第二階層・レコード部屋の怪人(7)

「あっ……」


 わたしはあわてて、転がるレコードを追いかけた。

 背中から、モネちゃんの呼びとめる声が聞こえる。

 でも待てない。

 あれは。あれだけは、持って帰らなくちゃ。


 レコードはさっきの小窓から倉庫の外に転がりでると、廊下でぱたんと横だおしになった。

 わたしは小窓から身を乗りだし、レコードに手を伸ばす。

 その手を、ものすごく強い力でグッとつかまれた。


 あっと思う間もなく、わたしは部屋の外に引きずりだされていた。

 クマのような手で首をつかまれ、壁ぎわに押しつけられる。


 あの怪人だった。

 いなくなったふりをして、小窓のそばに身をひそめてたんだ。

 首に半分めりこんだレコードが、ゆっくり回転している。

 麻袋をかぶった口のあたりから、何か聞こえた。男じゃなくて、女の人の声だった。

 さっき、レコード部屋で見た、あの女性の声だ。首にささったレコードの音声が……なぜか、口から再生されている。


『午後三時、野村氏ト商談。ハジメ相場ノ三割増シノ金額ヲ示シタノチ、一割増ノ値デ手ヲ打ツベシ。午後五時、田中氏トノ会見ハ三日後ニ延期スベシ。午後五時三十分、入浴。頭、腕、背中、足ノ順ニ洗ウベシ。午後六時、夕食。麦飯ト牛肉ヲ食スベシ。ツケモノハ大根ニスルベシ──……』


 これ……一日の予定だ。

 その日何をするかを、細かく全部、レコードに決められているんだ。

 つまり……あの部屋にあった、日付の書かれたレコードって……。


 怪人は、固まって動けないわたしの首に手をかけると、右手の肉切り包丁を振りあげた。

 ヒッとさけんで目をつぶった、次の瞬間。なにかが怪人の手にぶつかってきた。


 たまらずひっくり返る。


 身をおこすと、モネちゃんが転んだ怪人に馬乗りになっていた。トランクをかかえて、体当たりしたんだ。


「柚子さん!」

 モネちゃんが叫んで、なにかを投げた。

 金色のカギだった。

「扉まで、先に行っていて。最初の日と同じ!」


 言い終わらないうちに、怪人がガバッと起きあがった。

 それだけで、体重の軽いモネちゃんはふっとばされてしまう。

 転がったところに、肉切り包丁が振りおろされる。ガンッと音がして、たてにしたトランクに刃先がめりこんだ。

「モネちゃ……」

 立ちすくんだわたしに、モネちゃんは、きびしい声で言った。

「いいから! 行きなさい!」


 一瞬だけ、わたしは迷った。


 そして足元のカギをひろい、駆けだすと、さっきの小窓へもぐりこんだ。

 レコードは、乱闘のときに遠くのほうまで転がってしまっていて、あきらめるしかなかった。

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