カメレオンボーイ

飯田太朗

カメレオンボーイ

 これは僕がある少年と出会った時の話だ。

 四月の終わり、ゴールデンウィークが目前に迫った頃。

 あれは雨の降る夜のことだった。僕は傘を突いて歩いていた。


 *


 ――おい嘘だろ。あいつゴミ拾いしながら帰ってるぞ。

 僕は持病のための通院で、電車の乗り換えをしていた。A線の駅からB線の駅へと向かう途中。二路線の間には少し距離があり、僕を含めた二路線ユーザーはその度にまぁまぁな距離を歩かされていたのだが、このには様々な人間ドラマがあった。

 そもそも、二路線の間にある、渡り廊下が入った建物の造りが変わっていた。それは真上から見ると長方形の形をしており、利用者はその長方形の対角線にある渡り廊下を歩いてもう片方の駅へ行く仕組みになっていた。その対角線の通路以外の場所はバス停とタクシー乗り場になっており、金をかけているのか、どちらも屋内に設置されているため雨風を凌げる造りになっていた。ドラマはこの箱の中で繰り広げられる。

 障害者用のスロープのど真ん中、車椅子の人が迷惑そうな目線を投げているのにも関わらず跪いてプロポーズしている男性と、それを嬉しそうに見つめている女性。大声で堂々と「キリンの交尾」についてしゃべり合う中年女性。何が気に入らないのか自分の残り少ない毛髪を毟りながら歩く禿頭の男性。……本当に、いろんな人がいる。

 そんな中でもゴミ拾いの男は目立っていた。何せゴミがあれば人が歩いている先だろうと遮って拾う。火箸を使って道端の缶やビニール袋を拾っていく。手元にあるゴミ袋にそれらをポイポイ入れていって……いや、行為だけを切り取るといい人なのだが。

 スーツにリュック。まぁ、帰宅途中のサラリーマンなのだろうな。そんな男がゴミ拾いをしながらの移動。まぁ、変わっている人間の部類だろう。あるいは自身の善徳に酔うタイプの人間か。いや、僕が捻くれてものを見ているのだろうか……だが、このサラリーマンに何か歪んだものを感じずにはいられなかった。僕は黙ってその変質者の背中を見ていた。

 やがて乗り換え先の駅が見え始めた頃。

 あのゴミ拾いサラリーマンが転けた。それも派手に。何に躓いたのか知らないが、大きく転倒した彼は碌に受け身も取らず地面に叩きつけられた。周りにいた通行人が迷惑そうな顔をして通り過ぎていく。男は少しの間動かない。

 チッ。僕は内心舌打ちをした。このバカを放って去ったら何だか寝覚めが悪い。かと言って積極的に関わりたい部類でもない。僕は少し躊躇ったのち、結局この男に手を貸すことにした。彼の元へ寄る。

「大丈夫ですか」

 語尾に疑問符をつけることもなく淡々と声をかける。が、男は僕の声に急に我に帰ったような顔になると、すぐさま火箸を持った手を振って「ああ、ああ、大丈夫です」とだけ告げた。それから嫌なものでも見たような顔で立ち去っていった。何だあいつ。ムカつく奴だな。

「ムカつく奴だなぁ」

 と、急に近くで声がした。僕はすぐさまその声の方に目をやった。

「……あれ?」

 そこにいたのは少年だった。スポーツキャップを斜めにかぶり、ダメージ加工のされたツナギを着ていたその少年は、僕の目線に応えて困惑したような声を上げた。よく見ると、彼は通路の端に座り込んでおり、彼の投げ出された脚は先程サラリーマンが転けた場所に堂々と伸びていた。どうもこれに躓いたらしい。

「おじさん、俺のこと見えてるの?」

 そう言われ、僕は返す。

「作家の観察眼をナメるなよ」


 *


「俺はカメレオンボーイ。みんなからはそう呼ばれてる」

 混雑したカフェ。パン屋に併設されたそれは、人でごった返していた。僕と少年は向かい合って座っていた。少年は金がないのか、僕にパンとコーヒーをせびった。

「カメレオンボーイ」

 僕は鼻で笑いながら返した。

「何なんだそれは」

「あのう、すみません」

 話の途中。

 若い女性が声をかけてきた。すぐそばには同じく若い男性。カップルか。そう思っていると女性が、カメレオンボーイこと少年が座っている席を示した。

「こちらの椅子、使ってもいいでしょうか?」

 何を言ってるんだ?

