#27 S級美少女とB級美少女の話

『も、もしもし……こたくん?』

「ああ、聞こえてるぞ。そっちは?」

『うん、大丈夫。…………いきなりごめんね』


 電話の向こうの声は、散り際の桜みたいに儚かった。ふーちゃんは昔から分かりやすい。哀しいときは哀しい声を出すし、嬉しいときは嬉しそうにする。でも、人気者だから、ふーちゃんの気持ち一つで色んなものが変わってしまう。だからふーちゃんは隠すのも上手くなった。

 上手くなったけど、それでもやっぱり、分かりやすい。

 そう感じるのは、俺の傲慢な勘違いかもしれないけれど。


「俺たちは幼馴染だろ? 遠慮なんか要らないって」

『……ありがとう』と迷子みたいな声で言うふーちゃん。

「それで?」俺はおずおずと口を開く。「何かあったなら、話くらい聞くぞ」


 自然と零れた言葉に自分で驚いた。稲荷には言えなかったのに、ふーちゃんには言えるらしい。そして心のどこかで、その言葉を口にできたことに安堵している。

 ダブルスタンダードな自分に辟易した。が、それはあくまで俺の問題だ。ふーちゃんには関係ない。いったん頭の奥に押しやって、ふーちゃんとの会話に集中する。


『えっと、ね……ライブの前だから、少し不安になっちゃって』

「もうゴールデンウィークだもんな」


 明日からはゴールデンウィークだ。今年は例年よりも休日が続くそうで、暫く学校にも行かない日々が続く。ふーちゃんからすれば本格的にライブに向けた追い込みを始める時期に入ったわけだ。


「レッスンとか、大変か?」

『うん。なるべくいいステージにしたいから、毎日頑張ってるよ』

「そっか。じゃあなおさら、不安になるよな」

『……どうしてそう思うの?』

「不安になるのは努力したことの証だろ? 積み重ねてきたから、パーになるのが怖くなる。……そういうものじゃないか?」


 現役アイドルに努力や不安について語るとか、何様だよって感じだ。

 それでも少しはふーちゃんの不安をマシにできたらいい。


『ふふっ』とふーちゃんが小さく笑う。『そうだったらいいなーっ! ライブの前はいっつも不安になっちゃうから』

「そっか」


 その様子はありありと想像できた。太陽みたいに明るいふーちゃんは、その奥に繊細で仄暗い部分を抱えている。眩しい偶像アイドルではないのだ。


「いつもはどうしてるんだ?」何気なく俺が訊く。

『っ、いつもは……』だが返ってくる声は萎んでいた。『……いつもは、親友が話を聞いてくれてたんだ』

「――っ」


 上がりかけた声の調子は、さっきよりも沈んだものになる。そういうことか、とふーちゃんが電話をかけてきた理由を悟った。


「ふーちゃんが本当に話したいのは、その親友とのことじゃないのか?」

『……っ』


 図星だった。やっぱりふーちゃんは分かりやすい。……いいや、違う。分かりやすくなっちゃうくらいに稲荷がふーちゃんにとって大切な親友なんだ。


「今日のお昼。稲荷と一緒に食べられなくて、寂しそうにしてただろ」

『っ、見てたんだ……?』

「たまたま、な。今朝の噂で困ってないかと思ったから」

『噂……あっ、う、うん。全然困ってなんかないよ。こたくんこそ、困ってない?』

「もちろん、困る理由がない」言ってから、話を戻す。「噂のことは今度考えるとして、今は稲荷とのことだ」

『うん、そだね。……じゃあ、聞いてくれる?』

「ああ」


 俺が肯うと、ふーちゃんは稲荷との間に起きた出来事を話し始めた。

 事の起こりは昨日――日曜日だったそうだ。


『一昨日こたくんをライブに誘ったでしょ? こたくんが来てくれることになって……勇気が出たんだ。だから、もう一人大切な親友を誘おうって思ったの』

「親友……」

『祈里ちゃんとは、一年生の頃から一番仲良くしてるんだ。もしかしたら、私の人生で一番仲良くなれた女の子かもなーって思うくらい』

「そんなに、か?」

『そんなに、だよ』


 文ちゃんはきっぱり言い切った。


『アイドルを頑張った代わりに中学校にはあんまり通えなくて……大切なものを取り残したくないから、私はちゃんと高校生をやろうって思った。でも、学校とお仕事の両立って、私が思ってた以上に大変だったんだ』

「……うん」

『友達と遊ぶ時間はあんまり取れないし、学校のことに気を取られてるとお仕事で失敗しちゃう。特にライブの前になるとお仕事が大変で、あんなに行きたいって思ってた学校が面倒に思えたりもするの』

