#28 そこにはない

【コマコマ:朝から走りたい】

【コタロー:了解】


 ゴールデンウィーク初日を何もできないまま無為に過ごした俺は、その晩、小町からRINEを受け取った。遊んでいる場合なのか、と思う部分もある。だが、このまま家に引きこもっていても答えの出ない問いを繰り返すだけだ。だったら体を動かしたほうがいい。


 時刻は朝六時前。支度をして待ち合わせ場所に行くと、既に小町が準備運動をしていた。


「遅刻」と小町が言う。

「時間通り、っていうか五分前だろ」俺は腕時計を見せる。が、小町の反応は渋かった。

「その時計、ズレてない?」

「えっ」言われて、俺はスマホを取り出す。「……ほんとだ」


 スマホには六時半と表示されていた。ちょうど三十分ズレていたっぽい。普段ならスマホを見て行動するんだが、ランニングのときは腕時計を着けているので、気付けなかった。


「すまん」

「別にいい。でも、大丈夫?」

「何がだ?」

「……」目を細める小町。「何でもない」


 小町が素っ気なく返してくる。何か思うところがありそうなので気になるが、遅刻してしまった身でいつまでも喋っているわけにもいかない。


「ま、ほんとに何でもないから。朝早くから呼んだのは私だし」

「それでも待たせたのは事実だろ? すぐ準備するから」

「ん。……ちゃんとやりなよ」

「分かってる」


 怪我をしては元も子もないので、念入りに体を伸ばす。その間、小町は怪訝な視線をこちらに向けてきていた。

 遅刻を怒っているようにも見えないし……いったい何だ?


