第2章【3】

 時間としては一晩、しっかり眠ったはずなのだが、陽が昇らないという点で朝という感覚がない。すっきりしない目覚めだった。

「今日あたり、王子の討伐隊と合流できるといいんだけど」

 ライフルの手入れをしながらベアトリスは言った。ゲームのシステムが存在していることが幸いし、あれだけ戦ったというのにライフルは少しも傷んでいないようだ。ニーラントもすでに手慣れた様子でハンドガンの消耗を確認している。

「王太子殿下もこちらに向かわれているのですか?」

「そのはずよ。オープニングは終えているでしょうし、ヒロインともすでに合流しているはずだわ」

 ラルフが歩み寄って来るので、ふたりは話すのをやめた。

「おはよう、で合ってるのかな」

「ええ。よく眠れたかしら?」

「お陰様で」

「そう。じゃあ今日はその分、働いてもらわないといけないわね」

 ラルフは困ったように笑っているが、その表情は出会ったときより幾分か和らいでいる。戦う術を身につけたことで、多少なりとも安心感を得たようだ。

 ベアトリスはライフルを背負うと、民の注目を集めた。

「必ずあなたたちを助けに戻るわ。この家から一歩も出ないことよ」

 民は揃って頷く。一晩を無事に過ごせたことで、この家が安全地帯であることを理解したようだ。

 ベアトリス、ニーラント、ラルフが出たことを確認すると、民はセーフハウスに鍵をかけた。鍵をかけなくてもゾンビが入って来ることはないのだが、そのほうが落ち着くというものだ。

「ナイフがもう一本、手に入ればいいんだけど……」

「ステルスキルの有用性を考えるとそうですね」と、ニーラント。「ナイフならどこでも手に入りそうなものですが……」

「ナイフならなんでもいいというわけでもないみたいね」

 ステルスキルを使えば、弾薬を節約することができる。いくらチート能力が存在していても弾薬が無限に手に入るということはないため、いざというときのために少しでも温存しておきたい。ステルスキルの場合、適当なナイフで試そうとして失敗する可能性があると考えると、慎重にならざるを得ないだろう。


 ゾンビが出現するたびに、ラルフは徐々に銃の扱いに慣れていく。命中率は確実に上がっていた。まだベアトリスとニーラントのサポートが必要ではあるが、戦いに順応するだけの能力はあるらしい。それは攻略対象であるためだろう、とベアトリスは考えていた。攻略対象がゾンビ戦に順応できなければ、ヒロインとともに戦うことができない。ラルフの能力値は大幅に広がりを見せることだろう。

 ゾンビが周辺にいないことを確認してから、ベアトリスは小休憩の指示を出した。ラルフは、張り詰めていたものが解けたように深く溜め息を落とす。

「命中率が上がっているわね。ゾンビ戦は倒せる物だと認識して躊躇わないことが重要よ」

 ラルフのステータスウィンドウを開く。ハンドガンであるため攻撃力の上昇は緩やかだが、ゾンビを倒した実績によって熟練度が上がっている。この分なら、ヒロインと合流する頃にはひとりでも戦えるようになるだろう。

「でも、怖くないのか? 倒せる物だとしても、命が危険に晒されていることに変わりはない」

「銃で倒せるのだから脅威ではないわ。ゾンビのことを知っていれば尚更よ。大型のゾンビになれば話は変わるでしょうけど、雑魚ゾンビを恐れる必要はないわ」

「貴族の令嬢とは思えないよ。銃を持って戦う令嬢なんて聞いたこともない」

「そうでしょうね。私でなければ、セーフハウス安全地帯で怯えて震えていたでしょうね」

 普通の貴族の令嬢は、そもそも銃器を扱う心得もなければ機会もない。戦う術を持たなければ、こうしてセーフハウスの外に出ることはあり得ない。それでも悪役令嬢ベアトリスは、悪役令嬢が故、王太子の討伐隊に参加することになる。戦力には少しもならないだろう。

「きみは何者なんだ?」

 ラルフが真っ直ぐにベアトリスを見つめる。ベアトリスを見極めようとする瞳だ。

「それはあなたが知る必要のないことよ」

 ベアトリスが転生者であることは、攻略対象であるラルフには関係のないこと。ラルフはベアトリスの知識を活用して能力値を伸ばせばそれでいい。ヒロインとともに戦うことができるようになればそれでいいのだ。

