第2章【4】

 大聖堂の陰から向こう側を覗き込んだベアトリスは、ニーラントに手振りで足を止めさせる。その後ろでラルフとヴィンセントも立ち止まった。

「あそこにおそらく王太子殿下の討伐隊がいるわ」

 一箇所にゾンビが群れを作っていた。その中から銃声と怒号が聞こえる。この危険な場所で戦う一団、それはクリストバル王子の討伐隊で間違いないだろう。

「あなたたちはここで待機していなさい」

 ベアトリスの言葉に、ラルフとヴィンセントは少し緊張した面持ちで頷いた。

「ニール、援護なさい。合図を出したら手榴弾を投げるのよ」

「承知しました」

 マジックパックから取り出した手榴弾をニーラントに渡し、ベアトリスは大聖堂の陰から足音を潜めて飛び出す。最も外側にいた一体をステルスキルで下すと、他の個体はそれに気付いた様子はなかった。もう二体を同じように沈めたとき、ゾンビたちはようやく異変に振り向いた。

「ニール!」

 ベアトリスは呼びかけながら、瓦礫の陰に身を隠した。ニーラントの投げ込んだ手榴弾が弾け、群れの半分を撃破する。その音で、戦いを続けていた者たちにどよめきが広がった。

 立ち上がったベアトリスは、ライフルの銃弾を次々にゾンビの頭部に撃ち込む。ニーラントも建物の陰から出て応戦し、ゾンビは成す術もなく倒れていった。

 ニーラントが赤いドラム缶に弾を撃ち込み、大きな爆発が起こる。群れていたゾンビがほとんど消滅すると、一団の中から聞き覚えのある声が上がった。

「ベアトリス!?」

 最後の一体をヘッドショットで沈め、ベアトリスは不敵に微笑んで見せる。

「ごきげんよう、クリストバル王太子殿下」

 この国の第一王子にして王位継承者のクリストバル王子は、ベアトリスの登場に困惑の色を深めた。

「なぜここに……」

「僭越ながら、援護に馳せ参じましたわ。わたくしも討伐にお供させてくださいませ。そちらの田舎娘より役に立ってご覧に入れますわ」

 一団の中に騎士たちに庇われるヒロイン・レイラを見つけ、ベアトリスは意地の悪い笑みを浮かべる。これが悪役令嬢、とニーラントが感心したように呟いた。

「レイラ!」

 ラルフが駆け寄って行く。レイラは青い瞳を丸くしたあと、安堵の表情でラルフの手を取った。

「ラルフ! 無事でよかった……!」

「お前こそ、怪我はないか?」

「ええ、平気よ」

 レイラは長いピンクブロンドの髪が愛らしく、憂いを浮かべる青い瞳は人を惹きつける魅力が見え隠れしている。なるほどこれがヒロインか、とベアトリスは心の中で呟いた。実際に目の当たりにしてみると、攻略対象が彼女に夢中になる理由がわかった気がする。

「王太子殿下、ご無事で何より」

 ヴィンセントが明るく笑いかけた。クリストバルは依然として怪訝な表情だ。

「いったいどうやってここに……」

「話はあとですわ。先ほどの騒ぎを聞きつけて、他のゾンビが寄って来るかもしれません。わたくしについて来てくださいませ」

 ライフルを手にしたまま駆け出すベアトリスに、一団は困惑の表情を浮かべている。それでもクリストバルが彼女に続くよう促すと、一団はようやくベアトリスのあとを追った。

 見たところ、クリストバルの討伐隊は騎士が五人、魔法使いが五人、銃器部隊は十人ほどのようだ。銃器部隊のほうに人員を割いているのは僥倖だ。

 ラルフとヴィンセントはレイラを守れるよう位置取る。さすが攻略対象はヒロインに惹きつけられるらしい。だが、ヒロインはこの街を救う唯一の手立て。守る者は多いに越したことはない。

 ベアトリスは最も近いセーフハウスに一団を導いた。ここはただの家屋で、避難した民はいないようだ。

「ここが安全地帯ですわ。いまのうちに回復を」

 一団はまだ戸惑っているが、ベアトリスの戦いぶりを見たことと、クリストバルが彼女に続いたことを加味し、彼女が信用に足る人間だと判断したらしい。魔法使いが回復に回り始めた。

