第10章 闇

 メンバーの集まりきっていない早い時間ならリーネと話ができるかもしれない、と僕は思っていた。リーネの姿が教室になかったからだ。そのため、友人には悪いが話を早々に切り上げて教室をあとにする。できれば早いうちにリーネと話をしておきたかった。

 けれど、生徒会室にはシーラの姿しかなかった。他のメンバーもまだ集まって来ていないようだ。

「ラゼル様。お疲れ様でございます」

「シーラもお疲れ様。まだ他の人は来てないんだね」

「はい。私たちは早すぎたようですね」

 少なくともリーネはもう来ていると思っていた。教室にいなかったのは、別のクラスの友人に会いに行っているというだけのことだったようだ。

「……ラゼル様。私はみなさんのお役に立てているでしょうか」

 静かな声でシーラが言った。俯くことで髪が頬にかかり、その表情は見えない。

「もちろん。シーラのおかげで難しい仕事がどんどん進んでいるんだよ」

「……私は昔から病気がちでした。期待に、応えることができなかった……」

 シーラの声が震える。自信が持てず、不安になっているようだ。

「ジェマ様のお役に立ちたかったのに、そのための力がなかったのです」

「まだまだこれからだよ。僕たちはまだ二年生なんだから、これからいくらでも取り返せる。僕たちはこれから何者にもなれる。それを身につけるための学校なんだから」

 僕は元気付けようと、精一杯に明るく言った。シーラが鼻を啜るのが聞こえる。抱え込んだ気持ちを誰にも打ち明けられなかったのかもしれない。

「人の役に立ちたいと思う心があれば充分だよ。シーラもきっと強くなれる」

 そのとき、椅子に着こうとしていた僕は、突如として体から力が抜けて床にへたり込んだ。重力が肩に圧し掛かるように体が動かなくなり、自由が利かなくなる。

 僕がなんとか腕で体を支えていると、シーラがゆらりと立ち上がった。

「そんなの綺麗事よ」

 シーラの声が悍ましい混声となって僕の鼓膜を揺らす。シーラが手をひと振りすると、辺りの光景が一変する。教室はどこかに消え去り、僕は薄暗い部屋に転移させられた。顔を上げた僕は、視界に入った物にハッとする。

「リーネ!」

 清潔そうなシーツのベッドにリーネが横たわっていた。

「眠っているだけだから安心して」

 シーラを見上げた僕は、ゾッと背筋が凍る。その微笑みが、すべてを物語っていた。

 次の瞬間、僕の体から重力が解除された代わりに魔力回路が動きを止めた。魔法封じだ。

「何が目的だ」

「私は愛されたい。だから、その子と入れ替わるの。そのための魔力をあなたに借りたいの」

 その声は、シーラ・マートでありシーラ・マートではない。その微笑みも、彼女のものではない。

「あなたは呪われた子……。本当に呪いをかけられていたとしても、誰も気に留めないわ」

「…………」

「準備をするから、おとなしく待っていて」

 ラゼル・キールストラは消えたのではない。僕の心からいなくなっただけだったのだ。

 シーラは踵を返し、部屋から出て行く。ぱたんと静かにドアが閉まると、僕はなんとか立ち上がってベッドに駆け寄った。

「リーネ! 起きて!」

「……うーん……」

 どうやら本当に眠らされていただけのようで僕は安堵の息をつく。ぱちりと目を開いたリーネが、顔を赤くして退いた。

「きゃあ! 夜這い!?」

「……元気そうで何よりだよ」

 辺りを見回したリーネが眉をひそめる。自分がどこにいるかまではわからないようだ。

「シーラの心に、ラゼルの心が乗り移っている。闇の魔法に近い魔法だ」

 リーネは顔をしかめる。彼女も、ラゼル・キールストラは僕の心から消えてなくなったと思っていただろう。

「シーラはいま、誰かに心から愛されたいと思っている。だから、愛される人ヒロインであるきみと入れ替わろうとしているんだ」

「私たちが転生者だって気付いているってこと?」

「たぶんね。僕たちのチート能力を利用しようとしているんだ」

 シーラがそれに気付いたのは、心に乗り移ったラゼル・キールストラによってもたらされた知識によるものだろう。ラゼル・キールストラは、僕が別の世界から来た魂だということを知っているはずだ。

「どうしたらいいの?」

「きみの光の魔法が必要だ」

 闇に対抗し得るのは光だけ。リーネの魔法の真価が問われる。

「シーラの中から、ラゼル・キールストラの心を追い出す。本来のシーラの心を取り戻すんだ」

「でも、いまのあなたはどうなるの?」

「僕は大丈夫。僕は転生者だから心はすでに別人だよ」

 リーネは安堵したように薄く微笑む。もし僕の中にラゼル・キールストラの欠片が残されていたなら、追い出すことで僕の心も何かしらの影響を受けたかもしれない。けれど、いまの僕の中にラゼル・キールストラはひとつも残されていない。