「……いや、座っていますが」

「……はい?」

「いや、だから、座っている人がいますが」

「はぁ」

 女性が怪訝な顔をする。少しすると、連れの男性が口を開いた。

「いいから」

 女性は気色の悪いものでも見るような顔で僕を見てきた。

「おかしい人なんだよ」

「人を捕まえておいていきなり『おかしい人』とは随分な言い草だな」

 そう返した頃になって、僕の前に座っていた少年が囁く。

「でもおじさん、変な人に見えるだろうよ」

 僕は少年の方を見る。少年は、ニヤニヤと、笑っていた。

「俺はカメレオンボーイ……カメレオンなんだ。変幻自在。迷彩模様。無色透明。周りの人から俺は、見えない」


 *


「なるほど。人から認知されにくい」

「そうさ。石ころみたいなもんなんだ」

 少年はコーヒーを啜った。

「だからおじさんはよく俺のことを見つけたよ。石ころでも観察するタイプ?」

「まぁ、作家だからな」

 僕は続ける。

「石ころみたいな、とはよく言ったもんだが……影が薄いのとは違うのか」

「似たようなもんだね」

 少年はパンを齧った。

「だぁれも俺に気付きやしない。さっきも俺の席は空席だと思われた。その前のも俺の脚に蹴躓いて謝りもしない。ぶつかられもするし無視もされる。それが俺。カメレオンボーイ」

「透明人間か」

 僕がつぶやくと少年は笑った。

「でもおじさん、俺が見えてるだろ?」

「ああ」

「だったら透明じゃ、ないんじゃないかな」

 まぁでも実際……と少年は続けた。

「何でもやりたい放題だよ。テラス席のテーブルに置かれた財布やスマホを盗んでも誰も文句を言わない。女の人のスカートを捲っても、男の股間をぶん殴っても俺には気付かない」

「便利だな」

 僕の言葉に少年は首をすくめた。

「そうでもないさ」

 でも見つかっちゃった。少年は僕を興味深そうに見つめる。

「ご褒美に何でも話してあげるよ。俺、影が薄いからさ。色んな人の色んな話、知ってるよ」

「例えば?」

「◯◯◯◯って知ってる?」

 知ってる。有名若手女優だ。

「この間プロデューサーとラブホでワンちゃんプレイしてたぜ」

 プロデューサーの方が犬。そう、下卑た笑いを見せてくる少年。

「他にもさ、××××っているだろ?」

 男性アイドルの名前だ。

「子供が二人いるぜ。男の子と女の子。男の子の方は△△小学校の二年生で女の子の方は◻︎◻︎幼稚園の年長さん。三人目が欲しいみたいで今は積極的に子作り中。奥さんが中身丸出しの穴あきブラジャー着て××××を誘惑するんだ。エロいぜ。写真見る?」

「……一応」

 そうして少年が提示してきた画像は、小綺麗な女性がオープンブラを着て××××に跨る衝撃的な写真だった。かなりの接写。何枚もある。合成ではなさそうなことは一目瞭然だった。僕はスマホで××××の画像を検索した。

