第7話



「ともかく、いささか不完全ながらコミュニケーションがとれてまぁまぁそこそこに会話が成り立っているのは幸運ですよ」


 大倉山がセルゲイエフ・センサーをいじくりながら言った。


「そうねぇ~でも、あの音の主がどこの何者なのか素性を知らないといけないわね

 我慢強く腰を据えて掛からねば…」


 桜田がビールのジョッキを飲み干してカウンターに置いた。


「もうちょっと強いお酒が飲みたくなったわね…」


「この前入れた焼酎のボトルならありますよ」


 私が言うと桜田がにやりとした。


「それじゃいただこうかな?

 ママさん、水割りで焼酎貰っても良いかしら」


 ママが私のボトルをカウンターに出した。


「はいはい、水割りでね」


「あたしも焼酎貰おうかしら」


 ジョアンが小さく手を上げた。


「それじゃ僕も」


 大倉山がセルゲイエフ・センサーを置き、目の前のビールを飲み干して言った。


「とみきさんは?」


 ママが桜田たちの水割りを作りながら聞いてきた。


「う~ん、どうしようかな~?」


「皆飲んでるんだから大丈夫よ

 もうビール飲んでるし、いっちゃえいっちゃえ!」


 桜田がドンと私の方を叩いた。


「それじゃ私も焼酎いただこうかな?

 まぁ、公式の調査じゃないし、ただの情報収集だし、もうビール飲んじゃってますからね。」


「いよっし!そうこなくちゃ!

 …ところでママさん、変死した前の店のママ以外にこういう事が…」


 桜田はドンドンと鳴る店の壁を指差した。


「起こる心当たりは無いですか?

 どんなに些細な事でも良いのだけれど」


 ママは水割りを作りながら小首をかしげた。


「う~ん、特にこれって言うのは…」


「ママが子供の頃とかにこういう現象、ほかに何か普段と違うものを見たり聞いたりとか…無かったですか?」


 ママは私達に水割りを出しながら考え込んでいた。


「私は昔から霊感はゼロだったから…前の店からの常連の人でいきなり行方不明になった人がいたけど…それはこの店を開いてから、壁がドンドン鳴ったり、店の電気が突然消える前の事だから…」


「ママ、その事なんだけど、この前、その行方不明になった人のことを話していた時に黒い犬…」


 ドン!ドン!


 私がそこまで言い掛けた時に壁が凄い勢いで叩かれた。


 今までに無い激しさで2回。


 壁に掛かっていた絵の額がずれてしまうような激しさで2回。


 私達は顔を見合わせた。


「なになに?

 今のは何に反応したんだろう?」


 桜田が私に問いかけるように言ったがもちろん私は答えなど出るはずも無い。


「さぁ…ひょっとして…黒い犬のことかな?」


 私は壁に向き直った。


「今のノックは黒い犬のことを言ってるんですか?」


 ドン!


 壁が物凄い勢いで鳴った。


「黒い犬はあなたの化身ではないのですか?」


 ドン!ドン!ドンドンドンドンドン!