 ラルフとヴィンセントはレイラとともに壁際に腰を下ろす。馴染みの顔と再会したことで、レイラもようやく安堵しているようだった。

「ベアトリス、なぜあんなところにいたんだ」

 クリストバルが怪訝な表情で言う。ベアトリスは肩をすくめて見せた。

「居ても立ってもいられなくて出て来てしまいましたわ」

「こんな危険な場所にか?」

「どこで戦い方を学ばれたのですか?」

 騎士のファルハーレンが訝しげに言う。彼は攻略対象のひとりで、クリストバルの護衛だ。

「私は侯爵家の娘。いろんなことを教わっているわ」

 クリストバル王子とは昔からの付き合いがある。穏やかさに優しさを兼ね備えた性格で、短い金髪と浅葱色の瞳が美しい。王道と言われる理由は、ヒロインとの身分差とこの見目の麗しさが最たる要素だろう。王位継承者として気の抜けない日々を過ごしていた中、天真爛漫なレイラと出会い心の鎖を解かれていくのだ。

 騎士のファルハーレンは実直な青年だ。生真面目で頑固なところがあるが、クリストバルを守る気概は人一倍にある。クリストバルのためなら命を賭する覚悟があり、その重責に気を病み始めた頃にレイラと出会うのだ。

 ベアトリスは壁際のレイラを見遣る。レイラはおどおどとベアトリスを見つめている。

「随分なお荷物を持っていらしたのですね。武器も持っていないだなんて」

「彼女に――レイラに戦闘能力はない」と、クリストバル。「だが、光の魔法を持っている」

「それはそれは。では、強化魔法をお使いになられるのかしら?」

 あくまで意地悪く言うベアトリスに、え、とレイラは表情を硬くした。

「いえ、あの……まだ使えません……」

「まあ! そんな簡単なこともできないの? それでよくついて来たものね」

 ベアトリスの嫌味は、ラルフとヴィンセントの心証も悪くしたようだ。それが悪役令嬢なのだから、ベアトリスには本意である。

「ベアトリス。レイラは光の魔法が発現したばかりなんだ。まだ上手く使いこなせない」

「さようですか。いいわ、私が教えてあげる。こちらにいらっしゃい」

 ベアトリスの提案に、クリストバルとレイラは揃って目を丸くした。それはニーラントとファルハーレン、ラルフとヴィンセントも同じことで、しかしベアトリスは気にせず続ける。

「そのあいだに討伐隊のみなさまは休憩を。この先も厳しい戦いが続きますわ」

「ああ、わかった」

 クリストバルが部下たちの指示に向かうと、ベアトリスはレイラと向き合った。レイラはまだベアトリスの意地悪さに怯んでいる様子で、ラルフとヴィンセントも多少なりとも警戒している。しかし、レイラが光魔法を使いこなすようにするのは急務である。ベアトリスは構わず口を開いた。

「光の魔法は単純明快よ。心で神に語りかけ祈るの。その祈りが届いたとき、光の魔法は発動するわ」

「お嬢様、なぜそんなことをご存知なんですか?」

「これも知識として持っているだけよ。さあ、レイラさん。やってごらんなさい」

「あ、はいっ……!」

 レイラは胸の前で手を組み、静かに目を瞑る。彼女を淡い光が包み込むが、それは一瞬で風に掻き消されてしまった。

「祈りが弱いわ。ただ祈るだけでは駄目。光の魔法で誰かを守りたいと願うことが肝要よ」

「はい!」

 レイラの瞳に希望の色が宿る。再び祈りを捧げる彼女を、静かに、しかし強い光が包み込んだ。それは波動となり、建物内にいるすべての人間に吸い込まれていった。何か温かいものに包まれたように感じる。

「及第点といったところかしら」ベアトリスは言う。「けれど、これでゾンビがそう簡単に近寄れなくなったわ。ゾンビ化する確率を下げることができるわ」

「……よかった……。ありがとうございます、ベアトリス様」

 安堵に微笑むレイラに、ベアトリスは肩をすくめて見せた。

「貴重な光の魔法使いなんだから、せめて役に立ってちょうだい」

「はい! 頑張ります!」

「ありがとう、ベアトリス」と、クリストバル。「きみには助けられてばかりだ」

「侯爵家の娘として当然のことをしたまでですわ」

 ベアトリスはつんと澄ましてそう言い、それから、来なさい、とニーラントの手を引いた。驚いた様子のニーラントを連れて、一団から少し離れる。

「私、嫌味を言ったはずなんだけど」

 声を潜めて言うベアトリスに、ニーラントは苦笑いを浮かべた。

「励ましているようにしか聞こえませんでした」

「…………」

 悪役令嬢がヒロインを励ましていいことなんてあり得ない、とベアトリスは頭を抱える。なぜ嫌味で励まされるの、と不可解でならない。レイラとクリストバルだけでなく、ラルフとヴィンセントまで「見直した」というような表情をしている。

