第5章【1】

 朝食のダイニングは空気が冷えきっている。魔王の息子を探るような視線のためだ。それでもロザナンドが平然と食事を取っているため、使用人たちはどこか落ち着かない様子だ。

「随分と時間がかかっているようだな?」

 挑発的に言うアンブロシウスに、ロザナンドはゆっくりと顔を上げる。

「慎重に事を運ばなければなりません。魔族の被害を出さないためです」

「人間など、魔族の手にかかれば他愛もない存在だ。何をそんなに考え込んでいる。さっさと滅ぼせばいいだけの話だろう」

「それは魔族に破滅をもたらします。とにかく、僕に任せていてください」

 ロザナンドがいくら言ったところで、魔王の気がそちらに向けばすぐにでも侵攻を始めることだろう。魔王がその気にならないうちに片を付けなければならないが、慎重に進めなければならない。人魔の破滅はすでに始まっているかもしれないのだから。

「お前の千里眼には何が視えているのだ? 自分の息子のことなのに、私はお前の考えることがさっぱりわからない」

「僕は単純ですよ。父上は難しく考えすぎているのです」

「ふむ……。まあ、お前が何をしているのかは知らんが、お前に任せておけば問題ない。そうだろう?」

 ロザナンドは目を細める。目の前にいるこの男は、千里眼が通用しないただひとりだ。この男の頭の中を見透せれば、それほど簡単な話はないだろう。

「……本当にそう思っていらっしゃるのですか?」

 静かにカトラリーを置くロザナンドに、魔王は笑みを崩さないまま先を促す視線を送る。

「何か嗅ぎ回っているのではありませんか?」

「何か視えているのか?」

「いえ、何も。父上に千里眼が通用しないことは、父上ご自身がよくおわかりのはずです」

 アンブロシウスは小さく息を吐き、頬杖をつく。

「こちらとしては、勇者なんぞが侵攻して来る前に人間の国を滅ぼしてしまいたいところだ。だが、お前に免じて猶予をくれてやっている。それもいつまでも続くものではないぞ」

「わかっています。のんびりはしません」

 魔王は最も残忍な魔族だ。使い物にならないと判断すれば、実の息子であろうと切り捨てるだろう。たとえ魔王にとって有益であったとしても。魔王は冷酷な男なのである。

 息苦しい朝食を終えてダイニングをあとにすると、ユトリロとともにディーサの姿があった。不貞腐れているのか、唇を尖らせている。

「あの十二人に自白させたわ。王宮から調査の依頼を受けて、油断していたあの村を襲撃したみたいね」

 昨夜、人間の賊の攻撃を受けた村の警備は、手薄であるとしか言いようがない。本来なら辺境の村こそ守りを固めるべきだろうが、魔王がそれをよしとしなかった。魔王は弱きを切り捨てる。たとえ村が滅んだとしても何も思わないだろう。

「ただ、奇襲自体は指示役の勝手な判断みたいだわ。でも、こちらの情報はすでに王宮に伝わっていると考えておいたほうがいいわね」

「そう。厄介だね」

「各地の警備隊を強化したほうがいいでしょうね。それから結界も。王宮が雇ったってことは、ただのごろつきではないはずよ」

「わかった。そっちは任せる。僕はまた街へ行くよ」

「少しくらい休ませてよ!」

 唇を尖らせるディーサに、ロザナンドは不敵に微笑んで見せる。

「それくらいなんてことないだろ? きみより優れた宮廷魔法使いはいないんだから」

 こう言えばディーサが言い返して来ることはないだろうというロザナンドの予測は当たっていたようだ。ディーサは相変わらず不満げだが、その賞賛を受け入れるらしい。ロザナンドは、ディーサの扱いがよくわかっている、と自画自賛した。



   *  *  *



 ディーサに警備隊と結界の強化を任せ、ロザナンドはユトリロとラーシュ、ニクラスを連れて再びマダム・キリィの酒場を訪れた。開店直後の店内は客の数はまばらだが、ロザナンドに声をかけて来る者があった。

「よう、兄ちゃん。今日も情報を売りに来たのかい」

 それは先日の口の軽い男だった。アルト・ブリステンの登場によりそそくさと去って行ったが、口が軽い者は案外と情報収集に役立つ。ロザナンドは男の隣のテーブルの椅子に腰を下ろした。