 壁が鳴り出した。


 叩く音に続いて壁の建材が壊れるようなメリッと言うような音も混じっている。


 先ほどの衝撃でずれた絵の額が壁からはずれ、ボックス席のいすの上に落ちた。


「なんかいつもと違う…ちょっと怖いわ」


 ママが耳を押さえ、怯えた口調で言った。


「判ったから壁を叩くのをやめてください!」


 壁の音がやんだ。


「…今の過剰反応はなんだろうか?」


 桜田が頭を捻った。


「しかしこれであの壁の音の主が私の後をついて来た犬とは違う存在だと…」


「いやいや、まだ断定は出来ないですよ。

 あの壁の主が必ずしも正直に言ってるとは限らないですからね」


 大倉山が言った。


「そうね。

 こういう事をする存在が必ず本当の事を言ってるとは限らないから…」


 桜田が頷いたが、私は別の気分を感じた。


「しかし、黒い犬…のことを言った途端にあの過剰な反応。

 何か、怯えている様な感じでもありましたよ」


「怖がってヒステリックになったようにも感じます」


 ジョアンも私に同意の意見を述べた。


「あの壁の音よりももっと凄いのがいると言うことなの?」


 ママが恐る恐るの口調で尋ねた。


 桜田がなんともいえないと言うように首を振ると焼酎のグラスを取った。


 あの壁の主は似たような別の存在にひょっとしたら怯えている、怯えてイラつきヒステリックに壁を叩いた…と。


 それは全員が感じた様だ。


 私達は顔を見合わせて無言で頷きあった。


 クルニコフ放射値がみるみる下がっていって100以下になった。


「どうも判らないな…」


 私が言うと大倉山がセンサーを壁に向けて頷いた。


「ちょっと待ってください!

 放射値がまた上がってきた!

 うわっ!」


 大倉山が差し出したセンサーを皆が覗き込んだ。


 クルニコフ放射の値が200、300、500を超えて800そして1000を超えた。


「凄い勢いだ…今までの勢いとはまるで…」


 大倉山が呟いた途端に店内の照明が落ちた。


 カラオケの機械だけは電源が落ちず。


 シュールで難解なイメージビデオのような映像を映し出した。


 私達は、ママも含めてカラオケの画面に見入った。


 不愉快な何かがきしむ音と多数の男女の苦悶の声のコーラスをBGMに、白黒の荒れた画像で人気が無い海岸をぼろぼろのワンピースを着た10代と思える女性が泣きながら歩いている、と思うと毒々しい色彩で深い森の奥で熊のような生き物が樹齢が優に1000年は過ぎていると思われる大木の幹に飲み込まれてゆく画像が映った。


 『溶ける溶けてひとつになる』


 画面の下に手書きのような字幕が浮かび上がった。


「…何よこれ?

 何かのメッセージなの?」


 そう呟いた桜田があっけに取られて画面を見つめている。


「こんな…こんな画面今まで見た事無いわ…」


 ママはブレーカーを上げに行くのも忘れ、カラオケの画面を見て呟いた。


 『介入不介入介入不介入』


 蜘蛛の巣に絡めとられ空しく羽を動かす蝶に女郎蜘蛛が近寄ってゆく。


 『喰う喰われる溶けるひとつに』


 恐ろしい勢いで月が沈み、毒々しく赤い太陽が昇った。


 『嫌嫌嫌嫌嫌いやいやいや』


 どアップのライオンの顔が画面を見ている私達に向かって吼えた。


 血まみれの口には長い黒髪がついた肉片が恐ろしい牙に引っかかっていた。


 いきなり突き上げるような衝撃が店内の全員を襲った。


「いやだ!地震?」


 激しい縦揺れに見舞われた店内で皆が何かに捕まって悲鳴を上げた。


「地震じゃないですよ!

 外はまったく揺れてないそうです!」


 大倉山がヘッドセットからの片桐の報告を聞いて叫んだ。


 唐突に店内の揺れが止んだ。


 築年数が古い建物はギシギシメリメリとうめき声とも悲鳴ともつかない音をあちこちからあげて沈黙した。


「あ!待ってください!

 黒い犬が!

 今黒い犬が現われたそうです!」


 大倉山が叫んだ。


 そして、店の外から犬と言うよりも、先ほどのジョンとアランの吼え声を遥かにしのぐ巨大な野獣のような咆哮が聞こえ、ドアのガラスをびりびりと震わせた。


 ジョアンがショルダーホルスターの大型催涙スプレーを引き出して構えながらドアに近付いた。


「待って!ジョアン!ドアを開ける気?」


 桜田が声を掛けるとジョアンが催涙スプレーをドアに向けて構えたまま腰に隠してあったごついダガーナイフを引き抜いて振り向いた。


「でも、奴がドアを破って入ってきたらここで接近戦ですよ!」


 私は今更ながらに酒を飲んだことを後悔しながらカウンターに身を乗り出し、一番頑丈そうな包丁を摑んだ。


「ジョアン!戸口を固めよう!入ってきたら挟み撃ちに!俺は左側を!」


 ジョアンが私の意図を察してにやりと笑みを浮かべるとドアの右側に身を寄せた。


 いくら魔性の犬とは言え頭は一つしかない。


 ドアを破って入ってきたとしたら私とジョアン両方からの攻撃を同時に受ければどちらかが奴を傷つけることが出来るだろう。


「倉ちゃん!奴は今…」


「店の前の道路にいるそうです!

