[短編]敗走者達の挽歌

胡座

龍を伐つもの達

 全身が震える。この震えは恐怖なのか、あの憎き”龍”に一太刀浴びせられる事への喜びなのか。

 こうして身を潜めている間にも、奴が一歩、その脚を前に出す度、大地が揺れる。地面から伝わる振動を、全身で感じる度に街が、人々の命が、こいつに奪われることになるのかと思うと憎しみが増すばかりだ。

 龍の発する熱が大気を焦がす。防護用のマスクなしで呼吸のすれば体内を全て焼かれてしまうだろう。

 近い。それほどまでに龍に接近している。

 改めて右手の強襲用小剣を握り直す。この程度の小剣ではびくともしないだろう。しかし僕が誰よりも早く、あの龍に辿り着くためにはこれが最善の選択肢だと確信している。

 ジッという機械音に続けて。


「接近限界点だ。作戦行動を開始する」

 

 甲高い女の子の声が通信機から聞こえる。

 僕は機械音が聞こえたくらいで既に岩陰から飛び出していた。

 後で怒られるかもしれない。生きて還ることが出来たらの話だけど。

 龍に向かって最高速度で荒野を突っ切る。地面を蹴る度に脚部と背部にマウントされているエーテル駆動推進器が蒼炎をあげて僕の身体をさらに加速させる。周りの景色を置いてけぼりにして龍に迫る。

 視界に収まらない程の大きさの龍。2本の巨大な後ろ脚で身体を起こしている様は、まさしく山だった。山の様ではない、山そのものだった。

 頭の先から長い首を経て、ゴツゴツとした身体。そこから伸びるのはその巨体を支える、極太の脚が4本。2足で地に立つためか、後ろ脚のほうが前脚に比べ太く、前脚はその代わり鋭い爪を持っている。それぞれが世界樹と呼ばれる世界最大の樹木より太いと聞く。身体からは首とは逆の方向に向けて、身の丈と同じほどの長さの尻尾が伸びている。背中には4対の翼を背負っており。今はたたまれているが広げれば小さな村くらいなら覆い隠せてしまいそうだ。

 全身は硬い鱗で覆われている。その1つ1つが、火山から吹き出るマグマのような炎と熱帯び、そのせいか真っ赤に赤熱している。

 近くに寄れば、その熱量は激しさを増し、僕が纏う硬化煤素製の機械鎧の表面がチリチリと音を立てる。

 頭部は2対の立派な角を携えており、その瞳は金色に輝いている。皮膚からだけでは排気しきれないエネルギーが口から炎となって溢れ出ている。

 龍の爪ほどの大きさしかない僕にこいつは注意を向けていない。視界にすら入っていないのかも知れない。龍の股をすり抜けた先で空を見上げる。僕の視界を覆うのは、天に向かって高く伸びる尻尾の裏側。

 今日一番の踏み込み。予備動作の時点で関節部分の駆動補助装置が音を立て、火花をあげる。そんな事はお構いなしに僕はその身を飛び上がらせる。自分の右下に小剣を構え、最高速度から繰り出す、切り上げの一撃。


 超硬質の龍の赤燐に、僕の握る剣が触れる。龍の持つ巨大な尾に比べれば、僕のもっている剣なんてものは羽虫が止まった程度の感覚だろう。剣はその尾に傷をつけるどころか、火花を撒き散らし、その刃が砕け散る。

 龍のきまぐれか、それとも鬱陶しい羽虫を払うためか、龍はその尻尾を軽く揺らす。

 直撃。

 防御態勢はなんとか間に合ったが、かるく揺れた尻尾は僕の身体の左側を圧倒的な質量で打ち付た。何重にも重ねられた硬化煤素が衝撃を和らげるものの、その勢いは凄まじく僕の身体は大きく吹き飛ばされる。

 大丈夫、まだ動く。大したダメージもない。

 僕は、すかさず空中で身をひねり着地の体制を整える。それと同時に新たな剣の要請を送る。

 

「武装班!僕の着地位置を予想して今すぐに大剣を飛ばして!すぐに!」

 

 通信用の端末に向けて大声で怒鳴る。「了解」という短い返答。機械鎧から噴出される蒼炎をもって可能な限り衝撃を抑えて地面に着地。そ

 

「ドンピシャ!」

 

 着地の際についた片膝のすぐ隣には射出された兵装の到着予測地点を示すマーカー。そして次の瞬間には轟音と共に空から破砕用特殊大剣型兵装”ボン・マグヌス1式”が飛来する。粉塵の向こう側でマグヌスの両刃が輝く。

