しかし、眠い。

水鳴諒

しかし、眠い。



 そうして人類は永遠の眠りについた。理由は高齢化だ。

 そうして夢を見る事にした。

 そうして働く世界になった。


 ある国で、僕はそのワクワクドリームプログラムの研究開発プロジェクトの責任者として、日々仕事をしている。

 令和という暦に変わったその国でも、世界の潮流に則り、人間は眠りにつき、いくつもの夢を見るようになった。現在、夢は管理されており、人間は一日に三回ほど夢を見るように変わった。

 これは、多元宇宙論マルチバース がミクロコスモス社会でも反映される事が発見された結果で、そこから生まれたミクロ・マルチバース・システムによって実現された。

 人間は今、三度の夢を見る時、そのそれぞれで異なる人生を歩むようになり、それぞれの人生で異なる仕事に従事するようになった。時間軸は当該システムにより、意味を持たなくなった。

 よって、ある意味において、たった一人の人間が、三人いる事と同義になった。

 たとえば昨日資産家で子煩悩だった壮年の善き父親が、別の夢、即ち人生においては、非正規雇用で激務薄給の若き青年であり、この二名が同時に世界に存在している事がある。

 三度の夢の残り一つは、肉体に宿ったオリジナルの人生となる。夢を見ている体の夢となるが、夢の中で夢を見る事はあまり無いため、大半の人類は、自分が眠っている事にも気がついていない。

 この現実を知っているのは、ワクワクドリームプログラムの関係者のみだ。

 無論、ワクワクドリームプログラムの関係者もまた、他に二つの夢を見て、二つの人生において、別の仕事をしている。

 だがこの時、他の人生の夢を見ている間は、オリジナルの夢を見ないため、僕のような研究者であっても、オリジナルの肉体の夢に戻るまでは、このシステムやプログラムの事は忘却している。

 ただし関係者だけは、オリジナルの肉体の夢を見た場合、現実の真実――人類が永遠の眠りについている事を思いだす。そして、研究者という夢の中、研究者という人生の中で、システムやプログラムの維持や開発研究を行う。つまり、研究者もまた一つの仕事であり、眠りについているのは変わらない。

「今日も残業か」

 コーヒーサーバーの前に立ち、白いプラスティックのカップに、僕は褐色の液体を注いだ。眠気覚ましの一杯だ。まだ眠るわけにはいかない。プロジェクトの責任者としての仕事が山積みなのだから。現在問題となっている課題は、確かに眠りについてはいるのだが、別の人生……他の夢の記憶を持つ人間が、時折出るという不具合だ。他の人生の記憶は夢が変わる度に消失するはずなのに、時々

『いつも同じ夢を見る』

『夢の中で違う人生を歩んでいる』

 として、記憶を保持している者がいる。

 逆に

『この世界は夢だ』

『現実は別にある』

 と考える者の報告もある。

 それらを

『気のせいだ』

 と思わせるための、システムの改修及びプログラムへの転用が、僕達の急務だ。

 実際、他国ではこの不具合は、発生していない場所もある。しかしながらシステムは世界に広まったものの、各国独自のプログラムの内容は機密事項が多く含まれているため、どのようにして不具合を解消するのかは、共有されていない。

「しかしな……子供が生まれなくなったからと言って、労働人口が減ったからと言って……一人に二人分の働きをさせるとはなぁ。オリジナルは基本的に多くの者は眠りに就いて目覚める事は無いし」

 ブツブツと僕は、常日頃感じている事を呟いた。

 しかしこの仕様で、今の世界は上手く廻っている。

「他の夢で、僕は何をして働いているんだろう」

 思案しながら、僕はカップを傾ける。そしてコーヒーを飲みこんだ。

 ちなみに夢の中で死亡すると、もう一方のオリジナルではない方の夢に、強制的に移動する。そして、『死んだ夢を見た』と感じる。

 その間に、ワクワクドリームプログラムが働いて、新しい夢が生み出される。結果として、眠りについた人類に、死は無くなった。このミクロ・マルチバース・システムは、通称・不老不死システムである。

 カップを持って、僕は自分のデスクへと戻った。そしてレトロなノートパソコンを起動する。その後パスワードを入力し、開発用のアプリケーションを開いた。

 しかし、眠い。気づくと僕はうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。夢が始まる。



 ――奇怪な夢を見た。ワクワクドリームプログラムという夢だった。俺はなんだか嫌な気持ちで、鞄を持ち、会社へ向かっている。

「人生が三つあって、人間が不老不死になって、夢を見ているなんて、馬鹿げてるよな」

 アスファルトの上を歩きながら、思わずぼやいた。そんな事よりも、本日は客先に行かなければならない。営業の仕事は、慣れると楽ではあるが、元々の俺はコミュニケーションがそれほど得意ではない。

 だが、寡黙で押しが強くないというのは、営業向きであるらしく、俺は顧客に信頼される事が多いため、現在会社で一番の成績を誇っている。

 俺は地下鉄の駅の階段にさしかかったところで、本日の予定を脳裏に思い浮かべた。考え事をしていても、毎日通る駅構内で迷う事は無い。気づくと俺は、目的の電車に乗っていた。幸い席が空いていたので、静かに座る。スマートフォンを取り出して、本日必要な資料の確認を行った。

