写真家はニーソの男の写真を撮りたい

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撮影は会話みたいで

「モデルにならない?」

 コンビニのバイト帰りに突然訳の分からないことを言われた。確かこの人は、夕方に缶コーヒーを買いに来た客のはずだ。カフェイン量がエナジードリンク並に多いそれを、カゴに十本も入れていた。目の下には酷いクマがあるし、常飲しているのだろう。無頓着でボサボサの髪型に反して服装は綺麗めなジャケットスタイルで、顔の印象と全身の印象とで年齢があべこべであったから、レジの年齢ボタンを押すのを迷ったのが記憶に新しい。

 俺は警戒して無意識に短い詰め襟を、顔を隠すように掴む。コンビニ前は照明が明るくて、夜の深い時間にも関わらず辺りを煌々と照らしていた。最悪、防犯カメラにもギリギリ映る位置だから、もしものときはそれを見よう。

「……は? なんで、俺?」

 俺は顔がいい方ではない。その証拠に全くモテない。クラスの中でも極めて普通の面だと自覚している。

 剣道部で、ある程度の筋肉と体幹はあるが、誇れるほどの物でもない。だからこの人を信用出来なかった。モデルのスカウトにウカれた高校生を詐欺か何かに引き込むような、そんな悪徳商法が頭をよぎる。

「綺麗な脚だね」

「……は?」

 誘い文句があまりに怪しすぎる。警戒してこれ以上おかしなことを言うならコンビニに駆け込むか、傘立てに三日置き去りにされているビニール傘で殴りかかろうと心に決める。するとこちらののっぴきならない心情を悟ったのか、男は「ごめん、怪しいものじゃなくて」と慌ててポケットから名刺入れを取り出した。

「僕はフォトグラファーをしている写田しゃだです。この通りの角で四月七日まで写真展をしていて」

 その写真展には覚えがあった。ここの角は貸し画廊をしていて、定期的に展示内容が変わっている。確かに今は写真展で、表にポスターが貼られているのを見掛けていた。

 ポスターには雨に濡れた瞳の綺麗な人を近くで撮った写真が使われていた。通りすがりに窓ガラスから見えた写真は主にポートレート写真で、瞳や脚などの身体の部位を接写で撮っているものが多かった。

 どこか艶かしい写真を撮る人なんだなと、なんとなく思っていた。意図して艶かしく撮っている、というより艶かしいと思った自分の気持ちごと写真に納めているような。それを撮っていたのがこの人なのか、と一致させる。存在と感情の一瞬を永遠に落とし込むフォトグラファー。

「何かスポーツしてる? 姿勢がいいよね」

「中学から剣道を」

「いいね! イメージ通りだ」

 言いながら破顔するその顔は、これまでの言動と見た目の怪しさ全てを吹き飛ばすくらい人懐こい笑みだった。人懐こい野良猫が、心を許してすり寄るような無邪気な笑みだ。直観で、この人は悪い人ではないのだと、警戒を解いてしまい力になりたいなと思わせられる。

「姿勢がいい人は全体的なバランスがいいから、全体を撮っても部分で撮っても映えるんだ。顔を写されたくないなら写さないし、どう?」

 姿勢を褒められるのは素直に嬉しいから悪い気はしない。しかしながら、それが依頼を受ける理由にはならない。

「個展にも飾ったりもするんですか?」

「することもあるだろうね。名前を出したくなければ、出さなくていいし、その辺りは君に任せよう。返答も別にすぐにくれなくてもいいよ。やりたいと思ったときに連絡をくれるでもいい」

 大半の条件はこちらに任せてくれるらしい。最低限は信頼できそうだな、と思っていたところで追い打ちがやってくる。

「バイト代は弾むよ」

 甘い言葉に揺らがない訳がない。二つ返事で「やります」と言いそうになったのをなんとか堪える。ちゃんと額まで聞いてからしっかりと検討しよう。

 金には困っていた。うちはあまり裕福ではない。コンビニでバイトをしているのも、大学に行くための学費を稼ぐためだ。

「どらくらい、ですか」

「一時間七千円」

「やります!」

 せっかく堪えていたのに、破格のバイト代に思わず即答してしまった。コンビニバイトのほぼ七倍の額に飛び付かない訳がなかった。

「いい返事をありがとう。けど嫌だと思ったらその時点で辞めるって言ってくれてもいいからね」

 そうして二つ返事の俺を気遣ってそう言ってくれる。どうやら本当に悪徳バイトでは無いらしい。

「改めまして、僕は写田だ。君は?」

丹内たんないまことです」

「真くん、よろしくね」

 そうして連絡先を交換し、来週の土曜日に撮影日を決めるのだった。




 自宅が撮影所を兼ねているからと、写田さんの住むマンションへとやって来た。都心の新しそうなマンションで、ロビーは広く綺麗で家賃は高そうだった。もしかして、結構有名な写真家で意外とお金持ちなのだろうか。