「次こそは立派な悪役令嬢として振る舞ってみせるわ」

「立派な悪役って……」

「悪役令嬢がいないと物語は成り立たないんだから」

 ニーラントが複雑な表情になる。彼の言いたいことは、悪役令嬢になったらベアトリスは死ぬ、ということだろう。だが、ヒロインと出会ってしまった以上、その役割を果たさなければならない。悪役令嬢がいなければ、乙女ゲームは成立しないのだ。

 ベアトリスとニーラントが戻って行くと、クリストバルが強い意志を湛えた瞳で言った。

「街に残された民を、護衛隊を伴って王宮に避難させる」

「喜んでお供いたしますわ。まずは、ゾンビの倒し方をお教えします」

「そんなことまで知っているのか?」

 クリストバルが目を丸くするので、ベアトリスは小さく笑う。

「どうやってここまで来たとお思いですの? まあ、細かいことは無しにいたしましょう。討伐隊を集めてくださいませ」

 まだ不可解そうにしながらも、クリストバルは部下たちを呼び寄せた。集まって来た二十人の討伐隊を前に、小さく息をついてから口を開く。

「まず、ゾンビの倒し方は基本はヘッドショットよ。ゾンビの弱点の中で最も有効なのが頭。上手く当たればヘッドショット一発で倒せるわ。ボディショットでも何発か入れれば倒せるから、遠慮なく撃ち込むことね。次点で、体を斬り無力化すること。ゾンビは火に弱いから、無力化させ燃やすことでも倒せるわ。銃器部隊はとにかく撃ち込み、騎士は体を斬って無力化させ、魔法使いは無力化したゾンビを焼くこと。無力化させないと火だるまになって襲いかかって来て危険よ」

 討伐隊は驚きつつも静かにベアトリスの話を聞いている。ただの侯爵令嬢であるベアトリスが救援に駆けつけ、その上にこれだけの知識を持っていることに驚いているようだった。

「作戦としては奇襲が望ましいわ。ゾンビは頭がよくないから、一気に畳み掛ければ制圧できるはず。まずは銃器部隊が攻撃を仕掛け、取りこぼしを騎士・魔法使いで討伐する。そんなところかしら」

 肩にかかる髪を払いながら言葉を締めたベアトリスに、どこからともなく拍手が巻き起こった。それが全体に広がっていくので、今度はベアトリスが面食らう番だった。

 ベアトリスは横に控えていたニーラントに耳打ちする。

「私、特別なことは言っていないのだけれど」

「普通の侯爵令嬢がこれだけの知識を披露すれば、拍手したくもなりますよ」

 確かに、クリストバル率いる討伐隊はいち早く街へ救援に向かうために臨時で組まれたものだ、とベアトリスは考える。ゾンビの知識はないだろう。突如として現れた侯爵令嬢がゾンビの知識をこれだけ持ち合わせていれば、それは驚くことかもしれない。

「ベアトリス」クリストバルが言う。「この街は夜が明けないようだが……」

「ええ、いまはそうですわ。ですので、いつでも、どこからでもゾンビが襲いかかって来ると思っておいてくださいませ」

「わかった。では、作戦を練る。各隊長は集まれ」

 クリストバルの呼びかけに、それぞれの隊からひとりずつが彼のもとへ駆け寄った。隊員たちも各々で作戦会議を始まるので、ベアトリスとニーラントはその輪を離れる。壁際に控えていたレイラが、微笑んでふたりを出迎えた。ラルフとヴィンセントもベアトリスに対する評価を上げたような表情をしている。

「お見事でした、ベアトリス様。あれほどの知識をお持ちなんて、すごいです」

「あなたは何もかも足りないみたいね。足手纏いにだけはならないでちょうだい」

「はい!」

 素直に頷くレイラに、ベアトリスは思わず言葉に詰まる。もともと天真爛漫であるレイラだが、悪役令嬢ベアトリスに笑っていられるなんて、ただの能天気なのかしら、とベアトリスは心の中で毒づいた。

「お嬢様」

 ニーラントが声を潜めて呼ぶので、ベアトリスは考えるのをやめる。

「ステルスキルのことはお教えしなくてもよろしかったのですか?」

「ええ。これだけの人数がいては、ステルスキルは無理よ。それに、これだけ人数が揃っているのだから、奇襲をかけたほうが早いわ」

「なるほど」

 複数人でステルスキルを試みてもいいのだが、その途中で誰かが気付かれては意味がない。そうであれば、初めから奇襲をかけて圧倒したほうが話が早いのだ。

「ベアトリス、随分と人が変わったみたいだ」

 ヴィンセントがつくづくと言う。ヴィンセントとは昔から馴染みがあるため、本来のベアトリスも知っている。本来のベアトリスであれば、自分を危険に晒す可能性のあるようなことには首を突っ込まなかっただろう。

