第19話 僕が死よりも恐れるのは

 立ちこめる霧が灰白色に世界を歪ませる中、ぼんやりと光るガス灯の灯りだけが頼りだった。

 当てはない。

 けれども、一つだけ引っかかっていることがあった。


「心中お見合いで一人の女性が言っていた、蘇ったニックとすれ違ったという話――」


 昨日の心中クラブ(実際はアヘン窟だったわけだが)で一人の女性が話した内容が妙に引っかかっていた。


 ――実は私、見たんです。

 ――ニックが、蘇るのを……。


 ニックが埋葬された共同墓地の入り口で、その女性は赤毛の男とすれ違っている。

 女性は一瞬、ニックが蘇ったのではと思った。

 なぜならば、ニックは全員が〝目の覚めるような赤毛〟だからだ。


「僕が会ったニックも赤毛だった。これは本当に偶然なのか――……?」


 蘇るなんて現象は、実際問題あり得ない。

 だが、

 厳密に言えば僕の死に戻りは時間遡行だけれど、ある種の蘇りであることに変わりはない。


 ここでいったん、蘇りが可能だと仮定すればすべての辻褄が合う。


 つまりニックが毎回蘇り、通算二十二件の心中事件を引き起こしているのだと。

 それなら毎回赤毛の男が被害者で、墓場で赤毛の男が目撃された理由も説明がつく。


 だがここで一番重要なのは、ニックの能力が絶対に〝死に戻り〟ではないということだ。


 もし仮にニックが死に戻りをしているならば、一件目の心中後に過去へと戻っているはずである。

 戻った先の世界線では一件目の心中はまだ起きていない。

 そこで再び心中をしても、結局は死んだこと自体が〝なかったこと〟となってふりだしに戻るだけだ。

 死ぬたびに過去へと戻るのだから、何度ニックが死のうとも、その死は第三者に観測されないはずである。


「つまり〝連続〟心中事件は起こりえない!」


 どういうことだ?

 この世界には死に戻り以外にも、別の何かが存在するのか?


「なんにせよ、もしあの女性の話が本当なら――蘇りが本当なら、今夜を逃せばもう二度と尻尾が掴めないかもしれない!!」


 今なら遺体はまだスコットランドヤードが保管しているだろう。

 さすがにニックも警察署内で蘇るような馬鹿はしないだろう。

 遺体を調べれば蘇る方法がわかるかもしれないし、遺体を監視下で埋葬すれば蘇った瞬間に捕まえることだってできる。


 死体を調べて何も出なければ、それはそれで蘇り説を否定できる。

 そのときは僕の切り札ジヨーカーを切ればいい――


 僕は出しうる限りの速度でベイカーストリートを南下し、スコットランドヤード本部を目指した。






 ロンドン警視庁――通称スコットランドヤードはトラファルガー・スクエアの南東に位置する。

 二十二件目の心中事件が起こったチャリング・クロス教会も目と鼻の先にあり、ロンドン各紙は探偵(つまり僕)の独断行動を批判するのと同じくらい、警察の怠慢を報じた。


 スコットランドヤードという名称は初代庁舎がホワイトホール・プレイス四番地に所在していた頃(つまり今)、裏口がグレート・スコットランドヤードストリートに面していたことから、次第にその名自体がロンドン警視庁を指すようになった。


 ほぼ直角に大通りを右折したとき、ガス灯の向こうに庁舎の建物が顔をのぞかせた。

 濃霧の中にそびえる赤銅色の建物は、ガス灯の光と溶け合っていて境界線が曖昧だ。

 まるで蜃気楼が作り出した幻なのではと思えてくる。

 距離感が掴めず、いくら走ってもたどり着かないような不安に駆られた。

 だが視界の隅にその人物を捉えたとき、これは幻ではないと実感した。


「レストレード警部……!」


 ちょうど裏口から出てきた四十前後の男は、名を呼ばれて気だるげに顔をあげた。


「営業時間外だ」


 とつっけんどんにぼやくと、僕に背を向けて歩き出す。


「ちょ……待ってくださいよ!」


 すでにちぎれそうだった足をこれでもかと加速させ、角を曲がろうとしていたコートの裾を掴んだ。

 くんっと後方に引っ張られたレストレード警部が「やめろ、伸びる!」とよろめきながらも裾をひったくろうとする。


「嫌だ、離しませんっ……」


 ほぼ綱引き状態で力が均衡し、ぴたりと動きが止まる。

 と、コートがめくれた腰のあたりに不自然な出っ張りを見つけた。

 何やら黒い物体がでろんと垂れ下がっている。

 目を凝らしてみてぎょっとした。

 本物の銃っ……。

 思わず手が緩み、結局綱引きには負けてしまった。


「誰だ、こんな時間に」


 レストレード警部が呻きながら振り返った。


「なんだ、噂のアヘン漬け探偵じゃねぇか。とうとう自首する気になったかよ?」


 立ち止まる気は毛頭ないらしい。

 ひったくった勢いのまま足早に歩き出した。

 一歩一歩が大きくて、僕はほとんど小走り状態でその背を追った。


「アヘン漬けって……あれは誤解ですって!」

「どーだかな。正気シラフで依頼人の妹を殺す探偵なんかいねぇと思うが」

「あ、れは……っ」


 直球で投げられた言葉で精神が横殴りにされて、一歩踏み出した格好のまま凍り付いた。

 それを肩越しに見たレストレード警部が目を細め、ため息をつく。

 伏せられた瞳が言葉を探すように揺らぎ、しばらくして吐息混じりの言葉が漏れた。


「わかってるよ、事故だろ。俺だってそこまで野暮じゃねぇ。だがな」


 そこでいったん言葉を句切り、困ったように後頭部を掻いた。


「世間にはそう思わない奴もいる。お前がどれだけ依頼人のために熱くなろうが、大衆の目に映るのはタブロイド紙に並ぶ鮮烈な文字なんだよ。だからしばらくは大人しくしとけって。悪いことは言わねぇから」