 写田さんの住む五階へエレベーターで上がり、チャイムを押すとすぐにスピーカーから声がする。

「はーい! ちょっと待ってね」

 しかしインターホンからしたのは女性の明るい声で、部屋を間違えたのかと慌てて確認するも部屋番号は合っていた。どういうことだろう。考えてみれば、写田さん一人では撮ると言っていなかったから、アシスタントさんか誰かなのだろうか。

 程なくして扉を開けたのは、ラフな格好をした若い女性だった。

「こんにちは。真くんだっけ? 話は聞いてるよ。入って入って」

 招き入れられるがまま、その人の後ろを付いていく。案内されたのは本来リビングとして使うであろう部屋で、撮影機器がたくさん置かれていた。

 そこでライトの調整をしていたのが、つなぎを着ている写田さんだった。ジャケット姿よりもこちらの姿の方がしっくりくるし、どこか生き生きとしているように見えた。クマもどこか薄くなっているような気がする。個展が終わったからだろうか。

「久しぶりだね。今日はよろしく。さすがに未成年と二人で密室にいるのはダメだと、妹に怒られてしまって」

 思わず若い女性の方を見ると、軽くお辞儀をした。

 この人は妹さんだったのか。よく見れば、確かに少し垂れた目元が似ている気がする。

「なので私がいます。兄がすみません。とはいっても、邪魔になるだろうから基本は隣の部屋で仕事してるんだけどさ」

 この部屋に来るまでにいくつか部屋があった。このマンションは部屋数が多いらしい。一番広い部屋を撮影所にして、他の部屋を衣食住に使う部屋にしているようだった。

「じゃあ衣装はこれで」

 写田さんに渡された衣装を見て、俺は思考が止まる。

 紺色の服に、長い靴下。時給七千円……こういう理由でその値段だったということか。

「……セーラー服とニーハイなんですけど!?」

「すみません、ほんと兄が変態で」

 再びそう謝る妹さんは、哀れむような微笑みを俺に向けた。

 ヌードモデルではないだけマシと思えばいいだろうか……いや、むしろヌードモデルの方がまだ恥ずかしさは少ないような気さえしてくる。

「君に着てほしいのはこれなんだよね。やっぱり辞めとく?」

 まだ引き返せそうではある。

 しかし…………時給七千円。

「やります!」

 迷いを振り切り、俺は制服とニーハイを受け取った。これも経験だ、となんとか自分を納得させる。

 洗面所を借りて服に着替えると、サイズはほぼ丁度だった。肩が少しキツいが、上はほぼ撮らないからきっといいのだろう。

 スカートのせいで足元がスースーするのは胴着も似たようなものだから慣れていたけれど、丈が膝上で短いのが心許ない。衣服として正しいのかこれはと言いたくなるほど、心許ない。

 おずおずと洗面所から出ると、写田さんが一つ笑みを溢した。

「似合ってるよ」

「いい感じ! 普段からその格好でもいいんじゃない?」

 二人にそう言われても、複雑な気持ちになる。

「似合っててもあまり嬉しくは無いですね……」

「似合わないよりはいいだろう?」

「そうですが……恥ずかしいです」

「大丈夫、顔は映さないから」

「そういう問題じゃなくてですね……!」

「君はそのままでいればいいよ」

 穏やかに笑うその人は俺のことを全面的に肯定するかのようだ。 

「立っているだけで綺麗なんだから」

 人たらしが甘い笑顔でそんなことを言うから、満更ではない気分になってしまう。

「じゃあ撮影しようか」

 そう言って写田さんは置いていたカメラを首に掛ける。妹さんは「何かあったら叫んでね」とヒラヒラと手を振りながら隣の部屋へと行ってしまった。

「まずはその背景の前に立っていて欲しいんだけど」

 俺は言われるがままに立つ。すると写田さんは足に程近いところで、シャッターを切った。靴下とスカートの間の、いわゆる絶対領域を切り取る形で。

「ちょっと片足に体重を乗せて立ってみて。……うん、いい感じ。そのままそのまま……」

 スカートの中を覗かれている訳でも無いのに、何なんだろうこの羞恥心は。だんだんと顔が赤くなっていくのを感じつつも、写田さんのカメラは足にしか向いていないのでこちらの表情に気付きはしない。このまま、俺の方を見ないでくれと思いながら、撮影は順調に進んでいく。