「ただ、いま僕たちは魔法封じをかけられている。それを解く方法を考えよう」

「それなら、ステータスウィンドウを使いましょう」

「ステータスウィンドウ?」

「私のチート能力よ。魔力は必要ないわ」

 リーネが宙に手をかざす。光の中に現れたウィンドウには、僕とリーネの名前が刻まれていた。ゲーム内で能力値を一覧にして表示する画面だ。僕とリーネの能力値と、使える魔法が記されている。

「光の魔法に何かしら方法があると思うんだけど……」

「私の魔法も封じられている以上、魔法には期待できないわね。……あっ! ここを見て」

 リーネがウィンドウの一角を指差す。僕が使える魔法の欄だ。

「報せ鳥があるわ。報せ鳥は魔力を消費しないはずよ。助けを求めましょう」

 魔法の一種である「報せ鳥」は、思念を伝達するための技術だ。体内に有する魔力ではなく、思念に含まれる魔力を消費する。体にかけられた魔法封じが影響することはない。

「でも、誰に出せば……。いまのシーラの状態を説明しなければならないよ」

「シーラに闇の悪魔が取り憑いたことにしましょう。あなたが闇の魔法に手を出したと思われるほど、あなたの周囲には闇の気配があった。それがシーラに乗り移ったことにするの」

「なるほど。わかった」

 僕は思念を固め、報せ鳥を窓の外に放つ。ジークハイドのところに無事に届けば、何かしら助ける手段を考えてくれるだろう。

「僕たちのことを信じてくれるといいんだけど」

「きっと信じてくれるわ。生徒会の人たちは、あなたを信用しているはずよ」

 リーネは自信を湛えて明るく微笑む。その表情は、まさにヒロインだった。

「とは言え、ここでおとなしくしているわけにはいかないね」

「私の力を使えばあるいは……。魔法封じを、私の内側から破壊できるといいんだけど……」

「リーネの内側から?」

「ええ。魔法封じって魔力回路を抑制する魔法だから、私の魔力回路の奥底にある私の固有魔力を使うの。上手くいけば内側から破壊できるかもしれないわ」

「でも、きみに危険はないの?」

「私なら大丈夫。だってあなたがいるんだから」

 リーネは可愛らしくウインクをして見せる。僕も魔法封じをかけられているため、魔法には期待できない。それでも、リーネをここで見す見す倒れさせはしない。リーネが失敗したとしても、なんとしてもここから連れ出す。そういうのを「火事場の馬鹿力」と言うんだったかな。

 リーネは胸の前で手を組み、自分の内側に意識を集中させる。リーネから溢れた淡い光がふたりを包み込んだ。そしてリーネが目を見開くのと同時に、パキン、と甲高い破砕音はさいおんが響き渡る。魔法封じの解除に成功したようだ。

 僕はリーネに手を差し出す。魔法を取り戻せればこちらのものだ。

 そこに、シーラが焦燥感を湛えて乱暴にドアを開く。彼女が手を振りかざすより一瞬だけ早く、リーネの肩を抱いた僕は転移魔法を発動する。次に足を着いたのは、生徒会室だった。

「なんとか上手くいったわね」

 安堵の息をついたのも束の間。真っ暗なホールが僕たちの周囲に現れ、闇の手が僕たちに迫った。僕はリーネの手を引き、生徒会室を飛び出す。

「ここまで魔法が届くの?」

「……違う。ここは学校じゃない。ラゼル・キールストラの心の中だ」

 窓の外が暗闇に埋め尽くされ、槍のような雨がガラスに叩きつける。ホールから伸びる手は、僕たちを捕らえようと容赦なく辺りを行き交った。窓の向こうでは、影の人間が落ち窪んだ目から真っ赤な雫を流している。悍ましい声が僕たちの鼓膜を揺らした。

「もう! 鬱陶しいわ!」

 リーネが手をひと振りする。辺りを覆い尽くすように溢れた光が、嵐のように闇を掻き消した。

「さすがヒロインだね」

「やっと認める気になったかしら?」

 気を緩めそうになった一瞬を新たな闇が狙っていた。真後ろから伸びた手を避けるため、僕はリーネの肩を引いて教室に飛び込む。その途端に宙に浮かび上がった机や椅子が、一斉に僕たちに襲いかかった。アクションゲームさながら、僕とリーネは身を屈めたり跳躍したりしてそれを躱す。

