落書きⅧ……人生最初に手を挙げた時?

さて、前回の「落書きⅦ」で、「手を挙げようとしている時というのは、過去に手を挙げた記憶を思い出す(擬知覚?している)時だと、僕は予想します。」と書きました。そして、「なお、手を挙げるという動作についてですが、それでは人生最初に手を挙げた時はどんな風だったのかについては、また考えたいと思っています。」と書きました。


おそらく、人間のそれぞれの動作の最初というのは、反射か模倣か偶然かのどれかではないかと予想します。


赤ちゃんの手に、周囲の人が指を添えると、赤ちゃんが握るというのは僕でも知っています。反射らしいですね。


同じように、手を挙げる動作も、最初は反射か模倣か偶然かのどれかによったのではないかと思います。


模倣と偶然についても考えておきます。

言葉を発することを例にしましょう。


「ママ」と言おうとしている時というのは、過去に「ママ」と言えた記憶を思い出す(擬知覚?している)時だと、僕は予想する訳です。


周囲の人の「ママ」という発言を模倣しようとすると思うのですが、いきなりうまくは言えないでしょうね。


口や舌を動かすと思うのですが、当然、この時はまだ、過去に「ママ」としっかり言えた記憶を思い出すことができません。そんな記憶は無いからです。


ということで、この時にはおっぱいを口にした時に、口・舌の形を変えられた記憶とか、偶然に近い音が鳴った時の口・舌の形の記憶を思い出す(擬知覚?している)と思います。


偶然とは何か。


人間の動作は、同じものであっても、必ず毎回異なっています。


ボールを或る位置まで投げます。毎回、同じように正確に動作することは不可能ですね。


正確に動作することができないということが、新たな動作を獲得することを可能にしているのではないでしょうか。


以上、少しですが、考えてみました。

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