絡新婦御雷場

第28話

 近くで電車でも走っているのか、踏切の音とガタンゴトンという何かが揺れる音がうっすらと聞こえる。辺りは暗闇に包まれており、人の気配はない。

 そう、人の気配は。


「おー死んだんやね、荊」


 人目を避けるような暗がりの路地裏。鈴の鳴るような声で呟きを漏らすのは一人の女性。

 ナイフのような鋭い印象を持たせるスラリとした長身、狡猾さを象徴する狐のように細い目。美脚を晒すように大胆なスリットの入った真紅のチャイナドレスを纏っており、頭の上でお団子のように髪の毛を包んでいる。

 その上からは装いに合わせた丸みを帯びた赤のカバーがつけられていた。

 普通に考えれば暗いところが好きな細目美女にしか見えない。格好も含めて少し変わってはいるが、探せばいるかもしれない。

 しかし、実態は全く違う。そう断言できるのは彼女の口元とその手に持つ硬い何かが普通の人間ではないと証明しているからだ。

 バリボリとスナック菓子を食べる感覚で齧り、奥歯で噛み締めているそれ。目を凝らせば分かる。それは引きちぎれた肉のついた人の骨。口元を汚す赤い液体は人の血。

 そして、足元に転がるのは今し方彼女の手によって殺された男の屍だった。右腕が欠損しており、女性が握るそれからだらりと土気色の右手が力なくぶら下がる。彼女は人を平然と喰らいつつ、笑っていた。

 ところが急に動きを止め、舌で何かを転がす。それの正体に気づき、女性は顔を顰めた。


「まっず」


 ぺっと口を窄め、地面に向かって吐き捨てる。ガムのようにへばりついたのは白からは程遠い色のシミが出来た骨の欠片だった。


「最悪やわー、コイツ骨に癌出来とるやん。でも初期症状やったみたいやし、早いうちに見つかって良かったなー……ま、死んでもうとるから意味なしやけど」


 暗闇の中でケラケラと笑う女性。彼女の近くで無造作に転がされている屍は当然何の反応も示さない。彼はすでに死に絶えている。魂は天へと昇り、とっくに天国か地獄のどちらかへの切符を握り締めて三途の川を渡っている頃合いだろう。


「やったんはおそらく風術士……風の契約者か、やっぱりべらぼうに強いんやねぇ。私よりも上ってことは絶対に有り得へんけど、上から数えた方が早い彼奴に勝てる奴なんてそうそうおらへん」


 ダストボックスから女性は腰を上げる。真下には屍があったものの、気にせず踏み潰して歩く。死者への敬意どころか食への敬意すら微塵も感じられない。

 しかし、それは至極当然のことである。

 彼女は人でありながら、人ではない。

 人でなしであり、ろくでなし。うっすらと目を開き、その女性はひゅるりと吹く風に髪を靡かせながら舌舐めずりをした。


「次は私の番やね。仇は取ったるよ、荊!なんてなぁ……やめやめ、冗談でも寒いわ」


 彼女は何一つ反省も後悔もする事なく、死者を冒涜し尽くしてそこから立ち去る。

 瞬きほどの間隙の間にその姿は消えていた。屍には何かが群がっており、わらわらと蠢く。

 枝を何度も踏み締めような音が闇の中で響くのだった。











          ◆











「こえーよ」


 朝、起床して開口一番の青嵐の台詞である。

 ホテルで休息を取っていた彼は目覚めてすぐ自らの視界へ飛び込んできたルビアルの面影を残した少女の顔に思わず後退りそうになった。

 何せ目を開いたら鼻と鼻がぶつかりそうな距離でこちらを見つめていたのだ。取って食われるかと思ってしまうほどに彼は焦った。

 とはいえ、敵意の類はない。風術を使うまでもなく、彼はその事を理解している。

 最早、その少女はルビアルの残滓であり、意思を持たない人型。青嵐が死ぬまで、もしかしたら死んでも生きることを強要されるかもしれない何某か。

 感情の起伏どころか、感情の一欠片すらそこには宿っていない。

 正しく人の形をしているだけだ。


「おはよう」


 話しかけてみたものの、返事はない。驚くに値はしない。会話というものは言葉が通じる者相手でなければ成立しないのだ。

 人形相手に話しかけたところで、返答がある筈もない。柄にもないことをした自分の行いを悔い、青嵐は上体を起こす。

 少女はその様子をじっと眺めているだけだ。


「やれやれ……」


 青嵐は肩を竦めた後、彼女のことは一旦おき顔を洗うために洗面台へ向かう。その後を追う影が目の端に見えたものの、何も言わずに手際よくやるべきことを済ませていく。

 顔を洗い、うっすらと見える髭も剃り、歯も磨いた。汗をかいたので風呂に入ろうとするが、少女は彼を見つめたまま微動だにしない。

 いくら人形とはいえ、裸を見られようとして無視できるほど青嵐は無頓着ではない。


「外で待ってろ」


 その言葉に反応したのか、もしくはただ音の響きから彼の言葉の意味を悟ったのか。どちらにせよ同じだろう。少女は踵を返し、扉の外へ立った。

 青嵐は溜息混じりに扉を閉め、服を脱ごうと手をかけて動きを止める。

 風で気配を探り、辟易とした。扉の前で棒立ちの少女が視えたからだ。


「あっち行ってろ」


 気配が遠ざかっていくのを感じ、漸くほっと一息吐く青嵐。さっさと服を脱ぎ捨て、洗濯籠へ放り込む。

 そのままバスルームへ直行し、扉を閉めた数秒後、シャワーの流れる音が聞こえ始めた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る