 そのとき、突如として僕たちの足元に穴が出現した。リーネが教室の床を掴もうと手を伸ばしたが、それは寸でのところで届かなかった。僕は強くリーネの手を引く。

「掴まって!」

 リーネは咄嗟に僕の肩に腕を回した。僕はリーネの体を抱えると、空間に氷の足場を形成する。段を作り、落下の勢いを殺しながら地面を目指した。ややあって足が到達したのは、また別の教室だった。僕はまたリーネの手を取って再び駆け出す。

「さすが隠し攻略対象ね」

「特訓した甲斐があったよ」

 余裕に笑い合っても、それはふりでしかない。闇の手は次々に出現して僕たちを捕らえようと宙を舞っている。

 そのとき――

「ラゼル! こっち!」

 アラベルの呼びかける声が聞こえた。それと同時に闇の中に輝く穴が現れる。僕とリーネは強く手を握り合い、滑るようにして穴の中に飛び込んだ。勢いよく宙に放り出された僕をジークハイドが、リーネをジェマが受け止めた。僕とリーネは揃って地面に手をつき、ぜえはあと肩で息を整える。体力的にもうギリギリだった。

 クラリスとエゼリィが僕たちに魔力を分ける。そうすることで体力値を回復するのだ。

 ひとつ深呼吸をして、僕は辺りを見回す。暗い森の中だった。

「ここは……」

「迷いの森だよ」アラベルが言う。「ここに誘き出すのでやっとだったんだ」

 迷いの森はその名の通り複雑な魔法がかけられている。普通なら学生が近付くような場所ではない。例外の出来事が起きているいま、最適な場所であるだろう。

 そこに、ひと際に強い風が吹き荒れる。僕たちの前に出現したシーラの顔は闇に覆われ、ただ開いているだけの暗い目からぽろぽろと涙を零していた。

「どうして……どうしてあなたは私の持っていないものを持っているの……」

 憎しみと悲哀を込めた低い声が言う。それはリーネに向けられていた。レイデンとジェマ、ウィロルがリーネを背に庇う。

「どうしてあなたは愛されるの……光を魔法を持つことだけしか価値がないのに」

「随分な物言いだわ。シーラだって、私には持っていないものを持っているはずよ!」

「そんなの……綺麗事だわ……。私には何もない……なんの力も持たない……無価値の人間……」

 それはまるで呪詛のようだった。自分自身を呪う言葉だ。

「そんなことはない」ジェマが力強く言う。「シーラは充分、俺の力になってくれている」

「やめて……何も聞きたくない……。返して……返してよ……僕を返して……愛して……」

 シーラの纏う闇が大きく燃え上がる。クラリスとマチルダ、エゼリィが僕を背に庇って杖を手に取った。

「ラゼルとリーネは消耗が激しいはずだ」レイデンが言う。「私たちで食い止める!」

 六人が一様に頷くと、闇の触手が縦横無尽に舞った。狙いは僕とリーネだ。僕とリーネは囮として駆け出し、仲間の攻撃が触手を打ち破るよう誘った。

 エゼリィの魔法を避けた闇の触手が、僕の足に絡みつく。僕がバランスを崩すより一瞬だけ早く、ジェマの振りかざした剣が触手を断絶する。シーラが痛みに悶えるように声を上げた。ジェマは顔をしかめるが、即座に次の一手に踏み出していた。

 リーネの光の魔法が発動する。しかしそれは、宙に現れた闇のホールに吸い寄せられ、シーラに届く前に打ち消された。

「クラリス、エゼリィ!」マチルダが凛として言う。「魔法でホールを封じ込めて!」

 その声に弾かれ、クラリスとエゼリィが次々に魔法を放つ。闇のホールはそちらに気を取られ、シーラに一瞬の隙を生み出した。それを見逃さなかったリーネが、大きく手を振りかざす。彼女の手のひらから溢れた眩い光が、シーラを包み込むように膨れ上がる。それに押し出されるように、闇がシーラから剥がれ落ちた。

「やめて……嫌だ……お前はいなくなれえええ!」

 何本もの闇の触手が僕の足に絡みつく。他の七人が反応するより一瞬だけ早く、闇が僕の目の前に迫った。

「甘く見ないでよね!」

 リーネが強く足を踏み込むのと同時に手を振り上げる。放たれた光の一矢が、僕に手を伸ばす闇を突き刺した。霧散し光に掻き消された闇は、最後の力を振り絞るように悍ましい断末魔を僕たちの耳に残した。それも、リーネの光が弾けるので消えていった。

 ほっと安堵の息をついたのも束の間。僕とリーネは全身から力が抜け、あっという間に意識を失っていた。






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