第三階層・うしむし(5)

 モネちゃんの言う「あれ」がなんなのか理解したわたしは、大あわてで自分のランドセルをおろし、ホルスタインのぬいぐるみをひきずり出した。


 ぬいぐるみの背中からは、紙をかたく巻いてつくった導火線どうかせんがちょろりとはみ出ている。

 わたしはふるえる手で、そこにライターを近づけた。

 カチッカチッと何度か失敗したけれど、なんとか火がつく。


 かわいいぬいぐるみを、こんなことに使うのは気が引けるけど……。


 心の中で「ごめんね」とあやまって、わたしは虫の鬼めがけ、ぬいぐるみを投げつけた。


 わたしのコントロールはだいぶ甘かったけど、虫の鬼のほうがそれをのがさなかった。

 虫の群れの形がぶわっと一瞬くずれ、野球グローブみたいに広がったかと思うと、ぬいぐるみをすっぽりつつみこんでしまったのだ。


 ぬいぐるみをのみこんだ虫の群れは鬼の形にもどり、点描てんびょうの顔にニンマリと笑みをうかべる。

 と、思った次の瞬間、その表情がぐにゃりとゆがんだ。


 ぬいぐるみを取りこんだ体の中から、けむりがあがっている。

 くすぶるけむりの中心に、やがてチロチロとしたオレンジ色の火がともった。

 ボッ、と小さくはじけるような音をたてて、炎がふきあがる。


 頭が炎につつまれると同時に、キューッと鳴きながら虫の鬼があとずさった。

 鳴き声に聞こえたそれは、熱で虫の関節がちぢみ、変形する音だった。

 鉤ざおをつかんでいた腕が、手の形をうしなって、ボロリとくずれる。


 モネちゃんがしりもちをつくと、鉤ざおに引っかかっていた金色のカギが、わたしたちの目の前にポトリと落ちた。


「行くわよ!」


 カギをひっつかんで、モネちゃんが走りだす。

 わたしもそのあとを追いかけた。


 肩ごしにふりむくと、虫の鬼はたいまつのように燃えあがっていた。

 あたりに散らばっていた白い虫たちも、昆虫のもつ本能のせいか、自分からその中へ飛びこんでゆく。


 モネちゃんは、なぜか扉を開けずにその前で待っていた。

 わたしが追いつくと、カギをさしだしてくる。

「柚子さんが開けて」

「な、なんで?」

「あたくし、指がふるえてうまく開けられないの」


 虫、そんなに嫌いだったの? ……なんて言っているひまはない。


 わたしはカギを外し、扉の中へとすべりこむ。モネちゃんもつづいた。

 扉を閉める直前に見えたのは、燃えながら干し草の山につっこむ鬼のすがただった。

 キャンプファイヤーのように、巨大な炎がふくれあがる。フロア全体が火の海になろうとしていた。


 ピシャリと扉を閉めたわたしたちは、一気に階段をかけおりた。

 次のフロアへと続く扉の前で、ようやくひと息をつく。炎の熱も、光も、不思議とここまではとどかないようだった。

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