 視界を遮る砂煙を突き抜けて、僕のすぐ横を同期のルリアが爆音を立てて通り過ぎた。彼女が構える身の丈をゆうに超える突撃用特殊槍型兵装” インペトゥス・ピルム”は、その歪なまでに大きな石突から蒼炎をあげている。頭部を覆う鎧からは細い2つ結びの金髪が、風にたなびいている。


「イッシュ!なにひとりで飛び出してるの!!」

 

 彼女の声が通信端末から響く。


「命令違反者と同郷なんて嫌なんだからしっかりやってよね」


「それでも、誰よりも早く奴に一太刀浴びせられた!」

 

 僕の返答にチッと小さな舌打ちをした彼女は、そうこう言っている間に龍へ肉薄している。強烈な速度を維持したまま、その勢いを一点に集中させたアスルタスタの突撃。それでも龍の鱗を一枚と剥がすことなく、僕と同じように弾き返される。先輩も後輩も同じように龍に飛びかかっては弾かれ、また飛びかかるを繰り返している。その数はおよそ50。

 僕も地面に突き刺さるマグヌスを引き抜き、龍に向かって突撃する。

 まさに羽虫だ。人間に群がる羽虫。どうってこない、取るに足らない羽虫。

 それでもこれだけの数にたかられたらどうだろうか。人間でも鬱陶しいと感じ、手で払ったり、顔を横に振ったりするだろう。


「動態信号を感知!龍が動くぞ!」

 

 管制部隊からの入電。瞬きする間もなく、眼の前の巨大な山が――龍がその腕をはらった。地面に沿わせるように、まるで子供が机の上の玩具をさらうかのように。巨大な腕が迫る光景は、まるで山の尾根がそのまま向かってくるような感覚を覚えた。存外ゆっくりと迫りくるその巨大な腕。実際に遅いのかそう感じたのかはわからない。


「イッシュ!!!」

 

 ルリアの声で我に返る。赤燐は既に目鼻の距離。この勢いを殺して退くことはもちろんできない。飛び上がっても飛び越えられるかはからない。であれば出来ることは1つしかない。

 

「せめて、こいつだけでももってかせてやるよ」

 

 地面を踏み込む。マグヌスを右肩に担いで、できる限り姿勢を低くする。脚の筋肉が千切れんばかりに膨張しているのがわかる。エーテル駆動推進器が悲鳴をあげる。ほぼ地面と平行の態勢のまま迫りくる腕に向かって更に加速。

 最も簡単で、最も驚異的な破壊力を持つ剣筋。上段からの袈裟斬り。

 ミートポイントは完璧だった。振り切ったボン・マグヌスが最も勢いづいた点で腕とぶつかり合う。

 その刹那、ボン・マグヌスはその剣先を真っ青に染め上げて、辺りの酸素を巻き込み、連鎖的な爆発を発生させる。その破壊力は特殊兵装の中でも群を抜いて高く、それこそ、”龍の繰り出す一撃”にも匹敵するとさえギルド長は言っていた。

 炸裂した爆破の勢いは事実、龍が振るった腕の衝撃と同等だったのか、その勢いを止めた。僕の身体はもちろん反動で後方に向けて強烈な勢いでふっとばされる。爆発と衝突の衝撃で機械鎧の一部機能は一時的に停止してしまったようで、大きく弧を描いた僕の身体は、地面に強烈に叩きつけられ、そのままの勢いで地面を転がる。

 折れた刃を地面につきたて、その勢いを殺す。突然、”死”が迫るのを感じた。全身を流れる血が沸き立つ。その身に走る痛みを忘れるほどに身体が硬直する。

 目が合った。首だけをこちらに向けた龍の頭。そこに輝く金色の瞳が怒りを帯びてこちらを見つめている。龍の持つ巨大な大木の様に太い掌を地面に押し当ててその図体を僕の方に向ける。ひとつ身体を動かすだけで地響きが起こり、大気が揺れるのを感じる。

 そうして僕は、この龍と向き合うことになった。その体格差は巨木と蟻ほどだろうか。きっと龍の図体が全部見える位置からみたら僕の事は殆ど見えないだろう。

 龍は天に向けてその首を大きく伸ばして雄叫びを上げた。そうしてそのままの勢いで倒れ込むように前脚で大地を踏み砕く。

 雄叫びの音圧が鼓膜を突き抜け、身体を揺さぶる。前脚をおろした衝撃は辺りの大地を割り、龍を中心に幾本もの地割れがクモの巣状に駆けた。

 僕は、反射的に両手で耳を塞ぎたくなる衝動を抑え込み、龍の眼差しを見返す。今までに感じたことのない明確な殺意を感じた。


「イッシュが龍を惹きつけた。イッシュは初陣だ。荷が重い。総員イッシュのの保護に動け」

 

