第6話

 大倉山がヘッドセットを耳につけ、ビデオカメラを取り出して電源を入れた時に化粧を濃い目に決めたママが洗面台から顔を出した。


 「それじゃあ、はじめようか」


 桜田がマイクを手に持ち大倉山が構えたカメラに向かって話し出した。


「え~、平成23年8月○○日午後6時48分。

 東京都豊島区椎名町のRと言うスナック。

 これより店主の…あ、ママ名前教えて」


「私?渡辺洋子です」


「渡辺洋子さんより店内における異常な物理現象が起きるようになった経緯を聞きます」


 桜田がカウンター越しにママにマイクを向け、前にこの店で変死したママの事、どんどんと壁が鳴る現象、勝手に店の電源ブレーカーが落ちる、変死したはずのママの姿を目撃した常連の客の事、行方不明になった前の店の客の事などを尋ね始めた。

 

 ママはカメラから自分が美人に見える角度を気にしながら、今までの出来事を思い出し思い出しながら話した。


 大体話し終えたときに大倉山がカウンターに置いたクルニコフ放射を測定するセルゲイエフ・センサーのパイロットランプが点滅した。


 桜田がマイクをママに向けたままセルゲイエフ・センサーを覗き込んだ。


「今、100…140ね…まだ弱いと言ったら弱いかも…でも、普通の状態とは言えないわ。

 やっぱり何かしらの存在が…いるかもね。

 そっちの方のヤバい所並みの数値ではあるわ~!」


 センサーの液晶表示を見て桜田が呟いた。


「何ですかそれ?」


 ママがセルゲイエフ・センサーを指差して尋ねた。

 

「うふふふ、お化け探知機みたいなものです」


「もう、何か来てるの?」


 ママがかすかに怯えた表情で尋ねた。


「これくらいの数値はたいした事ありませんよ」


 桜田が生ビールのジョッキをグ一!と飲んで答えると質問を再開した。


 そう100か200なんて大した事は無い、だが普通の場所ではありえない数値ではある。


 100を超えると危険信号と言っても良い数値ではある。

 

 クルニコフ放射と呼ばれる、心霊現象などが起る時に発生する独特の波形の一種の電磁波は佐伯邸調査の時は最大で1800だった。


 あの時は目の前で頑丈なグランドピアノが誰も触れていないのにめきめきと音を立てて潰れていった。


 視角では認識できない未知の力によって今もグランドピアノは縮小を続け、人のこぶし大の真っ黒な球体になっていて研究所の中で観察が続けられている。


 そのまま縮小を続けると十何年後かにはブラックホールが形成される程の密度になるとの事で今もその対策をどうするか検討をしているとの事だ。


 一番確実なのは衛星打ち上げに便乗させてロケットに乗せて宇宙に打ち上げ、地球外の遥か遠くに飛ばしてしまうとの事だが…


 「片桐さんから連絡入りました。

  肉眼で異常を確認出来ず赤外線センサーにも反応無いそうです…ただ…ジョンとアランが何か緊張しているようです」


「了解。犬センサーが何か感じているかしら?」


 桜田が短く答え質問を続けた。


 セルゲイエフ・センサーはゼロと200の間をゆっくりと不規則に表示していた。


「はい、お疲れ様でした。

 質問は終わりです。

 倉ちゃんカメラもう良いわよ。

 ママ、ビールお変わり頂戴。

 後はお客さんが登場するのを待つだけね。

 さぁ、飲むわよ~」


 大倉山がビデオカメラを三脚にセットして店の隅から隣の店との間の壁に向けて店内全体が映るようにセットした。


 ママがお代わりのジョッキを桜田の前に置き、大倉山が頼んだ焼きうどんを作り始めた。


「ママ、カラオケ入れて良いですか?」


 ジョアンはデンモクを カラオケの機械に向けてママに尋ねた。


 彼女は早くもマイクを手元に置いていた。


「どうぞ~!、あら!外国のお嬢さんにしては渋いの歌うのね~!」


 『舟歌』のイントロが流れ始め、私や桜田達が拍手する中ジョアンがマイク片手に渋く歌い始めた。


「ねえねえ、いつもはどれくらいのタイミングで始まるの?」


 桜田が小声で私に尋ねた。


「そんな事判りませんよ、私だって今日この店2回目なんだから…」


「それもそうね~!あははは!

