第22話 過干渉を通り越した母性 2

 彼女には確かに、自分の家族や親族に対する深い愛情があった。

 2人の息子さんと娘さんに対する母親としてのそれは、確かに本物だった。

 そのことには、疑いの余地などありません。

 だが、彼女のその愛情の正の側面というよりも負の側面というのがどこにあるのかということを、私は高校受験の失敗という事件を通して嫌というほど思い知らされることとなりましたね。

 何よりまずしっかりと指摘しておくべきは、この母親の大問題点です。


彼女の愛情の負の側面。

 子どもたちへの過剰なほどの干渉、それも単に実務レベルのことにとどまらず精神面における干渉の度合いというのが、ね。


 そのことが、息子さんたちの中学浪人や大学受験において芳しい成果を挙げられなかったこと、無駄に時間を費やさせる羽目になったことにつながったのではないかと思えてなりません。

 無論当時は、今以上に子どもの数が多く競争も激しかったというきらいはある。だからね、中学浪人なんて普通にあったし、大検なんて知られていなかったからなおさらのこと。

 ただし、知らなかったで許すほど私は甘くないからな。まあ私の姿勢云々はさておき、そういう問題にとどまらず息子さんたちが少しでも早く自立に向う方向にかじを切らせるどころか、そういう方向に行かせようと口では何なり言っていても、実態は単に足を引っ張っているようにさえ思われてならなかった。

 その正体を一言で言うなら、これではないでしょうか。


いつまでも母親でいたいという強い思い = 子らを支配し続けたい願望


 私は小学校3年のときからで、しかも実の息子でもなんでもなかったからまだいいでしょうが、息子さんたちは生まれてこの方というわけですからね。

 だからこそ、自分の息子として母親の支配下に置いておきたいという支配欲のようなものが感じられた。それは私にも明らかに向いていることが、あの3年間でもういやというほどわかりましたよ。肌身どころか心底から、ね。


 金を出すわけでもない、何かノウハウがあるわけでもない、でもモノだけは言わせろと。そういう世間知らずのバアサンの戯言など、誰が聞くかって話にもなろうものです。本来なら、その程度の扱いであしらわれるのがオチだよ。

 それがところが夏に冬にあのお宅に行っては、恩着せがましげにはした飯などつままされて。そのあかつきには、気分のいいものではありませんでした。


 じゃあ、子どもの頃、小学生のあの頃の愛情はうそだったとか偽りのものであったのだとか、って?

 さすがにそれはないのよね。無論、そんなことを言うつもりもありません。

 それが偽りだということであれば、むしろ話は早かろう。

 そうでないからこそ、性質が悪いわけです。


 社会の厳しさのヘチマの、このあたりの言動は当時の某園の職員らも同じようなものでしたが、それ以上に世間の狭い母親のこういった形で出ている言動はねぇ、なまじ以上の愛情が奥底から湧いて出ているだけに性質が一等悪い。

 こういう人間の特徴として、自分の言動は相手が憎いとかましてや恨みがあるといったものではなく、相手のためを思って言っていると、ことある毎にわざわざ公言するときておるのよ。さすがに「利益」なんて言葉は使えないところがオチね。

 そういう思いを持たれているだけに、性質があまりにも悪いのよ。

 そのくせ、内容のある話なんかありゃしない。

 たとえば定時制高校の認識なんかこうよ。

 彼女にはしょせん、御自身が若い頃の勤労学生の学びの場という程度の認識を出るものではなかった。当然、私が当時見聞きしていた状況とは全くと言っていいほど違うのは言うまでもないです。それでも、為を思えば免罪符は既にあるとばかりに好きなことを見境なく言ってくるわけ。

 しまいには私も、このバアサンの言うことなんか聞いておったらこちらの人生が詰んでしまうわと、そこまで思うようになっていました。


 彼女のおためごかしの言動は、私が増本さん宅に泊り込みで行っていた最後の3年間、夏と冬の一時期にもうしつこいくらいに続いたね。それに加えて食卓ともなろうものなら、下の息子さんまでが、ああでもない、いやこうだと、こちらも母親に負けず劣らず好きなことを言い出すわけだ。

