第34話 どうか私めを貴女のご主人様にしてください
なんだ、この胸の高鳴りは。とてもじゃないが冷静ではいられそうにはない。
顔を舐められたかと思ったら、落ち着きのない濃い赤茶髪の少女は頭を俺の胸に押しつけて擦りつけている。時折顔をみて、また体を擦り付け、顔を舐め、体を離し、匂いを嗅ぎ、また抱きついてくる。それを俺はなすがままに受け入れた。
さも状況が理解できずに頭が真っ白になっている――そういう体ですべてを受けきっている。その実、頭は真っピンクで桃一色の役満状態。何が起きているかを完全に把握し、今この時の記憶をいつ何時でも鮮明に思い出せるよう意識を集中している。
俺の中にあった獣人に対する偏見。体臭がきつそう。骨ばっかかじってそう。どこでも糞尿たれそう――そんな偏見はカラーバットで彼方に飛ばしては毎回紛失するカラーボールがごとく空へと消え去った。
体臭がきつい? 馬鹿を言うな腋から何まで一日中嗅がせろ。
骨ばっかかじってそう? 馬鹿を言うな愛棒を代わりにかじらせろ。
どこでも糞尿をたれそう? 馬鹿を言うな俺に世話をさせろ。
狼人族は素晴らしい種族だ。俺は是非ともこの子のブリーダーになって
「ご主人様ご主人様ぁ!」
おいおいおい、最高かよ! 落ち着くどころか増々ギアが上がっていくじゃないか。
もっと言ってくれ、もっと俺をご主人様にしてくれ。そうだよ、俺は君のご主人様だよ。好きなだけ甘えるといい。甘えさせる代りに君の甘い部分を味見させてもらってもいいかい。
「いい加減にしろ。馬鹿犬じゃあるまいに」
キャンと甲高い悲鳴が室内に響く。
ベル君が少女の頭に拳骨を落としたのだ。
余計なことをするな。尻穴に拳骨ぶち込まれたいのか。
「申し訳ありません。妹が失礼なことを」
「僕は気にしていないよ。それに女の子に暴力は感心しないな」
相手は柔らかくて可愛い女の子なのだからもっと大切に扱いなさい。居候をさせてもらう約束を取り付けたばかりで家族関係に口出しするのは気が引けるが、
「世に生まれてくる女の子というのは例に漏れず愛でられるために生まれてきているんだ。女の子に触れるための手は愛でるものであって、断じて殴るものであってはいけないと僕は考えている」
男が女の子にふるっても許される暴力は相手の尻に腰を打ちつけることのみ。それ以外の暴力を俺は一切容認しない。ただし、尻をぶってくれと相手から言われたなら話は別だ。アロワナあたりは実際に言いそうで確実に悦ぶだろうし、女の子が悦ぶならば倫理観の許す範疇ならばよしとする。加えて女の子は俺を好きなだけ殴ってもよいものとする。女の子にとってのサンドバッグに俺はなりたい。好きな時に肩パン、腹パン、股パンしてくれて構わない。なぜなら俺は女の子専用のサンドバッグだから。ただしこのサンドバッグが抵抗しないとは言っていないし約束もできない。俺だって痛いだけなのはイヤだ。少しでも意に反する痛みだったならば即座に反撃する構えだ。肩パンが気に食わなければ尻パンパンするし、腹パンが気に食わなければ尻パンパンするし、股パンされたら問答無用で尻をがっつり掴んで後ろからパンパンする。
なんでも許容してしまうのが愛ではない。甘やかすことと愛することの線引きについてはアリーシャを通して学んでいる。おいたをする子にはしっかり躾をつけてやるのが愛なのだ。アリーシャも悪戯が好きな子で、いきなりお尻を撫でたりして俺を驚かしたりしてきた。触るときは触るよって言ってくれないと困るだろ。そんな悪い子には脇をくすぐって反省を促したものだ。ごめんなさいがちゃんと言えるまでくすぐるのだが、アリーシャがくすぐりに堪え切れず謝るころにはぐったりしてしまい視線も定まらずどこを見ているのかわからないレイプ目になっており、そこはかとなく犯罪臭が漂う事後現場と化してしまうのがいつものことだった。それだけのことをされてもなおほとぼりもさめぬうちに尻をなでてくるのだから困った子である。
だからじゃないが妹さんにもこの調子でどんどん失礼な事をさせてあげなさい。女の子が失礼な事をしても不快には思わない。失禁しても愉快にしかならない。むしろ率先して失礼を受けたいぐらいだ。頼むから無礼を働いてくれ。お仕置きのチャンスをください。
「強き男が弱きを守る……ということですね」
いや全然違うだろ。主語を大きくして守る範囲を勝手に広げないでほしい。女の子に暴力を振るってはいけないよ、と。そういう単純で極々限られた小さな規模の話をしただけであって、無差別にひとを助けたがる正義の味方の行動原理みたいな考え方には至ってほしくない。
「そして俺は弱いからユノ様に助けられた。俺は強くなりたいのに……。弱き者を虐げているようではアイツと変わらない。普段の行動や心持から変えていかなければならない……そうおっしゃりたいんですよね」
いいえ全然違います。俺はそこまで崇高な理念のもとに行動していない。妹をぶつのはやめようねって話をしただけです。
「そうだ、ユノ様の深いお考えがあったからこそ俺は命を救われてこうしていられるんだ……であるならば、すまなかった」
「うー……」
深々と頭を下げる兄。恨みのこもった涙目で見上げる妹。
いいなぁ、俺も睨まれたいなぁ。俺も妹が欲しかったなぁ。テーブルに頭をぶつけたのを俺のせいにして睨んでくるようなやんちゃな妹が欲しかったなぁ。俺がこの子のお兄ちゃんならベタベタに甘やかすのになぁ。
「ところでなんで僕がご主人様なの?」
理由も理屈も本当はいらなかった。君が俺を主人と認めてくれるならば、俺はそれにふさわしい主人であり続けて気持ちに応えよう。その言葉がスズ族にとって最大級の侮蔑の言葉であっても構わない。甘んじてその侮蔑を受けて侮辱を糧にして生きよう。それほどまでに、君の声で鼓膜を揺らす「ご主人様」という言葉は甘美なものなのだ。
頭を手で押さえながら兄を睨んでいた赤茶髪の犬耳っ子は俺の言葉に反応してはじけるように笑顔になる。目を輝かせているのは拳骨を貰った事で涙が出てしまったせいだ。その涙をグレープフルーツのカクテルに垂らして新世紀のソルティードッグとしていただきたい。君の瞳で乾杯。
「ベルから話を聞いてご主人様だって決めました!」
主人てそんな簡単なノリで決めるものなの?
