第5章【2】

 転移魔法の目標としたシェルは執務室にいた。机の上には書類が山を作っており、自分の仕事に加え調査の報告書もあるようだ。

「おかえりなさいませ。ご無事で何よりです」

「うん。勇者がロレッタ・カルロッテで確定したようだよ」

「はい。私の部下を王宮に潜入させることに成功しています。『聖なる力』は『聖石しょうせき』と呼ばれる結晶のような物で付与されるようです」

「それなら、聖石を破壊してしまえば話が早いということか」

 顎に手を当てて言うロザナンドに、シェルは重々しく頷く。この短期間で重要な情報を調べ上げたのだから、シェルの部下は優秀と言わざるを得ない。

 小さく息をつき、ロザナンドはユトリロを振り向いた。

「今夜、王宮に行く。他の四人にも伝えてくれ」

「かしこまりました」

 ユトリロが報せ鳥を出すために離れて行くと、ロザナンドはまたシェルに視線を遣る。

「シェル、もうひとつ頼みたいことがある」

「はい」

 ユトリロをちらりと見遣ったあと、ロザナンドはシェルの耳元に口を寄せた。他の誰にも伝えない依頼を、シェルには遂行してもらわなければならない。

 ロザナンドが言葉を切ると、シェルは目を見開いてロザナンドを見る。ロザナンドは不敵に微笑んで見せた。

「頼んだよ」

「……はい、承知いたしました」

 呆然としたまま頷くシェルに、ロザナンドは満足してその肩を叩く。弾かれたように、シェルは執務室を出て行った。

「何か任務を課したのですか?」

 他の四人に指令を出したユトリロが戻って来る。

「うん、ちょっとね」

 曖昧に答えるロザナンドに、ユトリロは首を傾げていた。



   *  *  *



 灯りの落とされた王宮は静まり返り、ところどころに巡回の騎士がいることを除いては活動を休止していた。ロザナンドには、シェルの部下が調査した「聖石」の在処が視えていた。転移魔法でその厳重に閉ざされた部屋に飛び、勇者たちに「聖なる力」を付与する聖石を前にする。光を受けると虹色に光る美しい結晶だった。

「これが例の結晶ですね。見た目はガラス玉のようですが」

 ガラスのケースに保管されている結晶を覗き、ユトリロが声を潜めて言った。

 そのとき、まるで見極めていたかのように扉が開かれた。結晶の間に足を踏み入れたのは、勇者パーティの七人だった。

「やあ、ごきげんよう」

 不敵に微笑むロザナンドに、アルト・ブリステンが顔をしかめる。

「そんなことだろうと思ってたんだ。情報屋ロズ……いや、魔王軍幹部ロザナンド」

「これは一本、取られたな。じゃあ、この聖石も偽物なのかな」

 ロザナンドはガラスケースに手をかざす。一気に魔力を注ぎ込むと、結晶はなんの抵抗もなく甲高い破砕音とともに砕け散った。偽物であることは間違いがなかったようだ。

 ロザナンドは七人を振り返り、ひとりひとりに視線を向ける。

「勇者ロレッタ・カルロッテ。騎士エリアス・ワーグマンにバルバナーシュ・エディン。黒魔術師イディ・オール。白魔術師アルト・ブリステン。従魔術師バート・ボー。魔法使いフローラ・レグルシュ。すでに聖なる力が付与されているようだね」

