心の金木犀

なお

〜同じ木の枝を拾ったら〜


心に正直でありたい。心に気持ちのいい自分でありたい。

最もな答えは世界に溢れてるけど、正解は一つじゃなくて、間違いもない。

道は何本にも枝分かれしているけれど、選べるのは一本。どの道を選んでもわたし

はわたし。後悔や心残りがあるから向上心を保てる。

まだ小さかったわたしは「後悔ない人生を送りたい」と強く願いを秘めていた。そ

う願っていればきっと間違いのない人生を進んでいけるはずだと信じた。ところが道

を歩けば歩くほどに、木の枝がポキポキ折れるみたいに後悔の念は何度となく訪れた。

次こそ道を誤るものかと選んだ道にも結局悔いることになって。

そうこう期待を裏切られていくうちにわたしが閃いたことは、ポキポキ折れた木の

枝を拾い集めてそれを宝箱に仕舞うことだった。

間違いを冒せば、後悔を抱けば、それが身になることを学んだ。いつかその間違い

や後悔が誰かのためになるかもしれないことに気づいた。

それは十歳の時だった。

ちょうど今みたいな夏の終わりの涼しい季節、三十年前の秋のはじまり、わたしは

その日一人で下校していた。いつもは同じマンションに住む実代ちゃんと帰るのだが、

その日実代ちゃんが珍しく学校を休んだので一人だった。学校から家までは十分もし

ないくらい。

下校時間の空の流れ方や空気や微かな風が心地良く感じた。緩やかな風に乗って漂

い鼻の下を通る花の香りがどこかノスタルジックな気分になって、好きな香りだなと

思った。

「金木犀って言うんだよ」

ふいにその声が後ろからした。

振り返ると自分よりも小さな男の子が、その香りのする花を持ってわたしに見せて

きた。

オレンジ色の小さな花がたくさん実っている。

「キンモクセイ?」

「うん、漢字はね、こう書くの」と言ってその子は手のひらに ❞金木犀❝と指でな

ぞった。

わたしよりもずっと年下に見えるのに賢いんだなと感心した。

「本を読むのが好きなんだ」と彼は言った。

男の子は見たところわたしより二歳くらい年下の小学三年生くらいに見えた。小3

でこんなにも人の心を読み取れるものだろうか。小5のわたしにだって飼い猫・文蔵丸 ぶんぞうまる

の気持ちがちょっとはわかった気になっている程度だった。

「家は近いの?」そう訊ねてみた。

「遠いよ。うーんと遠い」と彼は大口を開けて笑った。

「お母さんはどこにいるの?」

彼はとぼけた顔して笑って首を傾げた。聞かれたくないみたいだった。

「そうだ」と思い出したように彼はズボンのポケットからペンを取り出して、「手か

して」とわたしの手を引っ張った。

手の甲に❞金木犀❝と書いてくれた。ありがとうと言うと、彼はまた笑った。よく

笑う子だなと思いながら、彼の笑った表情をぽかんと眺めていると、彼の口元にえく

ぼがあることに気がついた。唇の右側がくっきりと小さくへこんでいる。えくぼのつ

いた男の子を、わたしはその日初めて目にした。その当時のわたしはえくぼというの

は女の子にしかないものだと思い込んでいたから、えくぼに気づいた時、今は存在し

ないはずの恐竜とか、或いは恐竜の化石でも発見したような感覚を覚えていた。

「何歳なの? あと名前は?」

彼はダンスするみたいにリズミカルに地面に両足を踏み鳴らした。いたずらな表情

をして笑ってこっちを見て、「よくさ、大人の事情って聞くでしょ? 子供にも子供

なりの事情ってあると思わない?」と言った。言われてみれば確かに、と妙に納得し

た。

「片親なの?」

「カタオヤ? 何それ?」

男の子はポカンとした顔をしている。

「金木犀の漢字書けるくせに、片親の意味知らないんだ」とわたしは笑った。

「知らなくてもいいことだって世の中にはあるんだ」と彼は言った。「知らないほう

がいいことも」とも。空気の流れが変わったみたいに感じた。彼は遠くを一点見つめ

ていた。

「大人みたいなこと言うんだね」

「お母さんが言ってた言葉を引用しただけ」

「インヨウって何?」

「カタオヤ知ってるくせに、インヨウは知らないんだ」

「知らなくてもいいことってあるんでしょ?」

「引用くらい知っとけよ」

生意気な奴ぅと思い始めた。

「采」

「え?」

「ぼくの名前だよ」

「サイ? 動物みたい」皮肉を込めて言った。

「そっちは? 何歳? 名前は?」

「十歳の小5。名前はミウだよ」

「猫みたい」

「うち、家族みんな猫好きですけど?」つい反撃的な言い方をした。

「漢字はどう書くの?」

「美しい雨と書いて美雨。松木美雨」


采は連なっている金木犀を一束掴んで引き抜くと、その一束をわたしに渡した。「あ

げる」采は笑ってそう手渡してきた。

「これ、道の花だから勝手に千切っちゃダメだよ」

「じゃあ、ぼく帰るね」

「わたしの話聞いてる? それに、家遠いんでしょ? それもうんと。帰れるの?」

「大丈夫だよ。家は宇宙にあるわけじゃないからさ」

「あまり遠いならうちの親に言って︙︙」

「ねえ」またわたしの言葉を遮って、「ぼくの家はうーんと近いんだ」と言った。と

ても真面目な表情をして、采はそう言った。

わたしが何かを言いかけた時には、采は走っていた。瞬きしている間に見えなくなっ

た。一人取り残されたわたし。さっきまでここにいたはずなんだけど、まるで最初か

ら采がいなかったみたいにしんと静かで。もしかしたら隠れてたりしてなんて周りを

ぐるっと見渡したけど、采どころか人が一人もいなかった。手の甲を見ると❞ 金木犀❝ の

文字が消えていた。


家では文蔵丸がいつものお出迎えをしてくれた。「さっきさ、ちょっと不思議なこ

とがあったよ」とわたしは玄関先で靴を脱ぎながら、文蔵丸の白と黒の尻尾を撫でた。

尻尾の先端や手足やお腹は白で、他は黒で覆われてる文蔵丸の毛並み。文蔵丸は「みゃ

あ」と鳴いた。

台所で金木犀を挿す空き瓶を探していたら、玄関先から声がした。

「過去が知りたいなら未来へ。未来が知りたいなら過去へ」

玄関には文蔵丸しかいなかった。

「文ちゃん?」と声をかけてみると、文蔵丸はペロペロと手足を舐めて毛づくろいに

取り掛かった。ぼくは毛づくろいに夢中だから、今は話しかけないでくれるかなとい

う風に、わたしの呼びかけには何も答えないで、ただ手足を丹念に舐めていた。

わたしは空き瓶に金木犀を挿して、それを窓辺に飾った。しばらくの間、わたしの

部屋は金木犀の甘い香りでいっぱいになっていた。

それは十歳の秋のはじまりの季節で。

不思議な体験だった。


時というのは川の流れに似ている。川が水の流れに逆らえないように、時間も戻す

ことはできない。流れに沿って淀んだり美しくもなる。川に漂う者が水の流れに抗う

ことができないように、運命に抗うことはできない。抗うことができないからこそ、

たとえたどたどしい生き方だとしても、どの人の人生も尊いものである。

大人になってからもあの日のことをたびたび思い返すことがあった。特に金木犀が

咲く頃、あの香りがすると、わたしの手を引っ張ったあの采の手の感触が鮮明に蘇っ

た。あのいたずらな笑った顔も。笑った時できる右下のえくぼも。

今の環境を変えようと思い立ったのは三十歳の秋のことだった。高校を卒業してか

ら十年以上住んでいたマンションを出て、思い切って全然知らない土地に新たにマン

ションを借りた。環境を変えようと思った理由は現状に満足していなかったからなの

もあるし、単純にその部屋に飽きてしまったというのもある。近所付き合いで特に困っ

たことはなかったし、買い物も徒歩1分の所にコンビニとスーパーがあって便利だっ

た。管理人のおじさんや住人とは会えばいつもお互い笑顔でラフな挨拶をした。十一

階建ての最上階に住んでいたので、家賃はちょっと高かったけれど、一等地で駅チカ

だったし、相場よりは安い値段で満足していた。それでもわたしはそこに居続けては

いけないような気がした。別のもっと新しい場所に身を置けば何かが今より変わりそ

うな気がした。

わたしは昔から絵や詩を書く仕事がしたかった。詩を書くようになったのは采と出

会った少し後のことで、十歳の冬のある日、文蔵丸が死んだ。たった四年しか生きな

かった。猫の寿命としては短すぎる期間だった。文蔵丸の亡骸を見て、泣くだけ泣い

て、それでも感情は溢れて心が追いつかなくて詩を書いた。詩の本なんて読んだこと

がなかったけれど、自分の感情を素直にストレートに打ち明けられる場所こそがその

ノートだったし、詩だった。当時は誰にも見せたくなくて、そのノートはいつもこっ

そり書いては鍵付きの引き出しに仕舞っていた。絵は二十歳になってから描くように

なり、色鉛筆や水彩絵の具で描いた。主に文蔵丸の絵を描くことが多かったけれど、

林檎にくしを刺した象徴的な絵や、架空の風景画を描くこともあった。

書店に置いてあったオーディション用の雑誌を買って、気になったいくつかの事務

所に詩を送ったり、或いはネットで絵の募集をしている出版社にアポを取って実際に

見てもらったりもした。詩は送っても送ってもなんの返事も来なかったし、見せた絵

には眉間に皺を寄せて、「他に作品は?」といかにも不満そうに言われてジ・エンド

ということもあった。

高校二年からお世話になったレンタルビデオ店でのアルバイトも、引っ越しと同時

に辞めた。

引っ越しができるくらいの貯金はしてあったけれど、それからの資金はなかったの

で、両親にお願いしてしばらく仕送りをしてもらうことになった。両親は月十万円と

食糧を毎月送ってくれた。いつまでも両親に甘えるわけには行かないと思って、越し

て三ヶ月くらい経った頃、年末の郵便局のバイトの面接を受けに行った。結果は不採

用で、「年末の郵便局の面接で落ちたことある人初めて聞いたよ」と実代ちゃんから

電話で笑われた。

新居のマンションは前よりも世帯数が多い。出合う住人も多い。わたしが「こんに

ちは」と挨拶しても、或いは会釈しても、相手はスルーなんてことが多くて、わたし

も挨拶も会釈もしなくなった。

知らない土地で一からの生活というのは、わたしが想像してたよりかなりハードな

ものなんだなと痛感した。何かが変わりそうな気がしてーー確かに変わった。でもそ

れは良い意味で変わったように思えなくなっていった。知らない土地で秋から一から

の生活を始めたかったのは、やはり幼い頃の記憶と潜在意識が、秋はわたしにとって

縁起がいいという観念からだったように思う。でも、どうやら秋は甘い香りで満たさ

れる金木犀だけのようにはいかないみたいだった。

引っ越してよかったのかなと、不安を覚えるようになっていた春、四月も下旬にな

り、五月になろうとしていたある日に、実代ちゃんがお酒を持って、わたしを励まし

に家に来てくれた。わたしの住むマンションのすぐそばの並木道には桜の花びらが地

面に砂埃を浴びて、それは戦いに敗れた昔の武将の姿と似ているようにも見えた。ど

こか虚しくて、どこか寂しげで、どこか悲しそうに見えた。

「飲めないんじゃなかったっけ?」

ビニール袋の中に大量のビールやチューハイやワインなどのお酒が入っている。成

人してからも実代ちゃんがお酒を飲んでいる姿を見たことがないし、時々レストラン

なんかへ行ってもわたしはワインで、実代ちゃんはドリンクバーでオレンジュースや

りんごジュースを飲んでいた。

「飲めないなんて言ったっけ?」

「飲んでるとこ見たことないよ?」

「チューハイくらいは飲むよ」

長年の付き合いでも、わたしにも知らない実代ちゃんの側面があるんだな。

「まあ」と実代ちゃんはチューハイの缶の蓋をプシュッと開けた。「乾杯!」

わたしもビールの缶を開けて「乾杯」と言った。

2つの缶がコツンと音を立てる。

一口、二口とビールを飲み込んでいる時に、缶の音で昔のことを思い出した。小さ

な頃母の履くハイヒールのコツコツという音がとても好きだったなと。太いしっかり

とした音で、特にタイルで踏み鳴らすよりアスファルトで踏み鳴らしているヒールの

コツコツとした音が好きだった。タイルとアスファルトでは、ヒールの音が全然違う

ように聴こえた。薄っぺらいタイルの上ではまるで価値のない演奏が、アスファルト

の上だと途端に重厚感のあるオーケストラの演奏に様変わりする。ヒールの演奏を、

母の後ろ姿を、幼いわたしは見ているのが好きだった。歩くとプープーと音を立てる

サンダルを履いていたわたしが、いつしかコツコツと音を立てるヒールを履いて歩く

ようになっていた。相変わらずそのコツコツとした音が好きな大人になっていた。

「まあ」と実代ちゃんはチューハイの缶に口をつけながら言う。「縁がなかったって

ことだよね」

「郵便局?」

「うん。そこに行くべきじゃなかったんだよ。だから落ちたんだよ。美雨ちゃんは絵

と詩の仕事をしなさいって、神様が言ってるんだよ」

「でも無理だったよ。いっぱいオーディションにも申し込んだし、絵も見てもらった

けど無理だったんだもん」

実代ちゃんは缶をテーブルの上に置いて「あはは」と笑った。

「おかしい?」

「おかしいっていうか、不思議」

「不思議って?」

「だってわたしたちまだ三十だよ? たった三十年間生きてきて明日もう死ぬみたい

な発言するからさ。人生はこれからなのにゴミを捨てるみたいに希望も窓から捨てる

の? 窓の外はきれいな月と星で輝いてるのに。今までは確かに駄目だったかもしれ

ない。でももしかしたら十年後の美雨ちゃんは絵や詩の仕事をしてるかもしれないし、

そのもしかしたらに努力を続けないなんて人生そのものを捨てちゃうみたいだし、そ

れって勿体ないし、凄く不思議だと思わない? 未来は努力次第で良くも悪くもなる

んだもの、良い道へ行けるかもしれないのに、たった三十で諦めちゃうなんて」

言い切ってから実代ちゃんは缶に手を伸ばして、ゴクゴクと威勢よくチューハイを

飲んだ。

「ねえ、実代ちゃん。わたしは諦めてるわけじゃないんだよ。絵と詩の仕事はできる

と信じてる。ただ希望を窓越しに見つめてるだけじゃない。実際月や星を掴もうと努

力してる︙︙少なくとも、努力してきたつもり。でも、今はどうしたらいいかわから

ない。今は何をしてもうまくいきそうにない気がしてるの」

「人生ってさ、うまくいく時とうまくいかない時とってあるもんだよ。わたしも今の

仕事に就いてからそりゃあ紆余曲折あった」

「そうなの?」

実代ちゃんは高校を卒業と同時にアパレルの仕事に就いた。昔から誰とでも仲良く

なれる明るい性格も手伝って、接客が苦ではなさそうに見えた。

「誰だって得意・不得意があるけど、得意だからって何でも好きになれるわけじゃな

い、わたしだって人を選ぶよ。この客とはあんまり話したくないなぁとか、あるよ。

でもね、話しかけられたら話すしかないじゃん。それが仕事なんだから。そういう時

のわたしはツイてないなって思うわけ」

「なるほど」

「でもさ、その客と二十四時間ずっとしゃべってなきゃいけないわけじゃないじゃん?

そういう時のわたしは大抵一時間後のこと考えてるのよ。一時間後には社内食堂でカ

レーにするかな、いや、カツカレーにするかな、肉うどんもいいなとかね。そう考え

ると案外そのツイてない時間も簡単に乗り切れちゃう。この嫌〜な客との時間も、一

時間後には解放されてるんだぁって思うようにする。そうやって自分を励ますの。ま

あ、人間関係もいろいろあるけどね。嫌な人なんて一人は絶対いるんだから」

「その、嫌な人って今もいるってこと?」

「いるよ。いや、厳密に言うとね、その嫌な人は辞めたんだけど、今度は新しく入っ

てきた新人が嫌な子なの。男の従業員には上目遣いしてニコニコしてるけど、女集団

には冷めてる。あざとい子なのよ。別にあざといのが嫌なわけじゃないのよ。その子

とわたしは何かが合わない。違う世界に生きてる人みたいなね。要は相性が合わない

んだよ。でも、嫌だからって何も話さないわけにはいかない、共有しなきゃいけない

お仕事があるからね」

「そういう時はどうしてるの?」

「わたしが苦手だと思ってるってことは、もしかしたらその子もわたしのこと苦手だっ

て感じてるかもしれないでしょ? だからお互い程よく距離を取って、これ発注しと

いてくださいとか、このタグ切っておいてもらっていいですかとか、この服並べとい

てくださいとか、必要な言葉しか交わさないようにしてる。相手もはいとしか言わな

いし、わからないことは別の、特にまあまあイケメンの男の従業員に聞いてるよ。お

互い仕事だと思って割り切ってる感じ」

「なるほどねえ」

わたしも実代ちゃんももう一度「乾杯!」と言って缶をコツンとした。

「ツイてない時は、『今はそういう時なだけで、時間が経てばラッキーな時期が訪れ

る!』って思えばいいってことだよ」実代ちゃんはそう言った。

実代ちゃんが持って来てくれたお酒は全部空になった。ほとんどわたしが飲んでし

まった。実代ちゃんはチューハイを一缶飲んだ。わたしはビールとチューハイと小さ

なボトルの赤ワインを飲んだ。お酒の量は断然わたしのほうが多いのだけど、実代ちゃ

んはわたしと同じくらい酔いが回っているように見えた。

小さな頃はお気に入りのぬいぐるみを二人して持って出かけて、駄菓子屋で好きな

お菓子を買って、歌でも歌いながら手を繋いで歩いてたわたしたち。背丈があまり変

わらなかったのに、今ではわたしのほうが高くなって、お酒もわたしのほうが飲める

ようになって。

月と星が窓越しに見える。手を伸ばしても届きそうにない遠い遠い空の向こう。実

代ちゃんは気持ちよさそうに眠っていた。わたしは毛布を掛けて、部屋の灯りを消し

た。しとしとと 雨の音が聴こえる。静かな夜の月明かりの空に二羽の鳥がぐるぐる

と回るように飛んでいる。雨の勢いが強くなってくると、鳥たちは消えるように霧雨

の中を飛んで行った。わたしは窓を閉めると布団を被って目を閉じた。

朝になると雨は上がっていて、窓の外にはまた二羽の鳥がいた。電柱の上でお互い

の嘴をつつき合っている。明日は仕事だからと言い、実代ちゃんは起きてすぐに帰っ

て行った。こめかみを抑えながら。わたしも二日酔いで少し頭が痛いのだけれど、実

代ちゃんが帰るとノートパソコンを開いて仕事を探すことにした。絵や詩の仕事にな

りそうな募集を検索してみた。「絵 仕事 募集」とか「詩 仕事 募集」のように

検索してみた。検索結果の一覧にはたくさんの募集がある。上から順にクリックして

見てみると、どの募集も経験者が優遇されているようだ。思わずため息が出た。隣人

にも聴こえたんじゃないかというくらい、大きいため息をついてしまって恥ずかしく

なった。

気分を変えるためにコーヒーを作ろう。あったかいコーヒーでも、ゆっくりと飲め

ば、少し落ち着けるような気がした。コーヒーメーカーがカップに熱いコーヒーを注

いでいるのを見つめながら、そういえば今日は燃えるゴミの日だったと思い出して、

慌ててゴミをまとめた。ゴミ収集車は毎朝九時には収集に来る。時計を見ると八時を

少し過ぎているところだ。

ゴミ袋を持って玄関のドアを開けると、ちょうど隣室のドアも開いて、中からスー

ツを着用した長身の男性が一人で、同じくゴミ袋を持って家を出るところだった。整っ

た品のある顔立ちをしている。わたしは自らがパジャマ姿であることを恥じた。バツ

が悪いなと思いながらも、ドアに鍵をかける。鍵をかけている間に、

「おはようございます」と男性のほうから挨拶があった。

このマンションの住人が挨拶をしてきた試しがなかったので驚いた。

「おはようございます」とわたしも咄嗟に挨拶をする。

男性は会釈をするとわたしの後ろを通り過ぎて、エレベーターホールに向かう。同

じエレベーターに乗るのが恥ずかしい。相手はスーツなのに、こっちはパジャマ。同

じ箱の中に留まってもいいのだろうかと躊躇して、いつまでもドアの前に立っている

と、

「来ますよ」と男性はホールのほうから顔を出して、エレベーターを指さしてまた声

を掛けてきた。

わたしはパジャマ姿にゴミ袋を持ち、スーツ姿のゴミ袋を持った男性とエレベーター

に乗った。男性が1のボタンを押すと、扉はゆっくりと閉まった。

臭い。エレベーターの中がゴミの臭いで充満している。

「昨日はお誕生日だったんですか?」

不意に男性がそう訊ねてきた。

「いえ、違います。昨日はまあ、何ていうか︙︙友達がわたしを励ましに来てくれて

て」

「良いお友達ですね」

「ありがとうございます。︙︙ため息も聞こえてました?」

「いえ?」

男性が微笑を浮かべてる間に一階に着いた。五階から一階のエレベーターは早いも

のだ。

「では」と男性は敷地内にゴミを捨てると、振り向くことなく歩き去った。

わざと見ようとしたわけではないのだけど、男性の捨てたゴミ袋の中からコンドー

ムの箱が覗き見えた。彼女がいても不思議じゃない感じの人なので、特に思うことは

なかった。ただ、人として、同じマンションの住人として、更に隣人として、平日の

この時間にパジャマ姿はどうかと思う。せめてもうちょっとかわいいパジャマならよ

かったのにと落胆した。そんな問題じゃないかとすぐに思い直した。

部屋に戻るとカップには熱々のコーヒーが入っていた。窓越しに陽の光が明るく部

屋を照らしている。気持ちのいい風が吹く中、わたしはコーヒーを一口飲んだ。まだ

こめかみの辺りが少し痛い。仕事を探す前に、もう一眠りしたほうがいいのかもしれ

ない。

ベッドの中で目を閉じながら、秋でもないのに采と出会ったあの日のことを何気な

く思い出した。気温が春と秋は似ているからだろうか。でも金木犀のあの甘い香りは

しない。

あの日文蔵丸が毛づくろいをしていた間、カリカリを用意して置いておいた。両親

が共働きだったので、文蔵丸の世話はほとんどわたしがしていた。文蔵丸がカリカリ

を食べてるのをしばらく眺めてると、家のチャイムが鳴って、モニターを見ると実代

ちゃんだった。

「今日なんで学校休んだの?」

玄関のドアを開けるとわたしはすぐにそう訊ねた。

「文ちゃんは?」

実代ちゃんは家の中を覗き込んだ。

「今カリカリ食べてるとこ。ねえ、何かあったの?」

実代ちゃんは「階段行って話そうよ」と言った。わたしたちはほぼ毎日階段の踊り

場で二人で並んで座って話をした。深刻な話や他愛のない話、クラスメイトの話、先

生の話、好きな人の話、テストの話、くだらない話や笑える話︙︙、わたしたちはそ

ういうのを出会った七歳の頃から、わたしが高校を卒業して実家を出るまでの約十年

続けた。

階段に座ってから、実代ちゃんから話し始めるのを待っていると、「あのさ」と実

代ちゃんは切り出した。

「うん?」

「昨日変な夢見たんだ」

「どんな?」

「美雨ちゃんと学校帰りを一緒に歩いてる夢だったんだけど、突然知らない男の子が

現れたと思ったら、わたしはそこから体が動かなくなっちゃって、立ち止まったまま

でいて、でも美雨ちゃんとその男の子は二人で何も気づいてないみたいに仲良くお喋

りしてる。夢の中のわたしはどんどん石みたいに硬くなっていって、息も苦しくなっ

ていった。夢の中なのに現実みたいに本当に苦しかった。夢から覚めた後も怖かった」

実代ちゃんのその夢の話は、奇妙にもその日のわたしの出来事を示唆していたかの

ようで、内心はとても驚いていた。そこに実代ちゃんはいなかったけれど、もしも実

代ちゃんがいたら夢が現実になっていたような気さえした。それくらいわたしも怖く

なった。

「実代ちゃんがそんな風になるなんてあり得ないよ。ただの夢だよ」

わたしは努めて明るく振る舞った。采の話をできるわけがなかった。

普段しょげた顔なんて滅多に見せない彼女が、その日ばかりは珍しくずっとうつむ

いて暗い表情を浮かべていた。

翌朝実代ちゃんが一足先に学校へ来ていて、前の日のことをすっかり忘れたように、

クラスメイトとバカ口開けて笑っているところを見て心底安堵したものだ。

今頃に何故思い出したのかはわからない。昨日実代ちゃんと久しぶりに一緒にいた

からかもしれない。

明るい陽射しがポカポカと布団を照らしてくれたお陰で、気持ちよくなって、その

まま眠りについた。

メリーメリー・クリスマス

いつもの場所にプレゼントを置いて

メリーメリー・クリスマス

いつものように過ごしたいけど

今日はそうも行かないみたいだ

だってかわいいあの子がいないから

わたしの心は

心理学者にも精神科医にもわからないだろう

ヴェートーベンだってモーツァルトだって演奏できないだろう

もしも相対性理論が真実 ほんとうだとしたら

今すぐタイムマシーンに乗りたい

かわいいあの子に会いたいな

でも現実 ほんとうは今わたしはひとり

この詩 うたは届かない

街は賑やかな歌と人

メリーメリー・クリスマス

メリーメリー・クリスマス

十歳のクリスマスに、文蔵丸が死んだ後ノートにこっそり書いた下手くそな詩。た

だただ自分の感情をぶつけた初めての詩。夢の中でその詩を思い出していた。詩を書

いていたその時の気持ちも同時に思い出した。目を開ける前に自分が泣いていること

に気づいた。しばらくの間、目を開けないでいた。目を閉じたまま、文蔵丸のことを

考えた。

文蔵丸という名前は前の飼い主が付けた名前だった。文蔵丸が産まれて間もない真

冬、飼い主は文蔵丸を段ボールに毛布と<文蔵丸 ぶんぞうまる

>と書かれた紙を一緒に入れて、そ

の場から去り、姿を現すことはなかった。一年の時に、学校帰りにたまたま実代ちゃ

んと立ち寄った公園で、文蔵丸の小さな力強い鳴き声を拾い、見つけた時の文蔵丸は

本当に小さくて、当時のわたしたちの手の平にちょこんと乗るくらいのサイズだった。

その後実代ちゃんと話し合って、わたしが引き取ることにしたのだった。

文蔵丸が死んだことは、実代ちゃんにとってもショックみたいだった。わたしの両

親と共に火葬場で実代ちゃんも一緒に泣いていた。

次に目を覚ました時、開け放したカーテンから陽の光は消えていた。壁の時計を見

ると五時を過ぎている。スマホを確認すると実代ちゃんから三分前にラインが来てい

たみたいだった。


『昨日はありがと〜。

今仕事終わったとこ。

あんまり深く悩まないよにね!』

『ありがと』と返事するとすぐに実代ちゃんからスタンプが返ってきた。

ソファーに座って開いたままのパソコンをしばらく眺めてみた。眠っていた数時間

の間に気分はスッキリと変化していたけれど、検索結果は何も変わらない。お腹がグ

ルっと鳴った。冷蔵庫を開けてみたけど、特に料理できそうな材料が見当たらない。

料理がしたい気分でもない。惣菜でも買いにスーパーへ行くことにした。

春の風は秋の風と少し似ていて、気持ちがいいなと思った。くすぶる心までこの風

と一緒に飛んでいってくれそうな気持ちにさえさせてくれる。アスファルトに散った

桜がたくさん落ちていて、踏んでしまわないように歩く。わたしの足は右へ左へとス

テップして、傍から見ればまるで子供のような様だ。そうやって歩いていると本当に

自分が小学生に戻ったような気持ちになった。

小学生の頃、それは真冬の風の強い日に、実代ちゃんと「台風だぁ」と言い合って、

風に乗って体をくるくると回転させながら笑い合った。風ひとつで無邪気に遊べた。

周りにいた大人たちはわたしたちを見守るように微笑を浮かべながら通り過ぎていっ

た。子供の特権だったんだな。

ステップを踏みながら歩いていると、一人のおばあちゃんがわたしと距離を取るよ

うにすれ違い歩き去っていった。冷めた目をしていた。これが大人の現実だ。

スーパーでパックのサラダと肉じゃがとひじきの煮物、それから食パンやチーズや

たまごも買っておいた。さっそく食べようとパックをひとつひとつ開けていると家の

チャイムが鳴った。モニターを見ると今朝会ったお隣さんだ。モニター越しに出てみ

ると彼は「うちに501号室の郵便物が届いたんです」と言った。わたしは501、

彼は502号室の住人。

「ちょっとお待ちください」と言ってから玄関のドアを開けると、彼は「これです」

と、一通の手紙をわたしに差し出した。彼は手紙を差し出すと「配達員さんもうっか

りしてたんですね。︙︙良いお名前ですね」と言って微笑み、その後会釈してから5

02号室に戻っていった。お礼を言う間もなかった。

ご飯を食べる前に手紙の差出人を見てみた。

小松佐江。母からだった。

今までの出来事を忘れるくらいの心慌意乱状態。何故母から手紙が? 三十年間生

きてきた人生の中で、母から手紙をもらったことがなかったのでより混乱した。

カッターナイフで慎重に封を開封する。便箋が一枚、四つ折りにして入っていた。

たった一枚の便箋を広げるのに、手がうまく働かなくて、便箋がしわくちゃになって

しまいそうな広げ方をしながらやっとの思いでそれを広げる。

「美雨ちゃんへ

ちょうどあなたが産まれた雨の日のように、今日も美しい雨が降り注いでいます。

雨は世間一般では嫌がられるお天気かもしれないけれど、私は昔から雨が好きです。

太陽の光だけでは駄目で、雨が降るから作物や花はよく育つし、雨が降るから助かる

国の人もたくさんいます。

少なくとも日本という国では、お天気のいい日に時々の雨が振り、それはまるで縁

の下の力持ちみたいですよね。陰ながら人の救いになっている雨って素敵だと思いま

せんか。私は美雨が美雨自身に、そして誰かの心にも、美しい雨を降らせてくれる人

になってほしいと願いを込めて美雨と名付けました。

今、あなたは誰かの心に美しい雨を降り注いでいますか?

あなた自身の心に美しい雨を降り注いでいますか?

美雨の今の生活が、あとになってプラスになることを母は信じています。

母 佐江より


日付は書いていない。切手を見ると五日前の消印の判子が押してある。

何の前触れもなく、突然何故母がこんな手紙を書いて送ってきたのかわからないけ

れど、少なくともわたしの心の中で何かが弾ける音がした。コツン。そうだ、幼い頃

よく母の後ろ姿を追いながら見つめていた母のヒールのコツコツという音だ。わたし

はその音が大好きだった。今でも大好きだ。母の鳴らすヒールの音が好きだったのだ。

自分の名前の由来は今まで聞いたことがなかった。今まで特に意識したことはなかっ

たけれど、幼い頃母から「美しい雨と書いて美雨と、人に伝えるのよ」とは言われて

いた。

もう一度パソコンを眺めてみる。画面には相変わらず「経験者歓迎」とか「経験者

求む!」の表示がある。わたしは経験者じゃないし、学歴も高卒だし、知識だって他

の人に比べると劣ることはわかっている。応募フォームに必要事項を記入して、「応

募する」にクリックした。目星を付けた会社三社に応募した。連絡すら来ない可能性

も考えられる。でも希望は窓から捨てない。

母からの手紙を、母に直接聞いてみたいとも思ったけれど、電話をかけようとして

やめた。これは多分母とわたしとの暗黙の了解なのだ。今は何も話さないほうがいい、

母もそれを望んでいる、そんな気がした。

502号室のインターフォンを押した。

「どうされました?」

モニター越しにわたしの姿を確認したのだろう、彼はわたしだとわかった様子でそ

う訊ねた。

「先程はありがとうございました」

「ああ、いえいえ」

彼はもしかしたら困っているかもしれないと、その言い方から感じ取ったのだが、

思い切って「一緒に飲みませんか?」と聞いてみた。積極的な女はうざがられるのよっ

て実代ちゃんが言っていたことがある。わたしは自分でもびっくりするくらい積極的

な女だなと今思う。

しばらく沈黙があって、インターフォン越しにモニターが遮断された音がした。誘っ

たことを心底後悔した。同じマンションで、しかも部屋が隣同士で、せっかくいい距

離感だったのをわたしが崩したというほかない。断崖絶壁、精衛填海。と思ったら5

02号室の部屋のドアが開いて、「すいません、シャワーを浴びてすぐだったので、

何ていうか丸裸で出るわけにもいかなかったので」と濡れた髪の状態でスウェット姿

の彼が姿を見せた。わたしは心底ホッとする。彼のことを異性として見ているわけで

はない。ただ、わたしは寂しかったのだ。

「ビールでいいですか? ウィスキーやワインもありますけど」と彼は穏やかな口調

で訊ねる。品があり、如何にも社会人ですといった話し方だ。

「ビールでお願いします」

彼の室内はシンプルでいて黒やブラウンを基調とした家具やラグで統一感があり、

男性特有の部屋といった感じだ。革張りの二人がけソファーに座りながら、彼がビー

ルの準備をしている間部屋の中をキョロキョロと見回した。同じ間取りなのに家具の

置き方一つにしても、わたしの部屋とは全く違う。全然知らない世界に突然ワープし

た感覚だ。

「何か気になるものでもありますか?」

部屋を見渡しているわたしに彼は微笑を浮かべながら訊ねる。

「同じマンションで同じ間取りでも、こんなに風景って違うものなんですね」

「例えばここに」と彼は濃いブラウンの棚の上に手を置いた。「ここに白のフラワー

ベースを置いたらどうなるか想像してみてください」

わたしはそこに白のフラワーベースがあるのをイメージしてみる。あまりピンと来

ない。

「次に、そのフラワーベーズに大きなオレンジ色の花を挿しているところを想像して

ください、何か印象が変わりませんか?」

わたしは昔采からもらった金木犀の花を思い出しながら想像した。窓辺に飾った空

き瓶の中の金木犀。確かに、そこに金木犀があればその空間は全然違う印象になる気

がする。

「僕は趣味がインテリアで、インテリア雑貨の販売をしています。美雨さんは?」

「今は仕事をしていません。というか、バイトの経験しかなくて。半年くらい前まで

はレンタルビデオ店でバイトをしてたんですけど、こっちに越してくると同時に辞め

たんです」

「レンタルビデオって懐かしい響きですね。最近はあまり見かけなくなりましたよね」

「最近になって店長から連絡があって、お店が潰れたそうです。残念です」

「それは残念ですね。長く働いてたんですか?」

「高二の夏から約半年前まで、十三年間くらい働いてました。バイトの経験もそこし

か知らないので、結構世間知らずなほうかもしれません」

「同じところに長く勤めることが大事です。でもどうしてビデオ店で働こうと思った

んですか? 映画がお好きなんですか?」

「ビール飲みませんか? 一口飲んだら説明します」

彼は「確かに、そうですね」と言って、用意していたビールグラスとビールの缶を

わたしのテーブルの前に引き寄せた。わたしはビールをグラスに注いだ。彼も同じよ

うにする。二つのグラスがコツンと音を立てる。彼もわたしも一口飲む。

「ビデオ店の面接を受けた時に店長から言われました。『正直でいいね』と」

「ほう」

「履歴書の応募理由のところに『家が近いから』って書いたんです」

「本当に家から近かったんですか?」

「家から歩いて十分もしないくらいでした」

「近いですね。店長さんは美雨さんのような正直な人がたまたま好きだった。美雨さ

んはたまたま正直な人だった。もし店長さんが美雨さんとは正反対の嘘のうまい、ず

る賢いタイプが好きだったなら、そのビデオ店では働けなかったかもしれない。その

ビデオ店と、店長さんと、何らかの縁があったんでしょうね」

「昨日来ていた友人も似たようなことを言っていました。その、縁について」

「人や、もっと大きく考えれば動物も、何らかの縁は存在すると思っています。縁っ

て不思議なものです。例えば同じ木の枝を拾った二人がたまたま出会ったとしても、

当人同士は同じ木の枝だとは永遠にわからないかもしれない、あるいはどこかの時点

で気づくことだってあるかもしれない。どちらにしても、そういう縁だってあります。

それは偶然じゃないと僕は思います。必然であり、運命なんだと思います」

「もし、途中で同じ木の枝を拾ったと気づいた二人はどうなるんでしょうか? ある

いは気づかなかったら?」

彼の話を聞いているとそんな疑問が自然と浮かんだ。

「気づけた二人は幸せだと思います。ただ、気づくことができなかったとしても、そ

れはそれで幸せなんじゃないでしょうか。大事なのは同じ木の枝を拾った二人が出会

えたことなのですから」

彼の話には妙に説得力がある。

「そういえば」とわたしは思い出したことを訊ねてみることにした。「お名前、なん

ていうんですか?」

もっと早くに聞いてもよかったのだけど、とわたしは思う。

「下糸 しもいとです。下に糸と書いて下糸」

「下糸さん」

「はい」

「失礼ですけど、下のお名前も聞いていいですか?」

彼はビールに口をつけてもったいぶるように微笑を浮かべながら、それでもわたし

の目をはっきりと見つめる。その彼の見つめ方に一瞬心が吸い込まれそうになる。穏

やかで優しいその表情、すべてを包み込むようなそんな瞳をしている。

「聞かないほうがいいなら無理にとは言わないので、お気遣いなく」

「朝に雨と書いて朝雨 あ さ め と言います」

わたしは言葉に詰まる。わたしと同じ「雨」が名前に付いている人とは今までに出

会ったことがなかったからだ。

朝雨は続ける。「間違って届いた手紙の宛名を見て、まずびっくりしました。自分

と同じ、名前に雨が付いてることに。そして僕は今まで名前に雨の付いた人とは知り

合ったことがありませんでした。だから尚更ですね」

朝雨のことを異性として意識しはじめたのは自然なことだった。

「朝雨さんには彼女がいますよね?」

朝に見たコンドームの箱のことを思い出してそう聞いてみた。

朝雨は笑う。「何故そう思うんですか?」

わたしが何も言えずにいると、「僕に何かそういう気配を感じますか?」と朝雨が

言った。わたしは頷く。

「わざとじゃなかったんですけど、その、今朝朝雨さんが捨てたゴミ袋の中が少し見

えてしまって」

朝雨は宙を見上げて考え込む。「僕、何か変なもの捨ててました?」朝雨には検討

がついていないようだった。

「その、コンドームの箱が見えまして」と思い切って言うと、朝雨は「ああ」と、思

い出した顔をして、「確かに僕には彼女がいました。ただ、最近別れたんです。その

コンドームは前の彼女とつき合っていた時に使っていたもので、もう必要ないと思っ

たのと、彼女のことをすっかり忘れるために捨てたんです」

雨の音がする。小雨が霧のように降っている。窓から電柱の上で二羽の鳥たちがま

た嘴をつつきあっているのが見えた。やがて鳥たちは空へ羽ばたき、小さな星と重な

るように見えなくなるほど遠くに飛んでいった。

「kleiner Stern

クライナー シュターン

「え?」

「ドイツ語で『小さな星』という意味です。大学の頃にドイツ語を専攻していた時に

この単語が好きになりました。大きな不安や悩みも、この言葉を浮かべると不思議に

物凄くちっぽけに感じられるようになったんです。僕にとっては魔法の言葉です。美

雨さんも何か好きな言葉ってありますか?」

わたしは考え込んだ。思い出した言葉といったら『風と共に去りぬ』の中でスカー

レットが「明日には明日の風が吹く」といった名言だけだ。

「僕と美雨さんはどこか似ているのかもしれない」そう言って朝雨は口にビールを運

ぶ。グラスの入っていたのを一気に飲み干してしまうと、「人生は皆ひとりひとり幸

せと不幸が平等にあると聞いたことがあります。僕はそれについて長年考えてきまし

た。今も答えがわかりません」

「幸せと不幸が平等にあるとしたら、毎日のニュースで人が死ぬようなことはないと

思います」

朝雨は意表を突かれたという顔をした。

「確かにそうですね。ところで僕には今彼女はいませんけど、美雨さんは?」

「いたらここにはいませんよ」と言ってわたしは笑った。

「うん、確かにね」と言って朝雨も笑った。

「わたしは絵を描いたり詩を書くことが昔から好きで、いつからか絵や詩を仕事にで

きたらいいなって思うようになりました。でも現実は厳しいです。テレビのドキュメ

ンタリーとかで仕事を熱心に取り組んで仲間とわいわいやってる人たちを見ることが

あって、そういう時向こう側にいる人たちのこと、心底羨ましく思います。あの人た

ちは本当に自分のしたい仕事をしていて、周りにも同じ感覚の人が集まっていて、心

を踊らせながら働いてる。そういうの、ただシンプルな生き方かもしれないけど、そ

のシンプルな生き方がわたしにはできてないって感じる」

朝雨は静かに、声を出さず時折頷いた。

「もしかしたらわたしには絵や詩の仕事が一生できないんじゃないかと思ったり、別

の仕事をしてみたら案外うまくいくかもしれないとか、それでもうまくいかないかも

しれないとか、たくさん悩みながら毎日自問自答を繰り返しています」

「例えば美雨さんが別の仕事ってなると、例えばどんな職種になるんでしょうか?」

「︙︙わからない。コンビニとか、あるいは何かの資格を取って、それでまともに働

いてみる?」

「資格って?」

「わからないです。今思いついたから、ただ言ってみただけ」

「車を運転しながらでも、歩きながらでも、道に迷うことってありますよね? だい

たいは遠回りになっても、大抵結果的にはちゃんと目的地に到着できる。遠回りになっ

たことを時間の無駄だったと捉えないで、むしろ遠回りしたからこそ到着できた時の

達成感は大きいと思っていて。そこに意味があると思っていて。僕も今の販売の仕事

にたどり着くまで何度か転職を繰り返してきたんです。自分の好きな仕事じゃないと

思いながらも、お金を稼がなければ生きてはいけない、だから嫌な仕事を長年か続け

ました。ほとんどの人は自分の好きな仕事なんてできてないんじゃないでしょうか?」

「そうかも、しれません︙︙」

朝雨は何を言いたがってるんだろう。

「自分の好きな仕事ができて、尚且仲間もできる人なんて、もしかしたら世界の中で

もほんの一握りなのかもしれません。一握りとは言わなくても、少ないかもしれませ

ん。僕はある時からその少数派の仲間入りができて、多分それはただラッキーだった

といえばそうだし、実際はこうなる運命だったのかもしなれないって思う時もありま

す」

「運命」

朝雨は頷く。「運命には抗うことができません。それが良いことでも悪いことでも。

僕にとってたまたまその抗えない運命が良いことだっただけで」

朝雨の話、言葉ひとつひとつを頭の中で繰り返しながら理解しようとした。

「美雨さんにとってそれが運命なら、いつかは絵や詩の仕事ができるでしょうし、そ

うでないならもしかしたらただ夢を見ているだけで終わってしまうのかしれません」

朝雨のその言葉に、わたしは何だかカチンと来た。何もかも運命で決まるなら、じゃ

あ一生懸命夢を見ている人(わたしも)はいったい何のために生きてるんだろう。

「僕の勘ですけど」

「はい」

「美雨さんは僕と同じ運命をたどることになると思います。僕は今の仕事に生き甲斐

を感じています。やっと好きな仕事ができて、職場の仲間にも恵まれてる。まさに美

雨さんがテレビ越しに見てる人の中の、僕もそのひとりだと。そういう運命を美雨さ

んは掴める人だと何となく僕は思っちゃいます」

悪い気はしない。ただやっぱり運命というものですべてが決まってしまうとは、わ

たしは思いたくない。そう伝えると朝雨は笑った。

「何がおかしいんですか?」

「だってやっぱりほら、美雨さんって正直な人だなって」

「まあ、昔から正直なとこがわたしにとっての救いなので。正直でない自分はいやな

んです」

「それでいいんですよ。僕も運命がどうのこうのって言いながら、実は自分をいちば

んに信じてるから」

その言葉を聞いてホッとした。

朝雨と付き合ったのは初夏になってからだった。

応募した会社三社からの返事は来なかった。

朝雨との出合いは必然だったように思う。抱き合った夜に朝雨は言った。「下糸家

では代々天気にまつわる名前がよいとされている」と。朝雨とわたしの名前にはたま

たま「雨」が付いていた。同じ木の枝を拾って、そしてそのことに気づけたわたした

ちは幸せなのかもしれない。わたしの妊娠が判った夏、朝雨が喜んでくれたことが嬉

しかった。内心打ち明けることが怖かった。堕ろしてくれと言われても不思議じゃな

いと思っていたし、正式に恋人と呼べた期間すらなかったから。

朝雨のご両親はわたしの名前を聞いて「縁起がいい」と言った。自分の名前を深く

好きになれた瞬間。母が名付けてくれた「美雨」という名前を今までにないくらい愛

した瞬間。朝雨と出会えたのは朝雨のご両親のお陰であり、わたしの母のお陰でもあ

る。すべての縁が運命みたいだ。実代ちゃんはわたしたちの入籍に泣いて喜んでくれ

た。「絶対結婚式呼んでよ!」と言われたけれど、わたしは朝雨に結婚式を挙げたく

ないと、それは格式張った行いがわたしは昔から苦手だからといって、朝雨もそれに

賛同してくれて、式は挙げなかった。実代ちゃんは残念がっていたけれど。

お腹の子が産声を上げたのは翌年の春の四月十二日のこと、よく晴れた朝のことだっ

た。十時間以上の陣痛はわたしの想像を超えていて、「とてつもなく痛い」と言えば

そうなのだけど、今までに経験したことのない激しい痛みだった。出産は鼻から林檎

を出すより痛いと聞いたことがあったけれど、わたしの場合はそこに近いものすらな

かったのがラッキーだったんだろうか。生命を産み出す自然の働き、その痛みを、こ

れほどに身に感じたのは生まれてはじめてだった。

わたしと朝雨は赤ちゃんの名前を晴 せいと名付けた。晴れの日に産まれたこと、そして

自分たちは雨が名前に付いているので、この子には「自分や誰かの心を晴れやかにで

きる人になってほしい」という願いを込めて。

晴が産まれたことを実代ちゃんに知らせようと電話をかけた。電話の向こうで実代

ちゃんがまた泣いて喜んでくれることを想像した。でも電話の発信音が鳴らない。「ツー・

ツー・ツー︙︙」。話し中なのかと思い、時間が経ってまたかけてみる。けれでもツー・

ツー・ツーという音が鳴り回線は切れた。

わたしは軽いパニックに陥った。なぜ? どうして? と。幼い頃から「もう絶交

する!」なんて言っては喧嘩もしてきたけど、実代ちゃんがわたしを着信拒否したよ

うだったことはショックだし、何より何故なのかが理由がわからない。実代ちゃんの

実家にも電話をしたけど、誰も出ない。

それから何日も実代ちゃんに電話をかけた。でも状況は何も変わらなかった。

まだ生後間もない晴が泣いているというのに、わたしはただただスマホを片手に呆

然と立ち尽くすことしかできなかった。買い物から帰ってきた朝雨は「晴が泣いてる

のになんで抱っこしないんだ」とわたしに怒鳴り、オムツやミルクや野菜などでいっ

ぱいのスーパーの袋を投げ落として晴を抱っこした。とても混乱した。実代ちゃんの

存在は朝雨も知っている、でも二人は会ったことがなかった。朝雨との妊娠が判明し

てから、すぐに籍を入れて、両家顔合わせをしたりハードな毎日だったこと、実代ちゃ

んの休日となかなかタイミングが合わなかった。わたしはショックの中、また、晴の

母親としての罪悪感、朝雨に伝えられない歯がゆさから、死んで消えてしまいたくな

るくらい悲しくなった。

思い切ってその晩、晴が寝静まった後、わたしは朝雨に実代ちゃんのことを話して

みた。

「あの日のこと覚えてる?」

朝雨は不機嫌そうに「さあ」と言う。

わたしたちはリビングのテーブルに向かい合って座っていた。

「ほら、あの朝、ごみ捨てに行く朝のこと。わたしたちが初めて出会った朝のこと」

「それが?」

わたしの育児がおざなりになって、そのツケを朝雨はすべてこなした。朝雨が不機

嫌になってしまうのも無理はない。

「あの日の前日に来てた友達のこと『いいお友達ですね』って朝雨言ってくれたよね」

「そうだっけ」朝雨は目を落として欠伸をした。大きな口を開けて、目をこすり、「何

が言いたいの?」と訊ねた。

「あの時来てた友達が実代ちゃんだったんだけど、それ、言ってなかったよね」

「うん、聞いてなかったけど。美雨からその、実代ちゃんて子のことは聞いたことは

あったと思う」

「今日、実代ちゃんに電話したの。でも繋がらないの」

「もしかしてそのせいで育児できなかったって言いたいの?」

朝雨の口調から苛立ちが伝わる。わたしは言葉に詰まってしまい、何も言えなくなっ

た。

「晴の母親としての自覚あるのかよ。自分の子が泣いてるのに、友達と電話が繋がら

ないってだけで育児放棄か」

カチンと来て、「何もわからないくせに!」とつい言い返してしまった。朝雨の言

う通りなことはわかっている。でも、ただわたしは朝雨に寄り添ってほしかっただけ

だった。この気持を朝雨と共有したかっただけだ。

わたしたちの口争いに気づいてか、寝静まってまだ数分しか経たないのに晴が大き

な声で泣き出した。わたしはすぐに隣の部屋で泣く晴を抱っこして「ごめんね、ごめ

んね、晴。大丈夫だよ」と晴をあやそうとする。朝雨は椅子に座っている。丸一日晴

の育児をして余程疲れたのだろう。

「ねえ」

晴を抱っこしながら朝雨に話しかける。朝雨は相変わらず仏頂面だ。こっちを見よ

うともしない。

「小さな星、でしょ?」

朝雨は目を落としたまま、肩を震わせた。

「こんなやり方でずるいけど、許してくれる?」

やがて晴の鳴き声はやんで、わたしの腕の中で静かな寝息を立てた。わたしは朝雨

に人差し指を立てて、「しーっ」と合図した。朝雨は顔を上げて頷く。ゆっくりと慎

重に晴を布団に寝かせる。背後から朝雨が抱きついた。わたしはその腕をしっかりと

つかんだ。

それからも何度か実代ちゃんに電話をした。「たまたま話し中だったんじゃない?」

と言って、わたしのことを笑い飛ばしてくれることを期待したけれど、電話の向こう

は静寂さに包まれた重みのあるツー・ツー︙︙だけで、やがてその音も途絶えた。

晴が泣き出すと抱っこをしながらわたしも一緒に泣いた。強い母親になろうとは思

わない。無理をして笑っても多分それは晴だって嬉しくないと思う。わたしはあくま

でも自然体な自分を意識しながら育児がしたい。それが正しいとか間違っているかと

いう問題ではなくて、母であるわたしの心が望むありのままの姿を晴に見せていきた

い。そう、わたしが心に正直な自分であることは、晴にとってももしかしたら晴自身

が心に気持ちのいい生き方のできる人になれるかもしれないと思うから。

幼い頃から辿ってきた正しいと思える道に、わたしがそうであったように、いつか

晴もつまずく時が来るだろう。つまずいていい。つまずけるだけつまずいたら、それ

が身となり、力になり、起き上がれた時すべてのことが必然であったことに気づくこ

とができるはず。ある時折れた木の枝をたくさんの人に分け与えることができるかも

しれない。あるいは、晴自身の心に降る雨は、晴自身の力で快晴にできる。母も毎日

こんな気持ちでいたんだろうか。心に美しい雨を降り注げますようにと、祈りながら

わたしと過ごしていたのだろうか。

わたしは誰かの心に美しい雨を降り注げているのだろうか。

わたし自身の心に美しい雨を降り注げているだろうか?

実代ちゃんは何故わたしの前からいなくなってしまったんだろう。

なるべく毎日スマホを見ないように生活する日が続いた。もしかしたら実代ちゃん

から連絡が入っているかもしれないと、そわそわしながらスマホを見ても、結局毎回

期待外れで、そのたびに落ち込んで何もする気がしなくなってしまうからだ。こんな

だとろくな育児ができないと思ったから。

頭の片隅に時々実代ちゃんのことがよぎっても、忘れようとした。時は待たないか

らこそ着実に一歩一歩を積み重ねていて、晴がつかまり立ちを始めたと思っていたら、

今ではしっかりと自分ひとりで歩けるくらいにまで成長していた。

実代ちゃんと連絡が途絶えてから五年が経っていた。晴が産まれて五年。同時に実

代ちゃんとの連絡が絶えて五年。長いようで時間の流れはあっという間だった。晴は

四歳になり、言葉もはっきりとしてくるようになった。幼稚園に通いはじめ、友達も

たくさんできて、それに伴いわたしにもそれなりにママ友ができ、わりと賑やかな生

活を取り戻しつつあった。

外は雨が降っている。午前保育だった晴は遊び足りない様子だ。窓を閉めようとし

た時、いつかの時みたいに二羽の鳥がぐるぐると空を舞っていることに気づいた。そ

う、ちょうどあの春の雨の日実代ちゃんがお酒に酔って一足先に寝てしまったあの夜

に見た時と、翌日の朝雨の部屋で飲んだあの雨の日と、どこか似ている。違うのはこ

こに晴がいること、そして甘い香りのするあの金木犀が実っているーーそう、今は季

節が秋ということだ。

お絵かきしたいというので、クレヨンとスケッチブックを用意して、まず先にわた

しが簡単な新幹線の絵を描いてみた。いつか自分が仕事にしたいと思っていたことを

育児で活かせる時が来るなんて。晴はわたしにもっと新幹線の絵を描いてと言った。

これでもかというくらいいくつもの新幹線の絵を描くとわたしは新幹線の絵を描くこ

とに疲れてしまった。

「晴、もうそろそろ終わりにしようよ」

そう言うと、晴は「いや! サイもっと新幹線の絵見たい!」と言った。

晴は自分の名前を言ったつもりなのだろうけど、わたしには「サイ」と聞こえた。

確かに「セイ」と「サイ」は似ている。

「ねえ、今なんて言ったの?」

「え?」

晴はきょとんとした顔をした。さっき言った自分の言葉をすっかり忘れてしまった

みたいだった。

一日に数回確認するスマホ。晴が寝静まってから確認してみると、実代ちゃんから

着信があったようだった。久しぶりに見る、スマホに映る実代ちゃんの名前。メール

も同時に入ってる。わたしは真っ先に電話をかけた。ところが電話は繋がらない状態

で、結局以前と変わりなかった。恐る恐る受信トレイを開く。

下糸美雨様

こんにちは、実代のスマホからですが、実代の母です。ご無沙汰していました。

突然の便りに、びっくりさせてしまったらごめんなさい。

お電話した後、やはりメールのほうがいいかと思い直しました。

また重ねて突然のご報告となるのですが、実代は五年前の四月十一日に亡くなりま

した。

実は美雨ちゃんには黙っていたのですが、実代は六年程前から婦人科にかかってい

て、その翌年、五年前の二月に手術を受けました。その後は快方に向かっていたので

すが、突然容態が一変し、帰らぬ人となりました。

生前実代は美雨ちゃんに心配をかけまいと必死でしたので、私共としましても実代

のことを美雨ちゃんにどう報告するか、しばらく考えてきました。そしてやはり実代

の死を受け止めた私たち家族だからこそ、実代の死を美雨ちゃんにはきちんと報告を

すべきだと話し合い、今に至ります。ご報告が遅れてしまい、大変申し訳ありません。

また、実代のスマホですが、生前の実代の意向により長らく電源を切った状態でし

た。実代は『万が一私がこの世を去った時にはそうしてほしい』と言っていたのです。

ですので美雨ちゃんがもしかしたら実代に連絡をしていたとしたらきっと非常にご心

配をかけたことでしょう。ごめんなさい。

生前、実代と仲良くしていただき、本当にありがとうございました。

美雨ちゃんの毎日が明るく楽しいものになりますよう、微力ながら祈っております。

追伸 実代が亡くなった後に気づいたのですが、実代が美雨ちゃんに宛てた封のさ

れたお手紙が、実代の机の引き出しに入っていて、遅くなりましたが今日美雨ちゃん

のお家にお送りさせていただきました。美雨ちゃんの今のご住所は、実は実代の葬儀

を終えてすぐ後に美雨ちゃんのお母様からお聞きしました。実は美雨ちゃんのお母様

には実代の病気のことを長らく相談させていただいていました。お母様にも昔からお

世話になりましたし、感謝の気持ちでおります。

実代の母より

メールを読みながら、実代ちゃんがこの世界に存在しないことを知って驚いたしショッ

クだった。更に五年前の四月十一日、つまり晴が産まれる前日に、実代ちゃんは死ん

だのだ。

あの日の母からの手紙は、母なりのわたしへのメッセージであり、サインでもあっ

たのかもしれない。実代ちゃんが病気だということを知った上で母はわたしに何か思

うことがあったのだろう。

実代ちゃんが病気だったことはもちろん何もわたしは知らなかった。あの春に実代

ちゃんがうちへ来てわたしを励ましながらお酒を飲んでいた時すでに実代ちゃんは婦

人科にかかっていたのだろうか。心配をさせまいと笑って強がっていたのかもしれな

い。

実代ちゃんから着信拒否されていたわけではなかったのだという事実が、わずかな

救いでもあった。しかしながら動物では文蔵丸が死んだ以外に、身近で人が死ぬとい

うことをそれまで経験したことがなかったし、まして小さい頃からの唯一わたしが心

を許せる相手で居続けてくれた存在なのだ。何かがポキっと折れた音がした。背後で

晴がレゴを分解していた。

「晴、起きたの? 早いね〜?」

わたしは努めて明るく振る舞った。晴はわたしのことを無視してレゴを分解しつづ

けている。晴に明るく振る舞おうとした自分に違和感を覚えながら、昔にもいつか、

似たようなことがあったなと気づいた。そう、それはわたしが采と出会ったあの十歳

の秋の日、実代ちゃんが学校を休んで、その理由が怖い夢を見て、ひどく怯えた実代

ちゃんを和めるようにわたしは努めて明るく振る舞った時だ。人生の中でそんな風に、

自分の心に大きな違和感と嘘を覚えたのはその時と今しか思い出せない、くらいにわ

たしにとっては偉大な負の感情だ。共通している点はどちらもがわたしにとっては相

手への愛情からであり、同時に嘘をついてる自分に対しても相手に対してもどこか罪

悪感があったこと。

そういえば当時実代ちゃんが見たという怖い夢の話が、何だか妙に意味深いような

気がしてきた。確か采とわたしが一緒にいて、そうしたら実代ちゃんは体が固くなり

動けなくなり苦しくなった、そんなことを言っていた。夢から覚めたあとも怖かった

と。

「ねえ、ママ」

それまでレゴを分解して遊んでいた晴がわたしに問いかける。

「金木犀ってどうして金木犀っていうか知ってる?」

「どういうこと?」

驚いた。晴の口から突然金木犀の言葉が出るなんてと。わたしの目は多分飛びだ出

そうなほど大きく開いていたことだろう。

「金木犀って誰かから聞いたの?」

晴はわたしの問いかけには無視して続ける。

「晴が知ってるのはね、金木犀のお花のどこかがサイに似てるからなんだって」

「サイ?」

「うん、こないだ幼稚園で教えてもらったのがあってね、寝てたら思い出したからマ

マにも教えてあげる」

そう言って晴は「手貸して」とわたしの手を引っ張り、ペンで何かを書いた。それ

は文字だった。たった一文字、そこには「采」と書かれていた。一体どういうことな

のか? それにこのシチュエーション、采の時と同じだ。あの時も手を引っ張られて

ペンで「金木犀」と書いてくれた。

「幼稚園の誰から聞いたの?」

「誰だったかは忘れちゃったんだ」

そう言って晴が笑った。笑った時右下の頬にえくぼがあることに気づいた。晴にえ

くぼがあったことに初めて気づいた。というより、今まではなかったはずだ。笑った

顔、その笑い方、その話し方、どことなくあの十歳の秋の日に学校帰りに出会った采

そのままだと気づく。

「ママ、どうしたの?」

キョトンとした顔したわたしを見て、晴はまた笑う。

「采なの?」

まさかとも思う。半信半疑でもある。でも、確信に満ちたものも同時にある。

「僕はママに産んでもらうのをずっと待ってたんだ」

その時インターフォンが鳴った。玄関のドアを開けると、配達員で、「下糸美雨さ

んですか? 速達でお届け物です、サインをお願いします」そう言われて、郵便物は

手紙で、差出人を確認すると実代ちゃんのお母さんだった。「はい、わたしです、下

糸美雨です」

小さな紙にサインをすると配達員は何も言わずすぐに去っていった。

わたしはその縦長の封筒の封を慎重に開ける。便箋が一枚三つ折りに入っている。

美雨ちゃんへ

今朝不思議な夢を見たから久しぶりに美雨ちゃんに手紙を書いてみることにするよ。

手紙を書くのは中学生以来? 授業中に手紙交換して、先生に怒られたよね。

今は春だけど、その夢の中での季節は秋だった。金木犀がたくさん実ってて、わ

たしは小さな男の子になっていた。それで不思議なことに、わたしは「采」っていう

名前が付いてる。夢の中ではそれが当たり前になってて、夢の中のわたしはそれが少

しも不思議に感じてない。ああ、わたしは采なんだなって。

采という男の子になったわたしは、美雨ちゃんに会いに行ってるの。夢の中の美雨

ちゃんはまだ小学生だった。わたしには美雨ちゃんが美雨ちゃんだってわかってるん

だけど、何となく自分の正体を明かしちゃいけない気がしてるんだよね、それで采と

いう男の子になりきって、謎のまま消えるの。

目が覚めた時にこの夢の話のこと、真っ先に美雨ちゃんに話したいなと思って、明

日ちょうど美雨ちゃんのお家に行って久しぶりに飲もうと思ってるから、その時忘れ

ないようにこの手紙も持って行くね。夢の話もまだまだ話足りないんだ。

実は先月婦人科で腫瘍が見つかったの。今度手術を受けるかもしれない。今のとこ

ろ小さな腫瘍だから、心配しないで。

もしかしたらこの手紙、書きながら思ったけど、明日持って行かないかも。

そうそう、わたしが飲めること、美雨ちゃんは知らないかもねえ。笑

これでも一応、もう三十だし、社会人ですからね。笑

金木犀って秋の醍醐味だね。

秋の宵越し、窓辺に立ってあの甘い香りがすると、小学生だった時の学校帰りを思

い出すんだ。どこか寂しいような、懐かしいみたいな、また会いたくなるような、そ

んな気持ちになる。わたしは金木犀みたいな存在でありたい。美雨ちゃんにとっての、

心の金木犀に。

美雨ちゃんは絵や詩の仕事ができるようになるとわたしは信じてるよ。

実代より

この手紙を実代ちゃんが書いたのは、わたしたちが三十歳の春のあの日、一緒にお

酒を飲む前日に書いたものだと思われる。実代ちゃんはこの手紙を持って来なかった。

そして一切夢についても語らなかった。

そういえばさっき晴は「僕はママに産んでもらうのをずっと待ってたんだ」と言っ

た。それにこの実代ちゃんの手紙の夢の話は、奇妙にもあの十歳の秋の日、采と出会っ

た時のそのままだ。

夜になって朝雨が仕事から帰ると、わたしは今日起こった不思議な話を一通り端的

に話してみた。朝雨は静かにわたしの話に耳を傾けてくれていた。


「それってつまり、晴が美雨の友達の生まれ変わりってことだよね?」

朝雨はすぐに話を飲み込んで理解を示してくれた。

「そうだと、わたしも思って。ていうか、そうとしか思えなくて」

わたしたちがテーブルを囲ってそれぞれの椅子に座って話し合っている間、晴はい

つものようにプラレールで列車を走らせていた。「はやぶさ、こまち、連結!」

朝雨は椅子から立ち上がると「晴、ちょっとこっちおいで」と晴を呼んだ。晴は言

われた通りプラレールから離れて、朝雨のそばへ駆け寄る。

「ママのお腹に来る時のこと、覚えてる?」

晴は首を横に振った。「覚えてない」と。

「じゃあ、なんでママが産んでくれるのを待ってたの?」

朝雨は更に晴に問いかけた。

晴は「そんなこと言ってないよ」と不思議そうな顔をして笑った。その笑った顔に

えくぼはなかった。昼間確かにあったはずのえくぼ。消えてしまったのか。

「そっか、ううん、パパ疲れてるみたい」朝雨は晴の頭を撫でた。

わたしたちは晴がプラレールに戻って再び列車に夢中になっているのを眺めた。

「久しぶりにお酒でも飲まない?」と朝雨に訊いてみる。

「いいね」

わたしは冷蔵庫の中からビールを二缶取り、グラスを用意した。

「こうして飲むの、本当に久しぶりだね」

そう言ってわたしたちはそれぞれのビールの蓋を開けてグラスに注ぐ。

「乾杯」

コツンという音が鳴った。その音は、母のヒールの音でもあり、実代ちゃんと飲み

交わしたあの春の夜でもあったし、朝雨とのそれでもあった。いい響きだ。

グラスに二杯目を注いだ朝雨が、「美雨は仕事したい?」と訊ねた。

わたしは首を振った。

「絵や詩の仕事、美雨は今も諦められないんじゃない?」

わたしはまた大きくかぶりを振る。「わたしはもうその仕事果たせてるよ、特に絵

はね」そう言って晴のためにたくさん描いた新幹線の絵を見せた。

「なるほど」と、スケッチブックを眺めながら朝雨は頷いた。

「多分、わたしは晴と出会うことが運命だったの。いつか朝雨が運命について話して

た時はカチンと来たものだけど、今ではわたしも確かにあの時朝雨の言った通り、人

には運命というものがあって、それに抗うことはできないと思うようになった。わた

しは朝雨と同じ木の枝を拾ったことに今日気づけた気がする。わたしも育児を通して、

やりたかった絵の仕事をさせてもらえている気がしたの。詩のほうはまあ置いといて

ね。

もしもあの時、あの時、もっと別のあの時にだって、会社から連絡が来ていたら、

朝雨とはこうはなっていなかったかもしれない。朝雨と結婚して、晴を産んだことは

必然だったように思うの」

朝雨はニコッと笑った。「運命に抗うことは、そう容易いことじゃないんだと思う。

ただ、何もかもを運命として決めつけて生きていくのはあまりにも華がないよね。あ

の時も言ったけど、俺は自分というものをいちばんに信じてるよ」

「晴にはどんな時も自らの力で運命を切り開いていける人になってほしいね」

「そうだね」朝雨は静かに頷く。

「心の赴くままに、心に正直に、心に気持ちのいい自分でいてほしい」

朝雨は二杯目のビールを飲み終えたところで、「心に気持ちのいい自分であり続け

るということは、自分に嘘をつかない証拠でもある。自分に嘘をつかないでいつづけ

ることは難しいことだ。でも美雨はそんな生き方をしてきた。それは晴にも伝わるは

ずだよ」と言った。その言葉にわたしは救われた。「俺は美雨の正直なところが好き

だよ。正直であろうとするその姿勢が」

「もし」とわたしは切り出す。「もし、これからいつか仕事がしたいと言ったら?」

「美雨は絵や詩の仕事をしたほうがいい。初めて一緒にビールを飲んだ時の美雨の話

を聞いていて思った、この子は多分何かを生み出せるだろうって。ごくわずかな、一

握りのうちの一人になれるだろうって。それは美雨が正直な人だと思ったから。俺も

ビデオ屋の店長と同じだよ、俺自身が正直な人が好きだからなんだ。誰かの心に残る

何かを作れる人は、たいてい正直な人間なんだ。少なくとも作品と向かい合っている

時は自分に正直でいられる人だ」

わたしは朝雨の話を感心しながら聞いていたけれど、インテリアの仕事が専門の彼

に何故絵や詩の仕事のことがわかるのか不思議に思った。それを言うと朝雨は「俺に

もわからない」と言った。「ただ」と続ける。「ただ、俺は昔から人を嗅ぎ分ける能

力が備わってるみたいなんだ。こいつは偽物だ、こいつは本物になれるとかね。そし

てその嗅ぎ分けは自分に対してもできた。俺はインテリアの仕事に向いてると思った

時から、この仕事で本物になれる気がしてたんだ。美雨の絵は俺が誰より好きだし、

第一号のファンでもあるんだからな」朝雨はそう言ってわたしの残りのビールをグラ

スに注いだ。

「わたしも誰かの心の金木犀になりたい。甘くていい香り。寂しいような、懐かしい

ような、また会いたくなるような、そんな人に」

「SNSを使えばいいんじゃないかな?」

「SNSを?」

「今の時代に生きててよかったとご両親に感謝しろよ」朝雨はにやっと笑うと、「フェ

イスブックでもツイッターでもインスタでも、とにかく絵を見てもらう場所はたくさ

んある」と言った。

「なるほど。確かに今までそういうの使ったことなかった」

翌朝、晴を幼稚園に送った後、わたしは朝雨に教えられてた通り、さっそくフェイ

スブックやツイッターやインスタグラムのアカウントを作った。

更に五年の歳月が流れた。わたしは四十になった。晴は九歳だ。生きていれば、実

代ちゃんも四十だった。実代ちゃんの心は、確実に晴の心に息づいていると思う。こ

ないだ学校の絵のコンテストで、晴は大賞を取った。その絵はわたしが晴に教えた金

木犀の絵だ。

わたしはSNSを使ってたびたび絵をアップした。絵のそばに詩を添えたりもして。

反応は薄いけれど、わずかな人たちがわたしの絵を見て「いいね」を押してくれたり、

「心がほっこりする」というようなコメントが残されるようになった。一人にでも、

誰かの心に花を咲かせて救うことができたら、それが何よりいい。いつかもっともし

誰かの心に金木犀の花を咲かすことができれば、わたし自身の心が金木犀でいっぱい

になり、十歳のあの秋の日のように、甘い香りで満たされることだろう。

采と出会って三十年目の秋。

わたしは窓辺に立っている。そばには白いフラワーベースに挿した金木犀がある。

その甘い香りを部屋の中で愉しむ。晴からの電話が鳴った。学校から帰ってくるとい

うことだった。これは学校帰りのいつもの習慣だ。

帰宅した晴は手に金木犀を持っていた。

「どうしたの、それ?」

「学校のいっちばん仲いい友達がくれたんだ」

晴はそう言って満面の笑顔を見せた。

「ママにも昔そんな時があったよ」

「そうなの? いつ?」

「内緒」

「えー、なんで?」

「大人には大人の事情っていうものがあるのよ」

「何それ?」

「昔聞いた言葉を引用してみた」

「インヨウ?」晴はキョトンとした顔をしている。

「そのお花の名前何て言うの?」

「知らない」

「こないだ教えたじゃん。賞までとったのに、忘れちゃった?」

晴は「忘れちゃった」と笑った。

「それでもいいよ。忘れてもいいこと、知らないほうがいいことも、世の中にはある

からね。でも……」

わたしは晴に「手かして」と言い、その場にあったペンで、晴の手に「金木犀」と

書いた。「この文字は忘れないようにね」

晴には何のことだかわかっていないみたいだった。

二人で空き瓶を探した。晴が友達からもらった金木犀を挿すための瓶だ。仮のベー

スでわたしたちは金木犀を挿し、窓辺にすでに置いてあるもう一つの金木犀に寄り添

うように瓶を並べた。

「いい匂いがするね」と晴が喜んだ。

この世界はもしかしたら果てしもなく小さい世界なのかもしれない。この金木犀だっ

て、宇宙から見れば小さな点に過ぎない。それでもその小さな世界の中で、わたした

ちは生きていく。小さいかもしれない金木犀も生きている。そういう意味ではわたし

たち人間や動物も植物もすべての花も何かもは生命が与えられて、そこには必ず意味

がある。意味のない命などない。もしあると言うなら、それは錯覚かもしれない。

「美雨ちゃん」

ふいに背後から声がした。その声は確かに実代ちゃんだった。振り向くと晴が『危

険生物』の図鑑を読んでいるところだった。辺りを見回しても、実代ちゃんはいなかっ

た。

窓のほうに目をやると、三羽の鳥がぐるぐると空を舞い、建物の上にちょこんと並

んでとまった。金木犀の甘い香りと、鳥たちを眺めているとうとうとしてきて、窓際

にあるスツールに座った。振り返ると晴はまだ図鑑を読んでいる。

眠っているわずかな時間に、ぼんやりと夢を見ていた。三十年振りに采と会える夢

だった。采なのかを訊くと、采は頷いた。采はわたしに小さな箱を渡す。その小さな

箱を開けてみると、たくさんの金木犀が入っていた。箱から溢れんばかりの、本当に

たくさんの金木犀だ。「これ、どうしたの?」そう問いかけて顔を上げると、そこに

采の姿はもうなかった。

起きて頭を上げると朝雨が立っていた。

「あれ、仕事は? まだ夕方くらいでしょ?」

わたしは時計を確認する。五時を少し過ぎたところだ。

「美雨、忘れたの?」

「何を?」

「今日は十月十六日、俺たちの十年目の結婚記念日だよ」

すっかり忘れていた。

朝雨はわたしに金木犀を差し出して、「これからもよろしくね」と言った。

朝雨がくれた金木犀を挿す空き瓶を探さなきゃいけない、と思ったら朝雨が自分好

みのフラワーベースを一緒に買ってきていた。大きな丸いベースだ。

窓辺に飾ってあったそれぞれの金木犀を、その大きな丸いベースに飾ることにした。

窓辺に立つと、三羽の鳥はまだそこにいた。互いの嘴をつつき合っている。

大きな丸いベースに飾ったたくさんの金木犀を見て、晴は「こうして見ると金木犀っ

てまるで宝物みたいだね」と言った。

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心の金木犀 なお @kakuwind

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