 あまりの衝撃に朦朧とする脳内をギルド長の甲高い声がかき乱す。横薙ぎの腕を避けるため、散り散りに散開していた仲間達がすぐさま行動に移るべく態勢を取る。

 

「僕は……大丈夫です。このままこいつを惹きつけます」

 

 口の中が鉄の匂いで一杯だ。右腕と肋骨が痛い。きっと折れてる。それでも足は動く。腰も問題ない。口内に溜まった血液を吐き出す。 

 

「そうか。では総員命令変更。イッシュを惹き付け役とするために、総員は龍の視線から外れろ」

 

 僕の「大丈夫です」宣言の応じてギルド長は命令を変更。僕に向けて駆け寄って来ていた仲間たちは、その速度を緩めて龍の目線上から退いた。ひとりを除いて。


「その命令には従えません!イッシュはとても惹き付け役を出来る状態ではありません!援護に回ります」

 

 ルリアの声だ。背面から吹き出る蒼炎を背負ってこちらに飛び込んでくる。


「ルリア。許可できん。退け」

 

「衛生班!即座にイッシュの生体状況を確認して!」

 

「よせ。命令違反だ。厳罰だぞ」

 

「いい!イッシュを助けなきゃ」

 

「僕は大丈夫だ!」

 

 僕の声でルリアはその動きを緩める。ちょうどの龍と僕の直線上に入る手前。すかさず他の仲間が彼女を担いで戦線を離脱する。

 

「僕らの仇だろ。任せてくれ」

 

 龍は僕を見つめながらその4対の翼を広げて威嚇態勢を取る。龍の惹きつけるとは、この事をいう。小さな人間のことなんて端から眼中にない龍から、明確な殺意を向けられる。天災、厄災として恐れられ、同時に現神と崇められる龍から敵として認められること。

 抗いようのない龍の暴力から人々を守ること。

 そして神と崇められるその龍を伐つこと。

 それが僕たち”ドラコキディウム”の使命である。

 腕が向かってきた時は比べ物にならないほどの圧。気を抜けば目線だけで焼き殺されてしまうかと錯覚してしまうほど殺気。僕と相対するのはこの世界に6柱存在する龍種の1柱。炎龍。

 訓練で戦ってきた竜種とは違う。本物の龍である。

 この強大な力を持つ化け物が、畏敬の念すら感じる荘厳たる姿の持ち主が、世界のすべてを踏み潰す巨大な存在が、矮小な僕を。こいつが潰しそこねた小さな命を、今敵として認識した。

 ねぇ。ルリア。僕今どんな顔してるかな。僕は笑ってると思うんだ。

 

「イッシュだめ!逃げて!!!」

 

 通信機からはルリアの叫び声が響き聞こえる。

 昔からルリアは気が強いくせに泣き虫で、なんかあれば喧嘩腰になって、すぐに落ち込んで。今だって、きっと泣きわめいているに違いない。なんてたって産まれてから今までずっと一緒にいたんだ。彼女が僕のこと全部わかっているように、僕だって彼女のことを何でもわかるんだ。こんなことルリアに言ったら、きっととんでもなく怒られるだろうけど。

 炎龍は再びその上体を起こし、悠然と4対の翼を広げ、大きな口を開ける。そのゴツゴツとした岩のような腹部が一層強烈な赤熱を放つ。次第に体全体の鱗もその輝きを強め、気がつけば全身を覆う鱗のすべてを獄炎を放ち、龍の全身が炎に包みこまれる。

 その様はまるで地獄に降り立つ悪魔のようである。


「観測班より。龍の体内に極大熱源を感知。龍の咆哮の準備に入りました」

 通信機からの入電はオープン回線で全団員に告げられた。皆声に出さないが、空気が張り詰めたのを感じた。

 龍の咆哮。龍種が唯一持ちうる、極大殲滅攻撃である。その身を揺らすだけで全てを破壊できる龍種にとって、攻撃手段は本来であれば必要ない。事実、人類にとっては想像をはるかに超える威力を誇る龍の咆哮ですら、体内に溜めこんでいる莫大なエネルギーをいたずらに放出するものでしかない。

 同時に龍の咆哮を使った後、持てるエネルギーを出し切った龍は、その身を守る硬い鱗も分厚い皮膚も全てが弱体化する。神たる龍の唯一の弱点だ。

 だからこそ龍はその攻撃を使うこと滅多にない。その瞬間を作るために僕達は龍の怒りを買う。まさかこんなに早く炎龍が僕を敵として定め、その全力を使わせる事ができるとは誰も想定しなかっただろう。

