第29話 嵐がくる

「台風が上陸する前に、ご飯を炊いておいた方がいいな」


ビオラを連れて買い出しから戻って来た蒼さんが言う。


「何故ですの? もっと他にやるべきことがないかしら」


「停電になったら、食事に困るだろう。

腹が減ってはなんとかで、こういう時こそ食事は確保しておくものだ」


「蒼さん、素敵! 頼もしいですわ!」


ビオラがハートの目をして蒼さんを見ている。

いや、違うだろ。

親子ほどに年上のおじさんなんだぞ、蒼さんは。

そもそも、蒼さんは俺の父親だし、なんでビオラがハートの目で憧れなきゃいけないのだ。

ビオラが憧れるべき男は目の前にいるだろ、蒼さんジュニアがここに。

なんだか、モヤモヤする。


「紫音、側溝の掃除をしてきてくれ、水はけをよくしておかないとな」


モブ爺ちゃんに言われた通りに側溝の掃除に行くことにした。

境内の木々は風に揺れ、裏山の林はまるで波のようにうねっている。

側溝に落ちている葉っぱやごみを集めても、かき集めたそばから風に吹き飛ばされ、また側溝に落ちる。

これでは、いつまでやってもきりがない。

すでに、避難レベルの風だと思う。

こんな事しているよりも、家の中で防災グッズの確認をしてたほうがよさそうだ。

昼なのに、空はだんだんと暗くなりはじめ、世界の終末みたいな空に変わっていく。


「爺ちゃん、あまりにも強風で掃除なんかできなかったよ」


「そうか、ご苦労さん。じゃ、台所に行って手伝ってくれ」


そう言ってからモブ爺ちゃんは、蒼さんと一緒に倉庫から土嚢を出し始めた。

キッチンでは、ビオラがひとりで忙しく動いている。


「えっと、嵐の前に食事の用意なんて聞いたこともないし、したこともないわ」


「斉木家では、台風が近づいてきたら、

豚汁とおにぎりってメニューが決まっているんだ」


「何それ」


「簡単にできて、すぐ食べられて、肉も野菜もとれるだろ」


「なるほどぉ! 頭いいのね紫音」


「俺じゃない、家の伝統だ」


ここで俺が頭いいことにしても良かったが、それはさすがに婆ちゃんに悪い気がしたからやめた。


やがて雨が降り始めた。

風と雨が激しく窓に打ち付けて、がたがたと音をたてる。

ビオラと俺は黙々とおにぎりを握っていた。


「海苔、巻いてくれ」


「はい」


ビオラが海苔を巻きながら聞いてきた。


「台風って、日本ではよく起きるものなの?」


「夏から秋にかけては」


「・・・じゃ、紫音のせいじゃないわね」


「それが、今回はそうでもない」


「え?」


「俺がいろいろいじくったから、気候の流れに渋滞が起きたんだ」


「誰がそんなことを言ったの?」


俺は答えなかった。

言っても信じてもらえないだろうし、これは俺の問題だ。


しばらくすると、玄関でモブ爺ちゃんが叫ぶ声がした。


「紫音、タオルだ、タオルを持ってきてくれ」


モブ爺ちゃんと蒼さん、そしてクロードがびしょ濡れになって帰って来た。


「いやはや、すごい雨です。

陣太鼓は自治会館の二階に全部移動させてきたんだけど、例大祭できますかね」


「わからん、なんとも言えないな。蒼はどう思う」


「なんとかなるでしょ」


「お前はいつもそうやって楽観視する。昔からそうだ」


「人間が出来ることには限界がある。

そこから上は神様のなせる技だと親父が俺に教えたじゃないか」


「うむ・・・・そうだな。

これは人間の穢れを祓うために神様が起こしたものかもしれない」


俺はドキッとしたが、何食わぬ顔をしてタオルを渡す。


「親父、正解。そういうことだ。これは禊祓いだ」


蒼さんはタオルで頭を拭きながらそう言って、俺のせいだとは言わない。

俺が母さんに言われたことを知っているのに、わざと別の説をもっともらしく言う。

古文書を信じているモブ爺ちゃんにとっては、これが効果てきめんだった。


まだ台風は上陸していないのに、周辺の前線を刺激しその影響で風雨が強くなっただけだった。

テレビで見た衛星写真には大型の台風がだんだん近づいてくる様子が映し出された。

こんな大型台風が上陸したら、たまったもんじゃないな。


ついに川が氾濫したという情報が流れた。


「ルイは大丈夫なのか。俺、ちょっくら見てくるわ」


「よしなさい。ここを出たら危ない。

川が氾濫したということだ。行ったら戻れなくなるぞ」


「だって・・・」


モブ爺ちゃんはクロードを引き留めた。


「あそこは、ちょっと高台になっているから心配しなくていい。

それにルイならなんとかうまくやるだろう」


モブ爺ちゃんも何の確証もないのに楽観的じゃないか。


クロードはルイが心配なのだろう。さっきからずっと落ち着かない様子でウロウロしている。


「クロード、落ち着きなさい。

あなたを見ているとわたくしまで落ち着かなくなるわ」


「はい、お嬢様」


クロードが座ると、今度は床が振動しはじめる。


「貧乏ゆすりはやめてよ。ほんとイライラするわね」


「貧乏ゆすりなんかしていませんよ。ちょっと無職なだけです」


どどどどどどど・・・・・


「どこかで地滑りか」


「へ? 蒼さん、なんだって」


「山が崩れたかもしれない」


「蒼、携帯で岩佐さんに連絡とって、状況確認してくれ」


蒼さんが携帯を手に持って岩佐さんに連絡しようとしたときだった。

急にテレビの電源が落ちて消えた。

照明も消え、日中なのに家の中はうす暗くなった。


「なんですの!?」


「停電だ」


「ていでん・・・・・?」


「電気が通らなくなったんだ」


俺の説明でもビオラは理解できないみたいで、怯えている。

午前中のうちに準備しておいた防災袋の中から、俺は懐中電灯とランタンを取り出して灯りをつけた。

ビオラが食器棚の中からキャンドルを見つけてきて、それにも俺は火をともした。

暗闇の中から蒼さんが電話している姿がふわっと浮かび上がる。

蒼さんが岩佐さんと電話で話している様子をみているだけで、深刻な状況だということが伝わってきた。


「どうやら、隣の地区で土砂崩れが起きたようだ。

被害の内容はまだよくわからない」


テレビの音声が消え、暗い部屋にいると、自然と皆無口になり沈黙が続いた。

こういう沈黙に俺は耐えられない。


「そうだ、ラジオをつけよう。乾電池、乾電池っと」


俺はわざと明るい声で言いながら、防災袋の中をごそごそと探してみた。


「爺ちゃんの部屋にあるかもしれないぞ。待っとれ、取りに行ってくる」


「親父、懐中電灯持って歩いてくれ。

転んでケガでもされたら困る。

親父をおぶって病院へ連れて行くなんて嫌だからな」


「おう、そうだな。俺だって不肖の息子におぶわれたくはない」


「皆さん、まるで便所の100ワットですね。必要以上に明るい」


「クロード、今の冗談は寒いわ」


「あい、すみません」


クロードの言う通り、この嵐で暗い部屋にいて、皆は必要以上に明るくふるまっていた。

気力で不安を払拭しようとしているのだ。

雨はザーッと屋根に叩きつけ、風はごおぉっと鳴り、まるで魔笛のような音が部屋じゅうに響いていた。

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