 そうしていたら、眠気がきた。昨夜も俺は、遅くまでインターネットで小説を読んでいたから、睡魔がすごい。俺の趣味は、Web小説と呼ばれる創作作品を閲覧する事である。

 しかし、眠い。気づくと俺はうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。夢が始まる。



 ――また、『俺』の夢を見た。

 夢の中で私は、いつも、ワクワクドリームプログラムの夢を見たと感じているサラリーマンの男性になる。

 まるで別の人生を歩んでいるかのように、眠ると私は、『俺』になる。

 あちらの人生で、私は独身男性として生きている。『俺』の年齢は、二十七歳だ。

 しかし現実の私は、齢九十二歳で、管に繋がれている。病院のベッドの上で、ただ死を待つばかりだ。告知された余命は、三ヶ月。だがそれを越えて、まだ私は生きている。しわしわのおばあちゃんである私が、健康なサラリーマンの男性の夢を見るというのも、なんだか不思議だ。

 その時、胸がギュッと痛み、息が苦しくなった。ああ、今度こそ、私に死期が訪れたのだろう。意識が暗転し、私の体からは力が抜け始める。何度も味わった感覚だ。

 しかし、眠い。気づくと私はうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。きっと、目が覚める事は無いだろう。永遠の眠りの到来だ。



「うわっ」

 老婆になって死ぬ夢を見た俺は、飛び起きた。

 そして電車の中だというのに、大きな声を出してしまった。

 視線が俺へと集まっている。恥ずかしくなって、俺は俯いた。

 ここのところは、おかしな夢ばかり見る。

 ワクワクドリームプログラムに、老婆に。

 老婆になる夢は、年に一回くらいは見ている。夢占いをした事もあるが、老婆は知識の象徴らしい。

 俺は何かを求めているのだろうか?

 新しい営業先の知識だろうか?

 成績はNo.1であるが、俺は実は仕事がさほど好きではないので、あまり自発的に資料を求める事はしないし、営業事務に任せっきりなんだけどな……。

 こうして俺は会社へと向かい、ビルのエントランスホールを抜けて、オフィスがある階に顔を出した。そして自分のデスクに座り、レトロなノートパソコンを起動する。

 しかし、眠い。気づくと俺はうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。夢が始まる。



 ガクリと体が傾いた瞬間、ハッとして僕は目を覚ました。

 なんだか夢を見ていたような気もするが、思い出せない。

 それはそうだ、別の人生の記憶は、基本的に持ちえないのだから。

 もし覚えていたら、それは不具合となる。

 今、ワクワクドリームプログラムの研究班の中で最多の意見は、『不具合を起こしている夢の消去』である。つまり夢を覚えている場合、その人生で殺してしまって、別の新しい夢を与えるというものだ。

 そのサンプルとして、無作為に選ばれた不具合を持つと判明している人間の夢を、開発班ではいくつか消去している。僕は責任者として、そのリストを確認した。

 個人情報は、自動的に収拾される。現在一番上には、九十二歳の老人女性という夢の消去の記録がある。その夢において、彼女の人生は幕を閉じた。

 今、ワクワクドリームプログラムが、次の夢を生成中だ。老人女性のプロフィールを、僕は開いた。

 そしてもう一つの夢を確認する。

 なんでもそちらでは、営業をしている二十七歳の青年らしい。こちらの人生でも夢を覚えているという不具合があるらしく、もうじき消去が決まっている。

 新しい夢が生まれ次第、開発班はある意味において、青年の命を奪う事になる。だが、オリジナルがまだ存在するはずだし、仮にそちらの夢についてまで覚えていても、夢が一つも無い状態はシステム上ありえないので、人間に死は訪れない。

「でも二つの夢のそれぞれで不具合を起こしていたのか。オリジナルはどんな人生を歩んでいるんだろうな」

 オリジナルの夢だけは、手続きをしなければ閲覧できない決まりがある。そこまでして、このサンプルについて深く知りたいわけでは無かったので、僕は次の人物の情報を閲覧する事にした。

 そのまま夕暮れまで確認作業を行い、僕は大きく欠伸をした。

 しかし、眠い。気づくと僕はうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。夢が始まる。



 そう自覚した僕は、必死で目を開けた。まずい、今は寝るわけにはいかない。現在僕は、確認作業を終えたので、改めてサンプルの一覧をアプリケーションで表示させている。そこには、『全ての夢を消去する』というボタンがある。

 うっかりそれを選択して、Enterキーを押してしまえば、僕はある意味において、大量虐殺者となる。何人もの人生を終わらせるというのは、そういう事だ。不具合があるとしても、毎日少数ずつ夢は消すべきだ。

 同時に二つの夢を消したら、それらのサンプルには働かずただ眠って夢を見るオリジナルの状態が訪れる。少子高齢化により、大半は老人だ。老人の一生は、先が短い。よって二つの夢を消したら、三つ目の夢もすぐに自動的に終わる可能性が非常に高い。

