最強の『神の賜いし御力』を持つわしにわからぬ事などありませんのじゃ。特に死して肉体から解放された今は、全てがよく見えます。――――ユウさま、あなたさまは今の安全な生活を捨てて、見知らぬ国のために働こうとしておられる。どうかその見知らぬ国の代わりに、我らの世界に来てはいただけませぬか。我らの世界は、ユウさま、あなたを必要としております」



それは――――それこそは、俺の望んでいた事だった。

しかし、だからといっておいそれとは頷けるはずもない事でもあった。


俺は、何故か自分が異世界に行ったら、今度はもう二度とこっちに帰って来られないだろうという事が漠然とわかっていた。


――――最初に俺がアディに呼ばれて向こうに行った時、アディは異界渡りはいつでもできると言っていた。

しかし実際俺が帰る際には、リーファは俺にそれは何度もできるような事ではないと言ったのだ。

つまり、異界渡りは同じ人間を何度も往復させる事ができないという事なのではないのだろうか?


おそらく、ひとりにつき1度もしくは2度が限度。

しかも、アディ達あちらの世界の者は異界渡りができないのだろうと思われた。


(まあ、ヴィヴォみたいな者は別かもしれないけれど、普通はできないんだろう。できるんだったら、あの時俺が無理に帰る必要はなかったものな。誰か適当な奴がちょこちょこっと泉に出入りすれば良かったはずだ)


その手段をとらなかったという事実が、俺の考えを肯定していた。


だとすれば、俺はそんなに簡単にヴィヴォの誘いに乗るわけにはいかなかった。

俺自身は、自分がロダに行ってそこで暮らし、最終的にそこで一生を終えたとしてもかまわないと思っている。

しかしそれは即ち、俺がこの世界から突然いなくなるという事だった。


(急に俺が失踪なんかしたら、ヤバいだろう)


家族だって会社だって大騒ぎになるはずだ。

想像して顔を固くする俺に、ヴィヴォは安心させるかのように力強く頷いた。


「なに、ご安心くだされ。このヴィヴォの最期の力を持ってすれば、ユウさまをお連れする事はもちろん、周囲に暗示をかけることなども造作ありませぬ。ユウさまのご家族や会社とやらの方々には、ユウさまが予定を早めて遠い国に旅立ったのじゃと思い込ませてみせましょう。遠くて連絡はとれぬが、その国でユウさまは元気に働いておるのじゃと。」


「そんな事が?」


そうできれば全て丸く収まることだろう。


「――――本当にそんな事が可能なんですか?」


「ウム。わしに全てお任せくだされ。――――ユウさま、来ていただけますか?」



俺は…………



「はい」と答えた。


懸念が無くなれば、俺の答えなんて考えるまでもなく決まっている。

あの奇跡のような異世界トリップから帰ってきてから、ずっと――――そう、もうずっと、俺は、もう一度ロダに行きたいと考えていたのだから。

行って、アディやみんなに会いたかった。

そして、叶う事ならば、そのままあの世界で生きていきたいと願う。


人間と獣人と有鱗種の暮らす、不思議な、でも、みんなが熱いあの世界で――――



ヴィヴォは、しわくちゃな顔をますますしわくちゃにして笑った。


「やれ、良かった。これでわしも心置きなく大往生できますじゃ。ご安心くだされユウさま、わしが責任をもって安全確実にユウさまを我らの世界にお連れしましょう。――――そうじゃ! ユウさま、サービスに我らの世界へお渡り後の姿を、ユウさまのお好きなものに変えてさしあげますぞ。どんな種族がお好みですじゃ?」



「へっ?」



俺はびっくりして言葉を失った。


(種族ってどういうことだ?)


「どんな姿もお好みのままですじゃ。さあ、どれになされますかの?」


「どれって……別にそんな」


あんまりびっくりした俺は、ついそう答えてしまった。

どれでも良いって意味じゃない。

そんな必要ないっていう意味でそう言ったんだ!