「……嫌です。僕は諦めたくない。だからっ……ニックの遺体を調べさせてください!!」

「はあ? 今の俺の話聞いてたか? どうせ尋ね人はもう死んだんだ。ほとぼりが覚めるまでは静かにしとけって」

「それじゃあ間に合わないんです!! 目を離している今も、もしかしたらあいつが蘇っているかもしれな」

「何言ってんだ、本当にアヘンでおかしくなったんじゃ」

「僕はまともですって! だからお願いです、どうかっ……!」


競り合ううちにどんどんと声が大きくなり、気づけば人が集まり始めていた。


「ちっ……」


 とレストレード警部が舌打ちをして、すうっと息を吸い込んだ。


「うるせえ、駄々っ子が! ガキはとっとと家に帰れ!!」


 それまでを凌駕する渾身の一喝。


 埒が明かない。

 そう悟った瞬間、無意識のうちに僕の手がレストレード警部の腰へと伸びていた。


 思考は信じられないくらい冷静で感情の起伏もなかったから、警部は反応もできずにただ僕の手を見ていた。

 標的は警部の腰にある、黒光りしている物体――


「何を――ッ!?」


 警部が身構えたときには僕の手がを掠めとっていた。

 使い方の知識はあったから、安全装置を外して自分の顎へと押し当てる。


 鈍色の明かりに照らされた回転式拳銃リボルバーは、十九世紀のロンドンでもかなり異様だったと思う。

 あのレストレード警部が息を飲み、時が止まったかのようにぴくりとも動かなくなったから。


「僕が死よりも恐れるのは、このまま事件が未解決で終わることなんです」


 ひどく平板な声だ、と自分でも思った。


「だから、ニックの死体を調べさせてください」

「撃ってみろ、死んだら事件を解決するも何も――」


 僕が指先に力を込めると「うわやめろっ」と絶叫まがいの声をあげた。

 僕は引き金を引くか引かないかのギリギリのラインでぴたりと止まる。 

 そのままレストレード警部の顔をじっと見つめると、根負けしたように肩を落とした。


「わかった、わかったから銃を下ろせ」


 むちゃくちゃな野郎だ、としなびれた声でぼやきながら手帳とペンを取りだした。

 正直、引き金を引いたところで僕にとっては死に戻るだけなのだが、それを知らないレストレード警部には効果抜群だったらしい。

 何やら走り書いて引きちぎる。


「だが生憎と、奴の身体はすでに土の中だ」

「え」


 出遅れたっ……。


 乱暴に渡された紙には二つの地図が描かれていた。

 一つはおそらく、ここから墓地までの道順が書かれている。

 もう一つは墓地内部の配置図で、右上の一角がぐりぐりと丸で囲まれていた。

 絶望して地図を見下ろしていると、


「仕方ねぇだろ。奴さんの身体は焼かれて黒焦げ、爆発でぐちゃぐちゃ。しかもあいつ教会の外壁に爆弾まで仕掛けていたらしく――」

「爆弾!?」


 びっくりして思わず口を挟むと、レストレード警部が「そうだ」と短く肯定してから言葉を続けた。


「何のためかは知らんがかなり大きな爆弾が仕掛けられていてな。誘爆で砕けた瓦礫が奴をぺしゃんこに押しつぶしちまったんだ。あんな跡形もない身体を調べてもしょうがねえってんで、朝墓地送りになったんだよ!」


 通りで……。

 最後に響いた爆発音が脳裏に蘇る。

 バックドラフトにしては外壁が砕けすぎていると思っていた。

 証拠隠滅のために身体を吹き飛ばそうとしたのだろうか。


 しかし――僕は頭をひねった。

 そんなに肉体がぼろぼろになっても大丈夫なんだろうか。

 もし仮に蘇り能力があったとして、身体の損傷具合は関係ないのか?


「ちなみに家族は……?」

「今回も男のほうは身元不明だ。本来は遺体の引き取り手をしばらく待つんだが、さっきも言ったように損傷が激しすぎた。だからとりあえず共同墓地にぶち込んである」

「なるほど」

「だから……遺族の許可も必要ない。調べたきゃ勝手に調べろ」


 びっくりして顔をあげると、警部は例えようのない顔をしていた。

 照れとも、怒りとも、自嘲ともとれる顔だ。


「だが墓泥棒として逮捕されたときには俺は知らん顔するからなっ」


 とってつけたように吐き捨てると、僕の手から拳銃をひったくる。


「あ」

「隙だらけだ馬鹿野郎」


 情報を手に入れた安堵から気が緩んでしまった。

 かちりと安全装置のかかる音がして、警部の仏頂面が和らぐ。

 しかし一瞬でもとに戻って、目つきの悪いハスキー犬みたいになった。

 そう思ったらぼさぼさの頭もなんだか納得がいって、うっかり「ぷ」っと吹き出してしまう。

 途端に逆さまの半円みたいな眼孔がぎろりと光って、泡を食って逃げるように地図へと視線を戻した。

 墓地はここからそう遠くない。

 十分も歩けばつくだろう。


「ありがとうございます」


 礼を述べると、


「刑事を脅す野郎がいるかよ。その上〝ありがとう〟とか舐めてんのか」


 ぴしゃりと言い捨てられてしまい誤魔化すように「あはは……」と乾いた笑い声をあげた。


「今度こそ二度と顔を見せるなよガキ」


 レストレード警部が立ち去りながら右手をあげた。

 僕はその背中に一礼をすると、真反対へと舵を切った。

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