エピローグ(1)

 それから半年がすぎた。


 わたしは早朝の電車にゆられている。

 まわりには、同い年くらいの子供がたくさん乗っていた。

 参考書を見ている子もいれば、目をつぶって音楽を聞いている子もいる。でも、みんな緊張しているのは同じだった。

 もちろん、わたしも緊張していた。

 なにしろ今日は、宛内学院中等部の、入学試験の日なんだから。


 電車がトンネルを抜けると、葉を落とした桜のむこうに、宛内学院の校舎が見えた。大正時代に建てられたという旧校舎を見て、わたしの中に、「ああ、あそこに行ってみたいな」という好奇心がわいた。

 そのことが、なんだかわたしを勇気づけてくれる気がした。


 半年前の、あの日。

 夕方、ふらりと帰ってきたわたしは、みんなから質問攻めにされた。

 担任の先生にはずいぶんしかられたけど、心配をかけてしまったのがわかったから、素直にあやまることができた。


 意外だったのは、お母さんがわたしを怒らなかったことだ。

 それどころか、お母さんは落ちこんでいた。

 やりかたを間違えて、わたしを追いつめすぎてしまった。失敗した──そんなふうに、自分をせめていた。

 それで、わたしは気づいた。

 お母さんも、失敗するのが怖かったんだ。


 わたしはそれまで、大人ってもっと「しっかり」したものだと思っていた。考えかたも、生きかたも決まっていて、変化しないものだって。

 でも、そうじゃないんだ。大人だって、未来のことがわからないし、そのことが不安なんだ。生きているかぎり、ずっと不安なんだ。それでときどき、間違ったり、迷ったり、失敗したりするんだ。


 そう思ったら、これまでお母さんにされてイヤだったことも、言われてイヤだったことも、ちょっとだけ許せる気がした。


 もう無理して受験しなくていいから、と言うお母さんに、わたしは言った。


 わたし、受験したいって。

 それが正しい選択なのかはわからないけど、わたしがいま、いちばんがんばってるのは受験勉強だから。自分の力で、最後までそれをやりきれるか、ためしてみたいって。


 お母さんは正直、あんまり納得していないようだったけど、とりあえず、宛内学院を受験することは認めてくれた。

 いまでもお母さんとの仲は、ちょっとギクシャクしている。それでもいい……とは言えないけれど、急がなくてもいいかなって気はしている。時間はまだ、たくさんあるんだし。


 ……それはさておき、お父さんが、わたしとお母さんの話が終わるまで、となりの部屋にコソコソかくれていたのには、か・な・り・ガッカリした。

 なにとは言わないけど、ほんと、そういうとこだと思う。

 せっかく、量子力学を教えてくれたお礼を言って、ついでに、もっといろいろ教えてもらおうかなと思っていたのに、そのせいで、いまだにおあずけになっている。


 そんなわたし自身の変化をのぞけば、わたしの大冒険の証拠は、現実世界のどこにも残っていなかった。


 二学期の最初の日には、ほんのちょっとだけ、期待したりもしたんだけど……当然、転校生はやってこなかった。


 変わったことといったら――下級生が使っていた一階の教室の床が、何かの拍子にボコッとへこんでしまって、業者さんが修理しにきたことくらい。

 基礎のコンクリートが不自然に割れていて、その下から、ばらばらになった古いつぼの破片が出てきたそうなんだけど、すぐ片づけられてしまったから、わたしは見ていない。

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