第28話 変わる関係
クラトゥイユ家の館でクロードと対面する。
隣にはマリーヌもちょこんと座っていた。
「話し合おう」
「怠慢のうえ魔族の活動を完全放置。対話でどうにかなりますかね」
「そこを曲げて。両家は婚約関係だろう?」
さすがにクロードの顔色は悪い。
マリーヌは関心なさそうだが、教会諸国において魔族は神敵扱いだ。すべての領主に探索と報告の義務があり、怠れば重篤な瑕疵となる。
男爵領にはわかりやすい異常があった。
それを半年も放置していた。調査すらせずに。
事の詳細が伝われば、王家は即座に動くはず。
弱小貴族家を始末するだけで民への威信を強化できる。
教会も罰を与えにくるかもしれない。
魔族への内通で一族火あぶりってところか。
とはいえ、住み着かれる側からすれば待ってくれと言いたくなる気持ちもわかる。魔族が自ら人界に潜むなど、大地震が発生するより稀。普通は大軍で攻めてくる。
「境目の諸家を監視するのが当家の役割。宮廷が疑えばこちらもこれです」
首に手を横切らせる。
「だからこそだよ。私はともかく、マリーヌまで処刑されるのは君にとっても痛手だろう」
「えっ」
マリーヌが“私、処刑されそうなの!?”とでも言いたげに驚いている。
ちょっと面白いな。
俺は悩むフリをして腕を組んだ。
――好機到来! 婚約を破棄する千載一遇のチャンス!
ここか? ここでやるか?
落ち着け、いったん冷静になれ。
保留してもっと効果的なタイミングを探る手もあるのでは?
……いや、外聞、特に平民感情を考慮するとこれ以上にベストな瞬間が訪れるとは思えない。本件には魔族というパブリックエネミーが絡んでおり、相手は保身のために婚約関係を持ち出してきたのだ。この甘えをあげつらうほどわかりやすい話はない。社会通念上の明確な非を叩くのは人々に納得感をもたらす。
しかも、世間的には俺がマリーヌに夢中ってことになっている。
好きな相手を諦めてでも公序良俗を守る。
そんな振る舞いはこの社会におけるポリコレバトルの強カード候補だ。
本来なら非難の的である一方的な婚約破棄を、相手のせいにできる裏技。
「うーん……」
「そうだ。いい機会だし挙式の日取りを決めないか? 希望する時期を教えてくれ」
一方で、土地の体面を傷つけすぎると深い恨みを買う可能性が高い。領主はともかく、領民までもが処罰の対象になったらことだ。
領境の緩衝地帯に熱心なアンチを抱えるのは相当なリスク。
あちらからすれば魔族の出現は天変地異みたいなもの。確認を怠ったとはいえ、自分でコントロールできない物事を理由に叩かれれば不当に感じ、憎悪が生じるか。
「何とか言ってくれ。あ、いや、よく考えて。おい、エスト卿にお茶のおかわりを」
「お父様っ」
「マリーヌは黙ってなさい」
シモンみたいな敵を何千人も抱えるのはなあ……。
お気持ちムーブでヴェルデン北部の民を危険に晒してはいけない。
落としどころが必要だな。
「結婚式には当家からも莫大なお祝いをしよう。蔵の目録を渡すから、欲しいものがあれば遠慮なく言いたまえ!」
互いの利益は?
俺は婚約を破棄できればハッピー。
向こうは顔が立って処罰を逃れればハッピー。
ならば。
「……婚約を白紙に戻しましょう」
マリーヌがバッと顔を上げる。
クロードの顔は絶望を表現する芸術品になった。
人間の顎ってここまで開くんだ。
「偽善は言いません。率直に申し上げて同盟者としての能力に不安を感じました」
「待ちたまえ。若者は決断を急ぎすぎる」
「熟慮の結果です」
「頼む、頼む! 頼むから! お父上、ヴェルデン伯爵と話をさせてくれ!」
「クラトゥイユ家のためでもあります。私を恨む者は多い。今後も増えますよ」
「当家のため。で、では……」
「密告はしない」
クロードは瞑目し、背もたれに寄りかかった。
ここまで安心を表現できる人は他に知らない。
「レディ・マリーヌは私が嫌いでしょう。感情の部分では婚約解消に関する互いの意見が一致しているかと。どうです?」
「ひとつ聞かせてくれ」
「どうぞ」
「君は、娘を好いていたのでは? 君自身が求めてきた婚約だったろう」
お、おお。
これは答え方が難しい質問だ。
好き好きオーラ全開で押しかけていた男が豹変して執着も見せないのだ。父親としては感じるべき疑問か。見方によっては娘の時間と可能性を奪われたのだから。
考えろ。
答え方をミスると敵意に繋がる。
「私はアルヴァラの高貴なる一族の義務として、愛すべき相手を愛します」
「愛すべき相手」
「私的な好悪は愛人や囲い者にでも向ければいい。貴族の結婚は政治であり契約ですから、同盟を結ぶのための婚姻ならば、妻を公的に愛する努力をするのです」
「……そうか。君にとっての愛とは義務か」
「ええ。そして情勢は変わりました」
騙していたわけではない。
家の利益として
「今の私にとってクラトゥイユ家の令嬢は利害の天秤に乗る対象ではありません。ですが、死んでほしいわけでもない。王家には我々の協働と伝えましょう」
「わかった。婚約は破棄の方向で進めよう」