「あなたの友達はどんな人なの?」

 ラルフが助けようとする友人と言えば、ヒロイン以外にあり得ない。そうでなければ物語は成立しない。

「子どもの頃からの付き合いで、妹のような存在だ。優しくて、いつもにこにこしてるんだ。町の人にも好かれていて、子どもたちはよく懐いているし、大人もレイラを頼りにしている」

 それはヒロインということもあるだろうが、そうでなくてもレイラは魅力的な少女なのだろう。ここが現実世界になり、ベアトリスが悪役令嬢ではなくなった現状、ヒロインがヒロインでなくなる可能性もあり得る。しかしそれは杞憂だったようだ。

「この街がゾンビに襲われて僕が取り残されていると知れば、飛び出して来るかもしれないな」

「強いのね」

「そうだな。僕はレイラを守ってやりたいのに、レイラはあまり僕を頼らない。僕は弱いんだ」

 ラルフの表情に影が落ちる。ラルフは攻略対象の中で最も戦闘能力が低い。ラルフは自分でそれをよく理解している。光の魔法という特別な力を持っている以上、ヒロインのほうが強いのは確かだ。それでも守りたいと思うのは、レイラを大事に思っているが故だ。

「確かにあなたは弱いわ。早いところゾンビ戦に慣れてもらわないと。無事に幼馴染みと再会したいなら、ひとりで戦い抜くくらいの度胸と覚悟を持ってもらわないと困るわ」

「わかってるよ。尽力する」

「尽力じゃ足りないわ。全力を尽くすの」

 強い意志とともに言うベアトリスに、ラルフは真剣な表情で頷く。

「きっとレイラも心配しているだろうな」

「レイラさんのことが好きなのね」

 ベアトリスは悪戯っぽく笑って言う。かまをかけたつもりだったのだが、案の定、ラルフの頬が紅潮した。

「いや、そんなことはない。レイラはそんなふうに思ってないよ」

(レイラ、ね)

 慌てふためくラルフに、ベアトリスは小さく笑う。ラルフは好感度が上がりやすく、攻略難易度は低めの傾向にある。妹のような幼馴染みと口では言っても、すでにレイラに惹かれているのだ。ヒロイン・レイラは可愛らしい顔立ちをしている。古くからの付き合いであれば、惹かれるのも無理はないだろう。

「さ、休憩はこれくらいにしましょう。のんびりしている暇はないわ」

「ああ」

 ニーラントはベアトリスのチート能力の恩恵を受けているが、攻略対象であるラルフにも適用されるかというと怪しく感じられる。ベアトリスとニーラントと比べ物にならないくらいの疲労度を溜めるかもしれない。小休憩は多めに取るに越したことはないだろう。

 王子の討伐隊が街に入るとしたら、北側の門だろう。隣町から最短で街に入れるルートだ。ベアトリスはその付近のセーフハウスも把握している。北の門で待っていれば、正確に導くことができるだろう。

 足音を潜めて歩いて行った先に、三体のゾンビの背中が見えた。

「私がまず一体、倒すわ。あなたはニールの合図で援護射撃をしなさい」

「わかった」

 ベアトリスは身を屈めてゾンビの背中に向かい、ステルスキルの好機を狙う。しかし、もうすぐ手が届くというそのとき、ベアトリスの背後で唸り声が上がった。瓦礫の向こう側に横たわる生きたゾンビがいたのだ。それによりベアトリスの前方のゾンビも彼女を視認する。このままではニーラントとラルフの援護射撃は間に合わない。

(しまっ――)

 ベアトリスがライフルを構えるより一瞬だけ早く、激しく轟いた白い稲妻が、その場にいたゾンビを一掃した。それは聖属性の魔法だった。

「危ないところだったね」

 穏やかな声で言いながら、赤毛を後頭部で結んだ長身の青年が瓦礫の裏から姿を現す。その人物に、ベアトリスは目を丸くした。

「ヴィンセント!」

 それは攻略対象である魔法使いヴィンセントだった。ヴィンセントはこの街で暮らしているため会う可能性があると考えていたが、セーフハウスの外で合流するとは思っていなかった。

