落書きⅦ……トリガーは直前に?

この文書には、これまでに複数のコメントをいただいています。有難うございます。


それらも念頭に置きながら、また書こうと思うのですが、やはり予想通り伝わりにくい可能性があるなあと思わせられるところがあります。


例えば、手を挙げるという動作で考えます。おそらく多くの人は、そうしなさいと命令した何かが存在するはずだと考えるのですね。僕がこの文書で書いてきたことは、伝わりにくいかなあと思います。いや、コメントしてくださった方は、伝わった上で意見が異なるのかも知れませんが、この辺りは確かにややこしいですね。


それでは、手を挙げるという動作を、僕なりに考えてみます。


まず、こう考えました。過去に手を挙げた経験のない人は、手を挙げることはできないのではないか。手の挙げ方が分からないのではないか。


手を挙げようとしている時というのは、過去に手を挙げた記憶を思い出す(擬知覚?している)時だと、僕は予想します。


こう書くと、「過去に手を挙げた記憶を思い出」させようとした、そう命令したのものは何か、どこにあるのか、と読まれてしまうかも知れません。


しかし、僕は、「過去に手を挙げた記憶を思い出す(擬知覚?している)」ところに意識が現れていると考えたのです。


目の前の景色を視ている時には、景色を知覚しているところを中心に意識が現れていて、手を挙げる時には「過去に手を挙げた記憶を思い出す(擬知覚?している)」ところに意識が引き継がれて現れていると考えたのです。


「知覚」と書きましたが、これまでの僕の考えを思い出してください。「知覚し記憶したものと、新たに知覚したものを照らし合わせる、その新たに知覚したものもまた記憶されて、という絶え間ない継続の上に意識が現れていると思います。」です。


「過去に手を挙げた記憶を思い出」させたのは、その直前の知覚(僕の予想では、考えるということも記憶を知覚(擬知覚?)しているということでしたね)です。手を挙げろという看板を視たのかも知れないし、いためている肩の痛みを確かめようという考えかも知れません。


それでは、この文書にいただいたコメントを参考に、一目惚れを考えてみましょう。一目惚れに「無意識」が関係しているでしょうか。


或る人の姿を視て強く惹かれた場合、それは、昔やさしくしてくれた誰かに似ていたからということはあり得るかも知れません。


その場合、その人が似ている「昔やさしくしてくれた誰か」の記憶を知覚(擬知覚?)していると思います。そのところに意識が現れています。


昔やさしくしてくれた誰かに似ていることに自分としては気づかないけれど、実は「昔やさしくしてくれた誰か」の記憶を知覚(擬知覚?)している、ということはあり得るでしょうか。


それは、少しズラして考えれば、あり得ると思います。目が似ていたとして、その目の形の記憶というのは、「昔やさしくしてくれた誰か」の目の形としてある、とは限らないと思います。自分にとって好ましい目の形の一つとして記憶されているかも知れません。


「昔やさしくしてくれた誰かに似ていることに自分としては気づかないけれど、……」というのを、「無意識」という言葉で表す必要はないと思います。


なお、手を挙げるという動作についてですが、それでは人生最初に手を挙げた時はどんな風だったのかについては、また考えたいと思っています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る