28、ハナは驚くべき事実を知る1
多くのことがあった輪野村三年祭の翌日も、ハナと黒豆はいつも通り朝早くに目を覚まし、薬草の庭を見て回っていた。すると、どこからかコロコロという鈴の音が聞こえてきたと思うと、ハナのすぐ隣で二メートル以上はある巨大なつむじ風が起こった。
「うわあ! な、なに?」
ハナは急いで黒豆を抱き上げ、袂で顔を覆って土ぼこりを避けた。
辻風が止み、袂を下ろすと、そこには薄緑色のワンピースに身を包んだ女の人とカラスが一羽立っていた。カラスの羽根には十二本の赤い羽根が混じっている。
「お前、三日月一族の者か?」
カラスは鋭いくちばしをパクパクさせた。
「は、はい。三日月ハナです」
「わんっ」
「それなら話が早い! ハナ、こちらは魔法中央管理局英国本局からお越しのニーヴ・マリー様だ」
ニーヴ・マリーは、にっこりと微笑んだ。
「……えっ、えーっ!」
ハナの叫び声に、やまびこが「……えっ、えーっ!」と答えた。
「そ、それは、はるばるお越しいただいて、ありがとうございます。えっと、ここは薬草園なので、当主様のところに」
ハナが言い終わる前に、ニーヴ・マリーは後ろに見えるキンセンカの方へ駆けていった。甘い花の香りがふわっと流れてくる。ハナがうっとりすると、腕の中の黒豆も嬉しそうに目を細めた。
ニーヴ・マリーはキンセンカの前にしゃがみこんで花に優しく手をそえると、流暢な英語で何か独り言を言った。声からして興奮しているようだ。
「とても良い花だと言っているぞ。この庭は誰が?」
「え、あ、わたしと、家族みんなです。お屋敷の植物は、わたしたちがお世話をすることになっていて」
カラスはニーヴ・マリーの肩へ飛んでいき、不思議な言葉で何かを話した。するとニーヴ・マリーは目を輝かせて立ち上がり、ハナの方へ走って来た。そして、レースの手袋をはめた手で、ハナの手をギュッと握った。
「You are wonderful!」
「わあ、ありがとうございます! センキュー!」
ニーヴ・マリーはにっこりと笑ってうなずいた。
黒豆を抱いたハナは、ドキドキしながらニーヴ・マリーとカラスを家に案内した。
最初は当主の住む五階建ての洋館へ案内しようとした。しかしカラスが「用があるのは寿郎だ」と言ったため、自分の家に連れて行った。
「――あ、う、うちを、当主邸とお間違えで?」
大急ぎで自室から出てきた寿郎も、ハナと同じくらい驚いて、胸の前で指を絡ませた。寿郎の白いシャツには、深い緑色の草汁が飛び散っている。薬草薬を作っているところだったのだ。
「いいや。ニーヴ・マリー様は、お前に用があるのだ」
「わ、私に?」
「そうだ。ひとまず中に入れろ」
薄緑色のワンピースに身を包んだニーヴ・マリーが茶色い革張りのソファに座ると、まるでそこに若々しい新芽が現れたように見えた。家族みんなが、ニーヴ・マリーに釘付けになる。
「そ、それで、どのようなご用件でしょうか?」
ニーヴ・マリーはカラスの方に顔を傾け、澄んだ声で何かを話した。するとカラスは尾羽を上げて何度かうなずき、鋭いくちばしを開いた。
「ミスター・寿郎は、日本における魔族への有効な対応策を考えた方だと伺っています。わたしの考えに賛同してくださったこと、感謝します」
「カラスは英語が理解できるのか!」と蒼志。
「英語が理解できるのではなく、ニーヴ・マリー様が伝えたい内容を理解できるだけだ」
ハナが「それってどうちがうのかな?」と尋ねると、小糸は困ったように肩をすくめた。
「ご丁寧にありがとうございます。試作品を作るのと並行して、実践の場でも使用を開始しています。今のところは失敗が無いので、かなり有効な手だと考えています」
今度はカラスが何か聞きなれない言葉で、ニーヴ・マリーにささやいた。日本語でも、英語でもない、不思議な響きだ。それが終わると、ニーヴ・マリーはまた何かを話した。
「どうか、あなたのアイディアを、日本中に広めてください。人間と魔族の不毛な争いはもう、終わりにしなくてはなりませんから」