 …ジョンとアランは…ビビッてしまって使い物にならないと言ってます」


 大倉山が落胆した口調で言った。


 私が広島山中の調査の時に遭遇した見たことも無い巨大な猪にも一歩も引かず私を守って威嚇し続け、仮に私が命令を出したとしたら躊躇無く猪に対して攻撃を加えたはずの2頭の屈強な、充分に訓練を受けた軍用シェパードが、この時は大して体格も違わない黒いイヌ1頭に怯え、尻尾を丸めて股の間にしまいこみ哀れっぽく腰を落とし鼻を鳴らし、車の荷室の奥から出ようとしなかったと、後に犬のハンドラーの陣内が苦笑混じりに言った。


 ジョン達は人間よりも遥かにシビアに相手との強弱を推し測ります、よほどあの黒い犬が怖かったらしく腰が抜けてしまったようですが、私が無理にジョンとアランを外に出していたら瞬く間にあの黒い犬に殺されていたでしょうね、と付け加えた。


 もっともこれは後になってから聞いた話で、この時はただ頼りの犬2頭が使い物にならなくなったと言うことを、黒い犬と戦う戦力が減ったと知っただけだった。


「ちっ、仕方ないわ。

 最悪の場合はやはりここで接近戦ね」


 ジョアンが引きつった笑顔を浮かべてナイフと催涙スプレーを握りなおした。


「腹をくくるしかないかな?

 どっちみち奴の狙いは俺のようだからジョアン達も危なくなったら…」


 ドアの左側で包丁を構えた私がジョアンに答えた。


「イッツマイビジネス、アイムガードューオケー?」


「ログ、プリーズカバーミー」


 ジョアンの頼もしげな笑顔を見て、私はそう答えて微笑むしかなかった。


「片桐さんが1人で出ると言ってますが…」


 大倉山がヘッドセットを押さえて言った。


「今はまだ様子を見てと言って!

 奴が店に侵入したら応援に来て!と言って頂戴!」


 ジョアンが答えた。


 人間よりも犬のほうが遥かに強いことをまざまざと見せ付けられた事があるにも拘らず1人で黒い犬と勝負をしようという片桐の肝っ玉の太さに私は感動さえ覚えたが、ジョアンの言うとおり、確かに今1人で車の外に出てあの黒い犬と戦うには無謀すぎる。


 いかに屈強な片桐でさえ、あっという間に引きずり倒されて生きたままばらばらに引き裂かれるだろう。


 片桐はジョアンの言うことを聞いて引き続きクルマの中から状況を伝えることにしたらしい。


 黒い犬は商店街のはずれとは言え、まだまだ宵の口のはずなのにまるっきり人気の無い店の前の道路のど真ん中に立ち、店の中をうかがっているようだ。


 後から考えたらそれも非常に変な事だが、その時の私は黒い犬の突然の出現で、そんな事に考えが及ぶはずも無かった。


 とにかく、その晩のその時間に店の前を通る人も、車も無かったという事だ。


 ドアにはめ込まれたガラスの隙間から黒い犬の足が見えた。


 『来ないでー!』


 黒い犬を待ち構えて包丁を構えドアの横に蹲っている時にカラオケのスピーカーから老婆の金切り声が聞こえた。


『あああああ!来ないで!来ないでぇえええええええええ!

