第十話 遭遇
前も言ったかもしれないけど、本当に病院ってのは苦手だ。
雰囲気がーとか、そういう話は今回はとりあえず横に置いておくとして、俺が今直面している問題はそういう大層な物じゃない。
もっとこう……直感的というか、何というか。
「自販機どこだよ……」
そう。俺は今、道に迷っている。
白い壁、白い天井、窓のない廊下、こんなところを永遠歩き続ければ、誰だって方向感覚が狂っちまう。
「あれ、この案内板さっきも見たぞ……?」
どうやらまた同じ場所に戻ってきてしまったらしい。
これでもう三度目だ。それにさっきまで人通りも多かったのに、気付けばやけに静まり返っている。
絶対に何かがおかしい。どうなってんだこの病院は……。
「ラン?」
突然背後から声がした。咄嗟に振り向こうとすると、声は「振リ向イチャダメ」と俺を静止させる。
声の質からして、今朝のオブザーバーに似た奇妙な声だ。
ジャリジャリしてるというか、機械的な音……? みたいな。ただなんとなく、今朝のそれとはまたちょっと違うような……。
「オブザーバー、なのか……?」
恐る恐る俺は尋ねる。
「……ゴメンネ。多分、何モ答エテアゲラレナイ」
謎の声は少し声色を変え、妙に申し訳無さそうに答えた。
「此処カラ出ラレナクシタノハ私。コノ廊下ハ、ドンナニ歩イテモ此処ヘ戻ッテ来ルヨウニナッテルノ」
そりゃ何時まで経っても景色一つ変わらない訳だ……。腕時計を確認すると、自販機を探し始めてから二十分程が経過していた。
しかし、昨日今日と不思議なことが多すぎるせいで、なんとなくこういうのに慣れてきてしまっている自分が居る。
昨日までの俺なら、今頃パニックで取り乱してたかもしれないけど、今はこの状況を切り抜けるために何をすべきかを考える余裕がある。
今度は何だ? 腕か? 足か? この際何だってくれてやる。さっさと此処から抜け出して、早く彩音の病室へ戻らないと……。
と、一人で勝手に精神を擦り減らしているうちに、突然後ろから伸びてきた腕が俺の身体を優しく丁寧に抱きしめた。
「えっ……?」
回された腕はやはり黒塗りで、一見オブザーバーと同じようにも見えたけど、あの闇から感じたシンプルな殺意や憎悪みたいなものは全く伝わってこない。なんならその逆だ。優しさというか、愛情すら感じる。
「怖ガラセちゃッタよネ。ゴメんね。大丈夫。私ハ貴方の味方だよ」
女性の声だ。彼女の身体が触れてから、声は徐々に人の物へと近づいていく。
「それより蘭、イロハからペンダントは貰った?」
「あっ……そういえば」
俺は自分のポケットから、不思議な光を放つペンダントを取り出した。
今朝、家を出る時にイロハさんから「必ず身につけておくように」って手渡されたんだけど、学校ではアクセサリー類は校則で禁止されていて、外したままだったのをすっかり忘れてしまっていた。
「それは大切なお守り。肌見離さず身につけておいてね」
「……ありがとう。もしかして、これを伝えるために?」
問うと、恐らく彼女の顔であろう部分が、ゆっくりと頷くのを触れた肌で感じた。
「此処はあまりにも
そう言う彼女の腕に、更に力が込められる。けれど、苦しいとか痛いとかそういうのは全然なくて、ただ俺を求めるように優しく締め付ける。
そういえば、初めて裏山でイロハさんに助けてもらった時、彼女からも同じような物を感じた。
暖かくて、俺達を包みこんでくれるような……。
俺は背後の彼女に言われた通り、イロハさんに貰ったペンダントを首からかけると、おもむろに黒塗りの手に自分の手を重ねた。
すると、彼女の手の輪郭がだんだん曖昧になっていく。しっかり握ってるつもりなんだけど、触れているのかどうかさえ自分でも分からなくなってしまう。
「……もう時間ガ無いミタイ。忘れないデ。何があっテモ、私もイロハモ、ズット貴方ノコトヲ……」
「ま、待ってくれ。まだ聞きたいことが……!」
俺は咄嗟に彼女を引き留めようと振り返ったが、そこにはもう誰も立っていなかった。
同時に、静まり返っていた病院にゆっくりと音が帰ってきた。人通りもちらほら見える。どうやら元の場所に戻されたようだ。
「
確認のために胸元へ手をやると、ペンダントは確かに首にかけられている。
さっきのやり取りは幻覚なんかじゃなかったらしい。黒塗りの彼女が言っていた(深度)ってのも、一体何の事だ?
口ぶりからして、イロハさんと面識があるようだったけど、情報を保てないって……?