 

「武装班。対龍特化防護兵装をありたっけ飛ばしてくれ」

 

 砕けた肋骨が肺に突き刺さっているのだろうか、声を出す度に口から血が溢れ出る。

 

「了解。既に射出済みだ」

 

 武装班は作戦行動ではとても優秀だ。

 

「衛生班より、こっちもあるだけの痛み止め送ってるから!気休め程度だけど全部使っちゃって!」

 

 可愛らしい女の子の声。このギルドの仲間皆本当に出来るな、と改めて感じる。龍の被害を最小限に抑えること。そしていずれ龍を伐つことに全てを捧げている。

 

「熱量から計算した龍の咆哮までの時間は5分だ。イッシュ。わかってるな?龍の咆哮が確認できたらすぐに飛び上がれ。できる限り高くだ」

 

 ギルド長からの命令。酷い人だ。こんな満身創痍の僕に、更に鞭打って動かそうとする。

 

「その位置だと射線上に複数の街がある。空中で受けきれ」

 

 しかし僕は彼女の命令に従わざるを得ない。僕に、僕たちに”龍を伐つ機会”をくれたこの人にの命令には。

 

 このギルド――ドラコキディウムは龍災孤児の集まりだ。

 はるか昔、全ての原初たる聖なる龍が世界を作り、6匹の子供に世界を支えるように世界を託したのが世界の始まりであり、人類はその龍が支える大地に住まわせてもらっている。

 その考え方、龍神信仰がこの世界に生ける者の精神の根底に流れている。龍神信仰においては、龍が起こす災害は全て天災と考えられており、人類は龍が気まぐれに起こすそれをただ黙って耐えるしかない。街を燃やされようと、大波にさらわれようと。祈りながら迫りくる死を待ち、その怒りが静まるのを静かに見守るしか出来ない。

 それどころか、6柱の龍と聖龍を奉る”聖龍教団”は龍が人里に降りて人類を襲う時、それすなわち信仰が足りない者への天罰であるとみなし、彼らの保有する武力、聖龍騎士団がその街や村を包囲し、住民たちは逃げ出すことも許されず、生贄のように龍に捧げられる。

 実際のところ龍はそんな人々を喰うでもなく、ただ蹂躙するのだ。そこに愉悦や快楽などない。ましてや生贄があるからとて、こいつらが静まるわけではない。ただこいつらは暴れたいだけなのだから。

 一通り暴れたら、こいつらは自分の住処に帰っていく。犬の散歩と一緒だ。そうしてその散歩の道中に転がる虫を潰しているだけ。こいつらにとってはその程度のものなのだろう。

 このギルドはそんな龍災によって住む場所や、家族、故郷すらもなくした哀れな子どもたちの集まりなのだ。龍に、神に、傍若無人な神を崇める世界に対して反旗を翻すために集まった。そんな集団だ。

 

 僕は5年前このギルドに拾われた。僕が住んでいた街がこの炎龍によって破壊し尽くされたあの日に。

 

 あの日、僕はルリアとたまたま遠くの街にルリアの父に連れられて出かけていた。だから、あの街が第一種龍災地域に指定された時には、教団に包囲された街からは出ることはもちろん、入ることすらできなくなっていた。

 無理矢理に包囲を抜けようとしたところを、教団の兵士にぶん殴られて昏倒。街の病院のベッドの上で目覚めた時には既に僕の街の近くまで龍が迫ってきており、今いる街ですら第二種龍災地域の範囲に入っていた。

 教団の有する映像転送装置は街の様子を鮮明に映し出す。住人たちが道端に跪いて、ぎゅうぎゅうにひしめき合いながら、祈りの姿でむせび泣いていた。きっと父さんや母さんもあの中にいたのだろう。隣のルリアのお父さんは、ルリアを強く抱きしめながら、切れ落ちてしまうのではないかと思うほど唇を噛み締めていた。街に残してきた妻とルリアの妹の事を思ってだろう。

 ルリアはというと、父のその様子を見て、僕の右手をぎゅっと握りしめて、泣くのを堪えていた。

 

「炎龍様の怒りはこの街にも及ぶだろう。皆、外に出て祈りの準備をすすめなさい」

 

 教団幹部の声だろうか。彼の言葉が院内に響き渡る。しゃがれた爺さんの声だ。耳に粘りつくような嫌気のある声。恐らく街中のあらゆる場所で響いているのだろう。

 

「あの街のように、炎龍様の怒りを受けたくなければ即座に」

 

