#25 噂のヒレカツ

 うちの学校には、S級美少女と呼ばれる有名な生徒たちがいる。

 ある者は成績トップの優等生お嬢様。ある者はスポーツ万能のアスリート女子。そして、またある者は大人気の現役アイドルだったりもする。彼女たちS級美少女は、天から選ばれた雲の上の存在だ。


 これは、吾妻あずま虎太郎こたろうがひょんなことからS級美少女たちと仲良くなる話……ではない。

 周りから嫉妬されたり、身分の違いに苦しんだり、絵に描いたような『青春の悩み』に直面するのは疲れるから――と思っていたはずなんだが。


「なぁ吾妻! 伏見さんとディナーに出かけてたって本当かよっ?」

「いつそんなに仲良くなったんだ?」

「いつも自分は興味ありませんって顔してるくせに……!」


 週明けの教室にて。月曜日特有の気怠さを堪えながら席についた俺は、あっという間にクラスの男子連中に囲まれてしまう。

 珍しい状況だった。友達が少ないわけではないし、クラスの奴ともたまに話すが、こんな風に質問攻めに合うことはない。……まぁ、男子にモテたところで嬉しくもなんともないが。

 それよりも、


「ディナーって何の話だ」


 俺は戸惑いながら返した。

 男子たちは早口で捲し立てる。


「吾妻と伏見さんが夜に二人でいるところを見たって奴がいたんだよ」

「二人きりで仲良くディナーを食べてたんだろ!? みんな噂してるぜ」

「俺は結婚式の相談までしてたって聞いた! 『家族とか友達を誘えるように』ってな」

「は、はあ?」


 何となく話の全貌は見えた。この前、俺とふーちゃんがファミレスで相席しているところを見た奴がいたのだろう。考えてみればあそこは学校にも近いし、誰かに見られてもおかしくはない。アイドルとしてのふーちゃんに気を取られて、学校の人気者としてのゴシップにまでは意識を割けていなかった。


 だが、それにしたって噂に尾ひれがつきすぎじゃないだろうか?

 夜ご飯だったので『ディナー』で間違いはないが、どう考えてもファミレスで飯を食っていただけだとは思われていないだろう。高級レストランのコース料理を食べていたかのようになっている。

 結婚式に至っては、尾ひれどころの騒ぎじゃない。チケットの話をしていただけなのに、どうして結婚式なんて話に脚色されるのか。


「あのなぁ」俺は苦い顔をしながら言う。「そんなの、誰かの戯言に決まってるだろ?」

「そうかぁ? 『どこにでもいる男子高校生が実は女子高生アイドルと付き合ってる』なんて、漫画の世界でよくある話だと思うけどな」


 からかうような声が聞こえて振り返ると、竜二がにやにやと笑っていた。

 俺が目を眇めれば、竜二は肩を竦めて返してくる。


「ここだけの秘密ってことにしてやるから、俺たちにだけ教えてくれよ。実は伏見さんと付き合ってるんだろ? 虎太郎みたいなデカいだけでパッとしない男子高校生にもチャンスはあるんだよな……!?」

「……」どういうつもりだ、と思う。でも竜二が俺の敵に回るとは思えない。「ああ、実はそうなんだ。ふーちゃんとは幼馴染でな。アイドルとしてデビューする前から後方彼氏面してるんだよ」


