第1章【4】

 ロザナンドとユトリロの探す人物は、宮廷女官のために用意された執務室にいた。棚に並べられた資料を整理していたらしい。ふたりの姿を認めると、宮廷女官アニタは硬い表情で振り向く。

「何かご用でしょうか」

 宮廷女官アニタは半魔族で、半分は人間の血が混ざっている。偏見に晒されて生きて来た。ロザナンドが仕入れた情報では、もとは魔王を狙った暗殺者だったらしい。その任務は失敗に終わったが、魔王がその気概を気に入って宮廷女官として雇ったのだ。反乱の可能性が最も高いと言える、とはユトリロの意見だ。

「勇者パーティの侵攻の対処法はどう考えてる?」

 ロザナンドがそう問いかけると、アニタは表情を変えずに口を開く。

「ラーシュから聞きました。王室付きの諜報部員を人間の国に送り込んでいます。魔術師と魔法使いの比率が高いようですので、宮廷魔法使いを多めに配備することを想定しております」

 アニタは元暗殺者とは思えないほど国のために尽くしている。生真面目すぎる節はあるが、とても有能で宮廷内の評価も高い。宮廷女官の制服である緋色のキャップで長い金髪を清潔に纏め、深い緑色の瞳は少し冷たさを感じさせる。背筋が伸びたその凛とした姿に、宮廷内に密かに想いを寄せる者がいるのだとか。

「きみは人魔抗争の際は人間の国にいたそうだね」

「はい。人間の母のもとで暮らしておりました」

「それで、魔王の暗殺のためにこの国に来た」

「はい。それについて言い訳することはございません」

「いまはどう?」

 ロザナンドのその問いに、アニタは剣呑な視線を彼に向ける。

「どう、と仰いますと?」

「魔王を暗殺してその首を人間に差し出すつもりはある?」

 ロザナンドの質問の真意を掴みあぐねている様子で、アニタは小さく息をついた。

「殿下には嘘を申し上げても意味がないことは承知しております。いまはそのようなことは考えておりません。心からの忠誠をお誓いしているとは申せませんが、魔王陛下を裏切ろうという気はございません」

 アニタは確かに、嘘は言っていない。隠し事をしているのは否めないが、真っ直ぐにロザナンドを見つめる瞳は真剣だ。これだけ目を合わせれば、ほんの少しの偽りでもすぐに見抜ける。アニタは適当なことを言って誤魔化そうという気はないようだ。

「母親はどうしてる?」

「魔族の国の末端の村で父とともに暮らしております。村では受け入れられているようです。私が再び魔王陛下の仇となれば、両親の暮らしが脅かされることになります。ですので、私をお疑いになる必要はないかと」

 アニタはロザナンドが探る理由は知らないが、何かしらの疑惑をかけられていることは敏く感じ取ったらしい。アニタの実直な性格から考えると、嘘偽りを述べていると勘繰る必要はないようだ。

「わかった。勇者パーティと勇者選抜の調査を進めてくれ」

「承知いたしました」

 アニタはうやうやしく辞儀をする。元々は暗殺者であった彼女なら、勇者に関する情報を集める何かしらの手段を持っているだろう。調査結果に期待していても問題はないはずだ。

 執務室をあとにすると、ロザナンドは壁を背に眼帯を外した。静かに瞼を下ろし、左目に意識を集中させる。

「アニタの言っていたことは本当のようだ。とは言え、ニクラスの前例がある」

「魔法使いであるアニタのほうが、透視耐性の強度は高いでしょう」

「アニタの両親が暮らしている村に遣いを出して、真偽のほどを確かめよう」

 ロザナンドの千里眼は透視耐性を見抜くことができるが、自分の能力を遥かに超える実力を持つ者がいることも知っている。魔王ほどの能力値を誇る者が千里眼を有していたなら話は変わるだろう。

「僕の千里眼でアニタが容疑者のひとりに挙がったのは確かだ。偽装はいくらでもできる」

「でしたら、ニクラスのように買収されてはいかがですか?」

 買収、という言葉に苦笑しつつ、ロザナンドは肩をすくめた。

「アニタの場合、両親は元々脅かされていない。両親を盾にすれば、本当の人質になってしまう。敵を炙り出したいが、敵を作りたいわけではないんだ」

「なるほど……」

「アニタについては慎重に調査しよう」

「承知いたしました」

 反乱軍の容疑者は残りひとり。その人物がどこにいるかは見当がついている。この時間なら、おそらく予想している場所にいるだろう。

「殿下の千里眼は、未来が視えるわけではないのですか?」

 目的の場所に向かいながら、ユトリロが不思議そうに問いかけた。

「はっきり視えるわけではないね。情報が断片的に視えるだけ」

 容疑者の五人は顔が思い浮かんだ。映像として視えることもあれば、ただ情報が頭に流れ込むだけの場合もある。もっと能力値を高めれば、安定した確実な情報源として信用することができるようになるだろう。