 ”あの街のように”というこの男は今思い出しても腹立たしい。僕の住んでいた街はみんな普通に暮らしていた。良いことも悪いことも、他の人々と同じように。

 その言葉を受けてか、全身を金属製の鎧に身を包んだ騎士団が院内にも入ってきて、院内の全ての人間を、治療中だろうが、歩けなかろうがお構いなしに外へ連れ出す。まるで家畜の出荷作業のようなその光景を見て僕は、彼らのことを強く、睨んでいたのだろう。その視線に気がついてか、ひとりの騎士団兵が肩で空を切って僕のもとに迫ってくる。他の兵士に比べて豪華な飾り付けのある鎧を身に着けていた。

 

「何かございますでしょうか?」

 

 ルリアの父が彼らの期限を損ねないように、限りなく丁寧に、謙虚に問いかける。

 

「この少年に反抗的な態度が見られる。引き渡してもらおう。炎龍様の怒りを買う恐れがある。師団長である俺、自ら、その腐った精神を叩き直してやる」

 

 自分のことを師団長と呼ぶこの男は、そう言って即座に僕の腕を掴みベッドから引きずり下ろす。ルリアが床に転げ落ちた僕を庇うように覆いかぶさる。

 

「やめて!イッシュはまだ元気じゃないの」

 

 ふんと鼻を鳴らし、師団長は硬い鉄の鎧で覆われた腕を振るってルリアを横薙ぎに殴り飛ばした。幼いルリアの身体は簡単にふっ飛ばされて、壁に叩きつけられた。


「この娘も一緒だ。連れてけ」

 

 この男の後ろに控えていた、彼の部下と思しき数人の兵士がルリアと僕を担ぎ上げるために近寄ってくる。

 

「待ってください!この子達はまだ子供です。私が……罰なら私が受けますから」


 慌てて立ち上がったルリアの父親が叫ぶ。院内を移動する人々の視線が集中する。

 

「貴様、こいつらのなんだ?親か?親の信仰心が足りないからこうなるんじゃないか?」

 

 師団長の男がルリアの父に詰め寄る。

 

「お前の顔、どこかで見たことがあるな。あぁそうか。貴様、あの街の指導者か!」

 

 ルリアの父は、僕たちが住んでいた街の指導者であった。良き市長で民からの信頼も厚く、彼の指導の元、街はとても活気づいていた。

 

「貴様のような人間が率いているのでれば、あの街は炎龍様の怒りを買うのも納得だ」

 

 ルリアの父の髪の毛をひっつかみ、師団長は高笑いをする。

 

「見ろ、炎龍様の怒りが下るぞ」

 

 男はルリアの父の髪を引っ張って、顔を映像が映る端末に向けさせる。端末には、炎龍のその巨大な前腕が、僕らが産まれた街に今にも届きそうな様子が映し出されていた。街は既に炎龍の発する熱で、あちらこちらに炎が昇っている。

 そしてその巨大な前腕を天高く振り上げた。次の瞬間には映像は乱れ、一瞬途絶えた後、すぐに別の映像に切り替わった。

 踏み抜かれた前腕は街の大部分を破壊している。続いて二の手。既に街の7割以上は壊滅状態だろう。極めつけに、龍はその場で軽く跳ね上がり、そのまま自由落下。その巨体。質量はどれほどのものか想像しがたい。それが空から降ってくるのだ。龍が着地した点から放射状に地割れが広がり、街はその裂け目に飲み込まれていった。

 わずか数分の出来事である。1つの街が地図から消えた。

 

「マリア……ミリア……!!!」

 

 ルリアの父は、髪の毛を掴んでいた師団長の手を払い除け、妻と子どもの名前を叫びながら映像端末にしがみつく。目は真っ赤に血走り、顔面のあらゆる部分から様々な汁がこぼれ落ちる。

 

「なんだ。女でもいたのか!不憫だな、こんなやつがいなければあの街もこんな結末にならなかっただろうに。まぁ炎龍様が天に送ってくれたんだ。次はいい人生を送れるだろうさ。なんなら俺が抱いてやってもいい。そうだそこの娘なら、信心深い俺に抱かれるのであれば助けてやってもいいぞ」

 

 男の顔は鎧で覆い隠されていてわからない。しかし下品な笑い声から、こいつの醜悪な笑顔が思い浮かべられる。

 

「きっっさまぁ!!!!」

 

「だめだ!」

 

 ルリアの父は激昂し、しがみついていた端末を押し倒し師団長に掴みかかる。

 僕は叫びながら床に横たわる身体を手をついて必死に起こそうとするが、別の兵士に抑え込まれてしまう。僕には見えたのだ。この師団長が腰に携える剣の柄に手を伸ばすのを。

 必死の叫びも虚しく、ルリアの父は掴みかかった勢いのまま、男が引き抜いた剣に貫かれる。

 