 ああああああああああ!ゴナイデェエエエ!エエエエエエエエ』


この状況でドアから目を離すのは致命的なミスに繋がるのだが、私もジョアンも、桜田達同様にカラオケの画面に見入ってしまった。


 古代からのものと思われる廃墟の中で子供のようなワンピースを着た100歳近くに見える老女がひざまずき頭を抱えて悲鳴を上げていた。


 何頭もの黒い犬、そして大きな黒いカラスがその老女を取り囲んでいた。


『喰うのは好き喰われるのは嫌、嫌嫌嫌』


 ひざまずいた老女の股間の辺りから失禁をしたと思われる染みが広がり、乾いた地面にその染みが広がってゆく。


 黒い犬の涎が糸を引き、風になびいている。


『溶けて一緒になる』


 死んだネズミの屍骸が蛆にまみれて分解されてゆく。


『なぜあたしのところに!』


『なぜあたしのところに!』


 野牛に似た異形の姿の大きな生き物が、狼に似た異形の生き物によってたかって貪り食われている。


 横倒しになってハラワタを引きずり出されていても、野牛に似た異形の生き物は目を剥き悲鳴を上げていた。


「お前が横取りしようとしたからさ」


 まったく別の女の声がスピーカーから聞こえてきた。


「私の獲物を!あつかましくも!」


「ガァアアアアアアア!」


 スピーカーには大音量すぎて割れた音が店内に響き渡り、老女は黒い犬とカラスの群れに襲い掛かられ、ばらばらに引き裂かれハラワタを引きずり出されたが、胴体から切断された頭部は眼から血の涙を流しながら悲鳴を上げ続けた。


 ひときわ大きな黒い犬が老女の頭をくわえると一気に噛み潰した。


 噛み潰されて下半分が地面に落ちた老女の首はまだ何かを叫ぼうとしているのか口をパクパクと動かしていたが、何頭かの黒い犬達が食い千切り飲み込んだ。


「あつかましくも…なんとあつかましくも…」


 声とともに画面を長い黒髪の細面の女が横切った。


 私、桜田、大倉山、ジョアンがその顔を見て息を呑んだ。


 見覚えがある顔だった。


 そのとたんにカラオケの電源が落ち店内が一瞬真っ暗になったあと、元通りに照明がついた。


「…黒い犬…消えたそうです…」


 大倉山がぼそりと言った。


 私もジョアンもその言葉を聞いて体の力が抜けた。


 私はのろのろと立ち上がり、カウンターまで行ってママに包丁を返した。


「ママ…水割りもう一杯お願い」


 いささか放心状態のママがはっと我に返り、ゆっくりとした手つきで焼酎の水割りを作り始めた。


「なんか…しゃれにならないくらいに怖いホラー映画を見た感じ…あなたたち…いつもこんな仕事をしてるの?」


 ママが私に水割りのグラスを出しながら小声で訊いた。


「いやぁね~!

 いつもはこんなにまで…」


 桜田が顔をほころばせてそこまで言ってから急に考え込んだ。


「…佐伯邸なんかの時は大変だったけどね」


 そう言って桜田が顔を落とし水割りを飲み、再び顔を上げてママに話しかけた。


「ただ、今の時点で言える事は…もうこの店で壁がドンドン鳴ったり急に電源が落ちたりなんて事は起きないだろうと言うことですね…」


 ママは自分用のウィスキーのボトルを棚から出して水割りを作り始めた。


「そうね…私も判る気がする…もう、あれはいないと言うか…」


「…喰われたということですかね」


 ママの言葉の後を大倉山が言い、グラスの氷を揺らした。


「とみきさんが黒い犬の事を怖がっていた原因が判りましたよ…だってあの顔は…とみきさんの絵の…佐伯邸調査の時に介入してきたというあの女にそっくりだったから…」


 そこまで言うと大倉山は黙り込んだ。


「…ルシファー」


 桜田がぼそりと呟いた。


 ルシファー。


 私がこういう不可思議なことに首を突っ込むアルバイトを始めてから時折姿を現す、ルシファーと名乗る不可解な存在。


「今回の黒い犬は…ルシファーということですか?」


「…彼女だろうねおそらく…いや、そうでしょうね」


 私の問いに桜田が答えた。


 そしてしばらく沈黙した後に水割りを一口飲んで話を続けた。


「とみきちゃんが危ないと思ったのかもしれないわね…ここの存在がとみきちゃんを引寄せたのか、たまたまとみきちゃんが立ち寄ってしまったのか…とにかく、とみきちゃんがこのままここに通い続けたら、何らかの危険な目に遭うと…警告に来たのかもしれない…」


