北方人文科学編集記録。

あど231

北部のおしごと

『——係長。白い上に音痴です。俺童貞のまま死にたくないです』

 部下の悲痛な叫びが無線に響き渡る。「そろそろ大物任せても良いかもね」という代表の気紛れと、その時だけは認められたと喜びを噛み締めていた私達に与えられた舞台は、どうやら地獄のようである。

 通称、鯨狩り。金鱗種の中には一定の割合で回遊性を持つものがおり、戦闘能力に乏しい民間人との不幸な接触を避ける為に行う。要は間引きである。北部にとって根強い伝統的文化であり、我がLts社の主要事業の一つでもある。専門の狩人が存在する程で、特に最初に突撃する「一番銛」は栄誉ある役割であり、捨てるところがない金鱗種を相手にするという性質上、経済的活動の面からも重要度が高い。

 金鱗種は実に多様だが、回遊するタイプの奴らは基本デカい。食事の量の問題だろう。定住されたらその土地のバランスが終わる。それ故の回遊か。

 その質量と膂力は脅威だが、動きは緩慢で慣れれば対処も困難というものでもない。ベテランの狩人は巧みに鱗や関節の隙間、眼球や呼吸孔といった軟組織を攻撃し、外傷が少なければ少ないほどそれは優れた狩人の証となる。先述の通りその死体で利用出来ない組織はないと言っても良く、鱗は鎧に。骨格は武器に。肉は食糧に。内臓は薬に。血液は優秀な触媒となる。

「——立体観測にかけてくれ。詳細な形態を知りたい」

 鯨狩りの九割は、怪我人はいても死人は出ない。長い歴史の中で体系化された手法と洗練された漁具によって、システマチックにその活動は行われるからだ。だが、鯨狩りを楽な仕事だと考える人間はいない。

 死人が出るケースに限って見れば、その被害は甚大と言うほかないからだ。

 有名な鯨狩りの記録。「詩人」、「結晶」、「耳鳴」、「盲目」、そして「老師」。他にもある。そのうち語ろう。、

 これらに出てくる鯨はどれも強大で、幾つかの共通点が存在した。

 脳裏に焼き付く鳴き声と、ある身体的特徴。身体の全体、或いは一部。部位の白色化。

 どちらか片方だけならば、少し手強い程度。では両方なら。

「詩人」

 過去数例しかない、小型回遊種である。賢く、素早い。記録された発声パターンから固有の言語を手繰っているとされ、狩人の間で使われる幾つかの合図は詩人の鳴き声をベースとしたものである。極めて狡猾で待ち伏せ奇襲何でもあり。だが逃げる背中には手を出さなかったという話もあり、二面性の強い人間に対して使われる「口が上手い」という慣用句の語源にもなっている。黎明期ということもあってか、実に76人の死者。約三ヶ月の期間を掛けて討伐されたというのが公的な記録だ。純白の羽毛に似た鱗と、白金の様な骨格は現代でも尚メジャーなシンボルとして、恐れと敬いを持って人々の間で語られている。

「結晶」

 こいつは単純だった。歴史上最高硬度とも呼ばれた鱗。北部の薄い日光を透過し虹色に輝く姿は信仰の対象でもあった。北部の中でも特に「P4平原」を中心にかなりの年月を回遊していた弩級回遊種であり、対処に時間を掛けられる為危険度の低い存在として扱われていた。長い歴史の中で徐々に肥大化し、最早山と見まごうかという大きさになった時。Ht社の第三プラントが回遊予測コースに入る。Lifに存在する第三プラントは主に流体工学の研究と北部のインフラ設備、各種兵器の生産を担うメガプラントの一つであり、簡単に「移転」するとはならなかった。今では失われた多数の技術、兵器、人員を投入して狩りが行われ、その遺骸は余す所なく、北部各地に存在する鍛冶場へと運び出されたという。割と謎が多く、探ってみるのも面白そうだ。

「耳鳴」

 大型回遊種であり、珍しい「飛翔機能」を持つ金鱗種であった。有機体への食性が強く、群れを作って回遊する小型種を追う様に行動する。所謂渡り鳥に近い生態をしていたとされる。耳鳴とは個体名ではなく、過去複数の同形態が存在した珍しい種であり、流体加圧誘導式射出銛加速装置の開発によって短期間で駆逐、絶滅という末路を迎える。しかしながらそれ以前は対処が困難だった事や、極めて好戦的で知能も高く、その美しい銀翼と黄金の嘴の美しい容貌から価値ある好敵手として狩人達の憧れでもあった。とりわけ銛と短刀のみで耳鳴に挑む事は、勝とうが負けようが極めて名誉な事であり、各派閥が一定期間に一度優れた狩人を宛てがう事で自分達の逞しさを示すある種の儀式の様なことが行われていた時代もある。

 最後の耳鳴を狩猟した狩人は言った。「あぁ、私は何てことをしたのだろう」

 そのものは最も思慮深く、最も敬虔で。そして最も誉なき狩人として自らの名を残した。

 ちなみに、風切り羽は今でも一定数保管されておりそれを用いた矢や装身具の価値は極めて高い。

「盲目」

 盲目を語る上で、生涯を掛けて挑み続けたある狩人の物語は外せない。回遊ではなく徘徊だとも評されるこの金鱗種は、骨格の歪さと巨躯を除けば類人猿に近しい形態を持つ。要は「前腕」があったのだ。恐らく唯一の、投擲を行う金鱗種だった。このとんでもない膂力で北部の硬い氷床を投げまくる化け物に対して、ある一人の男が現れる。当時としては目新しい「射出銛」を使う若者だった。彼らは何度も何度も戦い、互いに目を失い、耳が欠け、指がなくなる。晩年、彼は「盲目との長い戦いはどうだった」と聞かれ、「盲目なんていたか?」と返したそう。鱗こそないが強靭で分厚い外皮と不気味な白い歯。そして目を失ってから使用した不気味なクリック音。化け物らしい化け物と、男らしい男の物語が色褪せる事は無いのだろう。

