#23 地獄の逃亡劇

 ケイドロが始まってから、十五分が経とうとしていた。ゲーム全体は四時間――二百四十分間。全体の十六分の一が終わったわけだが、戦況に動きはない。

 広場を散ってから、俺は見晴らしのいい場所に陣取っている。ここなら小町が近づいてきても、すぐに気付いて逃げられるって計算だ。しかし、未だに小町がやってくる気配はない。おそらく俺ではなく稲荷を先に狙っているのだろう。


「確実に勝ちに来てるんだよなぁ……」


 どうせ片方が捕まれば、泥棒側は味方を助けに行かなければいけない。なら捕まえやすい泥棒を人質にしてしまうほうが効率はいい。

 つまりこのケイドロ、おおよそのフェーズは決まっていると言っていい。


 1)稲荷が小町から逃げる

 2)捕まった稲荷を俺が助けに行く=小町と一対一になる

 3)助けた稲荷と二人で逃走する

 4)1に戻る


 稲荷が小町から逃げる時間が長いほど、俺は体力を温存できる。1~4を繰り返す回数が増えれば増えるほどに俺も稲荷も体力が削られ、小町が優勢になっていく。

 だからこそ、最初に小町が稲荷を捕まえるまでにかかる時間がゲームの目安にもなっていくのだが――。


「見つかってないのか? それとも、逃げ続けてる?」


 意外と連絡が来ない。前に鬼ごっこをしたときは、十分くらいで鬼を交代するはめになったはずなんだが……。


【コタロー:大丈夫そうか?】


 気になった俺は、稲荷にRINEを飛ばす。ルール上、禁止してないしな。

 少しして既読が付き、返信が届く。


【いのり:さっきやばかったんだけど、気付かれる前に移動できた】

【コタロー:ナイス泥棒】

【いのり:褒められてる感じゼロなんだけど!?】

【コタロー:ナイス泥棒猫】

【いのり:誰から何を奪ったのさ!】

【コタロー:さあ?】

【いのり:テキトーなこと言うな!】

【いのり:あ】


 メッセージの間隔が空く。ぴりぴりと緊張が走った。

 息を呑んだのも束の間、短く返ってくる。


【いのり:きたにげる】

【コタロー:ファイト】


 既読はつかない。とうとう小町が稲荷を見つけたようだ。

 フェーズ1が続くか、それともフェーズ2へ進むか。全ては稲荷と小町の追いかけっこの結果次第だが、果たして――。


 ぶるるっ、とスマホが震えた。

 恐る恐る画面を見る。


【コマコマ:仲間は預かった】

【コマコマ:十五分以内に出頭しなければ打ち首だ】

【コマコマ:貴様も仲良く牢にぶちこんでやる】


 …………。


「警察が完全に悪人!!」


 どう考えても正義はこちらにあった。仲間を人質にするとか卑劣すぎる。……それ自体はこのゲームのルールどおりだけども!