「そして、今、ここの存在を滅ぼした…と…」


「ルシファーはあなたの魂を欲しいと言ってるけど…結果的にはあなたの守護神のような存在かもしれないわね…」


「…悪魔の親玉を名乗る者から守られても…あまり良い気分はしないですよ」


「ふふふ…さて、今回のこと山ちゃんになんて報告するかな~?」


 桜田は現在栃木市の怪現象を調査中に負傷して入院中の研究所調査部指揮官、山口小夜子の名前を出した。


「彼女、心配するわよ~ほほほほほ!

 …あのさぁ~、ひとつ心配なことがあるんだけど…」


「なんですか?」


「このカラオケの機械…大丈夫かしら?壊れていない?」


 桜田が言うとママがあっと声を上げてカウンターを出てカラオケの機械に近寄り、恐る恐る電源を入れた。


 しばしの沈黙の跡でカラオケの機械が正常に動き出したのを見てママはほっと胸をなでおろした。


「ああ、良かった!

 大丈夫!」


 ママが言うとジョアンはイエ~イと声を上げ、桜田と大倉山はガッツポーズをした。


「それじゃ。

 一応調査終了と言うことで飲んで歌いましょ!」


 桜田が高らかに調査終了の宣言?と打ち上げ会?の開始の宣言をした。


 そして、外で待機をしていた片桐、陣内、ジョンとアランが乗った車に調査の終了を告げた。


 片桐達は車なので飲めないからと桜田の誘いを断り帰って行った。


「あ!ちょっと待ってください!」


「なによ倉ちゃん」


「佐伯邸の時もそうだけどクルニコフ放射が強い場所は奇形、特に昆虫の奇形が多いんですよ。

 生活サイクルが短くて世代交代が早いこと、身体の構造が比較的単純だということで奇形発生率というか、変異率が高いんです。

 ママさん、ここ、ゴキブリホイホイとかあります?」


「え?まぁ、カウンターの下にあるけど…」


「えええ!ここ!ゴキブリがいるの?」


 ゴキブリが大の苦手の私は椅子から腰を浮かした。


「いやぁね~!ゴキブリって言ってもこんなちっちゃいのが時々出る程度よ!

