第21話 全力の一分

「舞さん、最後に一つだけ、教えてほしいことがあります」

「ん?に一つ?いいよ、何が知りたいのかな」

「あなたの力……。因果律を操るというのは、あなた自身が知覚できているもの、その全てが対象なのでしょうか」

「そんなことでいいの?まぁいいか。うん、そうだよ、私がわかるものだったら、何でも対象だよ」

 それを聞いて少し安心した香奈は、ふっと口角を上げ、手に握っていた匕首をしっかりと握り直した。

 それを知ってか知らずか、八風は足元に転がっていた小さなプラスチック製の何かを拾い上げ、小さな笑みを浮かべた後、それが電子音のような無機質な音を立てた。そして何かを確認した後、香奈の足元へ投げた。

 香奈の足元へ転がってきたのは、何処にでもあるような、ごく普通のタイマーのようだった。画面を見ると、三分二十五秒、二十四秒と変化しているのがわかる。何かの時間を測っているらしい。

「これは……?」

「病院、医務室、病室……。どうしてタイマーなんてあるんだろうね……。まあ、それはいいか。君が優しい怪異なこと、私は知ってる。だから最後に三分、話を聞いてあげる。その為のものだよ。ふふ、辞世の句を詠んでもいいし、命乞いをしてもいいし、抵抗しても、説得しても、何してもいいよ」

 どうやらさっき聞こえた電子音は、八風がこのタイマーをセットした音らしい。

「……舞さんって本当、優しいですよね」

「ふふ、よく言われる。聖人って呼ばれてるらしいね」

「そうですよ。ただ、これ程とは思っていませんでした」

「ふふふふ……。命乞いは初めてかな、褒めたって何も変わらないよ」

「いいんです。私の想いを話せて、とても嬉しいので」

「それは良かった。ふふ……。でも最期の三分、こんなことに使っていいの?」

「ええ、構いません。私にとっても貴重な三分ですから。有効活用させてもらいますよ」

「その割には、随分と悠長だね。あ!もしかして、ここから挽回できると思ってる?」

「まさか……。仮に抵抗しようにも、舞さんの力の前じゃ太刀打ちできませんよ。因果律を操られたら、それこそどうしようもないですから」

「ふふふ……。じゃあ、どうするの?」

「そうですね……。正直、足掻くのは無駄な気がします」

「よくわかってるじゃない。ふへへ……。そう、無駄だよ。だからこうして最期の時間を与えたんだよ。それをこんな会話に費やして……。本当、それも無駄だよね」

「それは違いますよ」

「どういうことかな?」

「無駄だ無駄だと仰いますが、無駄こそが人生を豊かにするんです。無意味な行動、無駄な足掻き、身の丈に合わぬ願い、想い、夢……。本当に必要無いのでしょうか」

「何が言いたいの」

「人は抗うことができる、という事です。その証拠に、私に与えられた三分……。もうあと一分と少し。抗う為の無駄な足掻き、見せてあげますよ」

 突然腰を落とし、匕首を腰の横に構え、空いた手を八風の方へと構えた。その構えはペンション怪異の時にしたものと同じだった。

「最期の一分、絶対に貴女を救う!六通神足ッ!」

 足元のタイマーは、この瞬間に一分を切った。

「なッ」

 辺りの花壇が瞬く間に破壊され、草や土、花が舞い上がる。その規模は凄まじく、常人なら視界を確保することすら難しい程だった。

「あッ、何が!?」

 八風の右腕が肩から切り離され、放物線を描きながら宙を舞う。それを見る間もなく、次は左腕に深い切り傷ができる。そして足、胴……。あらゆる部位に斬撃が及んだ。

「ふふふッ……あッはははははは!香奈ちゃん本当可愛い……!よおし、じゃあもう、残りの一分は数えなくてもいいよねェ!」

 残った左腕の傷が瞬く間に修復され、その腕で地面を勢いよく殴りつける。その力自体は大した威力が無いにも関わらず、とてつもない衝撃が加えられたかのように辺りの地面が隆起した。花壇が似合う洒落た庭だったが、もはや原型が残る余地など無かった。

「きゃあッ!」

 その衝撃は香奈を空中に跳ね上げていたようで、月を背景にその姿を顕にしていた。

 跳ね上げられた時に、花壇に用いられていた赤煉瓦の大小様々な破片も飛び散る。それが彼女にも直撃し、左腕に大きな怪我を負って出血していた。

「見つけたァ!」

「まッ、まだ終わってないッ!」

 空中で体勢を整えた途端、空を蹴ったようにして再び姿を消す。そして先程と同じように辺りの地面を捲り上げるように破壊しながら八風への攻撃を始めた。

「私の神足は最大一分、その全てを貴女に捧げる!そして必ず救ってみせる!」

 とてつもない速度で八風を包囲、攻撃を続けていく。しかし、どの切り傷も気がつけば回復しているようで、実質的な効果はほとんど無かった。

「救う救うって煩い!だったらどうしてあの時、私を助けてくれなかったの!」

 激しい風と土埃が舞う中、見えない香奈に向けてそう叫んだ彼女の表情は笑っておらず、かつて誰も見たことがないような、普段の笑みからは想像できない程の悲しみに満ちた、哀愁漂う表情があった。