「悪い、待たせた。終わったから行こうぜ」

「……ん」


 深く考えても仕方ない。小町がローなのはよくあることだしな。

 そう結論付け、俺は小町と一緒にランニングを始める。


「とりあえずいつものコース」

「おう」



 ◇



「はぁ…はぁ……っ」

「……先に行ってるから」

「すまん」


 ランニングは自分のペースで走らなければ意味がない。それでも、普段の俺と小町はほとんど並走できる走力だった。

 だが、今日は何かがおかしい。足が重くてちっとも動かないくせに、ちょっと走っただけでスタミナがなくなっていく。


 日々運動していたら、調子が悪いときはある。けれど、今日はその中でもダントツで悪い。走っても走っても苦しくなるだけで、少しも頭がすっきりしない。


 小町は俺に合わせることなく、先を走る。

 俺は置いていかれる。合わせて走ったって意味がないから当たり前なんだけど、今は背中が遠ざかっていくことが心細く思えた。


 まるで風邪を引いて、ベッドで寝込んでいるときみたいだ。色んなものとの距離感が測れなくなって、独りぼっちになる錯覚をする。

 あー、ダメだ。考えれば考えるほど、余計な思考が蔦みたいに絡みついてくる。


「はぁっ……はぁっ……」


 予め決めていた休憩スポットに辿り着くと、小町が涼しい顔をして待っていた。だいぶ待たせてしまったのだろう。体が冷えないように軽く運動しているのが見えた。


「すまん、待た…せたよな」

「ん、別に。……大丈夫?」

「大丈夫、だ。ちょっと…バテただけで……」

「ふぅん」


 言うまでもなく、強がりだ。少しも大丈夫じゃない。正直、今日はもう走りたくないとすら思っていた。

 けど、途中でリタイアなんて一番白けるだろう。今は辛いだけで、限界まで走れば気持ちよくなってくるはずだ。だからまだまだ――


「吾妻、調子悪いでしょ」

「っ……ちょっとだけ、な。最近は走る量が減ってたし、体が鈍ってるのかもしれん」

「ふぅん?」

「すぐに調子を戻すから待っとけ。少し休んだら小町を追い抜く速度で駆け抜けてやる」

「……」小町はひどく退屈そうな顔をする。「あっそ」


 その反応がぐさっと胸に刺さる。でもこの程度でめげていられない。俺はニィと口角を吊り上げ、挑発的に言う。


「ハッ、随分とつまんなそうな反応だな。俺に負けるのがそんなに怖いのか?」

「そういうのいいから」小町は以前、冷ややかだった。

「……っ」俺は唇を噛む。「今日、テンション低くすぎじゃないか?」

「それ、こっちの台詞なんだけど」

「はぁ? 誰にだって不調なときくらいあるだろ。だからってそんな不機嫌になるなよ!」


 カッとなって、俺は声を荒げてしまう。その後で、あっ、と思った。

 こんなのは八つ当たりだ。何もできない自分へのイライラを、小町にぶつけているだけ。俺はいとも容易く自分の惨めさを見せつけてしまう。


「……悪――」

「――謝んないで。別に謝られることでもないし」

「っ、いや、今のは完全に俺が」

「誰が悪いとか、どうでもいい。めんどくさいし、鬱陶しいだけだから。吾妻が謝ったら私は楽しくなれるの? 違うでしょ。だから無意味」

「それは……」反論を探す。でも、見つからない。「……そう、かもしれないけど」


 だからって、謝らないのは違う気がする。俺はいま小町に八つ当たりをした。そのせいで空気が悪くなってる。それは間違いなく事実のはずだ。


「自分のせいで空気が悪くなった、とか思ってる?」

「えっ」

「もしそうなら、勘違いだから。私も空気を悪くしてる」


 だけど、と小町は鋭い視線で俺を射貫いた。


「今の吾妻といい空気になんかなりたくない。今日の吾妻はちょうどよくないから」

「……すまん」

「だから、謝んないで。私が何を求めてるのかも分かってないくせに、その場しのぎで謝んな。馬鹿」


 そんなことを言われても困る。思わず俺が黙りこむと、小町はくしゃくしゃと頭を掻きながら言った。


「私が滅茶苦茶めんどくさいこと言ってるのも分かってる。疲れるし、うざいでしょ?」

「そんなことは……」否定しようとするが、小町の真剣な眼差しに制された。「そうかもしれない。ヒステリックな彼女ムーブが痛い」

「そこまでじゃないし。馬鹿」


 小町は拗ねるような口調で言って、俺の脛をこつんと蹴ってくる。痛くはないけど、「いってぇ……」と口から零れた。


「今の私たちは、少しもちょうどよくない。それは共通見解でしょ?」

「そうだな」

「どうしてか、分かる?」

「……分からない。俺が不調だからってだけじゃないよな?」

「ん」小町は頷いた。「教えたげるよ」


 そして、小町は俺を真っ直ぐ指さした。

 犯人はお前だ、と推理する探偵みたいに。


「今日の吾妻は逃げるために私と一緒にいることを選んでる。だから嫌い」


 それは――同盟を破棄されてもおかしくないくらいに酷い裏切りじゃないか。

 小町の指摘に、俺はそう思わされる。


 稲荷とふーちゃんのためにできることを考えても、結局ろくな答えは出てこなかった。いつまでも考え続けることの苦しさに耐えられなくて、頭を空っぽにしたいと思った。

 それは、気晴らしとかそんな次元の話ではない。もっと惨めな逃走だった。


「私たちは『ちょうどいい同盟』でしょ? ちょうどいい関係は、逃げ道には絶対にない」

「――っ」

「私は今日、吾妻といたいから誘った。ちゃんと選んでここにいる。でも吾妻は違う」

「そう、だな。俺は選んでない」


 ちょうどいい逃げ場として、誘ってきた小町を利用しただけだ。


「腑抜け野郎でごめん」

「……ん」

「もう今日みたいなことはしないって誓う。ちゃんと小町との時間を選ぶよ」


 確かに『ちょうどいい同盟』は居心地がよくて軽い関係だ。だけど、蔑ろにしていいわけじゃない。当たり前のことなのに忘れかけていた。

 真っ直ぐに言ってから、俺は小町の表情を窺う。

 すると……何故か小町はぷいっとそっぽを向いていた。


「……そこまで言わなくていいし。どうして吾妻はそうなの? ほんと、そういうところだと思うんだけど」

「指示語ばっかりで何を言ってるのか全然分からないんだが……?」

「うっさい! 吾妻は分かんなくていい。……そういう吾妻が好きって話」

「……」俺は呆気に取られる。「分からなくていい割にちゃんと説明してくれるんだな?」

「~~っ! 吾妻が馬鹿なのが悪い!」

「残念だったな。馬鹿って言ったほうが馬鹿なんだよ!」

「ここ、張り合うとこじゃないから!」


 話していたら可笑しくなって、ぷっ、と自然に笑みが零れた。

 俺たちは顔を見合わせてケラケラと笑う。


「あ~あ、ダメだ。よく考えたら今日はろくに寝てないし、深夜テンション気味だわ」

「やっぱり馬鹿じゃん……」呆れ笑う小町。「今日はもう帰ったら?」

「だな」


 素直に頷いた。実際、今日は無理をしたところで小町を退屈させるだけだろう。何より俺がつまらないから、無理をする意味がない。


「小町はどうする? まだ走ってくか?」

「今日は気分じゃないし、帰る。たまには家まで送るよ。……おんぶ、してあげよっか?」

「体格的にほぼいじめになるから遠慮しとく」


 軽口を叩きながら、俺と小町は帰路に就く。

 ……まぁ帰路って言っても、家までかなり歩くんだけどな。でも話していればすぐだろうから、電車を使おうとは思わない。


 ちょうどいいって、多分こういうことだ。

 消去法じゃないし、妥協でもない。俺はちょうどいい時間を選んで生きている。


 この時間に逃げてくることはできないんだ、絶対に。

 だから――逃げずに考えなくちゃいけない。ちょうどいい時間を選び続けるために。


「ありがとな、小町」

「言葉だけで足りるとでも?」

「……今度埋め合わせはする。、どうせ今日は気分じゃないだろ?」

「当たり前でしょ。今日の吾妻は不合格。…………さっきのはかっこよかったけど」

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