サンクスギビング

黄間友香

第1話

 アメリカの祝日で一番寂しいのはサンクスギビングだ。

 アメリカの学生は各々地元に帰り、留学生もお金があれば旅行へと出ていく。11月が始まるとだんだんと浮き足立って、ポツポツと授業に空席が出始めると、鬱陶しく思う。サンクスギビングは多くの生徒や先生たちにとって免罪符だから余計に、それを使えない自分の不利益を思って苛立たしい。

 いざ休暇に入ると、学校周辺は様変わりする。ほとんど車通りがなく、ひっそりと残っているのは一人の人間たちだけ。家族がアメリカ内におらず、金もない私にはただの長い休日だった。

 この時期というのは雪の年もあれば何もない年もあるが、いずれにせよ11月の末は寒い。普通の休日なら、家にずっと篭っている。でも、流石にこの長い連休を一人寂しく過ごすのは堪える。映画を見たり、本を読んだりはもちろん、コーヒーミルを引っ張り出してきてコーヒーを淹れてみたり、お菓子を焼いてみた。その間、ぐるぐると思考は何度も同じところを通り過ぎて行き、私はムシャクシャとしたまま。

 このまま部屋で過ごすままだとどんどんと話を暗い方向に進めてしまう。私は、小雨の降る中大学を横切り、学生街の閑散さを見に行った。ほんの5、600メートルほど一つの道に、れんが造りで赤い屋根の建物が並んでいるのを私たちは街と呼んでいた。学校のグッズを売っている店と、個人経営の様々なレストラン、スポーツバーが並んでおり、金曜日や週末は、呑んだくれた学生たちがゲームの試合に一喜一憂している。他に何もない田舎で、ここだけが賑やかなのだ。

 でも、サンクスギビングとなればまた話は別になる。どの店もカーテンを閉め、七面鳥の絵を描いた『休業のお知らせ』をドアに貼ってある。私は街のしんとした姿を写真におさめた。どんよりとした街は、どことなく色味も薄い。何もできないのだから数枚写真を撮っただけで、やる事は終わってしまった。

 運転手だけが乗っているバスが通りかかった。ちょうど水溜りにタイヤが突っ込んだらしい。派手な音を立てて水しぶきが上がった。

くそだなShit

 とっさにカメラは死守したものの、下半身はずぶ濡れだった。


 学生のいない教室はほとんど閉まっているとはいえ、休暇中でもいくつか空いているところがある。私は講堂Auditoriumは開いているのを知っていた。冬は頬を切る様に寒いというのに、濡れたまま立っていたら確実に霜焼けになってしまう。Uberを頼んだところで、出回っている車は少ないだろう。幸い歩いてすぐなので、そこに身を寄せることにする。

 創立当初からある講堂は濡れて重々しく、より古めかしく見えた。入り口は出資者の銅像が置いてあり、鈍い光を放っている。

 私が講堂に来た理由はもう一つある。一角に談話室というソファが置いてあるだけの部屋があり、暖炉の火が灯っているのだ。普段、授業の合間に行っても人が沢山いるところだけど、今日なら独り占めできる。

 暖炉のそばに行くと、私は思わず声をあげそうになった。寝転んでいたのは、ボロボロのブランケットにくるまった男だった。すぐ隣には大型犬が寝そべっている。雑種らしく、いろんな犬の特徴がパズルの様に組み合わされているという印象を持つ。ゴールデンレトリバーの様な体格で、鼻がぺちゃんこだからブルドックか何かの血も入っているのかもしれない。キリッとした顔立ちと目はどこかシベリアンハスキーを連想させる。犬には赤い首輪がしてあり、マーティンと書かれたネームタグが付いていた。毛は薄汚れた灰色で、ボソボソとした塊があちらこちらに出ている。男の方も、髪と髭が伸びっぱなしになっていた。それなのに全体的に薄くて頭皮が見えている。顔は酒と日焼けで赤く、ホームレス特有の酸っぱくて雑巾みたいな匂いがする。見た目は私の親と同じぐらいに見えるけども、老け込んでいるだけでおそらく30代後半ぐらいだろう。

 ホームレスが講堂にいること自体はさして珍しいことではない。談話室に普段よりも生徒が明らかに少なければ、ホームレスがソファに寝そべっている証拠だ。普段彼らは静かだから、怒ったりとか害がない限りは誰も話しかけないし、追い出そうとはしない。