分からないことだらけだ。でも、おおよそ敵ではなさそうだし、本当は疑ってかかるべきなんだろうけど、仮にもし俺を騙すために近づいてきたんだとしたら、俺と密着していた間にいくらでも殺すチャンスはあったはず……。
と、少しの間ペンダントを眺めながら考えを巡らせる。が、すぐに目的を思い出した俺は、とりあえず急いで自販機へ向かうことにした。
足を向けてみると、あまりにもあっさり自販機にたどり着く。
さっきなんて、体感では五キロくらい歩かされたぞ?
敵じゃないって言ったけど、やるならやるって先に言ってほしかったな……。こういう時、俺にも魔導の波長があれば検知のしようもあったろうに。
いかんいかん、無い物ねだりはやり始めるときりがない。とにかくさっさと飲み物を買って病室へ戻ろう。
「えーっと、澪の奴、何飲みたいっつってたっけ……」
商品のラインナップを眺めながら、さっきの不思議な出来事のせいで真っ白になった頭から記憶を掘り返そうとする。
ディスプレイに並んでいるのはお茶とスポーツ飲料。炭酸水、缶コーヒーに……ラーメンスープ……おでん……だし汁……? な、なんだこれ、最近はこんなのまであるのか。
普段は七番住宅区からあんまり出ないのもあって、都会の自販機事情なんて全然興味すらなかったけど、きちんと需要あるのか……?
って、いやいや。そうだとしても、病院内で不健康のシンボルみたいなラーメンスープは置いちゃダメだろ。
見ると、「塩分控えめ!」とか、「ビタミンたっぷり!」みたいな、如何にも健康によさそうな謳い文句がパッケージに書かれている。
一応、身体に気を遣った製品らしい。
――やばい、ちょっと気になる……。
本当にどうでもいい事なんだけど、こういう得体のしれない商品を見つけてしまうと、どうしても一度試したくなってしまう。
今までにそれで何度も痛い目を見てきたけど、この衝動だけはどうやっても抑えられない。
――澪に買って帰って、どんなリアクションを取るか見てみるか。
頭の中に、悪魔の囁きがフワッと湧いて出た。
俺は財布から、青色の線が入った住民カードを手に取ると、自販機のセンサーに軽くかざし、ランプが点灯したのを確認してから小銭を数枚入れて、ラーメンスープとアイスコーヒーを一本ずつ買った。
「あれ、お兄さんも怪我してるの……?」
隣から俺に向かって少女が声をかけた。
「え、怪我……? もしかして、顔のことか……?」
「顔……?」
点滴棒を片手に歩くその少女は、不思議そうに俺の顔をじろじろと眺めながら首を傾げる。
「そうじゃなくて、そのカード」
そう言うと、幼い少女は
「あっ……」
俺は言葉を失った。
青いラインは、魔導を扱えない身体障害者のカードに入る目印で、どうやらこの子も、
「元から心臓が悪くて、上手く波長をコントロールできないの」
「……そっか。お互い大変だね」
俺は少女の手からカードを優しく手に持つと、彼女のポケットに大事にしまってから、少し屈んで目線をあわせてからその小さな頭を撫でた。
「無くさないようにね。俺なんてもう二回も落としてるから……」
「えへへ、ありがとう。でもへーき! 私の身体に合うドナーが見つかったって、せんせーが言ってた!」
彼女は恐らく、心臓移植を受けるようだ。
魔導廻廊ってのは、呼吸から取り入れた粒子を体内に一度取り込んで、心臓を介して粒子を固有の波長と合わせることで、自分が扱えるものに変えてるらしい。
心臓の動きだけが原因なら、移植手術で治る見込みはあるみたいなんだけど、心臓移植には高いハードルとリスクが必ず付き纏うって聞いた事がある。
こんなに小さな身体で、この子はその重圧に今も耐え続けてるんだ……。
魔法、なんて言うけれど、おとぎ話みたいに空なんて飛べないし、病気を一瞬で治したりなんかも出来ない。
魔術は学問であって、万能なものでは決して無い。人間の生活にはもはや無くてはならない存在だけど、そんな物があったって、こうして俺達みたいに色んな不自由を抱えて生きてる人もたくさん居る。
昔は、世界中で俺だけが特別に不幸なんだと勘違いしていた時期が俺にもあった。
でも、目の前のこの子もそうだけど、人にはその人なりの(障害)が少なからず絶対に存在する。
――結局、みんな色んな物と戦いながら生きてるんだよな。
「お兄さんも、早く治るといいね」
少女はまたニンマリと笑った。
「……ありがと」
悪気なんてあるわけない。けど、現実を突きつけられる瞬間でもある。
けれど――嬉しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます