第13話 マイ・ディア・レディ(2)

 「あらあら」

メアリは紅茶の器を差し出しながら微笑む。年齢を重ねてなお、榛色の瞳は美しい。

「そんなに難しく考えないで。あなたがチャールズ叔父様にとって頼りになる、ということでしょう。弱音を洩らすところをみると、あなたも気落ちしているのね」


 「私は叔父様に感謝しているのよ?あなたと引き合わせてくれて」

「そうなのか?」

トーマスはガバッと勢いよく顔を上げる。

「舞踏会で会った時、あなたは手も背も大きくて強い大人の男の人なのに、ダンスの時は衣装に着られて、借りてきた猫みたいに所在無げだったわ。それなのに地質の話になると急に、灰青色の瞳を冴え冴えと輝かせ生き生きして。本当に変わった人だって」

メアリの頬に笑窪が浮かぶ。

「僕の第一印象はそんなに情けなかったのか?」

トーマスの眉毛が力なく下がる。


 「自分に厳しく努力を怠らない。探求心に突き動かされると寝食を忘れてしまう。野心を隠さないのに、師や友人を大切にする。私の話に少年のように声を上げて笑う。私たちをなんだか不思議な表現で褒めてくれる。色を例える時、二言目には石か地質だもの」

「格好よくて情けなくて、大事なかわいいあなた。出会えて叔父様に感謝してるわ」

「……今日は人生最良の日だ。君と出会った日もそうだけど」

「ああ、求婚に頷いてくれた時も、結婚式の日も、あの子の誕生日も」

「最良が多すぎるでしょ」

メアリは慈母のように微笑む。


 「野心は……焦っていたんだ。君が生まれながらに備えている品も美も富も、僕は何一つ持たない。君に相応しくあるために、この頭脳しか頼れなかったから必死だった」

トーマスはきまり悪げに目を逸らして言う。

「そうだったの⁉あなたは私を買い被り過ぎよ」

「そんなことはない。君の助力がなければ、僕の本の多くは完成しなかった。どれほど頼りにしているか、君は知らないだろう。その才能を独り占めしていることに気が咎めるけれど、誰にも君を渡したくない。本当に僕は狭量だ」

「何より初めて会った時から、その瞳に、その声にずっと焦がれている。君は決して見知らぬ世界に驚くことを忘れない。いつだって僕の目を開いてくれる。僕のメアリ、僕のマリア。君は僕の魂、唯一無二だ」

「それを言うならあなただってそうなのに。トーマス、私の背高せいたかさん、私の月長石の君。あなたが笑うと嬉しい、あなたの声がとても好き。気付いているかしら、家族とそれ以外で対するあなたの声音は全然違うのよ。あなたがいるから楽に息ができる、私を羽ばたかせてくれる空だわ」

「メアリ。ああ、メアリ。なんて愛おしい……」


 妻を抱きしめ幸福に酔いながら、トーマスの胸がずきりと痛む。

ーー自分はメアリを得られて幸運だ。メアリはチャールズを慕いながらも、終始「異性」としては認識していなかった。

無理もない、彼女が物心ついた時に彼は既に一人前の大人だったし、逆に彼女が成人して間もなく彼は病を得、早々に老人のような風貌になっていたのだから。

それでも出会った頃のメアリは紛れもない叔父さんっ子だったから、他の求婚者と比べて自分が優位に立てたのは彼の影響が大きいだろう。学者気質という二人の共通点が彼女の警戒心を解くのに大いに役立ったことは疑いもない。

そういう意味でもチャールズから被った恩恵は大きい。


 メアリがチャールズの身内の情を超えた愛情に気づくことはおそらくないだろう。

それでもこれから、彼から受け継いだ書物を見るたびに、きっと自分は聞かずにはいられない。


 ――メアリ、私の唯一無二。いつも君の幸せを願っている――

囁く彼の声を。ひそかな彼の祈りを。

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