宿に

 傘松公園から北上して伊根に。


「ここなのか」


 ここだけなら海辺の田舎町だけど、


「舟屋って海に向かって作られてるから陸からじゃわかりにくんだよ。でもほら、あの辺なんか舟屋っぽくない」


 たしかにあれがそうかも。


「あそこから見えるのじゃない」


 バイクを停めて見たら舟屋だ。それもあんなに並んでるのか。


「あんな写真が観光案内に良く出てたよね」


 こんな感じだった気がする。ここは遊覧船の予定だけど、そろそろのはず。あったあった。さっそく乗り込んで、


「カモメがいっぱい集まってくる」


 遊覧船に乗り込んだらたくさん集まって来た。餌付けされているみたいだ。


「きゃっ」


 チサさんも餌遣りやったけどカモメも上手に餌を取るものだ。無邪気そうにハシャいでいるチサさんお笑顔はひたすら眩しい。チサさんにはあの笑顔が必要で、それを守らないといけない。


 理由はわからないけど、それはボクなら・・・なぜか出来るそう。よくわからないけど、ボクはあれだな、選ばれた男になるのかな。伊根湾の遊覧船を満喫して、


「この辺に泊まるの? なんか雰囲気の良さそうな旅館みたいなのもあったけど」


 それも考えたけど天橋立に引き返すよ。今日、伊根まで回ったのは明日の帰路の関係もあるからね。


「帰りも遠いものね」


 そうなんだよな。明日もノンビリなんかしていたら、


「夕暮れの渋滞ラッシュに引っかかるものね」


 そういうこと。伊根から引き返して来てあそこだな。天橋立の方に行きたいから橋の側道を行くよ、


「この信号を左ね」


 一本道で行けるはずだけど、


「なんか寂しいところね」


 この辺は天橋立と山一つ挟んだ西側になるのだけどなんにもないな。観光客だってここまで回らないというか、行くのなら伊根から走ってきた国道一七八号を素直に使うだろう。それでも阿蘇海のシーサイドツーリングを楽しめると言えるけど、


「宿までもう少しだよね」


 さすがにくたびれた。朝から何時間走ってるかだもの。お腹も空いてるし、お尻だって、腰だって、肩だって痛いもの。もうゆっくりしたいのはボクだってそうだ。


「こんなんで今晩頑張れる。ちゃんとバイアグラ持ってきた?」


 そんなもの持ってきてないよ。若い時みたいにいつでも、どんな時でもスタンバイ出来るとまで言わないけど、まだまだそんなクスリに頼らなくても頑張れる・・・はず。


「あら頼りないのね」


 そう言うな。若さは戻らないんだよ。でもね、ああいうものは相手によって変わるんだ。体調も大事なのはもちろんだけど、やはり大きいのは精神だ。ましてや今夜の相手はチサさんだ。精神が肉体を凌駕するに決まってるじゃないか。


「バツイチのオバサンの裸を見て萎えませんように」


 ここは半島状になっていて、この半島から天橋立は延びてることになる。道が緩やかなカーブになってるから、もうこの辺になるはずなんだけど・・・ここみたいだ。


「えっ、ここ」


 そういうな。悪くないはずだよ。


「なるほど、ここからなら天橋立が見えるのか」


 バイクを停めて部屋に案内されたのだけど、


「メゾネットになってるじゃない。それにしても良い宿ね。チサと頑張るにはオシャレ過ぎるよ」


 メゾネットというよりロフトかな。一階はリビングで良いと思うけど、


「ここで今夜は頑張るのね」


 二階がベッドルームになっている。


「これも贅沢ね。窓から天橋立が丸見えじゃない。今夜はあんな風に繋がろうね」


 言うまでもない。ぎっちり繋がってやる。それと小さな宿だから大浴場はなくて、


「一緒に入ろうよ」


 まだダメだ。


「ホントに堅物なんだから、オバサンのヌードなんて見たくないとか」


 見たくない訳がないだろうが。でもケジメは大切だ。交代でお風呂に入ってツーリングの汚れを落としまずは夕食だ。だからタオル一枚で出てくるなって。


「どうせ今夜は全部見るし、楽しむのだから良いじゃないの」


 だからまだだって。この宿はオーベルージュとなってるけど、日本語に訳したら料理旅館で良いはず。宿泊施設だけど料理にこだわりが強い宿ぐらいになるはずだ。それとオーベルージュとなってるけど純粋なフレンチって訳じゃなく、フレンチの技法も使うけど基本は懐石のはず。


「懐石料理って日本の伝統料理なんだけど、発想が柔軟なのよね。他の料理技法を平気で取り込むもの。今晩は期待できそう」


 ああ期待してくれ。きっと満足してくれるはず。謳い文句はそうなってた。食事はダイニングルームで頂くのだけど、


「これ美味しいよ♪」


 チサさんが美味しいものを食べるときの笑顔は本当に幸せそうだ。今夜は今まで見た中でも最高で、この世の最高の笑顔を集めたぐらいに素敵だもの。


「やっと来れたね。ここまで来れただけでチサはどれだけ感謝しても足りないと思ってるもの。そのお礼じゃないけど、せめて今夜は思う存分楽しんでね。」


 もちろんだ。


「もうはっきり言うようになったんだ。だったらもうチサって呼んでよ」


 わかった。もうチサと呼ぶ。


「やっとそう呼んでくれて嬉しい」


 結局初々しいステップは踏ませてくれなかったな。でも心はもう通じ合ってるから目を瞑ることにする。食事も進んでお酒も少し入ってほろ酔い加減だ。よしボクの切り札を出すぞ。さすがにドキドキがどうしようもないけど噛みませんように。


「チサ、今夜は二人の初夜だよ。それでね、これから死が二人を分けるまで続く夜の始まりになる。チサ、結婚しよう。必ず幸せにするって誓う」


 噛まずに言えたぞ。ちょっと早口だった気がするけど満点になんて出来るものか。問題はチサのリアクションだけど俯いちゃったか。


「コウキのその言葉だけでチサは生きていける。最後の最後にそんな事を言うなんて卑怯だよ。二人に初夜も、永遠の夜も、ましてやチサの幸せなんてあるものか。今夜はチサを楽しむだけ楽しんで終わりにする夜よ」

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