 私も何か歌おうっと…」


 桜田がデンモクを手元に引寄せ歌う曲を物色し始めた。


 セルゲイエフ・センサーはゼロの表示をして沈黙していた。


 ジョアンが歌い終わり、皆が拍手した。


 声量があり、透き通っているようでハスキーな声はなかなか聴かせるものだった。


「いやぁ~!このお嬢さん上手ねぇ~!」


 大倉山に焼きうどんの皿を出したママが関心した様子で言った。


「いやぁ~!それほどでも…まだこぶしを上手く利かせることが出来ないんですよ~!」


 ジョアンが頭を掻いて微笑んだ。


 戦場では鬼も避けて通るような暴れっぷりで、接近戦と市街戦のスペシャリストの元兵士と聞いていたジョアンも今ではごく普通のはにかみ屋の女の人だった。


「ママ、壁がどんどんってどれくらいの頻度で起きるの?」


 桜田が大倉山の皿から焼きうどんを失敬しながら尋ねるとママが小首をかしげた。


「そうねぇ~、1週間に一度か二度か三度か…はっきりと言えないんですよね~」


「そうか…まぁ、気長に待ちましょう。

 この焼きうどん美味しいわね~!

 ママ、ビールお代わり!」


「桜田さんピッチ上げすぎじゃないですか?」


 私が心配して尋ねると桜田がウインクを返した。


「大丈夫大丈夫、これくらいは水と変わらないから!

 倉ちゃん、ジョンとアランの様子はどう?」


 大倉山が焼きうどんを食べる手を休めてヘッドセットに何か話して頷いた。


「ジョンとアラン、今は平静になって寝っ転がっているそうです。

 赤外線センサーも異常なし、店内に人影も見えないそうです」


「了解。

 さて、私も歌おうかな~?」


「どんどん入れてくださいね~!

 歌い放題だから」


「は~い!ジョアンも倉ちゃんも歌えば?

 あら、とみきさんも歌いなよ~!

 ママ!おしんこと焼きウインナーも頂戴」


「はいはい!喜んで」


 桜田が入れた『ハナミズキ』のイントロが流れ、マイクを持った桜田が立ち上がって店横の小さなステージに行った。 


「ごめんね~!これ、立たないと歌えないのよ~!」


 皆が拍手をする中、桜田がなかなかの歌声で歌い始めた。


「とみきさんのお友達って皆歌が上手いわね~!」


 ママが感心した顔で言いながら自分で入れた2杯目の生ビールを飲んだ。


 ジョアンもすでに2杯目のジョッキを飲み干すところだった。


 大倉山は時々ヘッドセットに手をやり外のランドローバーで待機している片桐と陣内、ジョンとアランから何か報告が入らないかチェックしながらちびちびとビールを飲み、焼きうどんやウインナーやおしんこを食べていた。


「なかなか来ないですね。

 皆歌が上手すぎるからかな?」


 大倉山がウインナーを頬張り、カウンターのセルゲイエフ・センサーを見ながら言った。


 その間ジョアンが『私アンルイス歌う~!』と言いながらデンモクを引寄せた。


「良いわね~!歌って~!ほほほほ!

 これ、お店からサービスね!」


 ママがフルーツをドンとカウンターに置いた。


「わぁ~!ママ、ありがと!」


 桜田とジョアンが大盛りのフルーツを見て嬌声を上げ、ママがお安い御用と手を振った。


 20万円で一晩貸し切りなど、このご時勢にこんな小さなスナックではおよそありえないだろう。


 ママは突然の景気が良い話にすっかり気を良くしていた。


「とみきさんもリラックスして何か歌ってくださいよ、ほら、なんだっけ?

 そうそう!GAOのさよなら!僕あれが好きなんですよね~!」


 大倉山が顔を酔いに赤く染めて言った。


 桜田が歌い終わり、皆が拍手する中ジョアンが次の歌を入れていた。


「なかなか来ないわねぇ~!

 まぁ、こういう調査は空振りが日常だからねちょうどよい暑気払いだわ~!

 ほほほほほ!」


 桜田が椅子に座りながら笑った。


 私も苦笑いを浮かべてビールを飲んだ。


 「これは私も立たないと歌えないのよね~!」


 ジョアンがマイクを持って立ち上がりステージに歩いていった。


「よし、俺も何か歌おうっと!