「老師」

 記録上というよりは、伝説上の存在だ。北部の負の歴史であるとされ、老師に関しては「狩猟」ではなく「殺害」や「裏切り」といった文言が使われる。金鱗種の扱うクリック音には、言語とまでは呼べないにしろ、単語や合図に近いある種の規則性が見られる。そして、北部の古い言葉の中にはそれらに近い発音のものが少なくない。特に、「鋼」。「雪」。「太陽」。「家族」等といった単純な単語にそれらが多く、老師は我々北部人に文化と言語を与えてくれた存在だとされている。多くは記されていない。人と過ごし、生き、人に殺された。その肉体を、「骨」と「肉」と「血」と「脳」と、「それ以外のいらないもの」の5つに分たれたとされる。全身が黒濡れの羽で覆われ、その首筋には一本だけ白い羽毛がきらきらと輝いていたとされる描写が多い。

 つまり何が言いたいのか。

 報告にあった白い上に音痴が本当だとすれば、代表は私達に対して何かしらの意図を持ってこの仕事を回して来たということになる。私含め、この第四開発室試験第四係は若い。技術も経験も足りていない。発足から二年。幸運なことに人員の入れ替わりこそ無かったが、他部署と比較して力不足だという事は嫌というほど理解している。

 具体的な指示はなかった。見てみて、やれそうならやれば良いし、駄目なら一旦戻っておいで。いつも通りの、優しくも厳しい指示だった。

『今、観測鏡使ってで照らしてます。取り敢えず手持ちの光学画像と音響データ送りますね』

「——了解。ヤバそうだと思ったらすぐに戻ってこい」

『うっす!』

 Lts社の鯨狩り。件数の八割はあちこちに点在する集落からの依頼だ。狩人の数はどこも不足している。生まれ育った地に居続ける奴もいるが、強い奴ほど名誉を求めてあちこちで歩く傾向がある。やはり狩人一度は強大な獲物とやり合ってみたいのだ。これは別に近年の問題というわけではなく、割と昔から存在した文化の様なものである。ここに関連する事なのだが、北部の名前は、名、姓、出身地の順で名乗られる。私の名前は何々で、家名はこうで、地元はあそこなんですよ。という形だ。なのある狩人を輩出した集落は無条件に尊敬を得られる。尊敬される集落は信用度が高まり、近隣との関係において少なからずの利点と利便を得られる。だから、直近で困り事が無い土地は積極的に狩人を外部へと追い出すのだ。お前強いな。ちょっと隣村困ってるらしいから行ってこいよ。の様な感じで。

 報酬のやり取りは貨幣よりもっぱら物品で行われる。食糧に資材。そして人間のやりとりなどもある。小規模で気軽な移動が難しい、隔絶された集落社会だ、血の濃さは重要になる。良い狩人の娘は、良い狩人に見染められる。北部における鯨狩り文化の一つだ。

 だがこの文化にはちょっと問題がある。無名の家名は侮られる。北部において家名は重要だ、最辺境の出身でも立派な家名があればあまり関係ない。武闘派で有名な地名でも、無名な家名では侮られる。それにいつの時代もはみ出しものは現れる。力はあるのに金がない。

 これに対するカウンターの様な文化として、北部には狩人達が集まる「旅団」がある。旅団は出身も家名も気にしない暗黙の了解があり、旅団内で評価を得られれば、「二つ名」が与えられる。そうなれば、二つ名、名、家名、旅団といった順番で名乗れる。

 旅団は定住地を持たない。キャンプを設営し、鯨狩りをして。報酬を得て、また次へ。

 旅団の結束は硬いが、厳しい。功績を挙げられないのなら、いつまでもいびられる。逆に力さえ見せつけられれば、対等な仲間としてすんなり受け入れられる。強い奴が生き残っていく。形は違うが弱い奴も生き残れる。例えば手先が器用な奴。料理の上手い奴。頭のいい奴。戦える奴らは、戦えない奴を弄る。だが何か?

 戦えないなら大人しく村に引きこもっていればいいのに。

 良くも悪くも厳しさを知っている。肌に合うやつは厳しく痛く金もなく、すぐには楽しみもなく苛つくだろうが、最終的には居場所になっていくだろう。

 ここまでつらつらと思い浮かべてきて感じる。北部とは原始的なのだ。

 今時物々交換や血筋のやり取り。野蛮な集団と命の価値の軽い世界。だからこそだ。不思議だ。

 北部の科学技術は馬鹿に出来ない。

 基質元素工学は元より、最たるものは流体工学。保有Amwの性能と、人口に対するEpw保有率の高さ。航海、建築、採掘、製造。どれを取っても大書庫や工房と遜色がない。文化的な歴史に関する記録は存在するのに、技術的な記録は飛び飛びの継ぎ接ぎだ。歪んでいる。何かしらの意図を感じてしまうほどに。

「……白というか灰色だが、これは確かに注意はしないといけない。だが鳴き声はなぁ。青い森系統の跳ねがあるな。言語障害系のそれの可能性が高い。ベースがどの言語なのかわかるレベルなら、方言かはぐれかどっちかだろ」

 要は

「……相手してみるまで、分からん相手だ。総員缶を温めておけ」

 あれって多分さ、丁度いい訓練相手になるよね?

 と。

 あの腹黒代表は今日も工廠でいそいそ自分のEpwだけを手入れしながら、我々に無責任な期待を押し付けてきているのだろう。目に浮かぶ。

 あの綺麗な微笑みを。

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