カラスの伝えたニーヴ・マリーの言葉に寿郎が力強く「イエス!」と答えると、ニーヴ・マリーはまたにっこりと微笑んだ。ニーヴ・マリーは笑顔が素敵な人だな、とハナは思った。
しかしそれまで笑顔が絶えなかったニーヴ・マリーの顔が急に陰った。ニーヴ・マリーは小春が淹れた緑茶を一口飲み、また何かをカラスに伝えた。
「正直なところ、局内でも意見は二分しているんです。剣や鉄砲が効かず、こちらに一方的に攻撃する力を持った存在と歩み寄るだなんて、人間の破滅を意味すると。しかしだからと言って、こちらがいつまでも武器を持てば、相手も力を持って向かってきます。誰かがどこかで、終止符を打たねばなりません。その一助となってくださったこと、賛同してくださったことが、本当に嬉しいです。ありがとうございます」
ニーヴ・マリーは水気を帯びた青い目を伏せ、ハンカチで目元をぬぐった。
「我々であれば、いくらでもお力になります。いつでも頼ってください」
寿郎の言葉をカラスから受け取ると、またニーヴ・マリーの顔に笑顔が戻った。ハナはホッと息をついた。
「妖怪と歩み寄ろうとした寿郎さんらしい言葉ですね。ありがとうございます。とても心強いです。そういうあなただから、このお話が出たんでしょうね」
カラスが寿郎にそう伝えると、ニーヴ・マリーはテーブルの足元に置いてあった革製のトランクを開け、中から書類の束を取り出した。英語と日本語で書かれているようだ。
紅は「あら」と声を上げ、テーブルに身を乗り出した。
「英国に本部を置く『魔法中央管理局』からだわ」
今度は小春が「まあ」と声を上げ、小春の腕の中にいる結も「ばあ」と言った。
ニーヴ・マリーがまたカラスに何かを話した。
「今回のことを受け、魔法中央管理局は、ミスター・寿郎を管理局の一員にしたい、と考えています。その方がヨモギとんぼ玉の普及もより早く進むでしょうし、何より管理局は、ミスター・寿郎の発想に感心し、ぜひ一員となって力や発想力を貸して欲しいと考えているのです」
「えっ! わ、わたしが、ですか?」
小春は、ぽかんと口を開ける寿郎の肩にそっと手をのせた。
「すごいわ、寿郎さん」
「母さんって本当に肝が据わってるよな。『すごいわ』の一言って……」
「だって母さんは、寿郎さんがすごい魔術師だって知ってたもの。そんなに驚かないわ」
「ふふふ、母さんらしいね」
ハナがクスクスと笑い出すと、驚いていた寿郎もみんなも笑い出した。黒豆もハナの腕の中でニコニコしながら首を傾げる。黒豆は家族が笑顔なのが嬉しいようだ。
「すぐに、と言いたいところですが、急なお話ですから、難しいでしょう。来月までにお返事をいただけたらと思います」
「いえ、お受けします。家族はみんな賛成してくれているようですし、わたしとしても、こんなに光栄な話を断ることはできません。一日でも早く、傷つく魔族の力になりたい。そう思って、邁進して参りました。これを好機ととらえ、尽力いたします」
カラスが寿郎の返事を伝えると、ニーヴ・マリ―は花が咲くような笑顔を見せて、寿郎に手を差し出してきた。
「ありがとうございます。ただ、一つ問題があって。この村から英国に通うのが難しい、ということなんです。本日わたしは時空超越の魔法を使ってここまで来ましたから、道中はほんの一瞬でした。しかしこの魔法はまだ日本にはないようですし、難しい魔法ですので、成功率も低いです。ですから、可能であるならば英国に居を移していただく必要があります。もしくは英国まで空を飛んで移動していただくことになりますが、片道で数十時間かかってしまいます。その点については、どうお考えですか」
「えっ、居を移すって……」
ハナがつぶやくと、小糸が「引っ越しってことね」とささやいてきた。
寿郎がこの家からいなくなる、この家だけではない、この国からいなくなる。
突然の衝撃に、ハナは頭が真っ白になった。