 思い切って、半分くらい本当のことを話す。最後にドヤ顔をキメると、男子どもはぷっと勢いよく噴き出した。


「ははははっ、うそくせー! 吾妻と伏見さんが付き合うとかあるわけねーだろ!」

「そうだそうだ! 漫画の読み過ぎだっつーの」

「分かるぞ。伏見さんのことを考えると、何故だか存在しない記憶が溢れ出すよな」


 男子どもはめちゃくちゃ失礼なことを言ってくる。最後の奴は逆に心配になるが……。

 彼らは全員、俺がふーちゃんと付き合っていると妄想している――と思ったらしかった。再び竜二を見遣れば、ニッと笑い返される。竜二の計算通りってことなんだろう。


「てか、吾妻も伏見さんのファンなんだな。てっきり興味ないかと思ってたぜ」

「……本人の前ではしゃいでキモがられるのは嫌だからな」

「馬鹿。アイドルはキモいオタクなんて見慣れてるに決まってるんだよ。むしろそうやって斜に構えてるほうがダサいんだ」

「そうそう、アイドルの前ではファンに徹するのが礼儀なんだぞ」

「……」まさかファンとしての心構えを諭されるのは。「なるほど、勉強になった」


 苦笑交じりに返すと、彼らは散っていった。まだ色んなところから視線を感じはするが、男子たちとのやり取りが聞こえていたのか、直接話しかけてくることはない。


「悪い、助かった」周囲に聞こえないよう、小声で言う。

「押してダメなら引いてみろ作戦だ」竜二はにかっと笑う。「でも、こんなんで噂が鎮まるわけじゃないぞ?」

「……だろうな」


 噂は容易く収束させられないからこそ、噂なのだ。ふーちゃんの色恋沙汰となれば、七十五日程度で鎮まるとも思えない。


「実際のところ、どうなんだ?」竜二が声を潜めて訊いてくる。

「実際のところって」俺は小さく失笑した。「あるわけないだろ。俺と伏見だぞ?」

「そうか? 虎太郎ならありそうだと思うけどな」


 竜二が言う。かなり本音っぽい声色だった。

 俺が返答しかねていると、「なーんてな」と竜二がおどけて笑った。


「どっちにせよ、暫くは騒がしくなるな」

「そうだな……」俺は顔を顰める。「面倒だけど、仕方ない」


 じたばたしても状況が悪化する未来しか見えない。噂が飽きられるまで大人しくしているしかないだろう。

 ただでさえ、ふーちゃんは大事なライブが控えてるっていうのに……。

 俺は誰にもバレないように唇を噛み、新しくできた悩みの種に頭を抱えた。



 ◇



 ところが、悩みの種はまだ終わりではなかった。

 周囲の視線を鬱陶しく感じながら迎えた昼休みのこと。

 事件は、教室の中心で起きた。


「ごめん、今日は別の子と一緒に食べる約束してるんだ」


 決して大きな声ではなかったし、特異な言葉でもない。だから教室にいる生徒たちもほとんどが聞き流していた。

 だけど俺は、気付いてしまう。


「祈里ちゃん……それって、昨日私がヘンなこと言っちゃったから、かな? もしそうだったら――」


 ふーちゃんの目尻が、きゅぃ、と下がる。哀しいのを堪えてるときの癖。

 場所が学校だからか、それとも相手が稲荷だからか、ふーちゃんの作り笑顔はいつも以上にちゃんとしている。アイドルとして身に付けたスキルなのかもしれない。

 一方の稲荷は、ふーちゃんよりも少しだけ不出来な――だけど完璧に近い笑みを浮かべていた。


「あはは、違うよ~。昨日のことはお互い忘れようって話したじゃん。今日は前から別のクラスの友達と約束してただけ。……それだけだよ」


 って、稲荷は言う。

 『学園のバラドル』は伊達じゃない。何せ本人たち以外は、ほとんど二人の間の蟠りに気付いていないから。


「そっか……じゃ、じゃあ私も一緒に――」

「ごめんね」

「……そっ、か」


 ついていこうとするふーちゃんから稲荷が距離を取る。

 そのまま、稲荷は弁当箱を持って教室を出て行った。ふーちゃんは一瞬俯く。けれど、そうしているのは一瞬だった。ふーちゃんは何もなかったかのような様子でクラスの友達と昼食を摂り始める。


「虎太郎、どうかしたのか?」

「えっ」声を掛けられて、ハッと我に返る。「何でもない」

「それにしてはさっきから誰かさんのことを目で追ってるように見えたけどな」

「…………」

「分かりやすい反応すぎんだろ……」


 呆れた風に言う竜二。

 理解がありすぎる友達も考え物かもしれない。だが、そんな竜二でも稲荷とふーちゃんの間の蟠りには気付いていないらしかった。

「で、どうかしたんだよ?」と竜二が訊いてくる。


「あの二人、変じゃなかったか?」

「二人?」

「稲荷と伏見だよ」

「あー、伏見稲荷コンビか」

「伏見稲荷コンビ」思わず繰り返す俺。「……確かに伏見稲荷だな」

「だろ?」竜二が得意気に笑う。

「って、そうじゃなくて!」


 話が逸れそうになったので、慌てて戻した。


「うーん……なんか変なとこあるか?」

「一緒にお昼を食べてないだろ」

「あー、そうみたいだな。でもあの二人はいつも一緒ってわけじゃなくね?」

「……まぁ、そうだけど」


 言われてみれば確かにそうだ。稲荷は稲荷で人気者なので、他のクラスに行くことはある。だからこそ、クラスの誰も不思議だと感じていないのだろう。


「そういうとこだよな」竜二が突然わけの分からないことを言い出す。

「そういうとこ?」

「虎太郎は伏見さんのことをよく見てるだろ? だから何かありそうに思えるんだよ」

「まだ言ってるのかよ」俺は苦笑する。「何にもないって」


 それに、と俺は心の中で思う。

 俺が今見ていたのは、ふーちゃんだけじゃない。むしろ最初に気になったのは稲荷のほうだた。何かをぐっと堪えるような稲荷の声を聞いたのは初めてだったから。


「俺が神経質になりすぎてるだけなのかもな」


 なんて、思ってもないことを呟く。

 俺の杞憂だったらそれが一番いい。だが、どうしてもそうは思えない。

 不確かなモヤモヤを昼食と一緒に呑み込もうとするけれど、なかなか上手くいかなかった。

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