第26話 山地の魔物討伐戦・4


 行きとは真逆の撤退戦が始まる。


「うおおお! 俺は死なん! マルクの睾丸をやつ自身に食わせるまではッッッ!」


 俺とシモン、ジネットは40人あまりで塊となり、バラバラに追ってくる敵の先頭を叩いては即座に逃走する動きを繰り返していた。


 ジョリとクザン、冒険者の女も一緒だ。

 責任を感じているらしい。


「閣下! ここは我らにお任せを!」


 走る先から呼びかけられる。

 2人の騎士志望者が、隘路の入口に立っていた。


「名前は!?」

「ボーエンヌ湖のアルニック!」

「並びにモーディエ!」

「我らに心の主君を守る名誉をお与えください!」


 ぐっ……!

 物語じゃよくある場面だが、実際にやられると胸が詰まる。


「湖の騎士たちよ! その武勲は必ず語り継がせるぞ!」

「閣下と共に戦えて光栄でした!」


 目に浮いてきた涙を拭って彼らの姿を脳に焼き付けた。一団が駆け抜けると、後ろから戦闘音が聞こえてくる。


 このような連中が他にも2、3組いた。

 おかげで、距離を稼いでなんとか危地を脱した。


 しかし……


「ここはどこだ?」

「完全に迷いましたな」


 窪地の岩に座って荒い息をつく。

 すでに日暮れが迫っていた。


 間道から先回りするトルニスたちと戦いながら逃亡するうち、ルートを外れて現在地すらわからなくなってしまった。数も20近くに減っている。


 誰しも肩で息をしており、体力の限界だ。

 ジョリは悔しそうにうなだれた。


「我々のせいでこんなことに」

「言うな。不利なのをわかっていて戦う決断を下したのは俺だ。トルニスの存在を無視してジョスランから槍を召し上げたのも、敵の騎兵を見くびったのもな」

「ですが……」

「組織の長ならわかるはず。勝つも負けるもすべての責任は俺のものだ」


 ぐったりと岩に寝転がる。


「誤算だった。敵の数も種類も想定以上。どこに隠れていたのやら」

「そこがわからねえ。こちとら本職だ。あんだけの数がうろついてりゃ見逃すなんてことまずありえない」

「戦い方にも違和感がありました。いくら統率があるといっても、あそこまで戦略的な動きをする魔物たちは初めてです。あれではまるで……」


 冒険者の女は言いよどみ、か細い声になる。


「人間の戦争」


 なるほど。

 冒険者たちはアンロードを軍勢と表現したが、あくまでも集団行動を取り、他の魔物よりも手ごわい戦いをする、程度の意味だったんだろう。


 俺たち外野はこれを戦争だと思っていたから、人間を相手にするような陣地構築をした。もしただの魔物と侮ったらもっと無残な結果だったのかも。


 全軍で正面衝突していたら危なかった。

 今さら考えても詮無きことだが。


「っ!」


 戦鼓と咆哮が聞こえてくる。

 どうもこちらの位置を捕捉しているようだ。


「終わりだな。もそっとやれると思ってたんだが」


 絶望的な空気が流れる。


「足が動く者は逃げてくれ。無理ならここで足止めを」


 反論する者はいなかった。


「シモン」

「なんです?」

「すまない」

「あのまま死んだように生きるよりは、ずっと満足してますとも」


 布でキツく縛られた足を眺める。

 彼は歯を見せて笑った。


「アタシも残る」

「ジネットはユリアーナの側近。ヴェルデン領の未来を託す旨と、軽率な判断をしたことへの謝罪を伝えてくれ」

「残る!」

「命令だ」


 ジネットは土を蹴り飛ばし、胸倉をつかんできた。


「死ぬならここで、一緒に死ぬ」

「名誉に捉われて視野を……」

「そういう意味じゃない!」

「ならどうして」

「わからないのかよ? わかってるだろ!?」

「俺は神じゃない。言葉にしてくれないと」


 彼女は心外そうに眼を見開き、真っ赤になって怒鳴った。


「アンタのことが好きなんだよッッッ!!」


 周囲で時の流れが止まる。


「子供の頃からずっと好きだった。最初はムカついたけどな! 身分違いなのはわかってる。抱いちゃいけない感情なのも、報われないのもわかってる。だからずっと慕うだけだった」


 空いているほうの手が腰に回される。


「そのうちユリアーナ様へ求婚しにきて、ああ、これで諦められると思ってたのに……。エスト様。どうして、アタシを護衛に指名したんだよ。どうして側に置いてからかう? ただの勘違いだってんならそれでもいい。でも、今日が最期の日なら! 答えを知ってから死にたい……!」


 ジネットはもはや半泣きだ。

 俺は深くため息をついた。

 否定と思ったのか、彼女の体がビクリと震える。


「ここまで言われては仕方ない」


 前世を含め、愛だ恋だにあまり関心はなかった。それを至上の価値として印籠のように振りかざす者たちは、文明人になりそこなった畜生の一種だとすら思っていた。


 今でもそうだ。


 だけど、魂が描く芸術を美しいと感じる心はある。

 たったひとつの命を誰かのために捨てる――。

 口で言うのは簡単だが、いざそのときに実践できる者がどれだけいることか。


 俺は今、この乙女が見せた真実に、魂レベルのエネルギーが生じるのを感じた。


 彼女が死すら差し出すというなら、こちらも望みを叶えよう。


 指の背でジネットの頬と髪を撫でる。

 驚愕と羞恥が彩る両目を覗き、顎を持ち上げて唇を近づけ――。


「だ、ダメっ!」


 突き飛ばされた。


 うぇえええええええええ!?

 な、なんです? それは。

 何なんですか? 超ショックなんだが?


「そのキスはユリアーナ様のものだから」

「え、なんで?」

「なんでって。お、お前……ホロール城の。まさか……。いや、なんでもない」

「ひとりで納得されても」

「とにかく! アタシはこれで十分なの! もう人生に悔いはない!」

「そんな」


 観客たちに爆笑されて最悪な気分を味わった。




 選抜した4人を逃がしたタイミングで魔物たちに包囲される。

 

「最も勇敢に死んだ者へホロール城を与えるぞ!」


 皆が呼応した。

 アンロードが吼え、魔物が一斉に攻めかかってくる。


「あー、クソッ、クソッ! クソッ! なんで今日なんだよ! でもお前らのおかげなんだよな! クソ魔物ども、ありがとなーーー!!」


 ジネットが訳のわからないことを叫んでいる。

 その隣でバケツ兜ちゃんも無双していた。


 半狂乱の攻撃はすさまじい勢いだが、しょせんは回光返照。ロウソクの最後の輝きのようなもの。ひとり、またひとりと傷つき倒れていく。


 俺も剣を振りぬいて首を刎ねたところで、体当たりされて仰向けに倒れた。


「エスト様!?」


 肩を踏まれて起き上がれない……!

 怪物が逆手に持った剣を高く振り上げた。

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