「ぐ……」

 

 言葉にならない言葉が血液と一緒に口から漏れ出る。腹部を貫かれ、床に膝から崩れ落ちるルリアの父。彼の足元はみるみるうちに腹部から流れを落ちた血液で真っ赤に染まっていった。

 

「馬鹿な男だ。黙っていれば炎龍様によって天に召されたものを」

 

 男は雑に剣をはらって刃に付着した血を飛ばす。血が壁に打ち付けられ、床にへたり込み、その様子を呆然と見ていたルリアの顔面に飛んだ。

 ルリアはその瞳孔を大きく広げて、叫び上げた。先ほど殴られた時にどこかをやられたのか、自由に身動きが取られない身体を引きずりながら、父のもとに這いずるルリア。

 

「パパ、パパぁ」

 

 必死にルリアが呼びかけるもルリアの父は、その姿勢のまま横に倒れ込み、反応することはない。

 

「ああぁ……」

 

 ルリアの顔に絶望の色が浮かぶ。僕も抑え込む兵士を押しのけようともがくが、子どもと大人。力の差は歴然で、もがけばもがくほどにその押さえつけは強くなり、息すらもままならないほどだった。

 

「なんということだ……」

 

 ルリアの父を貫いた師団長に男が端末を見ながら、こぼす。

 

「入電。入電。本地域の指定区分を二種か一種に引き上げる。これより当該区域は第1125次龍災における二号一種龍災指定とする。総員住民の祈りを完遂の後、当該地域より離脱せよ。繰り返す。本地域の指定区分を……」

 

 男の持つ、通信端末から無機質な声が漏れ聞こえる。

 

「はは!!炎龍様はまだお怒りのようだ!!こっちに向かってくるzぞ!貴様らがいるせいでこの街も終わるぞ」

 

 ゲラゲラと嬉しそうに、楽しそうに、下品な笑い声を上げる男。数人の兵士に押さえつけられた僕の眼の前には、先程ルリアの父が押し倒した端末が転がっていた。

 端末の画面に映る炎龍と目があった。次の獲物を見つけた、というような獰猛なものでもなんでもなく、ただ自分の行く先を定めたかのような、なんともない瞳だ。

 通信機からは延々と、その絶望を告げる音声が垂れ流されていた。


 

「イッシュ……イッシュ……。準備はできているのか?」

 

 ギルド長の声が通信機から聞こえる。

 なんだか思い出にふけってしまっていたみたいだ。気がつけば僕の周囲には僕が要請したありったけの特殊防御兵装と衛生班からの痛み止めが大量に届けられていた。

 相対する龍はその大口を開けて今にも、咆哮を放ってもおかしくない様子だ。そしてこいつは今僕を敵として、獲物として認識している。5年前のあの日、画面越しであった目とは違う。今僕はこの瞬間、こいつと対等である。

 

「はい。大丈夫です」

 

 今日まで、文字通り血反吐を吐くほどに努力をした。なんの取り柄もない一般市民だった僕が、ここまで龍とまともに対峙できるようになったのもギルドの皆のおかげだ。それにルリアも。

 あんな事があったんだ、僕よりもルリアは努力を重ねた。今ではギルドの中でも指折りの戦士だ。彼女はこんなところで死んで良いわけがない。彼女は龍を討てる戦士だ。

 僕だってそこそこいいところまでいってはいるが、頑丈な身体と俊敏性は惹き付け役にもってこいだろう。

 特殊防御兵装を手に取り構える。他の特殊兵装と異なり、とてもコンパクトで普通の盾よりも小さい。一度起動させれば、エーテル力場が発生し、防護壁が前面に展開される。その力場内では全ての物理法則から解放され、どんな攻撃も衝撃も防ぎ切る事ができるという触れ込みだ。

 エーテルの消費量が多すぎてほんの一瞬しか展開することは出来ないが、この場には4枚のそれが届けられている。この4枚を組み合わせれば、より長い持続時間を実現させ、さらには全身を覆うように球体で展開できる。

 ドラゴギディウム開発班がその叡智と超古代技術の粋を結集した、紛れもく最高の兵装のひとつである。理論上は龍の咆哮をも防ぐことが出来るはずだ。溜めこんでいるエネルギーを無駄に使うことは出来ないので、ぶっつけ本番、一度きりの大勝負。

 ここまで龍の死に迫ったのはギルド始まって以来だろう。迫ったと言ってもまだまだ遠いのがもどかしいが。

 ただあの日から、ここに至るまでの道程を考えれば、僕なりによくやったほうだろう。無力でしかなかったあの日を思い返せば。

 