「耳たぶに三つのホクロ」

 それから、少年の画像を見る。跨られている男。耳たぶに三つのホクロ。

 ――本物か? 本物みたいだ。

 僕は訊ねる。

「これ、どうやって?」

「現場で撮ったのさ」

 少年はつまらなさそうにつぶやいた。

「みんな俺を無視するからな。これくらい、朝飯前だ」

「本物なのか?」

「あのさぁ、見ず知らずのおじさんにこんな画像見せて何になるわけ。これが俺のオカズですよーってか?」

「まぁ、そうだな」

「何なら今ここでさっきの女のケツでもぶっ叩いてこようか?」

 ハハ、と僕は笑った。

「……気に入った」

 僕はニヤッと笑った。

「では君に訊こう」

 それから僕は彼に訊ねた。


 *


「俺が見てきた変わった人?」

 僕は頷いた。

「ああ。僕は小説家でね」

 僕はポケットから名刺を取り出すと少年に渡した。

「変わった話を集めている。小説のネタになるかもしれないしな。人のプライバシーに踏み込める君。何か変わった話の一つや二つ、あるだろう」

「まぁ、ハッキリ言っちゃえばあるね」

 少年は腕を組んだ。

「でもなぁ、そのまま話したら面白くないしな」

 それから少年はニヤッと笑った。

「じゃあさ、こうしようよ」

 僕は首を傾げた。

「変な人の話はする。でもその人が何故変な行動をするに至ったか、当ててみてよ」

「ほう」

「先生が当てられたら、面白いものあげる。でも逆に俺が勝ったら、コーヒーもう一杯奢ってよ」

「……僕が何も損をしないが?」

「いいのさ」

 少年はまた笑った。

「やる?」

「やろう」

 それから少年は話し始めた。

「結界って信じるかい」

「結界」

「ああ。それを張ってる男がいるんだ」

「結界を張る男」

「毎週火曜日の午後七時にこの駅にやってきて、二路線の間を繋ぐ通路の隅にキャラメルを積んでいくんだ。三段。一段目は九個、二段目は四個、三段目は一個。えっちらおっちら積んでいく」

「キャラメルでピラミッド作ってる感じか」

 少年は頷いた。

「そうだね」

「それを四隅に置いている。計五十六個のキャラメル」

「ざっくり普通のキャラメル四箱から五箱分の数だね」

「千円いかないくらいの値段か。それが毎週だから年間ざっくり三千円強」

「特別金持ちの遊びって感じもないでしょ」

「……なぁ、これ君はちゃんと理由を把握してるのか?」

 少年は強い目線をこちらに送ってきた。

「してるよ。俺はカメレオンボーイ」

 どんな秘密も俺には無意味なのさ。

 そう、宣う。

 僕は情報を整理する。

「四隅にキャラメルピラミッドを積んで結界を張る男」

「何回か警察に声をかけられていたこともあったよ」

「何て答えてたんだ?」

「それ言っちゃうと答えじゃん」

「……じゃあ少なくとも、そいつは答えたんだな」

 少年は黙った。

「そしてんだな」

「うふふ」

 少年はまた、小さく笑った。

「そうだね」

「この時点で犯罪行為ではなさそうだな」

 僕は頭を捻る。

「となると、何か記念的な行為か、あるいは祈り、鎮魂……」

 僕は思いついた。

「盛り塩の代わりか?」

 少年はニコニコしたまま黙っていた。

「……いや、盛り塩の代用にキャラメルなんてのは聞いたことがないい。さざれ石や水晶なんかの例は聞いたことがあるが……」

 僕は思考を続ける。

「そもそもこの駅は……いや、この駅がある町は……」

 と、僕は考える。

「かつては鶴亀村という名の村で、東京大空襲の時は焼夷弾の雨に晒されたと聞くな」

 それから僕は、カフェの窓から外を見渡した。

「ここは小高い丘と丘の、ちょうど谷間にある。公民館のような公営の建物も近い。古くから歴史のある場所だ。もし……もしもの話だが」

 ここに村の小学校があったら? 

 その仮説を、僕は口にした。

「丘の傾斜はちょうどこの二つの駅がある地点を谷にして両サイドに続いている。仮に谷間に当たるこの駅が、小学校のあった場所だとしたら? いや、もしかして、二路線の間を繋ぐあの長方形の通路が……」

 小学校の施設、例えば体育館に当たる場所に作られたのだとしたら? 