寿郎の努力と苦労が、魔術を総括する組織に認められたのは、喜ばしいことだ。ハナもこの話には大賛成だ。しかしそれを引き換えに、寿郎と離れ離れになるなんて、叫びだしたくなるほど嫌だった。
ハナはジリジリと痛む胸に手を当てて、チラッと寿郎を見た。
寿郎はさっきよりもずっと深刻な顔をしていた。迷っているのだとハナにはわかった。
隣に座る小春は、結をしっかりと抱き、背筋を伸ばして、真っすぐに寿郎を見つめている。
――母さんは父さんの決めたことに賛成するんだ。
それがわかった途端、ハナは黒豆を床に下ろし、ソファから立ち上がっていた。全員がハナを見る。黒豆も大人しくハナを見上げる。
ハナはギュウッとこぶしを握り締め、寿郎と見つめあった。
「……どうした、ハナ」
ハナの大好きな、優しい寿郎の声だ。まるで美しい音色のように、ハナの体に染み渡る声だ。その声は、ハナを心から安心させた。
「……と、父さん。わたし、うれしいの、父さんがすごいって言ってもらえて」
「ああ。ありがとう」
「で。でも、父さんと離れたくない。わたしが、結が、大きくなるところを、紅姉さんみたいに立派になるところを、毎日、そばで、見てほしい。わがままだって言われても、父さんから離れたくない」
ハナは涙がこぼれそうになった。
寿郎が押し殺すような声で「ハナ……」とつぶやいた、その時だった。
「では、わたしが手を貸そう」
新たな声が現れた。
全員が部屋の中を見回すと、二メートルある茶色い置時計の隣に、同じくらい大きな烏天狗が仁王立ちをしていた。
「善柊!」
寿郎は勢いよく立ち上がり、親し気な笑顔で善柊と呼んだ烏天狗に歩み寄った。
「お前の活躍、しかと見届けたぞ。ただ、人間どもの文では、お前の功績が伝わる頃には、功績を乗っ取られる可能性もあるだろう。だから我の手下を英国に手配したのだ。人が好過ぎるからな、お前は」
「それじゃあ、ニーヴ・マリー様を呼んでくれたのは……」
善柊はくちばしをクイッと上げ、「わたしだ」と答えた。
「父さんったら、烏天狗様とも知り合いなの」
驚き疲れた小糸は、着物の帯が崩れるのも気にせずに、ソファの背もたれに寄り掛かった。
「なんだ、家族には話してないのか」
「混乱させると思ったからな。まあ、それはまた後で話そう。それよりも、手を貸してくれるってどういうことだ?」
「我の扇があれば、お前を英国まで十分で届けられる。そうすれば、家の仕事を続けられるし、家族と離れる時間も短くて済むであろう」
善柊はチラッとハナを見て、パチンと片目を閉じた。ハナはぺこっと頭を下げて、同じように片目をパチンと不自然に閉じた。これって妖怪がする仕草なのかな、と思いながら。
「それは、助かるが……。善柊にそこまでしてもらうのは、気が引けるな。まるで利用してるみたいじゃないか」
「それならば、礼だと思えば良い。お前がかつて我が同胞を助けた時の礼だ」
「しかし……」
「しつこいぞ、寿郎殿。ニーヴ・マリー様の母国では、魔族と連携して行われている仕事も多いそうだぞ。それは利用ではなく協力だ。善柊様から申し出も、そういうものとして受ければいいのだ」
カラスはそう言って、寿郎の肩にひょいと飛び乗り、寿郎の髪をくちばしで食んだ。
「多少強引な言い方だが、そう言うことだ、寿郎」
善柊はふわっと部屋の中を飛び上がり、ハナの手を取った。黒い爪の生えた手は、羽根毛で覆われていて、とても柔らかい。
「お前も、それを望んでいるのだろう」
「は、はい……」
ハナと寿郎の目が合う。ハナは少しうつむいて、甘えたような目で寿郎を見た。
「……頼りにさせてもらおうよ、父さん」
「……そうだな」
寿郎は善柊に頭を下げてから、ニーヴ・マリーの前に座り直した。
「謹んでお受けいたします」
カラスが伝えると、ニーヴ・マリーはにっこりして「Thank you!」と答えた。
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