 とみきさんもさよなら入れてくださいね!」


 大倉山がデンモクを手元に引寄せながら言った。


「倉ちゃん、アニソン行くの~!」


 桜田が大倉山に顔を向けて言った。


「アニソンンはもう少し酔ってからですよ~!

 まずはポルノ・グラフティから~!」


 だんだんと場が崩れてきたと言うか…私の事を心配して調査をしに来たと言うよりも、実は皆は暇を持て余していて、私の事をだしに体の良い飲み会をしに来たのではなかろうかという疑いが一瞬頭をよぎるほどに桜田達はリラックスしていた。


 『六本木心中』のイントロが終わり、ジョアンが歌い始めたその時、隣の、今は閉店していて無人のスナック「ルージュ」との間の壁が激しい勢いで叩かれた。


 ドンドン!ドンドン!ドンドンドンドン!


「来た!」


 途端に桜田と大倉山の顔が引き締まり、セルゲイエフ・センサーを覗き込んだ。


 センサーのクルニコフ放射の値が200を軽々と超え300、400。500へと上がっていった。


 表のランドローバーで待機しているジョンとアランの声であろうか?


 犬の激しい吼え声が微かに聞こえてきた。


 壁はこの前とは比較にならないほど激しく叩かれていた。


 桜田達の動きが止まり、店内に緊張が流れた。


 壁を叩く音は唐突に止んだ。


 マイクを持ったまま戸惑っているジョアンに桜田が手をくるくる回してそのまま歌うように促した。


「室温3度、湿度17パーセント低下。

 波形はアンノウンです」


 大倉山がポータブルモニターを覗き込みながら桜田に言い、ヘッドセットで外から監視している片桐と陣内に連絡を取っている。


 桜田がビールのジョッキをグィッと飲み、私にウィンクをした。


「どんぴしゃり、空振りはなかったね。

 とみきちゃんはやっぱりこういうところを活性化させるのかしら?」


 桜田が小声で言ってニヤニヤとした。


「ママ、こういう現象って時間帯はまちまちなの?」


「時間帯…そうねぇ、特に決まっていないけど早い時間に出ることは少ないですよ。

 でも今日は…なんか激しかったわねぇ」


 ビールを飲みながらジョアンの歌を聴いているママが雨の振り具合を聞かれて答えるような気楽な言い方で答えた。


「片桐さんの方、肉眼でも赤外線センサーでも隣の店に何かがいることは確認できないそうです。

 ジョンとアランも少し背中の毛を逆立てていて、何かの気配は感じてるけど今のところはまぁまぁ落ち着いているようです」


 大倉山が桜田に報告した。


「そう、了解。

 放射は治まったようね…でもこれってどこから出ているのかしら?」


 大倉山が手持ちの指向性マイクのようなものをバッグから引っ張り出して店内のあちこちに向けてポータブルモニターの数値を見た。


「特にここと言うような…次に出たらまた調べてみます」


 ジョアンが歌い終わり席に戻ってきた。


「いつもよりも凄い勢いで壁を叩いていたようですね」


 ママが言うとジョアンがぺろりと舌を出した。


「歌の選曲が悪かったのかしら?

 その、何かの気を悪くさせた?」


「演歌でもロックでも、ポップスでも壁を叩くときは音楽の種類は関係ないんですよ…この子が美人過ぎたから興奮したのかしら?」


 ママがそういってにこりとした。


「まぁ、これで空振りで無くなった訳だけど…この壁の現象は何か合理的な説明はつくのかしら?」


 桜田がそう言い、ウィンナーを口に運んだ。


「近くに西武線が走っているけど、電車の通過する際の共鳴現象とは考えられないですね。

 後は…例えば近くの…隣接するアパートの誰かが壁を叩いてそれが伝わったとか…」


 大倉山はそう言って焼きうどんの残りを平らげた。


「私、歌っている時に一番壁に近かったけど、明らかに何かの気配を壁の向こうに感じました。

 でも、これは主観に過ぎないですよね。

 でも確かに誰かが壁の向こうにいて何らかの意思を主張したような…」


 ジョアンがそう言ったので私は初めてこの店に来た時に頭に浮かんだ考えを話した。


「あの~、昔子供の頃に読んだ本で何かを叩く音と会話を試みたと言うようなことを読んだ事あるんだけど、つまりこの場合、隣の店との間の壁を叩く音なんだけど…会話が出来ないかな~?

 質問をしてイエスなら1回、ノーなら2回とかで返事してくださいなんて…」


 皆が酒を飲んだりつまみを食べたりする手を止めて私を見つめた。


「…ああ、いやぁ~!

