翔び立て、全てをかなぐり捨てて
ネフィリムという怪物は、時も場所も弁えない。
言葉も情も解さない。
人間の常識など通用しない。
徹底的に己の都合で、己以外の全てを振り回す。
いや、あるいは。
底意地の悪い悪魔の采配なのか。
ネフィリム来襲を報せるサイレンの中、ルシルとアイラは魔鎧騎格納整備場へ駆け込んだ。
慌ただしく作業員の中に小さな少女の姿を認め、ルシルは口早に声をかける。
「コトネ少佐、雷雪は出せるわね?」
「ああ、雷雪はな。だがブラックロードはまだ無理だ。改修完了まであと少しだったんだが、相変わらず間の悪い……」
「わかったわ。なら私だけで行きます。アイラ少尉はここで待機を」
そう言って鎮座する雷雪へ向かうルシルに、アイラは詰め寄る。
「お、お一人なんて危険すぎます! 今はノエミさんたち傍付き隊も出撃できないのに――私も行きます、傍付きとして!」
「言うと思ったわ、そして認めるわけないでしょう。危険過ぎる」
雷雪の装甲を慣れた手付きでよじ登り、アイラを見下ろして彼女は言う。
「これ以上あなたまで欠くようなことになれば、白鳩は――私は、立ち直れなくなる。だから一人で行くのよ。もうこれ以上何も、失わないために」
それだけ言って、ルシルは雷雪に乗り込む。
その直後、全身から白い蒸気を噴き出して、白き騎士が立ち上がる。
細部の動作確認と暖機運転も行わない緊急起動。
たちまちのうちに、大きなその一歩を前へ踏み出す。
『わかったわね、あなたはお留守番よ』
伝信魔法でわざわざ念押しまでしてから、彼女の雷雪は格納庫を飛び出していった。
猛烈な風圧に顔をしかめながら、アイラはその騎士の背中を見送る――だけなど、到底できない。
「……わかってないですよ、団長。私の落ち着きの無さで、留守番なんて務まりません」
それに、自分の居場所は決まっている。
彼女の居る場所、それが居場所だ。
「アイラちん、傍付きとして飛ぶならちゃんと武装しないと。ほら、私の装備貸すっすよ」
いつの間にか駆け寄ってきていたノエミが、肩で担いでいたライフルを差し出す。
「すみません、ありがとうございます、ノエミ先任少尉」
「何言ってんすか。謝罪もお礼もこっちの台詞っすよ……。傍付き筆頭でありながら、一緒に飛べず不甲斐ない限りっす。――そして、団長を一人にしないでくれて、ありがとうございます、アイラ少尉」
深々と頭を下げるノエミにアイラは少し驚いたが、すぐに満面の笑みをふりまく。
「……ルシル団長の飛ぶ空が、私の生きる場所ですから!」
そして差も当然のように飛び上がり、生身で雷雪を追いかけるアイラ。
そんな彼女を、ノエミと琴音は呆れたような微笑みで見送った。
◇◇◇
『――一応、聞いておきましょうか。私を納得させられるような理由はあるの?』
高速で飛行する雷雪へ追いついたアイラに対して、ルシルは開口一番そう訊ねた。
こうなることを半ば予想していたような、諦念のこもった声で。
「条件は傍付きの方々と変わりませんから。魔鎧騎が無い程度で戦えなくなるようでは、騎士として二流です」
『……随分と説得力のある言い訳ね』
「はい、尊敬する上官に教えていただきました!」
悪びれもしないアイラの返答。
『いつかとは立場が逆ね……。少尉、ちゃんとあの時の約束は覚えているんでしょうね』
「もちろんです! 物覚えは良い方なので!」
『……ならいいわ。自慢の記憶力を維持する為にも、精々頭蓋を砕かれぬよう努力なさい』
「あっはっは! 面白いジョークですね!」
『…………』
そうしてドーバーの海上へと急行する純白の騎士と一人の魔女。
白鳩騎士団の充足編成からはほど遠い、たった二名の団員。
しかし二人に気負いはない。
こんな非常事態になおネフィリムの襲撃があり、騎士団が窮地に陥っているということは紛れもない事実だが、だからといって追い詰められているという感覚はない。
気負いはなく、力みもなく、程良く燃える闘志。
戦闘前の精神状態としては良好であった。
もちろん場数を踏んだ二人の、戦場に対する慣れもあるだろう。
しかしそれ以上に、ルシルとアイラ、信頼するパートナーが一緒に飛んでいるという安心感が、お互いを支えていた。
『――見えたわ』
視界前方。
宵闇を飛ぶ三対六翼の異形。
鈍い光沢を持った鈍色の甲殻に身を包み、眼下を睥睨する怪物。
ネフィリム。
既に列車砲の射程範囲にまで接近しているようで、地上からは轟音と共に放たれる砲弾が空を突き刺している。
しかし対するネフィリムはその三対の翼で小刻みで器用な飛行を見せつけ、地上からの攻撃を嘲笑うかのように回避する。
