第四章 愛は定め 8

「そうやって少女は愛を知ったのでした」


 露草は昔話をそう締め括った。


「辛かったね。露草」


 いつも通りの感情の覗えないその表情で、月白はそう言った。

 この娘は何もわかっていないのだと露草にはわかる。

 辛いことなど何も無い。

 露草は幸せを知ったのだ。


「あは、違うよ。月白ちゃん。愛を知ったんだ。愛し合ったんだ。愛する人と一つになったんだ。こんなに幸せなことがある?」


 しかし月白は感情を表に出すことは無く首を横に振った。


「露草は逃げるべきだったんだよ。キュウを連れて一緒に逃げるべきだった。時間を掛ければ鍵は開けられたんでしょ? 一緒に逃げて、一緒に生きるべきだったよ」


「どこへ? どうやって? キュウは蜥蜴族だったんだ。この国に彼が生きる場所は、監獄しかなかった」


 月白の言うことはなにも知らない子どもの理想論だ。

 現実の世界はそのように風に優しくはできていない。

 弱いものは蹂躙され、強者だけが肥え太る。

 あの時、露草たちは弱者だった。

 だから愛だけが二人を支え、今でも繋いでいる。


「違うよ。その監獄にキュウは殺されたの。露草たちは探すべきだった。安息の地を」


「貴方が言うんだ。月白ちゃん。貴方が言うのね。猿族でも、猫族でも、ましてや八大種族のどの種族でもない、貴方が」


 世界中にお前は独りぼっちなのだと突きつける露草の言葉だったが、月白は何食わぬ顔でそれを受け流した。


「私が安息を得る場所はすでにある。黒檀の隣にある。露草たちはお互いがそうだったんでしょ? ならどこにいたって良かったはず」


「戯れ言を言うな! キュウはここにいるんだ。私と一緒に!」


 そう言って露草は自分の胸を叩く。

 間違いなくいる。ここにいるんだ。


「そして次は黒檀を愛したいんだね。愛されたいんだね。でもその願いは叶わないよ。露草。私が止めるから」


 そう言って月白は短刀を構える。

 露草は初めて月白の感情を見た気がした。それは殺意。


「あは、月白ちゃん、貴方が私を愛してくれるの? 愛そうとしてくれるんだ」


 先に仕掛けたのは月白だった。

 露草を間合いに入れるのに三歩の距離。


 一歩、二歩、三――、歩を踏み込む前の半拍ずれた斬撃が露草を襲う。


 知っていてなお、避けにくいことこの上ない。

 だが知っていれば避けられないほどではない。

 ひらりと身を躱しつつ後ろに下がった露草は、袖に手を入れて腕に仕込んでいた小刀を抜いた。


 月白はさらに露草に迫り、攻撃を仕掛けるが、露草は小刀を手にしながら、避ける一方だ。

 避けに徹しているのは月白の攻撃範囲よりも露草の攻撃範囲のほうがわずかに狭いためである。

 体の大きさの差を、武器の差が打ち消し、上回っている。


 このまま攻撃を避け続けて、月白の体力が尽きるのを待つのも方法の一つだ。

 しかし月白の放つ攻撃はどれも回避行動を必要とするくらいには正確で、露草のほうも体力を消耗させられている。

 ましてや、月白はきちんと睡眠を取り、露草は徹夜という大きな差が存在していた。


 だがそれでもそれは二人の実力差を覆す程では無い。

 すぐに露草は余裕を持って大きく避けるのを止め、小刀で受け流しつつ、最小限の動きで月白の攻撃を躱し始める。

 間合いを詰めていく。


 威力のある拍に合わせた攻撃は避ける。

 威力の無い拍を外した攻撃は小刀で受け流す。


 露草も相手の虚を衝いて攻撃することに特化してきた。

 変則的な拍子はお手の物だ。


 真っ当な立ち合いに慣れた者がこの戦いを見れば心地悪さを感じただろう。

 一見すれば拍子の外れた下手な舞踏のようだが、攻撃自体は正確無比。

 素人がただ刀を振り回しているのとは訳が違う。


 嵐のような攻撃の中を露草は進んでいく。

 月白へと迫っていく。

 当然ながら月白は下がる。

 二人の間合いはやや被っている部分もあるが、基本的には短刀を使っている月白のほうが長い。


 相手の間合いを外しつつ、自分の間合いで戦うのは基本中の基本だ。

 月白の戦い方は拍を外す技以外は基本に忠実だった。

 黒檀の教えなのだろう。

 彼が正しい師であると見て取れる。


 だがそれは正道だ。

 左道を突き詰めた露草とは正反対だった。


 露草も無理には突っ込まない。

 いつでも行けるが、行かない。

 あえて月白の間合いで、それ以上接近が難しいように振る舞う。


 これは実力差を思い知らせるための儀式だ。

 月白に、露草には敵わないと刻みつけるための時間だった。


 やがて月白の動きが精細さを欠いてくる。

 当然のことながら月白ほどの少女がそれほど長い時間、刀を振り続けるなんてことはできない。

 それにしても長く保ったほうではある。

 昨夜の激しい戦いの後なのに。


 真っ当にやっても月白には万が一にも勝ち目は無い。

 そう確信したところで露草は後ろに引いた。


 月白は不思議に思っただろう。

 ここまでずっと露草は月白に肉薄しようと接近を続けており、月白はそれを避けるために短刀を振り、部屋の中をぐるぐると後退し続けていた。


 月白は無言で息を整えている。

 体力を回復させようと、体を落ち着かせようとしている。

 露草が離れたことで緊張が緩んだ。


 まだ脇が甘い。

 露草が下がった理由を理解できるまで、月白は緊張を維持するべきだった。

 前に出て戦い続けるべきだった。


 そのお陰で露草は目的を達成できる。

 露草は小刀を持っていない側である左手を持ち上げた。


 甲高い、普通の生活の中では聞かない音がして、月白の体は突然自由を失った。

 月白と戦いながら一縷の鋼線を撒いていた露草が、それを巻き取ったのだ。


 何重かの円を描いていた鋼線の中央に月白は誘き出されており、巻き取られた鋼線が月白の体を拘束した。


 全身に鋼線が絡まった月白の体は体勢を崩して倒れる。


「ごめんねえ。女の子は趣味じゃないんだ」


 そう言って、露草は懐から手拭いを取り出して、月白の口に枷をした。

 これ以上何かを喋られるのも嫌だし、舌を噛まれでもしたら厄介だ。


「ちゃんと後で解放してあげるから、すべてが終わるまで大人しくしてて頂戴ね」


 そう言って露草は玄関で丈の高い革の靴を履き、しっかりと靴紐を縛った。


 外に出ると東の空から暁は消え、青空が広がっている。


 月白を置いた廃屋から少し移動する。


 心を落ち着ける。

 もうすぐ、もうすぐだ。

 廃村に張り巡らせた仕掛けの一つが、近付いてくる存在を教えてくれていた。

 もうすぐ露草の望みは叶う。


「月白は?」


 廃村に馬で駆けつけてきたのは露草の願い通り黒檀であった。

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