 思いつきで言っただけなんで…気にしないでください…」


 私が頭を掻いてビールを飲むと、桜田がドンと私の肩を叩いた。


「良いわねぇ~!

 さすがダイバーだわ!

 やろやろ!

 それ、やってみましょうよ~!」


 大倉山もジョアンも笑顔で頷いた。


「それ、良いですね正体不明の!

 とみきさん、冴えてる!」


「正体不明の何かと会話なんて、何か答えが出れば面白いですね!

 やりましょ!」


「えへへ~!褒められちゃった。

 で、誰が質問するんですか?」


 桜田、大倉山、ジョアン、ママがいっせいに私を指差した。


「え…えええええええ~?

 俺~?俺ですか~!?」


 私は自分で自分を指差してヒィエエエ!と悲鳴を上げた。


「何マスオさんみたいな悲鳴上げてんのよ!

 あなた言いだしっぺでしょ?」


 と桜田。


「ダイバーの経験があるんだから当たり前よ!」


 とジョアン。


「とみきさん以外に適任者はいないですよ!」


 と大倉山。


「うわぁ~!面白そう!

 とみきさん、頑張ってね~!」


 とママ。


 皆が口々に叫ぶと、また壁がどんどん!と鳴り、セルゲイエフ・センサーのクルニコフ放射測定値がじりじりと上がり始め、400を超えた。


 皆の期待に満ちた視線の集中砲火を浴びて、私はため息をついてやれやれと頭を振り、カウンターのいすを回して壁に向いた。


「でも、そんなに上手く答えてくれるかどうかは判りませんよ」


「そんなの判ってるわよ。

 でも、諦めたらそこで試合終了でしょ?」


 私が自信なさげに言うと桜田がどこかで聞いたようなことを言った。


 私はやれやれと頭を振り、隣の空き店舗との間の壁に向き直った。


 桜田達が期待に満ちたまなざしで私と壁を交互に見ながらビールを飲み、つまみを口に運んでいる。


 私は壁に向かって言った。


「あの~こんばんわ。

 お邪魔しています」


 桜田達がずっこけた気配がした。


「挨拶は大事でしょ~?」


 私が桜田達に言うと、苦笑を浮かべた桜田が良いからそのまま続けろと手を振った。


「あの~、何かお話をしませんか?

 これからいくつか質問するので、イエスなら1回、ノーなら2回壁を叩いてください」


 壁は沈黙をしたままだった。


 緊張して息を止めてしばらく壁を見つめていた私はカウンターに振り返りタバコに火をつけた。


「そんなにうまくいかないよね~」


 ジョアンが苦笑を浮かべてビールのお代わりを頼んだ。


「そうね~、アイディアは良かったんだけ…」


 ドン !


 桜田が言いかけたときに壁が1回鳴った。


「え?なになに?

 オッケーって言うこと?」


「放射、上がってますよ。

 今、480を越えました。

 出所は不明です」


 大倉山がセルゲイエフ・センサーを覗き込みながら指向性マイクのようなセンサーを店内のあちこちに向けながら言った。


「え~と…それは…オッケーということですか?」


 私が壁に向かって言うと、またしばらくたってから壁が1回ドン!と鳴った。


「とみきちゃん、オッケーだよ。

 何か訊いて訊いて」


 桜田が小声で急かした。


「え~…あなたは誰ですか?」


「…ばかねぇ~イエスとかノーで答えられないじゃないの」


「あ、そうか」


 桜田に言われ私は頭を掻きながら質問をしなおした。


「あなたはこの店で亡くなったママですか?」


 しばらくの沈黙の末に壁が2回ドン!ドン!と鳴った。


「変死したママじゃないみたいだね」


 私が小声で桜田に言うと桜田達がうんうんと頷いた。


「片桐さん、肉眼でも赤外線でも隣の店に何も確認できないと言ってます。

 ジョンとアランも落ち着いているそうです」


 大倉山が小声で言った。


「何も小声でしゃべる必要ないんじゃないの?」


 ママがカウンターから身を乗り出して小声で言った。


「それもそうですね」


 ジョアンも顔を寄せて小声で答えた。


 ジョアンのつけている香水の良い香りが私の鼻の前を通り過ぎた。


 壁の音の主から私達はどう見えているのだろうか?


