第十七話 「x」
ほんの一瞬の事だった。
身の丈に合わない剣を振るったその瞬間、あまりの威力に翻弄される俺の手を、確かに母親が支えてくれていた。
振り抜いたときにはもう居なくなってしまってたけれど、手には今でもその温もりがしっかりと残っていた。
隣に立つ彼女と放った双撃は、空を覆う暗雲を貫くと、見える限りの絶望を切り裂いて静寂を生み出した。
もう得体の知れない液体も降ってこないし、蛇龍の姿も見当たらない。
「……やりましたね」
凛とした声へ向き直ると、途端に彼女はほんの少しだけ視線を逸らす。
理由はなんとなく検討がついたけど、俺も同じく、どう切り出せばいいかと悩んで、なかなか言葉が出なかった。
「もう、バレちゃってます……よね?」
と、彼女は言う。
「……多分」
と、俺も同じように返事をする。
そんな、焦れったさを醸し出すやり取りを続ける俺達を、剣撃が大きくくり抜いた円形の雲間から、まるで、この裏山だけを取り囲む光のカーテンが降りたように、朝の輝きが包み込んだ。
日差しに照らされる彼女の髪は、雨に濡れながらキラキラと縁取られ、ハイライトのかかった赤色が、煌めく青の瞳を一層際立たせる。
俺は少し照れくさくなって顔に熱をこもらせながらも、勇気を振り絞ってその沈黙を破った。
「でも、キミの口からきちんと聞きたい」
ハッとする彼女は目を閉じると、たっぷり時間をかけた後に口を開く。
「この真っ赤な髪は、大好きな母様から。そして、この透き通った蒼い瞳は、あなたから頂きました」
そして再び目を開く彼女は、次第に大粒の涙を浮かべて俺に告げる。
「私の名前は
そう、俺は分かっていた。
とっくに気づいていたけれど、聞いたそばから涙が止まらなかった。
何故なら、その瞬間ようやく理解したからだ。珈琲を飲んで泣いてた時の事も、病院で涙を零した時の事も、全部……。
彼女は走って俺に抱きつくと、それはそれは盛大に声を上げて泣き
「よかった……生きてる……生きてる……」
応えるように彼女を抱きしめると、無くした左腕の代わりに身体全身を使って俺の存在を確かめた。
「なんで……もっと早く教えてくれなかったんだよ」
成らない声で俺が言うと、「それは、ダメ……」と彩華は強く拒んで、俺から必死に顔を隠して彼女は続けた。
「あなたがソレを知ってたら、私の事まで助けようとするだろうから」
そう言い終わった時だった。
彼女の身体が青白い光を帯びて光を放ち始め、肌に伝わる感覚が、酷くおぼろげになっていく。
そして、俺はその光をよく知っていた。
この世界で何よりも悲しく、何よりも尊いその輝きは、残酷に俺達を引き離さんと輝いていた。
「そんな……お別れだなんて……」
「
涙を拭い、彼女は続ける。
「これから、あなたは更に大変な思いをいっぱいするかもしれません。でも、あなたには仲間が居ます。家族だって居ます。だから、どうか……」
「待ってくれ! 彩華!」
顔をあげた彼女は、涙を振り払って満面の笑みで言葉を残した。
「どうか、お元気で。お父様」
此の世界で死んだ生物は、亡骸を残さず粒子となって天高くへと昇っていく。
彼女の身体は、とっくに限界だったのだろう。
ソレはゆっくりと青い粒子となって、差し込む日差しに導かれながら朝焼けの空へと舞い上がった。
そんな中、俺はふと病院で彼女に言った言葉を思い出す。
――目の前の家族一人守れないような、そんな男にはなりたくないです
「全然守れて無ぇじゃねぇか……」
俺は目の前のことに必死になりすぎて、またも大切な家族を失った。
「こんな思いをするくらいなら、あの時、あの手を取らなきゃよかった」
俺はおもむろに呟いた。
けれど、こんな事、面と向かって口に出せば、可愛い顔を盛大にむくれさせて怒られるんだろうなと想像を巡らせつつ、この気持ちを、心の奥底にしまい込む事に決めた。
そんな時だった――。
「おぉーい! 坊主!」
少し離れた場所から、俺に向かって手を振るマッさんと、何故かそれを支える澪と汀がこちらへ駆けてくる。
「おっさん体力無さ過ぎやろ! もうちょっと運動とかしたほうがええんとちゃうか?」
汀が言う。
「うるせぇ! てめぇら若者だって、俺と同じ年になってみりゃあ嫌でも理解するだろう……って、あれ? 坊主、お前なんか……その……」
言いながら、俺の身体を物珍しそうに眺めるマッさん。
「背、伸びたか?」
「えっ? いや、そんなわけ……」
否定する俺に向かって、今度は澪も。
「いや……? ほんまに伸びてるかも。……あ! そんなことよりさっきのすんごい音何⁉️ ズガーンッ! って、やばい音してたけど……」
「それは……」
どう説明しようか悩んでいると、日差しはさらに光量をあげて俺達を包みこんだ。
「きれい……」
澪が言うと、汀がそれに続ける。
「でも、雨降っとんで? 晴れとんのに雨って……」
「こいつぁ、狐の嫁入りってやつだな」
マッさんが自信満々に割って入った。
「別名
「天泣……」
習うように口ずさんだ俺は、その雄大な景色を眺めながら一人の女性に想いを馳せた。
――キミがどんなに遠くから来たのかはわからないけれど、俺も必ず、そこまで行くよ。キミともう一度会える、その日まで。
「よっし、蘭の家まで競争な!」
汀が先陣を切って走り始める。
「あ、ずっる! まてやこらぁ!」
「坊主、おまえも行くぞ」
促されるままに三人の後を追いかけようとした――その時だった。
「あれ、そういえば……」
俺は思い出すと、ポケットに突っ込んでいた何時かの手紙を取り出した。
――結局のところ、コレの謎だけはわからないままだったな……。
と、何となく手紙を開くと……。
「x」
「=」
突然文字が変化すると、その後に、恐らく彼女が書き残したであろう言葉がゆっくりと浮かび上がった。
第十七話 「量子の彼方より、愛を込めて。」
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