第11話 なりません


「こちらだ」


 敷地内に入ると、柊太郎が待っていた。柊太郎は、二人に向かいそれぞれ手を差し出した。そこには、僧侶が身につけるような、黒い誌公帽子しこうもすがあった。これを被れば、この闇の中では顔はほとんど見えないだろう。


「これを身につけて、着いてきてくれ」


 椋之助と伊八は顔を見合わせてから、言われた通りにした。そして歩きはじめた柊太郎の背中を見ながら進み、屋敷の中へと入り、廊下を歩いた。案内されたのは、時景が横になっている床の間の隣室だった。


「伊八は儂と共にここにおれ。椋之助、失礼の無いようにな」

「分かりました、兄上」


 伊八も頷き、立ち止まって座した柊太郎の後ろに控える。それを確認してから、ゆっくりとふすまを開けて、椋之助は床の間へと入った。中では、ほとんど初めて顔を合わせる時景が、上半身を起こし座っていた。


「ご無沙汰致しております、時景様。柴崎家が次男、椋之助です」


 深々と頭を垂れ、椋之助が名乗った。傍らに、薬籠を置く。


「堅苦しい挨拶は不要。よく来てくれた」


 すると不思議と聞き覚えがあるようで、無いような声が響いてきた。小さく首を傾げてから、椋之助はすぐに、長崎での実験で、自分の声を聞いた時のことを思い出した。


「顔を見せてほしい」

「……はい」


 頷きながら時景の顔を見つつ、ゆっくりと椋之助は誌公帽子を取り去る。結果、うり二つの顔が、向き合うこととなった。時景の顔は、椋之助と全く同じと言っていいつくりだった。で違いはと言えば顔色の悪さだ。椋之助も色白のほうだが、それを通り越して時景は青白い上、少し頬がこけている。あとは痩身である点や、椋之助の方は総髪であることなどが差違だろうか。服装も身分も勿論違うが、鏡で映したかのように、二人は似ている。


「手紙のやりとり、とても楽しかった」

「――恐悦至極に存じます。恐れながら、私も楽しく筆を執らせて頂きました」

「椋之助……そなたは、顔を見れば分かったかとは思うが、儂の双子の弟だと聞いている。本来であれば死産として殺めたところを、それができずに父上と周囲が相談し、柴崎家に里子に出したという話だ。つまり儂とそなたは血を分けた兄弟だ」


 苦笑するように語る時景を見て、椋之助はゆっくりと瞬きをした。


「驚いたであろう?」

「いいえ」


 しかし間髪入れずに、はっきりとそう答えた。すると逆に時景が驚いた顔をした。


「幼少時より、恐れ多くも殿に顔が似ているとは言われ続けて参りました。また私は時景様に会わせて頂けなかったため、常々その理由を考えていたのですが、腑に落ちた思いです。考えてみれば、過去に幾度か、時景様に間違われたこともありました。いいえ、過去もなにも、どうやら先程も、時景様に化けた狐狸だと疑われたようですね」


 納得がいき、くすくすと椋之助が笑う。時景は不思議そうな眼差しでそれを見てから、静かに微笑した。


「手紙と同様に、そなたは変わったことを言うのだな」

「ああ、こちらの話をしてしまいましたね。それよりも、時景様。ご体調はいかがなんですか? どのようなお具合ですか?」


 椋之助が訊ねると、時景が右手で喉に触れた。


「今は収まっているのだが、前に風邪をひいてから、咳が止まらなくてな」

「なるほど」

「もっとゆっくり話がしたい。酒を用意させる。今宵、この部屋の周囲にいる者は、皆儂達のことを知っている者ばかりだ。誰か」


 伊八は果たして知っていたのだろうかと思いつつ、椋之助は立ち上がった時景を見る。身長まで同じようだ。時景は少し歩くと、煙草盆の前で屈み、それからそれを手にした。


 こうして柊太郎と伊八がいる部屋とは別の襖から酒が運ばれてきて、時景が手ずから運んだ煙草盆を差し出す。思わず椋之助は腕を組みそうになった。だが片手では薬籠を持ったため、そうはしなかった。


「はぁ、美味いな」


 煙草を飲み始めた時景が、開け放した襖の向こうに見える、空の月を見上げた。

 雨はすっかり上がっていて、今は月光が雲の輪郭を際立たせている。

 煙管から口を離してゆっくりと煙を吐く時景の横に座り、椋之助は酒盃を見る。薬籠はすぐそばに置いた。


「飲んで少し語ろう」

「なりません」

「何故だ? やはり……儂や殿を恨んでおるか?」

「いいえ、そうではなく。煙草も酒も、ならないという事です。若様、今より煙ではなく、こちらをお飲み下さい。咳が治まるまで、煙草も酒も厳禁です」


 薬籠から薬包紙を二つ取り出した椋之助は、それを時景に差し出した。


「それは?」

「龍角散です。毒ではない証明に、片方は私が飲むとしましょうか」

「いいや、それは不要だ。毒だったならば、それまでのこと。儂はな、実を言えば、儂の死後について考えて、前々よりそなたに頼みたいことが一つあったのだ」


 薬包紙を受け取った時景は、そばにあった水で、それを服用した。

 それから改めて椋之助を見据える。


「儂は体が弱い。殿と儂のどちらが先に逝くかも怪しいほどだ。そうなれば、儂の嫡男・敦之助あつのすけはまだ五歳……一人、遺されてしまう。その時頼れるのは、勝手な話だが、椋之助ではないかと思ってな……」


 真摯な眼差しで語る時景の言葉に、椋之助が短く息を呑む。


「どうか、敦之助に目をかけてやってもらえぬか? なんなら……儂が死んだ際、儂に代わってもよい」

「なんという事を仰るんですか?」

「確かに、上様を騙す大罪とはなるが、敦之助のことを考えると……」

「そうではありません。何故死ぬなどと仰るのですか? 時景様、そのような事を言うのなら、今後は定期的に私に診させて下さい。私が毎日でも往診に来ます。きっと寿命を延ばしてみせましょう」


 力強い声で椋之助が述べると、時景が目を丸くした。


「第一、私は好きで医者をやっているんです。藩主などやりたくありません」


 きっぱりと言いきった椋之助は、それから時景の目を見て続けた。


「確かに、血が水よりも濃いのは事実かもしれません。ですが、私の父は惣右衛門であり、兄は柊太郎、叔父は凌雲。私は柴崎家の者です。若様の弟ではなく、家臣です。いいえ、弟であっても一家臣、いくら双子で同じ日時に生まれたからとはいえ、それは変わりません。出てきた順番の差は大きいんです」

「椋之助……」


 呟くような時景の声を聞いてから、椋之助は柔和な笑みを浮かべた。


「そしてどちらも必死に生まれてきた、それは、それぞれがするべき事をするためでしょう。私のするべき事は、医学で少しでも多くの皆を救うことです。家臣として、勿論敦之助様の事も大切にいたします。それは心の中では叔父・甥だと思っていたとしても、表面上は同じ事です。端午の節句、来年からは私も柏餅をお届けしなければ。きっとこれからは、許されるのでしょう?」


 そんな椋之助の言葉に、小さく笑って時景が頷いた。

 この夜二人は、遅くまで語り合っていた。



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