 上の息子さんは、そこまでひどくなかった。私が大学に行くまでには薬学部を卒業して薬剤師として就職されていましたから、ね。

 先ほど述べたお姉さんの方は、すでに家を出ておられたから特にその後大学入学後に至るまで、それほどの接触はなくなっていました。

 そのうち子どもさんも生まれて、時々その子もつれてこられていたみたいね。


 こうして、私がどうこうはさておいても、息子さんたちと娘さんがどんどん自立していく過程で、増本さん宅は徐々に変わっていきました。上の息子さんも程なく結婚されて子どもさんも生まれましたからね。それは確か私が大学に入って間もない頃だったように記憶しております。

 裁判所書記官をされていた親父さんも定年を迎えられ、業務経験で取得していた行政書士資格を活用して自ら行政書士事務所を構えて仕事されるようになっていました。こうなってくれば、何もその家に家族が同居する必要性なんてなくなってきますよね。そりゃあ、いくら母子間がべったり感の強い家庭であったとしても。


 結局、私自身はその増本さん宅に高校時代は合計6回、1回につき4泊5日が6回で、正味24泊させていただいたことになります。当時の関係者には意外に聞こえるかもしれないが、あの頃は本当に苦痛でした。

 その苦痛の実態を、私なりに思い出せる範囲で何とか述べてみます。


 結論を先に申しておきましょう。

 高校入試以降の増本さん宅でのやり取り、少なくともかの母親絡みのものに対しては、正直、当時の私にとってもそうですが、今思い出してみても糧となるようなものなど何ひとつありませんでした。

 ただただ、それまでの惰性で毎年夏と冬に泊りがけで行くだけでね、行ったところで家で何かするでもなし。

 某園から持ち込んでいた自転車に乗って、毎日どこかに出かけていました。

 今でも覚えているのは、最「期」に泊り込みとなった高3の冬の正月明け。ある程度勉強もまとまってきていてね、ちょっと息抜きとばかりに後に岡山市が政令市となったときに中区役所になったメディアコムという場所に行って、イギリス映画の炎のランナーをレーザーディスクで観ましてね。それは何故か覚えている。

 そうでもなければ、進研学院という予備校があって、そこで勉強していました。

 大体、当時の某園自体がおよそ勉強できる環境ではなかったというよりまともに住める環境じゃなかったからね。今思い出すのも、これまた不愉快だ。その某園に加えて増本さん宅だ。行けばむやみやたらに人の人生に土足で入り込んで暴れるような真似をされるわけで、そりゃあいい気分なわけもないわ。

 よくまあ、あんなひどい環境で生き永らえたものですわ。ったく、よう。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 まだ8時30分には至っていない。作家氏はいったん動画のボタンを自らクリックして小休止を図った。そしてペットボトルの珈琲を冷蔵庫から取出し、自分のグラスに入れ、一口かそこらを体内に流し込んだ。


「その頃のせーくんにとっての逃げ場って、どこかあった?」

「正直、どこにもなかった。強いて言えば、一人でどこかに行って何かをしているときだけが逃げ場と言えた。そこでは確かに、自らの力で生きているという実感を得られた。当時の関係者とは、今はほとんど縁が切れている。無理もなかろう。何が悲しくて、・・・。もうええ」

 もうええと宣言した作家氏、目の前のグラスを飲み干した。

「でしょうね。今のお話は、あなたにとって自ら求めて得たものではなくて与えてやろうと他者が恵もうとして、現にあなたに与えてきたものばかりじゃない。そんなものがよもや身に着いてためになるなんて、まずないでしょうね」

 少し年上の女性が、言葉を選びながら何かを探るかのように作家氏に尋ねる。


「それはもう、しゃあないわな。某園はともかくとして、こちら増本さん宅というのは、そもそも高校時代の私に対して何かの権限を持った保護者でも何でもないわけですよ。それにもかかわらず、人の人生を好き放題論評されたあかつきには気分のええわけもないわ。たいがいにさらせよとしか言いようがないね、今さらながらではあるけれども」

 作家氏の弁が少し止まったところで、目の前の少し年上の女性がペットボトルに残っていた珈琲を彼のグラスに注いだ。


「少し角度を変えてお話されたら?」

「そうやね。ちょっとだけ休ませて」


 彼はいったんユニットバスに駆け込み、息を整えた。


「ほな、やるわ」

 そう宣言した作家氏、自ら動画ボタンをクリックした。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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