「イッシュ。今日君がこの役をすることになるとは思っていなかった。私がこんな事を聞くのも筋違いだが……本当にいいのか?死ぬぞ?」

 

「ここまでの機会はドラゴギディウム始まって以来でしょ。願ってもないですよ。それに嫌だって言ったって、意味ないでしょ?」

 

 僕は4枚の特殊防御兵装を1枚に組み合わせながら答える。はぁーと長い溜息。

 

「ルリアが黙っていないだろうな」

 

「ルリアは強いですから。僕なんかよりずっと。彼女が龍を討つ瞬間に立ち会えないのだけは残念ですが、僕が今日この日の2番目の立役者だって広めてくれたら、それでいいです」

 

「君だって十分強いさ。龍を前にして、それでだけ立派にはなせるのだから。すまないな、イッシュ。私の……あたし達が成し遂げるべき目的のために……逝ってくれ」


「逝ってくれなんて酷いですね。僕は帰りますよ」


「団員の帰って来るは信用していないんだ。お前たちと出会ったあの時からな。だからあえて言おう。逝ってくれ。例えばお前が死のうとも、その意思は必ず私が引き受ける」

 

 個別回線で飛んできたギルド長の声は心なしか震えていた。そう言えば初めて会った時も彼女の泣き顔を見た。


 暴れないように手足を縛り上げられた僕、涙を枯らしてなお父に縋るルリア、そして事切れたルリアの父の亡骸は、祈りを捧げる市民の前に放り出された。先程、端末に映されていた僕たちの街の光景と同じように、市民は道にひしめきながら、地面に跪き、手を組んでいる。市民の注目が集まる。

 

「こいつらはー!先ほど炎龍様の天罰が下った街の市民である!!しかも!!この男はあの街の指導者であった!!!!こんな奴がいたから、この街にも炎龍様の天罰が下るのだ。しかと見届けよ。我ら聖龍騎士団の手でこの者達を処刑し、炎龍様の怒りを鎮めよう」

 

 先程の師団長が怒鳴り超えをあげる。市民ただ呆然と僕らを見つめるだけだった。

 その男は頭を覆う鎧を外し、投げ捨てる。鈍い音がこだまする。冷たい、金属が擦れる音とともに剣が引き抜かれる。

 

「今ここに、聖龍教団第10師団団長レオヴェル・レイスの名のもとに、反龍の民を処刑する」

 

 レオヴェルと名乗る男は抜き放った剣を自身の目の前で掲げ、高らかに宣言した。この名乗りが騎士団の中での習わしに成っていると知ったのは随分あとになってからのことだった。

 少しの間その体勢のままで目を瞑り、何かに祈りを捧げた後、男はゆっくりとその歩みを、進める。僕たちの命を断つために。

 成すすべもなく、龍に蹂躙されるならともかく、同じ人間の手によって殺される。きっとあの時の僕の感情は、龍に対する憎しみと同じく酷いものだっただろう。

 

「まずは娘、貴様からだ」

 

 ルリアの前で足を止め男は振りかぶる。その表情は信心深さなど微塵も感じられない、加虐に対する喜びを感じている恍惚に満ちた表情だった。僕より先にルリアの首を落とすことで僕の心を折りたかったのだろう。それが楽しみだったのだろう。

 残念ながら、もうその時既に僕の心は完全に死んでいたからか、きっとあの時ルリアの首が一刀両断されていたとしても、何も感じなかっただろう。

 雲だろうか。太陽が隠され、僕らの頭上に影が落とされる。

 

「そこまでだよ。教団さん方」

 

 上空から幼い少女を思わせる甲高い声。声のした方、空を見上げると、巨大な空を浮かぶ船。そしてそこから舞い降りる、複数の影が見えた。影は蒼炎を噴出させながら、街に降り立つ。

 騎士団が身につけるフルプレートメイルとは全く形状の異なる防具に身を包んだ細身の男女が数名。硬化煤素製の超古代技術をふんだん盛り込んで作られたドラコキディウムの団員のための鎧。黒を基調として胸部と背部、手脚に装着する形状の機械鎧である。

 

「これより、この街は我ら龍伐ギルド”ドラコキディウム”が占拠する。教団の皆様方はお早めにご撤退を」

 ちょうど僕らの前に出てきたレオヴェルと他の騎士団の間に降り立ったのは、ドラコキディウムのギルドメンバー。そして――


「私、ドラコキディウムのギルド長がイオス・テイルズがここに宣言する!この街を救うと」

 