 確かに質問をして答えるとカウンターに顔を寄せてひそひそ話すのは胡散臭い。


「普通にしゃべりましょう。

 ママ、ビールお代わり」


 私は飲み干したジョッキをカウンターに置いて壁に向き直った。


「それではあなたは誰…いや、変死したママよりも先に昔からここにいるのですか?」


 壁は沈黙をしていた。


 私達は壁を見ながら待った。


「何なんだろうか?

 考えるのに時間が掛かるのか馬鹿なのか判りませんね」


 大倉山がお新香をかじりながら指向性センサーをあちこちに向けていた。


「そういう発言は小声で言ったほうが…」


 ジョアンが言いかけたときに壁がドン!となった。


 初めに鳴った時の様に強い勢いで鳴ったので私達はビクン!と体を震わせた。


「倉ちゃん、あまり失礼な事は言わないほうが良いみたいね」


「は~い」


 桜田が小声で良い、大倉山が首をすくめた。


「それではいつからここにいるのですか?

 10年前ですか?」


 今度は壁が即座にドン!ドン!と2回鳴った。


「それでは50年前?」


 壁がドン!ドン!ドン!ドン!と強く鳴った。


「かなり古くからいるようね。

 それじゃなぜこんな最近になってから自分の存在を主張するようになったのかしら?」


「それではずっと古くから50年以上前からここにいるのですね?」


 壁がドン!ドン!と2回鳴った。


「…え?」


 私達は顔を見合わせて口々に呟いた。


「う~ん、判らないわぁ~」


「答えが矛盾しているわね」


「時間の観念とかが無いのかも知れませんよ…」


「そもそも、もともと人間でそれが幽霊かなんかになったのかな?」


「とみきちゃん、訊いてみてよ」


 私が壁に向き直り質問した。


「え~、あなたは元は人間だったのですか?」


 壁が勢いよくドン!ドン!と2回鳴った、と同時に店内の電気が消えた。


「あらあら。怒っているのかし?」


 ママが慣れた感じでカウンター奥のブレーカーのほうに行った。


 カラオケの機械だけは電源が切れずに画面には苔に覆われた屋久島の杉が映し出された。


「元は…蝶ちょ?」


 ジョアンが杉の幹に留まって美しい羽を開いたり閉じたりしている蝶を見ながら言った。


「まさか…」


 私が苦笑を浮かべて言った途端に壁がドン!ドン!と鳴った。


 店内の照明がつき、ママがカウンターに戻ってきた。


「え~、それではあなたは元は…杉ですか?」


 壁がドン!ドン!と2回、更に強い勢いでドン!ドン!と鳴った。


「なんかイラついてるみたいですね」


「とみきちゃんがおばかな質問したからよ~」


 ジョアンが小声で言い、桜田が無責任な返事をして顔を見合わせて頷いた。


「ちぇ、ヒドイなぁ初めに蝶ちょって言ったのジョアンじゃないか」


 ジョアンがぺろりと舌を出して微笑んだ。


 私は気を取り直して壁に向いた。


「え~、質問を変えます。

 なぜあなたは壁を叩いたり、店の電気を落としたりするのですか?

 何か言いたい事があるんですか?

 何か不満がありますか?」



 壁はかなり長く沈黙した後でドン!ドン!と2回鳴った。


「…特に不満は無いようですね…しかし驚いたなちゃんとこっちの質問に答えてくれるなんて」


 私が新しいビールをぐびぐびと飲むと桜田がくすくすと笑った。


「とみきちゃん、マスコミとかに公にしていないだけで、はっきりと原因不明な物理現象が起きる場所が50以上あるのよ。

 うちの研究所が確認しただけでね。

 でも、ここの壁はずば抜けてはっきりとしてるけどね、おまけにある程度のコミュニケーションが取れるし」


 なるほど、日本国内で50もこういう場所があるのか…道理で桜田達の反応が随分落ち着いたものだと、私は感心した。


「テレビなんかに出したら凄い視聴率になるんじゃないかな?」


「駄目よそんなことしたら~。

 人が押し寄せて異界との裂け目が広がる可能性があるし、第一こんなことが起きる場所がありますなんて発表したら大パニックになるわ」


 なるほどその通りだ。


 私達はひとまずビールを飲んで次の質問を考えることにした。


 壁は沈黙しているが、クルニコフ放射値は依然300から下がらず、それはまだそこにいることは判った。


 それは次の質問を待っているのだろうか?






続く

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