「そろそろ休憩する?」

「します……」

 三十分程が経った頃に写田さんはそう提案した。

 ただ立って、言われるがままにポーズを取っているだけなのになぜか異様に疲れていた。

 妹さんが麦茶を淹れてくれたから、俺はそれを一気に煽る。俺が成人していたならば、酒を煽りたいところだった。酔っていればこの状況にも対応できそうなのに、俺はどうしようもないくらい素面だ。

「まだいけそう?」

「いけるけどなんか疲れてますね……体力はある方なはずなんですけど」

「慣れないことって疲れるよね。そういうものだから、時間が許す限りゆっくりやろう」

 十分の休憩の後、また撮影の続きを始める。

「次は座りながら休みつつ撮ろうか。あのソファに座って足を組んでくれる?」

 言われるがままに座ると、中には雲でも入ってるんじゃないかというくらいのふわふわのソファが俺の体重を受け入れる。

 写田さんは目を細めて口許を嫌な感じに曲げた。

「え」

 ぽん、と胸を押され俺はポフリと柔らかいソファに完全に体重を預ける。その瞬間、ソファに膝立ちをした写田さんが足が写真の中心に入るように連写した。

 絶対領域の、出ている肌に写田さんの手が触れる。

 ――え、待って。

 俺は思わず足を閉じる。やっぱりなんか、そういう、変な趣味があったのか、と血の気が引いた。

 しかし写田さんはすぐに手を退けて俺の首筋から肩辺りまでの写真を撮り、体を起こして引きで足を撮る。照明を背に何度も何度もシャッターを切っていく。

 一頻り撮り終わると、混乱している俺の頭を写田さんの手が俺の頭を撫でた。カメラに隠れた顔が「脅かしてごめんね」とでも言うように、困った顔で笑う。俺は気付かないうちに詰めていた息を吐き出して「なんなんだよあんたは」と悪態をつこうとしたところでまたシャッターが切られる。

 そうしてカメラ越しに会話するみたいに撮影は進んでいった。 




 撮られた写真をモニター見返すと、俺の姿は俺から離れて写田さんの物になったようで、案外恥ずかしくない。おそらく俺の恥ずかしさも全て作品に昇華されたのだろう。

「これとか……こっちの座ってるのもいい。真くんはいい表情をしてくれるね」

「足しか映ってないですけど」

「足から心情や表情まで伝わるよ」

 モニターに写したのはソファに座っているときの写真だった。

「このとき君はちょっと僕のことを怖いと思っただろう」

「思いましたね。思うに決まってるでしょう!」

「けど次のこっちの写真では、大丈夫だなって心を許してくれた」

「そうですけど」

 この人は多分、いたずらが好きだ。子どもみたいに脅かしたり、ちょっかいを掛けたりするのが好きらしい。けど絶対的に優しいのだ。こちらが本気で嫌と思うことは絶対にしない。最初にモデルを頼んでくれたときのように、こちらの意向を汲んでくれる。

「なんで女子高生とかに頼まないんですか」

「今は『恥じらい』とかそう言うのが撮りたくてね。女性に頼んでみたけど、スカートは穿き慣れていることもあって中々撮りたいものが撮れなかった。写真にはね、被写体だかじゃなくてその人の抱いている感情も映るんだよ。恥じらいから派生する新鮮さとか初々しさとかも撮りたくて、そうなると男の子に頼むのがいいいかもしれないと思った」

「じゃあ――なんで俺だったんですか」

「君の姿勢がよくて、足が綺麗で、何より素直そうだったから。感情を真っ直ぐに出すよね」

「コンビニのレジの一瞬でよくそこまで思いましたね」

「個展に行くとき、あの道を通る度に見ていたからね」

 あの日が初めてでは無かったのか。偶然出会ったのが俺だったわけじゃなくて、ちゃんと俺のことを知った上で頼んでくれたのか。

「俺のこと、また撮ってくれますか?」

 あんなに恥ずかしかったのに、今はどうしてかもう一回撮ってほしいと思っている自分がいる。

「またニーソ穿きたいの?」

「そ、そういう訳じゃないですが! ……思ったより楽しかったなって」

「楽しんでくれたなら、こっちも誘った甲斐があった」

 俺を真っ直ぐに見てくれるその人は穏やかに言う。

「またよろしくね」

 写田さんはそう囁いた。

「じゃあ次はハイヒール用意しとくねー」

 へらっと笑いながら、そう言う写田さんに「なんでハイヒールなんですか!?」とツッコミたくはなったけれど、ニーハイでもハイヒールでも何でもいいから撮って欲しいなと、あなたの目線で俺のことをもっと見て撮って写真に納めてほしいなと、そう思うのだ。

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