「……こっちの情報は筒抜けってわけ」アルトが低い声で言う。「それでさらに情報を引き出そうとしていたなんて姑息だ」

「人間には言われたくないね。人間軍は弱い村から侵攻するつもりだったんだから」

 ロザナンドが剣呑な視線を向けると、ロレッタが目を見開く。

「どういうことですか?」

「きみたちは知らないのか。可哀想に。魔族の国はすでに三度、人間軍の襲撃を受けているんだよ。それも、戦力の低い小さな村を狙ってね」

 七人が困惑して互いに顔を見合わせる。本当に何も知らないようだった。

「全員が王宮の遣いだと正直に・・・話してくれたよ。勇者なんて当てにしていないんじゃない? 聖なる力なんて小さな力でたった七人で魔王討伐なんて、まるで生贄だ」

「……すべて視えているのですね」

 ロレッタだけでなく、千里眼のことは全員が把握している。おそらく、掴めた情報はそれだけだったのだろう。

「知っていたんだね。それなら、無駄な争いはやめたほうがいい。魔族の滅亡を望んでいるなら話は別だけどね」

 そのとき、ロザナンドとユトリロを十数名の騎士、魔法使いが取り囲んだ。人間ではない。魔族だ。突然の襲来に、七人のあいだに緊張が走る。

「そんなことだと思ったんだ」ロザナンドは溜め息を落とす。「魔王の考えそうなことだ」

 ただの魔族に過ぎないこの十数名が、こんな王宮の奥まで到達することはできない。ロザナンドとユトリロの転移魔法の軌跡を追って来たのだ。それは、魔王アンブロシウスの遣いに間違いない。

「囮にされたということか」

 エリアスが険しい表情で言う。ロザナンドは肩をすくめて見せた。

「わかったかい? 魔王はそういう者なんだよ。使えるものはなんでも使う。実の息子が懐く憎しみでさえね」

 武器を取る魔族軍に、勇者パーティもそれぞれの武器を手にする。一触即発という中、ロザナンドは何度目かわからない深い溜め息を落とした。

「無駄な争いは嫌いだ」

 ロザナンドが指を鳴らすと、十数名の魔王軍が何かに圧し掛かられたように膝をつく。これで彼らが動くことはできない。ロザナンドが振り上げた手に合わせ、十数名は一瞬にして姿を消した。

「……なるほど。これほどまでに実力差が開いているんだね」

 アルトが悔しげに顔をしかめる。ロザナンドの一瞬の判断に、その能力の高さを見出したようだ。

「僕たちではきみにすら敵わないみたいだ」

「いまの者たちも、俺たちより実力はまさっている」と、バルバナーシュ。「しかし、お前の狙いはなんなんだ?」

「千里眼の力を教えてあげるよ」

 ロザナンドは不敵に微笑み、七人に伝達魔法をかける。思い浮かべるのは、魔族と人間の消耗戦となる泥沼の三百年戦争だ。

「そんな……こんなこと……」ロレッタの声が震える。「これが真実なら、私たちは本当に生贄のようなものではないですか!」

「気の毒に」ロザナンドは肩をすくめる。「それとも、僕がここできみたちを殺せば、争いの火種は消せるだろうね」

「ここにはあなたとその部下しかいないわ」と、フローラ。「それでも、それが可能なの?」

「彼の力は必要ない。言っただろう? 魔族百人分の力があるって。きみたちの力は、せいぜい人間二十人分といったところか」

 七人は険しい表情をしている。ロザナンドの魔力を感知できているのなら、その言葉が冗談ではないことはわかっているだろう。

「合わせれば百四十だ。どう、戦ってみる?」

 武器を手にする七人に対し、ロザナンドは丸腰だ。表面上では勇者パーティに分があると考えるのが妥当だろう。しかし、ロザナンドの纏う気配が、それが思い上がりであると証明している。そこには圧倒的な実力差が存在していた。

「……いや、そうだな。気が変わった」

 口端をつり上げるロザナンドに、七人の表情が強張る。警戒は最大限まで振れていた。

「ともに魔王を滅ぼさないか?」

 ロザナンドの提案は、勇者パーティだけでなくユトリロにも動揺を与えた。ユトリロですら、ロザナンドの発言を予測できていなかっただろう。

「僕は人間の戦力で換算すれば三百人分ほどの力がある。きみたちと手を組めば、魔王討伐も不可能ではないよ」

「何が目的なのですか?」

 ロレッタは厳しい視線をロザナンドに向ける。ロザナンドのことが信用できないとその澄んだ瞳が証明していた。

「見ての通りだよ」ロザナンドは肩をすくめる。「魔王は僕ごと勇者パーティを殲滅しようとした。三百年戦争を引き起こすのも魔王だ。そうなれば、魔族と人間は消耗戦の末に滅亡する。相討ちさ。魔王を滅ぼして僕が魔族の王となれば、人間と平和的和睦をすることも可能になる。不可侵条約だ。悪くない話だと思うけどね」