「未来はいくらでも変わる。例えば、僕の言葉ひとつできみが寝返ることだってあり得るんだよ。その反対に、僕が父を裏切る可能性だってある」

「……何かあったのですか?」

 ユトリロは不思議そうで、不可解そうな表情をしている。ロザナンドが首を傾げると、ユトリロはさらに続けた。

「昨日までとはまるで別人になられたようです」

「そんなに?」

「ええ。多少の不敬はお許しいただきたいのですが、昨日までの殿下は、宮廷に不穏な動きがあったとしても放置していたでしょう。それこそ、魔王陛下を裏切られる可能性もありました。反乱軍が生まれたとしても、放っておいたでしょう」

「……そうかもしれない。反乱軍を率いていたのは、僕だっただろうね」

 ユトリロが問いかけるような視線を送る。昨日までのロザナンドとは別人であることは、説明したとしても理解できないだろう。ロザナンドには、詳細を説明する必要性も感じられない。

「夢を見たんだ。魔王が討伐された夢。魔王討伐後、魔族は力を失わず、人間の国へ侵攻を始める。夢には現れていなかったけど、生き残った魔族を率いていたのは、きっと僕だ」

 夢というものは都合が良い。何が真実で何が偽りか、それを明かし、また隠すことができる。それは誰にも気付かれることはない。

「僕は父の討伐を利用して人間を制圧しようとしていた。僕はその目的のために、魔王討伐を傍観していたんだ」

「なぜその通りにしなかったのですか?」

「そんなことをして何になる? それは魔族と人間の消耗戦を引き起こす。結局のところ、僕も死ぬだろう。魔族にとっては不利益でしかないよ」

 三百年もの長い時間をかけて消耗戦の末に破滅するなど、悲惨と言うに余りある。魔族の生き残りを率いてロザナンドがどれほど戦うかは判然としないが、最終的に人魔が破滅すると考えると、指揮を執る者はいなくなるのだろう。つまり、ロザナンドは新たな人魔戦争で遠くなく命を落とす。それはロザナンドにとっても不利益だ。

「父は碌でもない魔王だが、魔王がいることで魔族が統治されているのも確かだ。消耗戦を引き起こすということは、僕は指揮官として力不足だということだよ。だとしたら、魔王を生きながらえさせたほうがいいだろう?」

 もし指揮官として有能であれば、消耗線に入ることなく魔族は人間を滅ぼすだろう。その姿は依然として見えない。もしかしたら、魔族の生き残りを率いる者として真っ先に討伐されるのかもしれない。そうであれば、人間の力がロザナンドの能力を遥かに凌駕するということ。魔王を討伐するほどの能力があるのだから当然とも言えるのだが。

「魔王が勇者に討伐されるのは、反乱軍によって魔王が追い詰められていたためだ。反乱軍を生まれないようにして勇者にも対処する。それが魔族にとって最善の方法だ」

「……本当にお人が変わられたようです。魔族の未来なんてお考えになられるお方ではなかったですのに」

 ユトリロは感心している。昨日までの自分であれば、きっとそれは正しかっただろう。昨日までの自分とは違う。ロザナンドは自信を持ってそう言える。

「昨日までの僕だったら、反乱軍の誕生はむしろ好機と捉えただろうね。やり方を変えただけ、とも言えるかな」

「なるほど……」

「きみも好きなようにしてもらって構わないよ。僕を魔王の仇と考えるなら、別にそれでもいい。どちらにせよ、あまり信用はしないほうがいいかもしれないね」

 不敵に微笑んで見せるロザナンドに、ユトリロはひとつ息をつく。

「それはディーサ様へのご対応を拝見してからにします」

「正直者だな」

 ロザナンドが笑うと、ユトリロは真面目腐った顔で頷いた。

 容疑者は残すところあとひとり。それで魔王討伐のすべてがわかるというわけではないが、視えたものが真実かどうかが判然とするだろう。そうすれば、人魔の破滅を防ぐ手立てが見えるかもしれない。魔族をより良い未来に導くため、すべてはそのために。





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