「どうしてあなたがここにいるの?」

「隣町にいるレイラという少女に光の魔法が顕現したらしい。興味が湧いてね。これから迎えに行くところだよ」

「レイラが……? この街にゾンビを倒しに来るのか?」

 驚いて目を丸くするラルフに、ヴィンセントは穏やかに微笑んで見せる。

「クリストバル王太子殿下の率いる討伐隊が、この街の援護に向かっている。その途中で、レイラ嬢のいる隣町に寄られたようだよ。討伐隊にいる知人が報せを出して来た。もう隣町を発っているから、今日中に着くだろうね」

「迎えに行く必要がなくなったわね。到着するのを待ちましょう」

 クリストバル王太子とヒロインが隣町で合流するのは物語通りだ。普通の少女であるレイラにゾンビとの戦いが待っているのは酷なように感じられるが、光魔法はゾンビにとって最も有効なもの。クリストバルの討伐隊を護衛として、この街を救うために立ち上がるのだ。

「けど、道中はゾンビが出る」ラルフが言う。「きみなら安全地帯を知っているだろう?」

「ええ」

「ゾンビは街の外にも漏れているはず」と、ヴィンセント。「安全地帯を知っているなら迎えに行ったほうがいい」

「いいわ。北の門まで迎えに行きましょう」

 ベアトリスは肩にかかる髪を払ってきびすを返す。討伐隊が道中でゾンビにやられるのはベアトリスも困る。ゾンビもセーフハウスも知り尽くしたベアトリスが迎えに行くのが最善だろう。

「それまでは自力で戦って来てもらわないといけないわね。役立たずなら即刻、退避してもらうわ」

「報せを出すよ」

 ヴィンセントが魔力で鳥を形成する。伝達魔法の「報せ鳥」だ。思念を乗せて届けることができる。討伐隊は北の門を目指して来ることになるだろう。ゾンビと戦いながらの合流となると、こちらのほうが先に北の門に辿り着けるだろう、とベアトリスは考えていた。

「ヴィンセント。あなたは聖属性の魔法が使えたわね」

「ああ」

「光魔法に比べると戦力は劣るけど、ラルフよりあなたのほうが当てにできるわ。手を出したからには、最後まで戦ってもらうわよ」

「わかってるよ。セラン家に恩を売るちょうどいい機会だ」

 ヴィンセントは爵位こそないもの、この街の貴族である。セラン侯爵家の恩返しは、家に大きな恩恵をもたらすことだろう。

「それはあなたの働き次第よ。役立たずを称賛するつもりはないわ」

「相変わらず手厳しいな」ヴィンセントはあっけらかんと笑う。「きみに認めてもらえるよう尽力するよ」

「そうしてちょうだい。ニール、ちょっと来なさい」

「はい」

 ラルフとヴィンセントに待機の指示を出し、ベアトリスはその場を離れる。あとに続いたニーラントの腕をぐいと引っ張った。

「また戦いが優位になる攻略対象に出会えたわ」

「やはりヴィンセント様も攻略対象なんですね」

「ええ。ヴィンセントを仲間にすると、弾薬のドロップ率が上がるの。ただヒロインの場合、自分から会いに行かないと合流できないのよ」

「自然に登場する人物ではないのですね」

「そうよ。ここで合流できたのは僥倖だわ。私が連れて行けば、ヒロインとも合流することができるわ。しかも聖属性の魔法が使えるから、戦闘も楽になるわ。育てなくても、ある程度の能力値もあるし」

「では、あとは王太子殿下の討伐隊と無事に合流するだけですね」

「ええ」

 ベアトリスはニーラントに不敵に微笑んで見せ、ラルフとヴィンセントのもとに戻る。この話はラルフとヴィンセントにはわからないことだ。

「王太子殿下を導くセーフハウス安全地帯を確認しながら北の門を目指しましょう。足手纏いにはならないでちょうだい」

 ラルフは力強く、ヴィンセントは穏やかに微笑んで頷く。これだけの戦力があれば、そう簡単にやられることはないだろう。ヒロインと攻略対象を最善のエンディングに導く。それがベアトリスに課された任務で、運命である。





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