「言うまでもありませんが――この件を大々的に告発して叩きのめす道もあるのです。あえてそうしないのは、領境を穏やかに保つため」
「わかっている。わかっているとも」
話が付いたので会釈する。
マリーヌは終始ぽかんとしていた。
悪くもないのに婚約破棄の評判を背負うのは気の毒だけど、彼女はヴェルデン家に見合ったカードではないのだ。
◆
仮叙任した者たちと2週間後の再会を約し、ガルドレードへの帰路に就く。
「思ったよりも大物が出てきたな。ひどい目に遭ったが、おかげで選択肢が増えた」
「…………」
あれ以来、ジネットはずっとこうだ。
俺から逃げ回り、距離を取って口を引き結んでいる。
大胆な告白からの生存ルートだもんね。
恥ずかしくて時間が必要なんだろう。
ガルドレードへ戻り、まっすぐ父のアトリエへ向かう。
「父上、おられますか」
「エスト」
「レディ・マリーヌとの婚約を破棄しました」
「なんだと!? いや、どうしてかな」
「芸術性を感じなくなったので」
「ああ……それは仕方ない」
彼はしみじみと肯首する。
仕方ないでいいんだ? 一応は当主なのに。
「代わりと言ってはアレなんですけど」
「今度はなんだい」
「魔族を殺してきました」
「なにぃいいいいいい!?」
アトリエの芸術家たちが椅子から転げ落ちる。
「ま、ま、まぞく……?」
「従騎士たちを叙任せねばなりません。そこで意匠を含めた制作を依頼したいのです。もちろん代金は支払いますよ」
「詳しく聞かせなさい」
銀貨袋を鳴らすと、父たちの目が光った。
そして2週間後。
豪華に飾られたガルドレードの広場にて。
従者たちを引き連れた従騎士が、鎧姿で豪華なマントを羽織り、剣の切っ先を上向けて並ぶ騎士たちの前を堂々と進む。
彼らは俺の前でひざまずいた。
俺は鎧の両肩を剣で叩く。
「汝、いかなるときも揺るがぬ忠誠を捧げ、いかなる窮地も恐れぬ武勇を示し、神と王国の敵を滅ぼすべし」
会場の飾りは荘厳にして壮麗。
「良き日には礼節を欠かさず、悪しき日も慈悲深く、常に寛容を胸に刻み、神の御心に従うべし」
雰囲気は厳粛かつ清浄。
「名誉を重んじよ。公正を愛せ。騎士たる者の務めを果たし、神と世界に奉仕せよ」
彼の頬を強く殴る。
「迷えるときは、この痛みを思い出せ」
あれ、少し涙目だ。
感涙だよね?
痛すぎたせいじゃないよね?
「立て、騎士よ!」
新たな騎士は誇らしげに立ち上がる。
「アルヴァラの貴族、ヴェルデン家のエストがこの者を騎士とする」
剣を鞘にしまい、隣のシモンに渡す。それをシモンが相手へ渡し、受け取った騎士は天へ向かって三度の抜き差しを行った。
「シモネスの騎士、シャガール家のシモンが貴公の叙任を証言する」
彼は深々と礼をすると厳粛に引き返す。
この作業を何度も何度もこなしている。
まとめての叙任は嫌。ひとりずつが主役。
それが彼らからの要望だ。
先の戦いでは140人が死んだ。
そのうち仮叙任者の死者は87人。呼び返しても戻らなかったのは22人だった。遅参したが魔族と戦った者を含め、61人を騎士へ叙任している最中である。
ガルドレードへ仕える者はたったの8人。
他は叙任のみを受け、ヴェルデン家への仕官は辞退した。
俺の戦い方を見て、命がいくつあっても足りないと判断したのかもな。
何といっても、魔族と戦った功績で叙任される騎士たちなのだ。彼らを欲しがる職場は腐るほどある。俺からも紹介状を書いてやるつもりだ。
ちなみに後乗り勢には賞金のみである。
最大の栄誉は、最も苦しい場面で矢面に立った者にこそふさわしい。
そしてもうひとつ。
騎士たちの叙任を終えると、討ち死にした従騎士の遺族、ジョリやクザンを始めとした冒険者たち、冒険者の遺族や友人らが整列する。
「人々のため、世界のため、究極の責務を果たした者たちを賞し、この勲章――セドリック赤竜盾章を授与する。我が民よ、この素晴らしき栄誉を称えよう!」
万雷の拍手と口笛が広場を埋め尽くした。
死者の遺族は涙ぐみ、褒められ慣れぬ冒険者たちは所在なさげに照れている。
「その忠勇を忘れない。誰が何と言おうとも、このエスト・ヴェルデンが保証する」
ひとりひとりの首に盾章をかける。
金銀宝飾だと盗まれるとのことで、紅色の大魔石を削ってワイバーンの意匠を施した勲章を用意したのだ。左腕用ではなく首にかける用だけど。
魔族との戦いに参戦した証。
まさしく末代までの栄誉だ。
価値に恥じない美麗な造形に仕上がった。
いやー、飾りつけといいさ。
芸術家がいるとこういう機会に強いわ。
使いようによって役立つなら、予算計上の口約束を守るのもアリだな。
最後の最後、ジョリの首に盾章をかけようとすると止められる。
「――ひとり忘れてないですか?」
「何だと?」
慌てて周囲を見渡す。
それらしい人は見当たらないが……。
「どこにいる?」
「ここですよ」
彼はおもむろに盾章を奪い、俺の首にかけた。
「最大の功労者に何もなしでは始まらないでしょう!」
観衆たちが盛り上がる。
一本取られた俺は、苦笑するしかなかった。
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