なのに、俺のその言葉を聞いたヴィヴォは嬉しそうに笑みを深くする。



俺の背中には、何故か悪寒が走った。


「ユウさまは遠慮深いお方じゃのう。――――わかりました。では、ユウさまのお姿は、我らの世界でに合わせたモノにするといたしましょう。生きとし生ける者にとって、一番の幸せは自分を一番うてくれる者と両想いになって添い遂げる事ですじゃ。我らのために異世界に渡るユウさまには、誰よりも幸せになってもらわねばなりませんからのぉ」


ヴィヴォの笑みは、今まで見たどんな笑みよりもイイものだった。


「へ? ――――合わせるって」


「つまり、ユウさまはあちらでユウさまを一番待ち望んでいる者と姿に変わるのですじゃ。――――例えば、それがフィフィであれば、ユウさまは獣人のになるという事です」


「獣人! ……俺が?」


「そう。フィフィでですがの。リーファさまであれば、人間ののままになりますかの」



……俺は、言われた内容をじっくりゆっくり考えてみた。


(――――俺を、一番待ち望んでいる者に合わせた姿に?)


そして、その相手と両想いになって向こうの世界で添い遂げろと、ヴィヴォは言っているのだろうか?


(え? それって何か俺の常識と違いはしないか?)


普通は、一番好きな相手と両想いになるのが幸せの定番だろう?

異世界だから考え方が違うのだろうか?


俺は真剣に考え始めたのだが――――




(……って! ちょっと待て!)


俺は、重大な言葉を見落としていたことに気がついた。

獣人だの人間だのはともかく、どうしてそこに『男』って断りが付くんだ!?



ヴィヴォは、ニタァと笑った。


「ちなみに、わしがこの話をした時点での神殿関係者の予測の一番人気は、ユウさまは『人間となってロダのとなる』でしたじゃ。対抗馬が『獣人族の長のとなる』で、大穴は『有鱗種となり記録を塗り替える』でしたな」



「なっ、なっ、なっ――――」



俺は、口をパクパクと開けては閉じた。


(有鱗種って、卵生だったのかっ? ――――って、違う! 何だ、って!?)


王妃というからには、その性別は……



俺は顔を真っ青にして、首をブルブルと横に振った。


ヴィヴォは尚も嬉しそうに言葉を続ける。


「わしの個人的なお薦めルートは、『王妃となったユウさまを諦めきれずに獣人族の長がさらい――――そのため人間と獣人族の間に争いが起こり――――その争いの中で人間の王と獣人の長を同時に庇った王妃が倒れ――――愛しい者の死によって、ようやく戦いの愚かさに気づいた王と獣人の長が永遠の平和を誓う!』という、愛と感動の一大スペクタクル、ヒューマン、ハッピーエンド物語ですじゃ。……ああ。想像しただけで、感動の涙がこみ上げてきますじゃ。死んでしまってこの先を自分の目で見られぬ事が口惜しい!」






ちょっと、待て!

その話のどこがハッピーエンドなんだ?

っていうか、俺死んじゃっているよね?

女になったあげく、死んでしまう物語なんて、怖すぎるだろう!?


俺は慌てて力一杯断ろうとした。


「ヴィヴォ、俺は別にこのままで――――」


「ご遠慮なさいますな。全てこのヴィヴォに、ドン! と任せておきなされ」



(任せられるかぁっ!!)



俺の心からの叫びが声になる前に――――急に目の前がクラクラと霞みはじめた。

以前たった一度だけ経験した立ちくらみに焦る俺の手が、誰かにガシッ! と掴まれる。



『ユウ!!』



懐かしい、滅多にないような魅惑的なバリトンボイスが聞こえた。

胸がドクリと鳴って……ジンと、痺れる。

急激に引っ張り上げられて、釣り上げられる魚の気分を味わう。


(――――俺はどうなってしまうんだぁっ!?)






懐かしいあの世界に俺がまで――――あと、もう少し。


めちゃくちゃに焦りながらも、俺の胸はドキドキと高鳴っていた。




ハッピーエンド?




(絶対、違うだろうっ!!)




俺の人生2度目の、そして最後の異世界トリップがはじまった。


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小学生のゲーム相談にのっているつもりが、小学生じゃなく異世界の国王でした 九重 @935

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