「昨日、話に割って入って来た青年はどんな人なんだ?」

 ロザナンドの問いに、程良く酔いが回っているらしい男は顎に手を当てる。

「外から来た冒険者のアルトだな。勇者の一行に加えられるらしい。腕は立つが、無愛想で何を考えているかわからない。ちょっと不気味にすら感じる雰囲気があるな」

「勇者パーティには他にどんな人がいるんだ?」

 愛想良くしながら問いかけるロザナンドに男は、お手上げ、と言うように両手を軽く上げる。

「それは勝手に言えない。奢られてもだ。兄ちゃんは情報屋だから、勝手に言うとどこに情報が流れるかわからない。魔族に伝わるかもしれないだろ?」

「ということは、勇者パーティの情報は王都では公開されているんだね?」

 ロザナンドが目を細めると、男は苦笑して肩をすくめる。

「勇者以外の情報は公開されてないよ。まだ召集されてるわけでもないみたいだな。わざわざ探らなくても、召集されたら公開されるんじゃないか?」

 酔った男なら口を滑らせるのではないかとロザナンドは考えていたが、王宮の箝口令は厳しいようだ。処罰の対象になることもあるのかもしれない。

 ドアの鈴が来客を告げる。酒場に入って来た者に、げ、と男は顔をしかめる。

「アルトだ。じゃあな」

 そそくさと男が去って行くと、やはりアルト・ブリステンはロザナンドのもとに歩み寄って来た。厳しい表情のアルトに、ロザナンドは不敵に微笑んで見せる。

「今日も来たんだね」

「街の外から来た情報屋は貴重だからね」

 アルトは男が座っていた椅子に腰を下ろした。これはアルトがそうであるように、ロザナンドにとっても好機だ。

「どうしても魔族の情報が欲しいみたいだ」

「当然だよ。おそらく、幹部のロザナンドを倒さなければ魔王のもとには辿り着けないだろうからね」

 アルトの予測は当たっている。ロザナンドの能力は魔王に次ぐ。ロザナンドを突破できないようであれば、魔王には一歩も近付けないだろう。

 アルトは硬い表情で口を開く。

「勇者の情報とロザナンドの情報を交換しない?」

「待ってくれ。勇者の情報はいずれ公開されるんだろう? 公開される情報と公開されない情報では価値が違う。等価交換は不成立だよ」

 肩をすくめるロザナンドに、アルトは目を細める。

「勇者側の味方をしてくれる情報屋ではないというわけだね」

「情報屋はいつだって中立だ」

「でも、公開されることのない魔王軍幹部の情報をきみが持っているのはなぜ?」

 アルトは探るような視線をロザナンドに向ける。これは当然の疑問だろう。

「情報屋にはどこにだって情報源がある。情報屋に情報を売る情報屋もいるんだ。その分、情報は丁重に取り扱わないと。勇者にだけ優位な情報を流すわけにはいかないんだよ。きみが勇者パーティの情報をくれるなら話は別だけどね」

「……それはできないよ。僕が勇者パーティの情報を売ることは、裏切りに近い行為だ」

「それなら黙っているしかないよ。僕は価値のない情報には興味がないからね」

 アルトが勇者パーティのことで口を閉ざすことは、ロザナンドにとっては想定内だ。アルトの言う通り、勇者パーティの一員となるアルトが魔族の情報と引き換えに勇者パーティの情報を売ることは、得であって損である。

「きみは勇者パーティの中でどういう立ち位置にいるんだ?」

「……それを話す代わりに、同等と思える情報をくれない? それで中立でしょ?」

 ロザナンドの問いは、さほど重要なものではない。勇者パーティの情報が公開されればわかる可能性がある。それでもロザナンドは、それ以上の情報をアルトが口にする可能性に賭けた。

「いいよ。いまなら初回限定でサービスするよ」

 肩をすくめるロザナンドに、アルトの表情が少しだけ緩む。おそらくアルトは、何か有益な情報を得ることで勇者パーティに貢献したいのだろう。勇者パーティにそれだけの価値があるかは、ロザナンドには判然としないことなのだが。