 僕の仮説に少年はニヤニヤ顔を隠さない。僕はどんどんアイディアを飛躍させた。こういうのは思いつきが大事だ。

「体育館なら、空襲の際子供たちが避難したことが考えられる。体育館の傍なら、そして谷に当たるこの場所なら大規模な防空壕も作れる。渡り廊下がその防空壕、もしくは体育館のあった場所だとしたら?」

「いいねぇ」

 少年は楽しそうにパンを齧った。

「その結界を張っている男は老人だろう」

 僕は続けた。

「君はキャラメルを積む描写をする時『えっちらおっちら』と言ったな。キャラメルを積むだけの作業ならそんなに難しいことはない。手早くできる。なのにそのチンタラした描写を入れたということは、手元が怪しい、ないしは低い場所で作業をするのが難儀な……ご老体というのは、選択肢に入る」

 僕もコーヒーを啜った。

「例えば、だ。くだんの老人が、戦争で亡くなった知人たちにお供物をしているのだとしたら。かつての体育館、その四隅に子供たちが大好きだったキャラメルを置くことで平等に行き渡るようにしていたのだとしたら。五十個以上のキャラメルも、当時の全校生徒がそのくらいだったと考えれば納得できる。奇遇にもこの駅は、この五十年くらいで開拓されたとは言え元々は山の中だからな。田舎村の学校。生徒数は少ないだろう」

「おお……」

 カメレオンボーイは小さく拍手をした。

「おじさん何者?」

「ただの推理作家だ」

 少年は驚いた顔をした。

「道理で」

「当たりか?」

 僕が聞くと少年は答えた。

「厳密に言うと少し違う。その男性は確かに老人だけど、初老って感じだよ。戦争を経験しているほど歳食ってない。でもその人のお父さんが教師で、かつてこの村で小学校の先生をしていたそうだ。児童から慕われた先生だったみたいだけど、空襲で生き残ってしまった。子供たちは死んだのにね。お父さんはずっとそのことを悔いていたみたいで、息子に当たるその初老の男性は、父の罪滅ぼしのために毎週やってきては死んでしまった生徒の数だけキャラメルを積んで帰るんだ。そして翌日にはちゃんと片付けにも来る」

「立派な方だな」

 僕は頷いた。

「そういう男になりたいものだ」

「まったくだね」

 それから少年は、すっと目を伏せるとボロボロのツナギのポケットに手を入れた。

「作家先生はゲームに勝ったね。これをあげよう」

 少年の手にあったもの。それは、スマホより一回り小さいノートだった。メモ帳、と言うには少し厚みがあり、ページを束ねるバンドもついていた。表紙には、ユニコーンに乗ったお姫様の可愛らしい絵。僕はそれを受け取った。

「そこには俺が見てきたがまとまってる」

 僕はバンドを外し、中身を見た。

〈オヒキサマ〉〈目薬を指すやつ〉〈歩く本棚〉〈愛人〉〈うちわ男〉などなど、様々な不思議ワードが溢れていた。

 目の前の少年は続けた。

「推理作家先生なら、このノート、活かせるかもね」

 それから少年は立ち上がった。手にしていたコーヒーの紙カップを、近くにあったゴミ箱に捨てる。

「それじゃあね、先生。楽しかったし美味しかったよ」

 僕は少年を見送る。彼はつぶやいた。

「ばいばい」


 そうして少年は雑踏の中に消えた。

 いや、残されたテーブルを見るに、最初から僕一人でこのカフェに来ていたのかもしれない。

 現に、カップは僕一人の分しかない。

 ただ、説明のつかないことが一つだけあった。

 それは、僕があの奇妙なノートを、持っていたということである。


 了


 

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カメレオンボーイ 飯田太朗 @taroIda

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