 講堂にいるのは時々だけれど、街の教会やちょっとした広場には常にホームレスがいて、私たちはそれが当たり前のようにすれ違う。時々、泥酔したり薬でハイになったホームレスたちが大声を上げているのを見ると、普段よりも足を早めるぐらいだ。同じ町で生活しているのに、排他的でそういうものなのだと思ってきた。

 問題なのは今日、私と男しか講堂にいないということだ。私がくしゃみをすると男が振り返った。

ハクションBless you

「どうも」

 男はボソボソと何か喋っている。

「小銭あるか?」

 私が聞き取れたのはそこだった。私は首を横にふった。

「何か、くれるものはないのか」

 生憎カードしかない。講堂にはスターバックスやフードコートが内接されているが、全て休みだろう。私はそこで待つようにと男に言い、自販機を探してカードでM&Mとスニッカーズ、水を買った。

 買ったものを差し出すと、ありがとうと言われて全て引ったくられた。元はカーキー色らしきジャケットのポケットの中に、お菓子を入れている。

「すみません、手持ちがなくて。これでよかったですか?」

「もちろん。なんだって良い。マシュマロがあればそこで焼いてもよかった。金をくれたら酒に変えた。それだけだ」

 男は床にぺちゃんこになって落ちていたナップザックを開けて、へこんだブリキの平皿を取り出した。水を開け、たっぷりと注いでやると、すかさず犬が夢中で飲み始める。

「こいつはマリオだ。触るか」

 首輪の名前とは違った。マリオは伸びすぎた毛のせいで、目がすっかり隠れてしまっていた。くすんだピンク色の舌を出して、ぺちゃぺちゃと水を飲んでいる。男が好意から言っていることはわかっていたが、変な病気やダニでもいるんじゃないかと思うと、進んで触る気にはならない。

「犬アレルギーなんです。触ったら全身痒くなる」

 男と一瞬目があった。濁った青い目をしていた。もちろん私の嘘なんてさっさと見抜いているだろうし、かと言ってそれに逆上して反論をするという訳ではなかった。男の視線はすぐに私を通り過ぎてもっと遠く、ガランとした談話室の先に向けられた。

そうかFine


 暖炉は広い部屋に一か所だけで、半分ぐらい飾りめいたところもあったから、足と靴を乾かすには暖炉に近づきすぎるぐらい近づかなければいけない。私たちは磁石のSとSみたいに、一定まで近づいたら反射で遠のいていく距離の様なものがあった。でも、互いに席を譲る様なことはしなかった。匂いを我慢しなければいけなかったけど、私はホームレスの隣に腰掛けた。かかとをソファの腕に載せると、いずれ靴底から熱がやってくるだろう。

 肌が荒れてひび割れている腕に、鯉のタトゥーがしてあることに気がついた。マリオは呑気にあくびをして、うとうとし始めた。

「どうしてホームレスなの」

 男が眉だけ釣り上げた。私はホームレスとの会話の仕方を知らなかった。けれど、こんなに至近距離にいては何も喋らないのがおかしい様な気もする。

「それは、お前にどうして学生なのかと聞いてる様なもんだ」

「軍人だったとか?」

 もともと軍隊にいて、ホームレスになった人間はよくいる。そういう人たちは、がっしりとした体つきで、全身にタトゥーが入っていた。だが、男はそれも否定した。

「ホームレスになる前は何してたの?」

「コンサルタント」

 男の声が、寝起きみたいにモゴモゴとしたものから、急にTVで聞く様なはっきりとした英語になった。


 ホームレスはサミーという名前で、私でさえ聞いたことのある大企業に勤めていたらしい。リーマンショックの波を受けて、大量に解雇や自主退社を募った際、サミーも職を失ったという。

「あっけなかった。上司にちょっと部屋までくる様にと言われて。ブラインドを締め切ったガラス張りの部屋だった。本当ならマンハッタンが見渡せる様ないい部屋だ。だが、その上司とはほとんど関わり合いがなかったから、結局どんな景色が見えたのか分からない。その上司が言うんだ。『分かってると思うけど』って。まぁ、代わりに誰だってできるというのは仕事をしていた俺自身が知っていたんだ。だから俺もただはい、って答えた。ちょうどいい様に使われたんだ。上司は哀れんでくれたけど、俺が嫌だとわめいたところで同じ様な目をしてただろうな。俺はすぐに段ボール箱をもらって、荷物を全部詰めて出てった。皆俺のことを見ないように必死に仕事をしていた。いや、人が減ったせいで回ってきた仕事が忙しかったのかもしれない。そんなことはいいんだ。とにかくあのタイミングで、20代の、今一番働き盛りのくせに職がないというのは堪えるだろう」

