第五階層・人面犬(6)

 わたしは廊下に立っていた。

 手には、封を切ったチューブ入りのチーズ。

 今日の給食で残してしまって、ランドセルに放りこんでおいたものだ。

 窓からさすオレンジ色の夕陽が、窓わくの形の長い影を、廊下に投げかけている。


 早く来てほしいような永遠に来ないでほしいような、複雑な気持ちで待っていると、遠くから、あのチャッチャッという足音が聞こえてきた。


 き……来た……。


 曲がり角の陰から、黒い毛におおわれたしっぽが見えた。続いて、ぶよぶよの大きな頭を引きずりながら全身が現れる。

 そいつはピタリと立ちどまると、光のないガラス玉のような目をぎょろっと動かして、わたしのすがたをとらえた。


 しばし無言で見つめあう、わたしとおじさん顔の犬。


 ふいに、犬おじさんが動き出した。顔を引きずりながら、ゆっくり近づいてくる。

 その動きに合わせて、わたしもゆっくりとあとずさった。

 すぐに逃げ出したくなる気持ちを、ぐっとこらえる。

 さいわい、犬おじさんの目はチーズに釘づけだ。隠れていた教室からモネちゃんが現れ、そろりそろりと、犬おじさんの引きずるリードのほうへにじりよってゆくのに、まったく気づかない。


 よし、もうちょっと……。もうちょっとだけ、注意をひきつけておければ……。


 だけどそのとき、犬おじさんがいきなりぱっくり口を開けたかと思うと、チャチャチャチャチャ、と早足になった。

 耳までさけた口の中には、異常なほど数の多い歯が、群生したマッシュルームみたいにぎっしり生えている。


「ぎゃあ!」

 たまらず、わたしは手にしていたチーズを投げ捨ててしまった。


 リノリウムの廊下に落ちたチーズは、よりにもよってモネちゃんのほうへとすべっていく。

 チーズを目で追いながら、犬おじさんが頭を軸に回転する。

 その視線が、今まさにリードの先からカギを切りとろうとしていたモネちゃんのところで、ぴたりと止まった。


「おぉい!」

 犬おじさんがほえた。


 けどそれより一瞬早く、モネちゃんはリードの先をハサミで切りとり、カギを手にいれていた。

 すぐさま急ターンして、走りだす。

 その背中をめがけて、犬おじさんが飛びかかった。


 あぶない!!


 頭が重すぎるせいか、犬おじさんの最初の攻撃は空ぶりだった。

 ゲームキャラが投げるハンマーみたいにぐるんぐるん回転しながら、壁に激突する。


 そのすきにモネちゃんは、教室の入り口近くに隠しておいたトランクを拾いあげた。


 そこへ二度目の攻撃がくる。

「くっ!」

 裂けるほど大きく口を開け、頭を遠心力でたたきつけるようにして、犬おじさんはモネちゃんのトランクにかみついてきた。

 モネちゃんと犬とで、トランクの引っぱりあいになる。


 助けなきゃ、と思うのに、足が動かない。

 そんなわたしの目の前に、モネちゃんが投げた金色のカギが飛んできて、チャリンと音をたてた。


「柚子さん、扉へ走って!」

「えっ……。でも!」

「あたくしもすぐに追いつくわ。扉を開けて、待っていて!」

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