 都内のお店ならいないほうが珍しいわよ~」


「まぁ、それもそうだけど…」


 私が恐々と周りを見回しながら椅子に腰掛けると、大倉山がバッグからデジタルカメラを取り出しカウンターの中に入った。


「ちょっとホイホイの中を見せてもらいますよ」


 大倉山がしゃがみ込んでカウンターの床にあるゴキブリホイホイを開けた。


「…やっぱりね…変異率が高いわ…え?これは…」


 大倉山がそう呟きカメラを床に向けて何枚か写真を撮った。


「ママさん、これ頂いて行っても良いですか?」


「え?それを?」


「ええ、中の虫ごと頂きたいんですよ」


「ええ、まぁ、良いですよ」


 立ち上がった大倉山がそう言うとママは戸惑った表情を浮かべて答えた。


 大倉山がホイホイをつまんでカウンターから出るとバッグの中からビニール袋を取り出しホイホイを慎重な手つきで入れてテープで封をした。


 顔をしかめてその一連の行為を見てた私に大倉山がにやりとした。


「とみきさん、見ます?」


 私は顔をしかめて首を横に振ったが、桜田達が見せて見せて!と大倉山のデジタルカメラのディスプレイを覗き込んだ。


「ちょちょちょ…うわぁ!なにこれ!」


 桜田達に体を押されてディスプレイを覗き込んでしまった私は悲鳴を上げた。


 デジタルカメラのディスプレイに映し出されたゴキブリホイホイの中身はまさに地獄の光景だった。


 ホイホイの強力な糊に捕らえられたゴキブリやその他の小さな昆虫達の3分の1は体に何らかの奇形があった。



 皆さんも家に何かしら説明がつかない現象があれば、そして、小バエやゴキブリが多く出没するならば、そして、ゴキブリホイホイが家にあるのならば、そして、それを開いて中を覗き込む勇気があるのならば、そこに捕らえられた忌むべき虫どもに奇形種が多いならば、一刻も早くそこを引き払うべきだ。


 私ならばすぐにそうする。


 友人に金を借りても、たとえ高利貸しの闇金で金を借りてでもそうする。


 私は悲鳴とうめき声を上げながらもそのディスプレイから目を離せなかった。


「その左上の奴なんかとても奇形や突然変異では説明できないじゃないですか…」


 私は画面の左上にあるクワガタムシがゴキブリをレイプして出来た子供が更にムカデをレイプして出来た子供のようなような一段と気味が悪い虫を指差してうめいた。


「そうなんですよ。

 単純にクルニコフ放射に影響を受けた訳じゃなく…異世界からの浸透と融合を受けたような…異世界から進入してきてこの世界の生き物と融合したのか…とにかく持ち帰って調べてみますよ」


「うちの店にこんな気味が悪いものがいたなんて…」


 ママがカウンターから身を乗り出してディスプレイを覗き込みながら顔をしかめた。


「安心してください。

 おそらく壁や電気の不可解な現象が無くなっていたとしたら、もう、こんな気味が悪い虫は出てこないですよ。

 これ以上の浸透融合現象は起きません。

 異世界との出入り口が塞がっていたとしたらね」


「…異世界?」


「…まぁ…霊界とか異次元とかそんな感じの世界ですよ。

 ほほほほほ!

 カラオケも大丈夫なようだし!

 歌うかな~!」


 ママの問いについ口を滑らせたと言う感じがありありで桜田が笑ってごまかした。


 大倉山もそそくさとデジタルカメラをバッグにしまいこみ、焼酎のグラス片手にデンモクを引寄せた。

 ジョアンは早くもデンモクについたペンで画面を叩いている。


 そう、惟任研究所は異世界との裂け目からこの世界に進入する何かが起こす浸透融合現象を研究しているのだ。


 クルニコフ放射と呼ばれる心霊現象などが起こるときに発生する独特な電磁波。


 それを探査するためのセルゲイエフ・センサーなど地味だが金が掛かっている装備を使ってこの世界のあちこちに存在する、俗に言う心霊現象を調べている研究所なのだ。


「しかし…とみきちゃんも良くこういうところに遭遇するわよね~!

 とみきちゃんが呼び寄せられているのか、それとも…」


 ジョアンが早くも入れてこぶしを利かせて歌っている兄弟舟を聞きながら桜田は呟いた。


「それとも…何ですか?」


「案外ととみきちゃんが呼び寄せているのかもね…それか…とみきちゃんの身の回りに異世界との裂け目が出来るのか…」


「…やだなぁ~!

 気持ち悪いこと言わないでくださいよ~!

 俺も何か歌おうっと!」


 桜田の言葉に一瞬ぎくりとした私だが、とっさに笑ってごまかし、カラオケでも歌うことにした。


(とんでもない!こんな気持ちが悪い世界となんて関わりを持ちたくないよ)


 その日は桜田達と午前3時まで散々に飲んで歌って食べて語り合ったが、壁は二度と鳴らず電気も消えず、セルゲイエフ・センサもクルニコフ放射を感知しなかった。


 私はとりあえずチャゲアスのラブソングを入れてから焼酎をあおった。


 大倉山が入れたガッチャマンの歌のイントロが流れてきた。









エピローグに続く

 

コメント

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る