「過去はどうしようもない、けどッ!これからの、未来は絶対に変えられる!私は絶対に見捨てない、私はみんなの!みんなの希望!みんなを助けるお姉ちゃんだからッ!」

 絶え間ない攻撃はまだ終わらない。回復されるとわかっていても、攻撃をやめる事は決してしなかった。

 香奈の射程、移動距離は広範囲に及び、少し離れていたはずの館の廊下にまで及んでいた。

「香奈ちゃん……。あなた、本当にみんなが好きなんだね。でも、残念……。そこに殺意がない以上、その刃は私には届かない」

「がッッ」

 香奈が全身を切り付けている間にも、確実に回復していた八風の新たな右腕。最初は付け根の出血が止まり、その後肩から肘にかけて骨、筋肉、血管、繊維、皮膚と、ゆっくりと再生していたものが、唐突に猛烈な勢いで再生し、腕としての機能を取り戻していた。

 それに気付いた頃には既に手遅れで、香奈は彼女の近くに来た途端にその腕で顔面を鷲掴みにされ、そのまま地面に後頭部から叩きつけられていた。

「ふふふ……残念でした」

 うつ伏せのまま香奈が聞いたのは、八風の呆れたような声と、どこかでタイマーが三分経ったことを告げる、小刻みに鳴り響く電子音だった。

「ちょうど三分。無駄な足掻きもこれでお終い。じゃあ、これで終わりだよ」

「待ちなさい!」

 香奈へ止めの一撃を与えようとしたその刹那、館の壊れた壁の中から声が聞こえた。

「……あれ。誰?」

「舞ちゃん、落ち着きなさい。相手は香奈ちゃんでしょ」

 そこにいたのは隊長、矢坂凛だった。彼女の手に握られている拳銃の銃口は、八風に狙いを定めていた。

「ああ、舞さんいいところに。いまから怪異を排除するんだ」

 地面に仰向けのまま伸びている香奈の胴を足で強く踏みつけながら、矢坂に笑みを送った。踏みつけられた香奈の意識はまだ残っていたのか、悲痛な呻き声を上げていた。

「香奈ちゃんは友好性、私たちの味方よ。貴女と同じくね」

「ふふふ……。そうだね、私と同じ怪異だもんね。だから、怪異だから殺さないと」

「そうね。だけど少し待って」

「待たないよ」

「待って。胸の怪我が酷いから、まずはそれをちゃんと診せて」

 手に握っていた拳銃はそのままで、彼女の胸元の銃創を確認する。

「……これか」

 突然、彼女に向けて発砲をした。それも一発じゃなく五、六発続けて撃った。

 そして八風が怯んだ隙に、広がった傷口を抉るように、すかさず手を差し込んだ。直後、何かを掴み、それを勢いよく取り除いた。

「うッ……。な、何……するの……」

「あなたを狂気に陥れた元凶とでも言えばいいかしらね……。それの摘出よ」

 彼女の手にあったのは、今撃った弾とは全く別のものだった。その見た目は血で塗れているものの、赤茶色になるほどに錆び尽くした釘だと分かる。

「全く……。しかし、相手には知識と技術があるってことかしらね。舞ちゃん、もう大丈夫よ」

 途端に、さっきまで虚で霞んでいた八風の瞳に、光が戻っていく。そして、ハッとしたように踏みつけていた香奈から急いで足を退け、二、三歩引いて呼吸を乱し始めた。

「………………待って、わ、私、何して……。は、はっ、ハッ…………か、香奈、香奈ちゃ…………香奈ちゃん!」

 目に涙を浮ばせながらその場で膝をつき、少し離れた場所にいる香奈の、その表情を見つめた。そこには、目を閉じてゆっくり、浅く呼吸をしている、全身が汚れた香奈の姿があった。

「ごめ、ごめんね……ごめんなさい…………私、とんでもないことを……う、はあぁ……ごめん、ごめんね、痛かったね、辛かったね……怖かったよね…………うわぁぁぁ……」

 八風は這い寄るように香奈に近づき、胸元に蹲って彼女の着ていた寝間着を濡らすほど、声を出しながら涙を流した。

「香奈ちゃんの洞察力に感謝しないとね……。この子、貴女と戦いながら、豹変の原因が胸の傷にあることに気付いたらしいわ。それを近くにいた私に知らせてくれたのよ」

「ど、どうやってそんな……。そんな暇、無かったんじゃ……」

「壁に血文字を残してくれたわ。ってね」

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