 アルトは意を決したように口を開く。

「僕は勇者パーティに召集される。勇者パーティは全員で七人。勇者が決定すればすぐに召集されるよ」

「その七人という情報はどこで手に入れたんだい?」

「それは話せない。こちらも話す情報は厳選させてもらうよ」

 アルトが目を細め鋭い視線を向けるので、ロザナンドは軽く両手を挙げる。

「わかった。深追いはしない」

 アルトは肩をすくめつつさらに続けた。

「勇者パーティは特殊な力を与えられることになる。その力はとても強力なものだ。王宮はそれで魔王討伐を遂行できると考えている」

「なるほどね。わかった。こちらも魔王軍幹部の人数を言おう」

 ロザナンドとしては、勇者パーティが自分のもとに辿り着く前に敗れたのではつまらない。ある程度の情報を与える必要があるだろう。

「魔王軍の幹部はロザナンドを含めて七人。うち特殊能力を使えるのはロザナンドのみだ。それでも、他の幹部もひとりで人間軍の一個中隊を壊滅させられるほどの実力を持っている」

 アルトは真剣な表情で耳を傾けている。彼にとっては、ひとつも聞き漏らせないことだ。

「勇者の特殊能力がどれほどのものかはわからないが、幹部ひとりにつき七人で戦っても勝てるかどうかわからないほどだよ。魔族の力は人間が思っている以上に強力だ。一対一では勝てないと思っておいたほうがいいよ」

 魔王軍の幹部は、ロザナンド、ユトリロ、ラーシュ、ニクラス、ディーサ、アニタ、そしてシェルだ。それぞれが高い能力を誇り、普通の人間であれば七人で突破しようなどということは無謀とも言える。

「魔王軍が百でかかって来るなら、人間軍は三百……もしくはそれ以上でなければ勝利できないだろうね」

 アルトの表情が曇る。魔族との圧倒的な戦力差は、彼の想像以上のものだったらしい。

「この情報は魔族側に流すのかな」

「魔族側がこの情報に同等、もしくはそれ以上の情報を寄越すならね」

 不敵に微笑んで見せるロザナンドに、アルトは肩をすくめて立ち上がる。

「口止め料は無駄なんだろうね」

 アルトは数枚の銀貨をテーブルに置いてロザナンドに背を向けた。この情報はすぐに勇者パーティに伝えられることだろう。

「特に目新しい情報はなかったな」

「そこまで話してよろしかったのですか?」ユトリロが首を傾げる。「勇者軍が強化されるのではありませんか?」

「いくら強化したところで『聖なる力』がなければ勇者軍は無力だよ。勇者軍も魔族の弱体化を図るだろうね」

「では、我々は弱体化耐性、もしくは無効を付与する必要がありそうですね」

「そうだね。こちらは売った情報通り、幹部の七人で迎え討とう。すぐにやられたんじゃつまらないよ」

「聖なる力は奪えそうですか?」

 ロザナンドは『鑑定』をしなくてもある程度は能力値を測ることができる。アルトにはまだ『聖なる力』が与えられている様子はなかった。

「どうだろうね。宿っていないいまはわからない」

「宿ってからとなると、時間との勝負になりそうですね」

「そうだね。このままでは戦いに突入する。僕たちもすぐに迎え討てるように準備しないとね。勇者パーティは滅ぼさない。その前に戦いを食い止めるんだ」

「もし我々が負ければ、三百年戦争に突入するのですよね」

「勇者パーティでも同じことだ。少し街を見て回ろう。何か情報が得られるかもしれない」

「はい」

 ラーシュとニクラスに帰還を下令して、ロザナンドとユトリロは街へ出る。王都であるため栄え、賑わいを見せていた。魔族と人間は能力値こそ差があるが、発展の度合いはさほど変わりない。だが、軍の鍛錬を積んだとしても能力差が縮まるのには数十年、もしくは百年単位がかかるだろう。

 そのとき、広場のほうが何やら騒がしくなった。人々が広場に向かい始めるので、顔を見合わせたロザナンドとユトリロもそれに続いた。

「号外! 号外だよ!」

 新聞屋の声がする。五人の男が一葉の新聞を配布していた。ユトリロが受け取ったそれには、勇者選別が終わったことがしたためられている。

「勇者はロレッタ・カルロッテに決まったようですね」

「これである程度の作戦が立てられるようになったな。明日にでも勇者パーティが召集されることになるだろうね」

「その際に聖なる力も与えられることでしょう」

「そうだね。とにかく宮廷に戻ろう。シェルかアニタが何か情報を掴んでいるかもしれない」

「はい」

 新聞にはロレッタ・カルロッテが大々的に取り上げられ、人々はそれに群がっている。勇者パーティへの関心が強いようだ。これは魔族にとっては悲報で、ロザナンドにとっては朗報だ。勇者パーティの情報が公開されれば、魔族軍が勇者パーティに勝利する確率は、格段に上がることだろう。






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