第3箱 メリバ

「死んじゃってよ」



「……なんてね、冗談よ。気にしないで」



「……本当に好きなのよ」



「あなたは不器用なのよ。……いや、人間そのものが不器用なのかもしれない」



「単純なら、よかったのにね。人間も」



「最後にひとつ、聞いてもいい?」



「感じる……?」



「……そう」



「……痛いじゃない」



「あぁ。……ぁ」





 気まずい空気というものが苦手だ。息苦しさを肺で感じてしまうことに嫌悪感を催してしまう。


 いつもならしないこと、人間は真空のような気まずさによって、人の顔をうかがうことがある。それが本能に搭載されているかは知らない。僕は無意識的に、誰かに望まれている態度を選んでしまう。


 諦観が心を支配する。






「死んじゃってよ」


 いつも通り、軽やかに。そして華麗に言うさまを、僕は好きになったのかもしれない。誰に対しても傍若無人に、洒洒落落と振舞う彼女の姿に、以前の僕は好意を抱えていた。


 もしくは憧れという感情。愛情とはかけ離れた、また違う一つの感情。


 彼女の言葉に、その一言に感情が含まれているのかを、僕は知らない。本当に死んでほしいから言葉を吐くのか、そういった振る舞いをするだけして、過ごしているのか。


 


「……なんてね、冗談よ。気にしないで」


 小悪魔らしい態度。揶揄っている、そんなことを含ませるような補足の仕草。そんな笑顔でさえも美麗で、他の人もそんな笑顔にほだされるのだろう。そんなところが僕は好きだった。


 


 


「……本当に好きなのよ」


 彼女は媚びへつらうような声音で僕をくすぐる。


 

 



 


 


「もしかしたら、あなたは不器用なのかもね。いや、人間そのものが不器用なのかもしれない」


               僕はその言葉に同調した。僕は不器用だ、不器用でしかない。人間という生物が不器用なのかどうかはわからない。でも、僕たちは生き方が不器用だったように思う。


 


 



「単純なら、よかったのにね。人間も」


 




「最後にひとつ、聞いてもいい?」


 

 






「感じる……?」


 僕は何にも答えることはできない   。


 肯定の意、頷きながら、うなだれるように力が抜けていく。


「……そう」


 興味がないように、  言葉を返す。


 


「……痛いじゃない」


                彼女はそう言葉を吐いた。


 そんな痛みを与えたのは僕だ。


「あぁ。……ぁ」





 気まずい空気というものが苦手だ。息苦しさを肺で感じてしまうことに嫌悪感を催してしまう。


 いつもならしないこと、人間は真空のような気まずさによって、人の顔をうかがうことがある。それが本能に搭載されているからかは知らない。僕は無意識的に、誰かに望まれている態度を選んでしまう。


 諦観が心を支配する。


 もう、だめなのではないか。この関係性は終わりなのではないか。


 愛しいはずの彼女に対して、そういった気持ちが表れない。


「死んじゃってよ」


 いつも通り、軽やかに。そして華麗に言うさまを、僕は好きになったのかもしれない。誰に対しても傍若無人に、洒洒落落と振舞う彼女の姿に、以前の僕は好意を抱えていた。


 もしくは憧れという感情。愛情とはかけ離れた、また違う一つの感情。


 彼女の言葉に、その一言に感情が含まれているのかを、僕は知らない。本当に死んでほしいから言葉を吐くのか、そういった振る舞いをするだけして、過ごしているのか。


 でも、その言葉だけで十分だ。


「……なんてね、冗談よ。気にしないで」


 小悪魔らしい態度。揶揄っている、そんなことを含ませるような補足の仕草。そんな笑顔でさえも美麗で、他の人もそんな笑顔にほだされるのだろう。そんなところが僕は好きだった。


 今の僕は気まずさに侵食されているようだ。顔が厚く、重く、動くことが容易ではない。


 真顔なのかもわからない。重力が顔を引っ張っているような気がする。こわばった顔を浮かべている自信がある。


「……本当に好きなのよ」


 彼女は媚びへつらうような声音で僕をくすぐる。今までの僕ならば、そんな言葉に喜びを抱いた、悦びを抱けた。それが踊らされているという自覚があっても、そのまま踊らされていようと思うことができた。


 だが、今の僕にはそれはできそうもない。


 彼女を信じられない僕がいる。彼女の一言は、今の僕に対して何か生まれるものがない。感情は何も介在しない。彼女の一言は、今の僕にとって何の効果があるというのあろう。


 僕は鋭さのある刃を後ろ手にして隠した。


「もしかしたら、あなたは不器用なのかもね。いや、人間そのものが不器用なのかもしれない」


 彼女は言い訳のような言葉を吐いた。僕はその言葉に同調した。僕は不器用だ、不器用でしかない。人間という生物が不器用なのかどうかはわからない。でも、僕たちは生き方が不器用だったように思う。


 ──振りかざすか?


 ……未練が残る。この声をまだ心に浸していたいという気持ちが、この先の行動を鈍らせていく。ためらう意思があったことに、僕は自分自身で驚いてしまった。


「単純なら、よかったのにね。人間も」


 僕は言葉を吐いた。


 ──殺すことができるだろうか、彼女を。


「最後にひとつ、聞いてもいい?」


 僕は彼女に言葉を吐いた。


 最後の疑問とともに、行動をする。


 疑問とともに、僕は振りかぶった。


「感じる……?」


 僕は何にも答えることはできないだろう。そんなことを思っていた。言葉はもう聞こえてこないと、期待していた解答はそこにはないと。


 だが、その意に反して、彼女は反応を返す。


 肯定の意、頷きながら、うなだれるように力が抜けていく。


「……そう」


 興味がないように、僕は言葉を返す。


 刃は彼女の柔肌を奥深くまで貫いている。刃物の柄には、赤色の液体が垂れていった。


「……痛いじゃない」


 性を交わうときの感想のように、彼女はそう言葉を吐いた。


 そんな痛みを与えたのは僕だ。躊躇っていた気持ちは罪悪感へと変わり果てていく。どうしようもない謝罪を心の中で口にしながら何度も刃を振り下ろした。


 生ぬるい血液。手元、頭、皮膚に、障る、感触。


「あぁ。……ぁ」


 途切れるような声は、そうして消える。


 ただ、静かな僕の呼吸だけが、そこに広がるだけ。


 声は、もうそこにはない。

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