落書きⅣ……考えるとは?

考えるという行為について書いてみたいのですが、その前にメモしておきたいことがあります。


意識は必ず時間感覚をもっている、そう思います。


「落書きⅢ」での書き方で言えば、「知覚し記憶したものと、新たに知覚したものを照らし合わせる、その新たに知覚したものもまた記憶されて、という絶え間ない継続の上に意識が現れていると思います。」ということになります。


過去に知覚されたものとそれより後に知覚されたものを比べているとしたら、そこには、時間の流れが確実にあると思われます。


おそらく、内臓知覚(? 自分の身体について感じている色々)は時間感覚と近い関係にあるように、思います。


さて、「落書きⅢ」で夢について考えたことで、「外部からの刺戟(風景を眼球を通して視るというようなこと)ではなく、自分の記憶を利用して擬知覚(?)している」という状態を予想できました。


夢だけでなく、考えるという行為も、そうなのではないかと僕は考え始めました。


歯についてのポスターを作りましょう、という会議があったとします。


すると、僕には、歯にかかわる、歯の形のイメージや「歯を大切にしよう!」という文章等が浮かぶでしょうね。


これは、どういうことでしょうか。


夢の場合と同じように、記憶を擬知覚(?)しているのではないでしょうか。


部屋の花瓶を視るように、歯についてのポスターにかかわるかも知れない、記憶を見て回っているのではないでしょうか。


これが、考えるという行為のように思います。


これは、歯というキーワードで記憶全体に検索をかけているようなものかも知れません。


新たなアイデアが生まれるとは、様々な記憶がシャッフルされることかも知れません。


そういう意味でも、荒唐無稽な夢と似ています。


僕は、僕が考えようという意思で、考え始めたと思っています。


それでは、検索をかけ始めるトリガーになるものはなんでしょうか。


それは、会議室にいるという認識だったり、いまは或るテーマについて考える時間だという認識だったり、目の前にいる人が自分に命令をする人だという認識だったりするのではないかと思います。


そういうのを含んで、リーダーの「歯についてのポスターを作りましょう」という言葉がトリガーになっている。


室内の景色を、時計を、リーダーを、見たことも考え始めるトリガーになっている、そう僕は思います。

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