「ゾンビと戦うなんて初めは嘘だなんて思ったけど」と、ラルフ。「きみはゾンビをよく知っているようだ」

「そうね。あなたたちよりは知っているかもしれないわね」

 信頼の眼差しが居心地を悪くさせ、ベアトリスはニーラントの腕を引いた。

「ニール、アイテムボックスを漁りに行きましょう」

「はい」

 家の奥の書斎にアイテムボックスは置かれていた。中身はガンパウダーとハーブという変わらないラインナップだが、数は増えている。チートスキル万歳、とベアトリスは心の中で手を挙げた。

「んー……ショットガンの弾を作る素材はないわね」

「三発しかないのでは、使いどころを失敗できませんね」

「まあ、まだ物語の序盤だし、それほど多用することもないと思うわ」

 素材を合成させてハンドガンとライフルの弾を作り、ハーブを組み合わせて回復薬を調合する。いまできることはそれくらいのようだ。

「マグナムが欲しいわねえ……」

 なんの気なしに呟いたベアトリスに、ニーラントが眉根を寄せる。

「お嬢様がどんどん猟奇的に……」

「失礼ね。マグナムはどんな武器よりも威力が高いの。攻撃は最大の防御! 戦いの基本よ」

「基本ではない気がしますが……」

「あとは、ライトで照らしたら倒せたりしないかしら……」

「お嬢様も私もライトの魔法は使えませんよ」

「いいえ、魔法じゃなくて物理よ」

「物理……? 電灯ということですか?」

「そうね。もしそんなライトがあれば、バッテリーはチートスキルで無限に湧いて来そうなのに……残念だわ……」

 そんなことを考えつつエントランスホールに戻って行くと、おかえりなさい、とレイラがふたりに微笑むので、ベアトリスはつんと澄ましてそれを無視した。

 それから、クリストバルと三人の隊長は真剣に話し合いを続けた。部下たちはそれぞれの武器の手入れに余念がなく、討伐隊の士気は高い。ベアトリスとニーラントはそれぞれ回復薬を服用し、貴重な休息の時間を全うした。ただしベアトリスは、なぜかヒロインであるレイラが隣に座ってにこにこしているので、どんな嫌味を言えば効くだろうかと考え続けていた。

「ベアトリス」

 会議を終えたクリストバルが歩み寄って来るので、ベアトリスは立ち上がって衣服の乱れを直した。とはいえ戦いで傷んでいるため、整えてもあまり意味がない。

「情報によれば、民は教会に避難しているとのことだが」

「ええ。ですが、教会以外にも民が逃げ込んだ場所があります。順番に回る必要がありますわ」

「その場所は把握しているかい?」

「はい。ひとつ残らずご案内できるはずです」

「頼むよ」

「かしこまりました。……殿下。恐れながら、ひとつお願いしたいことがあります」

「なんだい?」

「民を王宮へ避難させる前に、新しい討伐隊をこちらへ向かわせてくださいませ。民を避難させるために、いま居る隊員を同行させますでしょう? 追加部隊が必要ですわ」

「わかった。そのように手配しよう」

「回復薬を持たせてくださいませ。街の安全地帯をお教えいたしますわ」

「そんなこともわかるのかい?」

「自分の領地のことですから。それと……もし用意できるのであれば、ショットガンを持たせてくださいませ」

「ショットガン?」

 クリストバルは目を丸くするが、ベアトリスは真剣に頷く。

「できるだけ多く持たせてくださいませ」

「……わかった。用意させよう」

 ベアトリスは地図にセーフハウスの場所を記す。それを見たクリストバルが指示を出すと、そばに控えていた魔法使いが杖の先から鳥を造り出した。伝達魔法の「報せ鳥」だ。これで王宮に指示を出すのだ。

「ひとまず、教会へ向かおうと思う。案内を頼めるかい?」

「お任せください。最短距離でご案内いたしますわ」

 ベアトリスはライフルを背に負い、マジックパックが腰にあることを確認すると、セーフハウスの扉を開いた。ここに来るまでにふたつのセーフハウスを経由して来たが、東回りで行けば教会まで最短距離で辿り着ける。できれば早く父母の安否を確認したいと思っていたため、教会が目的地となって安堵していた。





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