「顔も好き! 匂いも大好き! 全部が私のご主人様です!」
「…………そうかい?」
童貞は押しに弱い。特に初対面の女の子に好意的に迫られるなど滅多になかったので反応がぎこちない。
要領を得ない返答ではあったが、彼女が言うのならそうなんだろう。俺をどう思うかは人の勝手だ。君がそう思うならそうなんだろう。君と俺のなかではそういうことにしておこう。俺も君が大好きになったからそういうことにしておこう。
「娘が迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。これ、主従の前にまずは名を名乗りなさいな」
いえいえ、迷惑なんていっぱい掛けてくれていいんですよ奥さん。女の子にかけられた迷惑とおしっこの数だけ男は大きく成長できる。女の子に掛けられるものは何であれ、自分を成長させる糧となるのが男なんです。遠慮せずに迷惑をかけさせてやってください。わんこそばが如く、ワンコ粗相をぶっかけてください。
「レイはレイです! ご主人様の犬です! 可愛がってください!」
輝くような眩しい笑顔で尻尾をぶんぶんと振っている。
そうか、君は俺の犬だったのか。なら首輪を買ってこないとな。お散歩は裸が良いんだろうか。いや前世では犬にも上着だけ着させている人もいたはず。となると上着だけ着させて散歩をするのか。なかなかマニアックで良いじゃないか。マニアックだから良いのではなく、良いものとはマニアックなものなのだ。
今はまだ幼いので虐待とみられてしまう恐れがある。何よりも少女を裸に剥いてハイハイで歩かせるなんてのは俺の気が進まない。だがレイが成長したならどうだ。肉体と精神が熟した大人の
「レイは俺の双子の妹です。普段は大人しい妹だったのですが……多分、村に伝わる伝承を真に受けているんだと思います」
犬ですとか可愛がれとか、レイちゃんが何を言っているかわからなかったのでベル君の解説は正直助かった。欲しいところに欲しい助け舟をくれる。君は将来良い船乗りになるだろう。
しかしそうか、だからレイちゃんは話を聞きましたと言っていたのか。
前世でもそうだったが、閉鎖的な空間に閉じこもっていると視野は広く取れず物の見方は狭くなるものだ。学校や小さな村に対して所属意識が芽生えると、小さなコミュニティの中が世界の中心となり、そのなかの常識が一般的な常識だと思い込んでしまう。自分が所属するコミュニティから出ないのならば何の問題もない。しかし一歩でも外に出るとそれが大きな問題を生みだし行く手を阻む障害となる。
柔軟性や吸収力、適応能力の乏しい新社会人が自分の常識を押し付けようとして同僚や上司との間に軋轢を生んでしまう。結果、思い悩んで鬱になり、やがて自ら会社を辞めてしまう――そんな話は前世では掃いて捨てるほどあった。厳しい言い方をすれば井の中の蛙。汚い言い方をすれば陰嚢の中の精子。世の中を知らずに育ち、自分の見てきた世界が全てだと思い込んできた弊害。
レイちゃんが顔を舐めて突飛な事を言いだしたのも、狭い社会で暮らしているからという背景があるのだろう。レイちゃんも他の国や種族の持つ価値観と交わり、自分の持つ常識が変われば、新しい人生観を得て世界観の広がりを覚えるはずである。
だけど君にはそのままの君でいてほしいと俺は切に願う。
突然顔を舐めて抱き着いてくるような常識外れの女の子でいてほしい。どうか井の中の蛙にして、俺という名の大海を制した君でいてほしいのだ。いつまでもいつまでも。新しい人生観を快感を添えて与えよう。広がる世界観は性的なものだけでいい。
「伝承というのはどんな話なんでしょう。初対面の女の子にこんなに懐かれるような都合の良い伝承があるとも思えないけど」
すり寄るレイちゃんの頭を撫でながらベル君に話しを振る。撫でられたレイちゃんはご機嫌になり、興奮した様子で自らの頭を俺の手のひらにこすり付けて気持ちよさそうにしている。それと同じことを胸や尻でやってみないかい? 今よりもっと楽しくて気持ちいい気分になれるよ?
「スズ村に伝わる獣人族の伝承です」
詳しく聞かせてくれ。生涯レイちゃんのご主人様で在り続ける為に。
飼っている者が自分を主人だと定めるのではなく、飼われている者が主人を決めるのだとレイちゃんは教えてくれた。彼女の期待を裏切りたくはない。いつまでも最良のご主人様でありたい。彼女が主人だと認め続けられる主人でありたい。そのために伝承を詳しく知る必要があるんだ。
そうだベル君、君も俺を義兄さんと呼びなよ。
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