「それはそうだけど、大企業に勤めてたら、次の就職先は困らなさそうだよ」

「多分他の時だったらそうだったと思う。無能だから解雇された訳じゃないって証明できるぐらいには、年数働いていたからな。だが、リーマンショックは相当デカかった。どこも人をリストラするだけで雇わなかった。……まぁそもそも一日18時間ぐらい働いてる様な生活にもうんざりしてたんだ。仕事があってもなくても人間らしくないなんてふざけてる。次の仕事を見つけようとして3度ぐらい面接をしたけど、3度目の面接官のおっさんを見てたらふとそう思って、そこから仕事を探すのを止めた」

 私はソファにちゃんと腰掛けた。サミーはどこかプレゼンテーションをしている様な口調で、抑揚つけて語っていった。

「初任給だと大した額は貯まらない。NYは全部が高いからな。家賃とか食費を3カ月ぐらい持たせたら、あっという間に貯金が空になった」

「それで、ここまで来ちゃったの?」

 サミーは大袈裟なぐらいに顔をしかめ、私に気分を害したことを伝えてきた。

「お前はどこの学部だ」

「ビジネス」

「ああ、だからだな。人間と話している感じがしない。人の話を聞いてない。だが、俺と同じだ。いいか、あんな立派な建物してるところからでも、ホームレスは生まれてくる。ホームレスになったら、ズブズブなんだ。アルコールと薬で終り」

 卒業生の寄付額が多いビジネス学科は、他の学部よりも校舎が新しく、施設も充実している。壁には有名な卒業生たちがスーツを着てにこやかに笑っている写真がずらりと並んでいる。サミーと同じ年代の人たちの写真はまだ少ないが、同級生が壁に貼られていくのはもうすぐだろう。私はまじまじとボロを着たサミーを見つめた。

「同じ大学を卒業していたんだね」

「そうだ。俺はこの大学に落ちこぼれの烙印を押してやった。……お前も大学に暖をとりに行く様になるんじゃないぞ。あぶれるなよ」

「もうとっくにあぶれてるよ。だって留学生だから」

「なんで? 今はそんなに酷くはないだろう」

 私は一瞬、サミーに愚痴を溢そうかと思った。大学4年だけどまだ就職先が見つかっていないということ。でも、私の靴はだいぶ乾いていし、もうそろそろ講堂を出て行きたい気分になっていた。

知らなくていいよYou don’t have to know.

 ふん、と鼻を鳴らすとサミーはずり下がったブランケットを肩にかけ直して、ソファの縁に足を乗せた。ポケットから取り出したM&Mのシュガーコーティングを噛み砕く音がする。

「最後に七面鳥食べたのはいつ?」

「昨日。教会で食べた」

「普段よりも豪華だった?」

「ああ、そうだ。行事って得てしてそういうことだろう? だがパサパサだった。パンプキンパイも食べたが甘ったるい。どこ行ったって同じ味だ。俺はサンクスギビングの料理は好きじゃないな」

「私も」

 サンクスギビングの食事というのはその他にもキッシュだったりスタッフィングだったりグラタンだったり、どっしりと胃にくるものが多い。大量に作るからそれを何日もかけて消化する。

「残せる立場だったら、とっくに残していたな。だが全て食べた。虫歯が痛もうが、胃が悲鳴をあげようが関係ない。……美味いと思うべきなんだろうな。感謝をなくしちゃサンクスギビングなんてただの恵まれたモンGiven Foodなんだから」

 良い返事を持ち合わせていなかった私は、何も言えなかった。サミーはこれで終わりと言わんばかりに暖炉に目を向けた。私の方を再び見ることはないことがはっきりと分かった。私は食べものの提供者であり、聞き手であり、話し手にはならなかった。サミーの話が終われば私の役目はもう無い。

「ハッピーサンクスギビング」

 講堂はしんとして、私の足音しか聞こえなかった。

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サンクスギビング 黄間友香 @YellowBetween_YbYbYbYbY

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