 気分は仲間を敵に捕らえられた義賊のリーダーだった。俺は牢屋がある広場へと小走りで向かう。


「まんまと来た。私から稲荷さんを奪えると思ってる?」

「お姫様を攫って行くのが怪盗の仕事だからな」

「いい女にしてやられるのも、それはそれで泥棒らしいと思うけど?」


 などと、ロールプレイに興じながら牽制し合う俺と小町。

 牢屋から半径10mには警察が近づいてはいけないルールなので、小町は少し離れたところに構えている。とはいえ、俺が一直線で稲荷のもとへ向かえばすぐに捕まるだろう。


「吾妻っ、ごめ~んっ! 簡単に捕まっちゃった……」

「いいや、むしろ善戦してくれたほうだ。すぐに助けるから、逃げる準備をしとけよ。この場で捕まったらじり貧だからな」

「っ、うん! 信じてる!」


 声を張って稲荷と言葉を交わし、目の前の小町に集中する。

 そして、ぐっ、と地を蹴った――。



 ◇



 ――そんなことを繰り返して、早二時間が経った。

 小町との追いかけっこはどうだったか、って? そこはただの泥試合に決まってるだろ。お互い全力疾走しあった挙句、体格差でギリギリ俺が勝ち続けている状態だ。

 今のところ、稲荷を助けた回数は四回。だが、四回ともタイムリミットまで全力で走らされたので体力はごりごり削られている。


「はぁ…はぁ……っ。小町ちゃん、凄すぎない……?」

「それはそう」


 四回目の逃走劇を繰り広げた俺は、隣でぜぇぜぇと息を荒くする稲荷に同意した。

 本当はこんな風に固まっているべきじゃないが、流石の小町も十五分走り続けた後はすぐに追って来られない。唯一、会話を交わせる時間だ。


「体力は俺よりも全然あるからな。今は体格差込みで何とか撒けてるけど、長期戦になったらヤバい」

「そんなに……?」

「そんなに」


 実際、この前の1on1も序盤は俺の優勢だった。だが、こちらがバテ始めてからは小町が点を決めることが多くなり、最終的には僅差で負けた。


「ま、結局いつも両方がすっからかんになるまでやるんだけどな」

「……」稲荷は少し黙った。「そっか」

「どうした?」

「ううん、何でもないよ」


 ふるふるとかぶりを振る稲荷。

 何かありそうな声だった気もするんだが……本人が否定するなら、深く気にしても仕方ないだろう。

「それにしても」と話を変える。


「稲荷も意外と体力あるんだな」

「えっ、そう……? けっこ~ヘトヘトだよ」

「それはそうだけどさ」確かに今も息は荒い。「でも、走れてるだろ。運動量を考えたら、もうへばって動けなくなっててもおかしくない」


 俺ほど長時間は走っていないが、稲荷も牢屋から逃げる瞬間、小町から全力で走る必要がある。ぜぇぜぇ息を切らしながらでも走れているのはすごい。

 素直に褒めると、稲荷は「あはは……」と苦笑を浮かべた。


「昔はあたしもアイドル目指してたからね~」

「は?」素で声が出た。「アイドル?」

「めっちゃ意外そうな顔~! そんなにヘン? 女の子なら一度は憧れるでしょ、アイドルって」

「それは、まぁ……」


 そうかもしれない。

 サッカー選手とか、スーパーヒーローとか、そういうありふれたと同じカテゴリーだと言われれば納得する。


「ダンスとか習っちゃったりして。……テレビの前で好きなアイドルを完コピしたりね。そ~ゆう道を通ってきてるから、そこそこ体力はあるほうなのかも」

「なるほど」


 一瞬、稲荷の横顔が憂いを帯びた気がした。でもその正体を確かめる前にあっさりと霧散してしまう。


「男子がヒーローに憧れて筋トレするようなもんだな」

「それはちょっと違う!」


 疲れているせいで、普段は口にしない言葉が零れたのだと思う。そんなものを拾い上げてベタベタと無遠慮に触るのは間違っている気がするから、俺は曖昧に茶化して話を終わらせた。


「じゃあ、そのときのアイドル力で残り二時間も乗り切ってくれよ」

「もちろ~ん! せっかく混ぜてもらってるんだから、全力で楽しみたいもんっ」

「『混ぜてもらってる』じゃなくて、『混ざってる』だけどな」

「……だねっ」


 にっと笑い合って、俺は稲荷と別れる。

 ――ああ、楽しいな。

 心の底から思った。



 ◇



「大勝利。ふふん」

「くっそ……」

「悔しい~!」


 ゲーム開始から三時間半が経過して――。

 小町は、揃って捕まった俺と稲荷に勝ち誇って見せていた。優越感がめちゃくちゃにじみ出ている笑顔は可愛らしくも凶悪で、色々と破壊力が凄まじい。こういうときの小町はほんといい顔するんだよなぁ……。


 ま、小町がこんな顔をしていることからも分かるように、俺たち泥棒は負けた。


「あそこで吾妻が転んだのがなぁ~」

「うぐっ……」

「それね。吾妻が戦犯」

「勝者に言われると余計にムカつくな……」


 そして事実だから反論もできない。

 数えること十回目の逃走劇。まだスタミナは残っているから何とかなるだろうと高をくくった――その油断が命取りだった。

 うっかり転びかけた俺は体勢を崩し、小町に捕まってしまったのである。


「まぁ~、あたしもどんどん捕まる間隔が短くなっちゃってたし、吾妻のことは責められないけどね」

「それはそう。これは二人の負けだよ」

「それ、小町ちゃんに言われるとムカつくねっ!?」

「それな」


 せめて負けた側同士で慰め合わせてほしい。

 ま、敗者に文句を言う権利なんてないのだが。


「で、勝者の命令は何にする?」

「ん……」


 素直に負けを認めて訊くと、小町は考える仕草を見せた。

 ……それもそうか。いつもならエッチ絡みの命令をして終わるはずだが、流石に三人だとそれはできない。迷うのも当然だろう。


「じゃあ、これからも今日みたいに遊ぶこと。それが稲荷さんへの命令」

「……いいの? あたしがいて退屈だったりしなかった?」

「そんなわけない。楽しかった」


 照れの混じった、でも、本音らしい声だった。

 稲荷は何か眩しそうなものを見つめるように目を細めると、「えへへ、そっか」と嬉しそうに笑った。


「うんっ、りょーかいっ! これからも一緒に遊ぶねっ!」

「ん」頷いてから、小町はこちらを向いた。「吾妻はまた今度、テキトーに命令する」

「テキトーて」思わず噴き出す俺。「了解」


 これでケイドロは完全に終わった。

 この後はどうするかだが……。俺は稲荷と小町が正しく『ちょうどいい同盟』になれているのを見て、口を開く。


「今日は帰るか」

「ん」「だね」


 いつもなら家に行ってエッチをする。いずれは三人でダラダラとそういうことをする日も来るかもしれないけど、それは今日じゃない。

 幸せでちょうどいい疲れを感じながら、俺たちは三人で帰路に就いた。



「今度は鈴木だな」

「だねぇ~。鈴音ちゃんも入れて四人でケイドロ?」

「そのときはまた別のを考えるよ。四人なら球技もやれそうだし」

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