「そうか」

『そーゆうときにね、祈里ちゃんはいっつも話を聞いてくれた。今のこたくんみたいに相槌を打ちながら話を聞いてくれるだけなんだけど――それがすっごくあったかいの』

「うん……」


 分かる気がする。二人きりでゲームをするあの時間は、とても温かいものだから。


『今までね、学校の友達をライブに誘ったりしてなかったんだ。チケットは用意できるよってマネージャーさんに言われたんだけど……そこに呼ぶのは違う気がしてたから』

「…………」

『でも、ソロ曲のパフォーマンスをやるって決まったとき、本当に大切な人たちを呼びたいって思った。それで……昨日、祈里ちゃんを誘ったの』


 思わず息を呑む。この話の終着点も見えてしまったからだ。


『祈里ちゃんに断られちゃった。最初は『ライブに行ったことなくて一人は不安』って言うから、こたくんも一緒だって伝えたの。そうしたら――『その日は予定が入ってる』って』

「…………」

『それが嘘だってことは、流石に声で分かった。私を傷つけないように嘘をついてくれてるんだ――って。だから、すぐに謝ったの』

「それは――」


 愚策だろ、と思う。だけどふーちゃんは謝ってしまう。『嘘をつかせちゃってごめんね』って、真っ直ぐに。


『どうして文ちゃんが謝るの? 悪いのはあたしじゃん』


 と、ふーちゃんが稲荷の言葉をなぞるように言う。


『……初めて祈里ちゃんに怒られた。それくらい、私は祈里ちゃんに酷いことをしちゃったんだ』

「――っ」違う、という声は寸でのところで堪える。

『すぐに『今のは忘れよう?』って言ってくれたけど……なかったことになんて、なるわけない。祈里ちゃんは私と距離を置こうとしてるんだーって、分かっちゃうもん』


 でもね、とふーちゃんが優しい雨みたいな声で言う。


『祈里ちゃんが私を嫌いになったなら――もう私の顔を見たくないなら、それはしょうがないな、って思うの。きっと今までも私が気付けていないだけで、祈里ちゃんにたくさん迷惑をかけてるから』

「うん」

『だけど、私のせいで傷つけちゃった分、私ができることをしてあげたいって思うんだ。お別れは……その後がいい』


 話を最後まで聞いて、俺はどうしようもなく歯がゆい気持ちになった。

 これだから嫌なんだ。絵に描いたような『青春の悩み』は、ひたすら苦しいだけだから。その苦しさを美化できるのは外野に回った奴だけ。

 ――誰も悪くないし、誰もがきっとどこか悪い。

 そんな懲悪の群像劇なんて、一匙のカタルシスすらない欠陥品だ。


「違う」


 それでも、零れる言葉がある。


「まだ何も終わってないんだ。だから、諦めないでくれ。――稲荷を諦めないでやってくれ」


 じゃあ、俺に何かできるのか?

 そういうわけじゃない。でも、無責任に言う。


「稲荷は絶対にふーちゃんから離れていかない。だからふーちゃんは、ステージに立つんだ」

『……っ。どうして――?』

「根拠なんてないよ。でも約束する。絶対に稲荷と一緒にふーちゃんのライブを見る、って」


 終わらせて堪るかよ。

 ふーちゃんには笑っていてほしい。

 そして――稲荷にも笑っていてほしい。


『……』ず、ず、と鼻をかむ音が聞こえた。『こたくんが絶対って言うなら、絶対だね』

「当たり前だろ。俺は何でもできるスーパーヒーローだからな」

『――うん、私のヒーローだもん』


 じゃあ、とふーちゃんは少し濡れた声で言う。


『私はライブに向けて頑張る。最っ高のライブにするからねーっ!』

「楽しみにしてる」

『うんっ! 見てくれなきゃ、後悔しちゃうんだから!』


 少しは元気を出してくれたようだ。たとえ空元気だとしても、ふーちゃんなら空っぽな元気に色んなものを詰め込んでいけるだろう。


「おやすみ」俺が言う。

『おやすみなさい、こたくん』ふーちゃんが言う。しかし電話は終わらない。

「…………おやすみ、文ちゃん」

『えへへ、ごーかくっ! おやすみなさい。いい夢見てねっ』


 今度こそ電話が終わる。

 俺はスマホを放り、ソファーに身を委ねた。


「俺に何ができるんだよ?」


 そもそも、何をしていいのかも分からない。

 なのにもうゴールデンウィークが始まってしまう。そして、稲荷がうちにくる予定はない。


 八方塞がりな四月の出口で、それでも約束だけは守りたいと思った。

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