第29話

 狂風琰月の幹部、荊との激闘の末に辛くも勝利した青嵐は惰眠を貪っていた。仕事がなければ基本的に外へ出かける気にもならず、お洒落や高い物に惹かれるような贅沢な感性も持ち合わせていない。もしも青嵐が平凡な神道家の炎術士として生まれていたなら、有意義に引きこもるために家の金を食う穀潰しとして一生を終えていた可能性すらある。

 それほどまでに普段の青嵐は怠惰な人間なのだ。

 しかし、怠惰な人間であり続けられないのは、彼が怠けようとしている姿を今まさに目撃したかのようなタイミングで電話をかけてくる者が居るからである。

 ダブルベッドの枕元にある備え付きテーブルの上に放った携帯端末が音を立てて震える。

 目覚まし時計のような煩わしさに思わず風術を使うか迷ったものの、一呼吸おいてから青嵐は通話ボタンを押した。


「……もしもし」

『や。青嵐くん! 元気?』

「切っていいか?」


 底抜けに明るい声が耳障りに聞こえてしまうのは仕方ないだろう。

 通話終了のボタンを本気で押すか迷うレベルで彼は苛ついた。相手はいつもの情報屋。青嵐にとって有益な情報を持ち込んでくる代わりに、厄介事も同じくらい運んでくるバッファーとデバッファーのハイブリッド。ちなみに青嵐の感覚では八割方厄介事に巻き込まれている。

 青嵐は寝起きの頭で即決し、通話終了ボタンを押して床へと放り投げた。

 しかし、投げられた瞬間から着信のベルが鳴り、ただでさえ寝起きで不機嫌な彼のイライラゲージが溜まりつつあった。


「……うるせーな」


 高級羽毛布団を被っていても微かに聞こえる着信音。どうやら携帯にハッキングし、音量設定まで弄られたせいで明らかにいつもより激しく青嵐の耳朶を揺らした。

 ついに我慢できなくなり、ベッドから降りると乱暴に携帯端末を拾い上げる。そのまま通話ボタンを押し、青嵐は反社会勢力の者を彷彿とさせる低い声で相手へと威嚇した。


「おい、いい加減にしろよ? これ以上やるってんなら、八つ裂きにしてやっても————」

『ルビアルのこと、残念だったね』


 しかし、今まで抱いていた怒りは相手のその言葉で霧散した。冷や水を浴びせられたかのように冷静、かつ意識が覚醒してきた青嵐はほんの少しだけ寂寥感を漂わせる。

 彼の背中はいつもよりも少し小さく見えた。


「……ああ。流石早耳だな」

『ボクだからね。それで、落ち込んでるの?』


 青嵐は嘆息を一つ吐き、肩を竦める。笑みを浮かべてはいたが、僅かに引き攣っていた。


「そーだな。俺らしくもなく、ちょっとブルーになってるかもしれん」

『そっか。でも、ルビアルを幼くした子がいるんでしょ? 可愛い?』

「そこまで知ってんのかよ……少しキモイぜ?」

『それも含めてボクだよ。ルビアル本人は死んじゃったけど、形はどうあれ君のそばにいられて幸せなんじゃないの?』


 情報屋の声にはいつもみたく彼を揶揄うようなものはない。ただ純粋に青嵐が今の状況を知りたがっているように聞こえた。

 彼は力なく首を振りながら答える。


「死んじまったら終わりだよ。怪異であれ……人間であれ」

『そっか……ま、君ならそう言うだろうね』


 青嵐の返答に対し、相手は喜悦も落胆もしなかった。ただ淡々と彼の言葉を受け止め、話題を変えた。


『じゃ、仕事の話をしよっか。今回の討伐対象は山奥にある神社に祀られている蛇神様だよ』

「蛇神サマ、ねぇ……」


 すでに仕事モードへと頭を切り替えている青嵐は相手の口から次々と飛び出す情報から討伐対象の姿を思い浮かべる。

 蛇神。それは本来、人間に対して富や名誉を齎す土地神。古くから白蛇の抜け殻を御神体として保管し、多くの者達が信仰することで力をつけてきた。

 しかし、過疎化が進み、信仰が途絶えた事で蛇神としての力は衰えた。そこへ目をつけたのは憑依型の怪異。本来なら青嵐でなくとも術者としての力を持つ者であれば容易く祓える程度の雑魚。

 ところがその雑魚は蛇神を依代にする事で今まで使い尽くせなかった力の全てを自らのものとしてしまったのだ。その結果、一流の術者でなければ太刀打ちできないレベルの強さへ成り果てた。

 何より名前は重要である。『蛇神』は『ジャシン』と呼べる。

 それはつまり、『邪神』とも呼べる上、発音次第では『邪視』とも聞き取れる。

 怪異にとって、人の口から発せられる言葉や頭に思い浮かべられたイメージ次第では最弱も最強になり得るのだ。

 今回はその最悪のケース、『邪視』の力を有した『邪神』の討伐依頼が入ってきた。

 強さこそ先日斃した荊程ではないが、生半可な覚悟で挑んで勝てる相手でもない。あまりにも危険すぎる依頼に青嵐は深く嘆息した。


「やっぱりお前は疫病神だな」

『失礼だな。ボクはちゃんと君の実力を考えた上で、依頼を持ってきてるよ』

「……だからこそだよ」


 この情報屋は一体何処まで自分を見透かしているのか。青嵐はそれを知ろうと思ったものの、やめた。

 餅は餅屋。勝てない勝負をするほど、青嵐は馬鹿ではない。


「取り敢えず引き受けてやる……報酬は?」

『アタッシュケース一つ分。その土地を一刻も早く開発したい会社からの依頼。秘密裏に頼むよ』

「手加減して勝てる相手じゃねーだろ」

『他言無用ってことさ。後処理はボクに任せて、今からでも行ってきたら? 気分転換にもなるよ』

「……かもな」


 その後、青嵐は通話を終え、着替えを済ませる。その様子を部屋の入り口付近からルビアルの面影を遺す少女が見守っていた。

 風術を使うまでもなく、壁に立てかけられてあった鏡で確認した彼は声をかける。


「じゃ、行こうか」


 返事はなかったが、少女はとてとてと青嵐の元へと拙く歩いていく。そのまま彼の腰へ抱きつくと、じっとこちらを見上げてきた。

 どうやら一緒に行く気のようだった。

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