第4話 滝塚市角端埠頭事件―⑨

【時刻:午後二時十分 視点:加納聖】


 赤熱する何かが海面に降り立った。同時に海水が蒸気となって立ち昇る。それを視認するや否や、右頬を赤く腫らした加納聖は片桐紫苑と共に走り出した。


「ほ、本当に大丈夫なのかなぁ! 南方ちゃん、どう見てもまだ小学六年生くらいだよ! 邪神とかと戦えるの?」

「昴が大丈夫って言ってたなら、大丈夫です。それよりも、俺たちは昴と水戸瀬さんに頼まれたことを、やり遂げましょう!」


 二人が目指すのはシニョン・プレフォールズ。神象風景に取り込まれ、逃げ場を失った人々の下へ。


「私、正直自信ないよ。さっきの話も何の実感もないし!」

「やれます。やるしかないんです! 俺たちの力で、邪神を退散させるんだッ!」


 その瞬間、海面が盛り上がった。そして角端埠頭は、海の底から浮上したばかりのような、潮水でぬかるんだ、海草や苔だらけの岩肌に完全に変わってしまった。

 超古代の建物が天に向かって聳え立つ。そのどれもが、時間の流れを感じさせるように、海草に覆われてしまっている。

 とても生臭い臭い。立ち止まってしまった加納は思わず胃の中のものを吐き散らした。紫苑が慌てて背中をさする。


 そして、せりあがった海面から、それは姿を現した。


 類人的な外観。だが、あまりにもそれは大きすぎた。見上げるようなその体躯は、高層ビルに匹敵する。タコに似た頭部が付いており、顔には触角が固まって密生している。

 鱗に覆われたゴムのように見える体、前脚と後ろ脚には大きなかぎ爪、背中には細長い翼が生えていた。


 この怪物は、ゼラチン状の体を一歩一歩、角端埠頭にいる加納達の方へ進めてくる。

 咆哮が滝塚市に轟いた。もしかしたら隣県全てに聞こえていたかもしれない。それほどの大音量に加納達は耳を塞ぎ、手近な遮蔽物に身を隠して耐える。


 そして、眠っていたところをダゴン秘密教団の儀式で無理矢理起こされたこの邪神は、その鬱憤を晴らすべく教団本部があったであろう位置に爪を叩きつけた。それだけで大地が裂け、瓦礫が散弾のように飛んでくる。


 それが加納たちの後ろで炎によって溶かされた。そしてそこかしこに落ちて煙を上げる。

 そんな中を、肺が張り裂けそうになるくらい懸命に、加納達は足を動かし続ける。止まればどうなるか、本能的に察知しているからだ。

 絶叫する邪神の声を聴いて二人の足は一瞬すくむ。加納は自らの足を叩くと、紫苑の手を取ってまた走り出した。紫苑もつられるようにして歩を進める。


 そうすること数分。加納達はようやくシニョン・プレフォールズにとどまっていた人々の下にたどり着いた。誰もが神象風景の影響で、深きものどもに近づいていっている。


「着いた!」

「あ、加納。無事だったのか」


 話しかけてきたのは友人たちだった。若干目がぎょろりとしている。加納は友人の両肩を掴むと、俯いて少しの間息を整えた。そして、意を決したように顔を上げる。


「頼む、今ここにいる人を集めてくれないか」

「ど、どうしたんだいきなり。それよりも、あの怪獣みたいなのなんなんだよ。突然現れて、シニョン・プレフォールズも様変わりしちまうし。一体どうなって……」

「それを全部解決できる」


 加納の真剣な顔つきに、友人たちは生唾を飲んだ。加納達が何事か話しているのに気付いたのか、身を寄せ合い、絶望的な表情を浮かべていた人々が集まってくる。口々に理解できない現状の説明を求めたり、不平不満を訴えたりしてくる。


「聞いてくれ!」


 そんな群衆を、加納は一喝する。全員が顔を上げた。加納は向こうで激闘を続ける昴達の方を指さして叫ぶ。


「今俺たちは、あの怪獣に襲われてる。だけど、警察の人たちが全力で食い止めてくれてる!」

「本当に大丈夫なのか? さっきからあの怪獣、何度でも再生しているんだが」

「言ったろ。食い止めてくれてるんだ。あのままじゃ一生かかっても終わらない」


 群衆から絶望の声が上がる。加納はそれを見て、拳を握りしめた。何とか鼓舞するしかない。嘘だとしても、確証がないとしても、力強く叫び続ける。加納にはそれしかできない。


「安心しろ! あの怪獣を追い払う方法がある!」

「なんだと!?」

「お願い、早く追い払って!」


 数人の男女が加納に縋り付いてくる。加納は彼らをなだめると、そそくさと紫苑の後ろに回り込む。


「ここにいるのが、えーと……」

「か、加納君?」


 加納は言葉に詰まった。流石に紫苑が、シニョン・プレフォールズを襲撃した深きものどもの血を引く、“深きものどもの巫女“であるとは言えない。言ったら確実に袋叩きに合う。

 流れる汗が顎を伝った。その時、加納はつい最近父親に見せられたとある映画のことを思い出した。


「――そう、いわゆる小〇人さんです!」

「ちょっと待てぇ! 確かに小さいけどあそこまでじゃない!」


 ギリギリ百五十センチに届かない紫苑が加納の胸に平手で裏拳をかます。いわゆるツッコミというものだ。

 というか、該当する映画はもう六十年程度前の作品だ。ちょっと年上くらいの紫苑が良く知っていたなと加納は思う。

 すると、とある中年男性が突如大声を上げた。


「何!? モ〇ラと意思疎通を行うことのできるシャーマン的存在、小美〇なのか!」

「あれ? モス〇って言えば、正義の怪獣だよね?」


 知っている人がいた。群衆がざわつき始める。


「細かいことはいいんだよ! 要は、彼女に俺たちの持つ、そう、祈りを捧げると、なんと不思議! あの怪獣はどこかへ消え去ってしまいます!」


 しどろもどろに語る加納。目がずっと泳いでいる。群衆を適当な話で言いくるめようとする加納を、紫苑は横目でにらみつけた。走ってきたことも重なり、汗が止まらない。

 群衆は固まる。どうすればいいのか迷っている状態だ。あと一押し何かできないかと加納が考えていると友人たちや、助けたカップルが歩み出る。それに続くように、群衆が顔を上げた。そこには、加納がもたらした確かな希望が宿っている。


「こいつ馬鹿なんだけど、こんなところで嘘を言う奴じゃないんです、信じてください!」

「お、俺たちも。助けてくれたお礼をさせてほしい」

「何をすればいいんですか」


 徐々に人々が歩み寄ってくる。それは大きなうねりとなり、加納聖の下に押し寄せてきた。


「……そうだな。ここでこうしていても何も変わらないなら、そこの兄ちゃんの言葉を信じるのもアリだな」

「なんかもう怪獣映画みたいな状態だけど、滝塚市ってあちらこちらで怪事件の噂が広まってるし、実際化け物に襲われたし。全部現実として受け止めるしかないよね~」

「やったろうぜ、兄ちゃん! 俺たち、映画の主役みたいなことできるんだろ!」

「ああ!」


 吹っ切れた顔。今ここに、希望が確かに存在する。


「……俺たち人間の力で、あの怪獣を元居た場所に送り返すんだ!」


                                  ――続く

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