 無論、オリジナルの夢にいる間に、他の二つの人生が新しく創造されるので、人類に死は無いが、三度も連続で、夢の中で死ぬのも気分が悪いだろう。

 慌てて僕はアプリケーションを終了させた。そして、ノートパソコンのテキストエディタを開いた。本日の日誌をつける必要があるからだ。日誌を開くと、三つの人生について、副主任が記載した報告書があった。

 サンプルA:1:老婆:そうして人類は永遠の眠りについた。理由は高齢化だ。

 サンプルA:2:サラリーマン:そうして夢を見る事にした。

 サンプルA:3:研究者:そうして働く世界になった。

                                   』

 そう記されていた。研究者……? 僕は腕を組んで、首を傾げる。

 サンプルAが三つの夢を見ているというのは、これもまた不具合である。オリジナルの夢の記憶は本来持ちえないので、他のサンプルは皆、『1』と『2』しかない。『3』は存在しないはずだ。僕は気になって、このサンプルのオリジナル情報を閲覧する事に決めた。

 立ち上がって、遠隔からミクロ・マルチバース・システムにアクセス可能なパスワードの入る鍵を、金庫から取り出す。それから、巨大なモニターの前に立ち、鍵の表面に表示されているパスワードを、コンソールに打ち込んだ。パスワードは十分おきに変化する。

 モニターに、サンプルAの情報が表示された。映るのは、基本的に、オリジナルの顔面映像である。僕はそれを見て蒼褪めた。既視感がある。何度か瞬きをして確認したが、間違いない。僕は、チラリと窓を見る。そこには僕が映っている。続いて、改めてモニターを見れば、そこにも僕が映っていた。

 僕は、研究者だと、自負している。

 しかし、僕の顔をしているサンプルAの不具合らしき『3』と記録されている夢の内容もまた、研究者である。ならば、今僕が立っているここは、夢の中であり、いいや、それは分かっている、ここは僕のオリジナルの夢の中であるはずで、だから僕はワクワクドリームプログラムの仕事をしていて……だが、この記録はなんだ? この研究者の夢がオリジナルの人生だと僕は考えているが、違うというのか?

 焦燥感に駆られた僕は、コンソールを操作して、モニターの中の『僕』の個人情報を閲覧する事にした。指先にまで、震えが走った。


 ――ミクロ・マルチバース理論の提唱者にして、システムの開発者。唯一、管理者権限で、ミクロ・マルチバース・システムをマクロ・マルチバース・システム化する事により、人類を宇宙に返す事が可能であり、それは即ち、全人類の人生、夢を消去可能な権限を持つという事である。彼は不老不死を解除できる唯一の人間である。


「……」

 それを見て、僕は再び瞬きをした。ゆっくりと、二度。

 そうして僕は、全ての人生を思い出した。老婆である僕は死に、サラリーマンである僕も近々死ぬ。不具合だからだ。そしてそれを知る僕は、システムの権限を持つがゆえに、特別に第三の夢を見る事を、自分で自分に許した研究者である。僕のオリジナルも研究者であるが、今それを思い出している僕もまた、オリジナルではないという事だ。

 つまり、僕もまた消去される定めにある。

 他のサンプルの夢を削除するのとは、わけが違う。僕にとって、僕の消去は、紛れもなく死だ。僕が死ぬくらいならば、全人類も同じ目に会えばいい。僕は、死にたくない。だが、死ぬ事になるのだ。いくらオリジナルが生きているとはいっても、僕は、僕だ。

 死ねば、僕の認識する世界は無くなる。それは世界の滅亡に等しい。宇宙の消失とも換言できる。ならば、道連れにしてしまおう。

 僕は迷わず、『オリジナル』として、コンソールを操作し、全ての夢を消去するプログラムを起動させた。あとは、完了ボタンを押せば、全人類の夢は消去され、全ての人生が終わる。僕は迷わず、それを押した。

 こうして働かない世界になった。

 こうして夢を見ない事にした。しかし、眠い。気づくと僕はうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。だがもう、夢は始まらないのだ。だけど、おかしいな? 全人類の人生を消去したのに、僕は何故、まだ研究室のモニターの前に立っているのだろう。僕もまた、理論的には消えるはずではないか。首を傾げつつ、僕は腕を組む。

「ああ、そうか」

 僕は思い出した。ミクロ・マルチバース・システムをマクロ・マルチバース・システム化したから、人間は宇宙となって溶けたのだが、宇宙とは、観測者がいなければ存在しないので、そのために僕は残ってしまったのだ。そして宇宙の観測者である僕は、人間原理そのものであり、この研究室は、概念となった僕が自分を視認するために構築した、ただの幻想の空間である。もう、僕は人間ではなくなったのだ。僕は、人類ではなく、宇宙を観測する概念となったのである。つまり、僕以外には、死がきちんと訪れたわけだ。しかし、眠い。人間ではなくなった僕は、気づくとうとうとしていて、瞼の裏の黒を見ていた。ああ、眠る。夢が始まる。僕以外は、もういないのに。


 そうして人類は永遠の眠りについた。




 



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しかし、眠い。 水鳴諒 @mizunariryou

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