 七人の警戒は解けない。ロザナンドの本心を見抜けない様子で、条件の良い話だとしても、簡単に頷くことはできないのだ。

「明日、またマダム・キリィの酒場にいる。手を組む気になったら会いに来てくれ」

 ロザナンドは自分とユトリロに転移魔法を発動する。これ以上、ここで話し続ける必要はない。

 宮廷の執務室に戻ると、ロザナンドはひとつ息をつく。振り向いたユトリロは、いつも通りに冷静な表情だった。

「ここから先、きみがどういった行動を取るかはきみの自由だ。好きなようにしてくれ」

「承知いたしました」

 真面目腐った顔で頷いても、ユトリロがロザナンドに背を向けることはない。それが答えだった。

「魔王はすぐにでも勇者の討伐に行きたいところだろうね。けど、魔王もわかっているんだ」

「反乱を起こす可能性が最も高いのが殿下であること、ですね」

「僕を簡単に倒すことができないこともね。僕の能力を父はよく知っている。だからこの先、父と接触するのは危険だ」

「他の五人にも、魔王陛下に警戒するよう伝えておきます」

 ユトリロはまるでロザナンドの脳内を見透かしたようだった。ロザナンドは不敵に微笑んでそれに応える。

「明日、勇者たちは来るでしょうか」

「来ざるを得ないさ。彼らは魔王討伐のための生贄。運命を変えるためには僕の力が必要になるよ」

 ユトリロは重々しく頷く。勇者たちにとって何が賢明な判断となるかは、きっと勇者たちもわかっていることだろう。



   *  *  *



 ユトリロを下がらせて私室に戻ると、ロザナンドは左目の眼帯を外した。魔族と人間の運命は破滅から変わっていない。勇者たちはまだ判断を下せないでいるようだ。

 ガラガラ、とワゴンの音が部屋の外から聞こえるので、ロザナンドは眼帯を戻す。ノックのあと、部屋に入って来たヘルカが食事を乗せたワゴンを押して来た。

「ユトリロから、部屋にお持ちするよう指示を受けました」

「そう」

「魔王陛下を信用されることができなくなったのですね。詳しいことはお聞きしませんが」

 ヘルカはいつもと変わらない様子で、テーブルに料理とカトラリーを並べる。ヘルカはロザナンドにとって敵ではない。そもそも、ヘルカではロザナンドには勝てない。力の及ばない相手を敵に回すほど、ヘルカも愚かではないのだ。何より、ロザナンドがヘルカを信用している。それはヘルカ自身もわかっているはずだ。ユトリロもヘルカを信用した。それが答えだった。

「何かあれば、私にもご協力させてくださいませ」

「そういえば、きみもアニタと一緒に魔王を暗殺に来たんだったね」

 それをヘルカの口から聞いたことはないが、アニタを視たときに視えたのだ。ヘルカは穏やかな表情で頷く。

「私に人質はありませんが、殿下が望まれるならすぐにでも」

「どこで誰が聞いてるかわからないよ?」

「ここは安全ですわ。私がいるのですから」

 ヘルカの表情は自信に満ちている。嘘や偽りはロザナンドには通用しない。それを充分に承知している微笑みだ。

「ありがとう、心強いよ。でも、ヘルカにはいざというときを任せたい」

「はい。いつでもお力添えする準備はできております」

「頼りにしてるよ」

 その言葉に偽りはない。この場に偽りは必要ない。この場だけは、偽りはなんの意味も持たない。それがロザナンドにとって、救いのようなものだった。





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