『脚が二本の代わりに翼が六枚……。初めて見るタイプね。随分と空を飛ぶのがお上手だこと。舞踏会にでも迷い込んだのかと思ったわ』
「とはいえあの醜怪極まる見た目では、王女殿下とのダンスのお相手は務まらないでしょう。周りの方々にもご不快でしょうし、お引き取り願うに限ります」
『しつこく付き纏ってくる場合は?』
「排除しますッ!」
そして、ドーバーの戦列に騎士と魔女が加わる。
味方の弾幕をくぐり抜けながら、接近。
「現状の敵はネフィリム一体ですが、先の一件や目下の情勢に鑑みて、黒の黎明による介入も想定すべきかと愚考します! 防衛隊との連携を密にし余力を残して立ち回るべきかと!」
『同意します。一番無茶しそうな貴官が自制を提案してくれて嬉しいわ』
ライフルでネフィリムを牽制しもって、敵の上空に陣取るべく飛行する二人。
目まぐるしい機動を維持しながら、ルシルが地上の防衛隊へと伝信を繋いで呼びかける。
『こちら白鳩騎士団。ネフィリム討伐の為推参した。弾種榴弾にて対空砲火の継続を願う』
『こちらドーバー防衛隊、お早い到着感謝する。対空支援継続を了解。――しかし頭のおかしいすばしっこさだ。砲兵隊が自信喪失する前に決めてやってくれ』
『白鳩了解。防空の主役にはしっかり花を持ってもらいますのでご安心を』
そうしてネフィリムの頭を抑えたルシルは弾倉を交換していたアイラへ指示を飛ばす。
『少尉、少しでいいから時間を稼げる? 集中する時間が欲しい』
「それは勿論、いくらでも。しかし何か妙案が?」
『ええ。……先日のバッキンガムで、失うばかりだと癪だったから盗んできた技があるわ』
「――なるほど。流石は団長です。それではしばらく、マタドールと洒落込みましょう!」
言って、アイラは猛然とネフィリムの鼻先へ躍り出る。
近寄ってきた獲物にネフィリムが喰らいつく。
対するアイラは威嚇射撃を交えつつ、付かず離れずの距離を保って誘うように空を舞う。
ひらりひらりと翻るアイラにネフィリムの攻撃は当たらない。
しかし同様に、小回りの効く飛行で絶えず乱数的な機動を取るネフィリムにも、列車砲の砲弾は当たらない。
そんな演舞のような光景を上空から見下ろすルシルは、バッキンガム、そしてイーストエンドでの戦闘を思い返していた。
任意の物体に飛行魔法を付与し意のままに操るジャクリーン・ザ・リッパーの十八番、
その絶技は確かに使い手が限られるが仕組みとしては飛行魔法の応用だ。
白鳩騎士団で一、二を争う飛行魔法の名手であれば、完全再現にまでは至らずとも同じような芸当は可能。
無論、これまでに試したことがあるわけではない。
しかし彼女はルシル・シルバ。
連合王国が誇る、天才である。
『――
その喚び声に応じるかのように。
ネフィリムに翻弄されていた砲弾が、その軌道を変えて飛翔する。
その空域を飛ぶ全ての砲弾が効果対象。
反れ、曲がり、反転し。
どこまでも標的を追尾する。
まるで指揮者に調律されるかのように統率された動きで、砲弾の群れは四方八方からネフィリムを飲み込んだ。
「菫。縺倥i繧後s縲√↑繧薙□縺薙?蜍輔″縺ッ!!」
その断末魔は、途絶えることのない砲弾の炸裂音に掻き消される。
やがて砲弾の雨が止み、焼け焦げたネフィリムの屍が落下する。
損害は皆無、損耗も軽微。
これ以上を望むことができないほど上出来な、勝利であった。
『――御命頂戴……』
瞬間、背筋に感じる冷たい威圧。
ネフィリムによるものではない。
明確な、人間による殺気。
ノエミの報告でもそうだった。
ルートとロザリを撃墜した魔鎧騎は、勝利の瞬間、一瞬の気の緩みを突いてきたと――
「――無調法者め。団長にご用があるなら、私を通してもらいましょうか」
直後、堅固な物体同士が激突するような鈍い轟音。
魔鎧騎の振るう巨大な剣による攻撃を、アイラが氷壁を張って弾き返した音だった。
雷雪の背後で行われた刹那の攻防。
奇襲を防がれ僅かに体勢を崩す魔鎧機へ、振り返った雷雪が即座にその両腕を伸ばす。
『――
金属錬成により生み出された弾丸が青白い閃光を放ち敵魔鎧騎を破壊する。
同じ奇襲が何度も通用するかと言い放つかの如き威風。
油断も隙も気の緩みも、無い。
あるのはただ、戦友の雪辱を果たすという決意のみ。
奇襲戦術が失敗し、騎体を大きく損壊した魔鎧騎。
しかし漂わせる雰囲気は今だ不敵に夜の闇を誇張する。
『……後悔するだろう、抗うのなら』
長い夜は、その深みを増していく。
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