 他の団員と装いの異なる、白衣に身を包んだ小柄で耳長の少女。イオス・テイルズが大上段から宣言した。

 レオヴェルを含む騎士団の兵士達はすぐさま戦闘態勢を取る。ギルドメンバーは着地と同時に既に戦闘準備が出来ていた。レオヴェルがその鋭い眼光をイオス団長に向ける。

 

「エルフの小娘。なんの真似だ。返答によっては貴様の首から跳ね飛ばしてやってもいいぞ」

 

「私が小娘ならお前はなんだ?猿の子種か?おい」

 

 当時の僕より少し大きくらいのイオス団長は、首が痛くなりそうなほど見上げながら、レオヴェルの顔を睨みつける。

 

 レオヴェルはそんな子供が威勢を張っているような状況を見て、ふっと鼻で笑った。

 

「そうか。貴様ら最近噂になってる、反教集団か。今ここで全員血祭りにあげてやろうか!」

 

 レオヴェルはイオスを見下げて怒鳴りつけ、その剣を振るう。剣戟は空を切り裂き、イオス団長に迫った。しかしその刃は届かない。

 

「お前らのような脳足りんが使う様な子どもの玩具で私に触れられると思うなよ、小僧」

 

 切っ先は音もなく彼女の肌に当たる直前、薄紙一枚挟んだようにその運動力を失くし止まっている。いくらレオヴェルが力を入れても動く気配がない。そして人を小馬鹿にしたようなイオス団長の邪悪な笑み。顔を真赤にしてレオヴェルは刃を押し込もうとするがびくともしない。

 

「師団長。刻限につき、総員退避されたし。繰り返す。刻限につき、総員退避されたし」

 

 レオヴェルが腰からぶら下げる通信機から再び無機質な声。怒りに満ち溢れた表情でイオス団長を睨みつけるレオヴェル。

 

「さぁ。ママがお呼びだよ。レオヴェルちゃーん」

 

 更にレオヴェルを煽る団長。

 

「お前たちが黙って帰るのであれば、私達は追わないよ。私達がやるべきことは子どものお守りじゃなくて、あっちのデカブツから街を守ることだから」

 

 勝ち誇った表情でレオヴェル腰のあたりを掌で叩く団長。その動作にまた腹を立てて、レオヴェルは再び剣を振り上げるが、さらなる入電によって、その鉾を納めることになった。

 

「炎龍様が動き始めた。時間はない繰り返す直ちに離脱せよ。離脱しなければ一切の救助はない」

 

 通信機が告げた。

 

「全軍……撤退」

 

 か細く呟くレオヴェル。ん〜と聞こえないふりをして耳に手を当てる素振りをして見せる団長。

 

「全軍撤退だ!!!こんなクズどもに構うな。この街もろとも炎龍様に焼き殺されてしまえば良い!」

 

 レオヴェルはそう吐き捨てると、他の兵士を引き連れて街を去っていった。街道に残されたのは、市民と僕とルリアとルリアの父の亡骸。そしてドラコキディウムのギルドメンバー達。

 イオス団長は僕たちの眼の前で腰を屈めた。

 

「すまない。君たちの大切な人守ることが出来なかった。君たちだけは必ず守る。約束しよう」

 

 そうして、その短い腕を目一杯広げ僕とルリアの2人を抱きしめた。僕たちはその小さな腕に顔を埋めて声を上げて泣き叫ぶしか出来なかった。


「さて」

 一通り泣きわめいた僕らが静かになった頃。騎士団が撤退した街の大通りの真ん中に仁王立ちになり腕を組むイオス団長。彼女は純白の白衣を翻しながら街の住人に告げる。

 

「先ほど宣言した通り、この街は私達が占拠した。占拠したと言っても君たちの自由は約束しよう。街から出るでも、このまま残るでも構わない。しかし私達がこの街を守る。これは揺るぎない事実だ」

 

 「あの……」と初老の小綺麗な格好をした男性が恐る恐る住人の群れから立ち上がり、イオス団長に話しかけた。この人はルリアの父とも交流の深かった、この街の指導者のはずだ。


「守るというのは龍災から我々を守ってくださるということでしょうか?」

 

「ああ。それ以外に何がある?」

 

 その言葉に跪き、祈りの姿を取りながら目を瞑っていた住人達がざわつき始める。


「そんな事をしてしまえば反龍思想で教団に何を言われるか……そもそもそんなこと可能なのでしょうか……炎龍様から街を守るなど」

 

 指導者は住人の言葉を代弁する。良き指導者だ。

 

「だから言っているだろう。反龍思想と思われるのが嫌なら、さっさとこの街から出ていけばよい。街には今教団関係者はおらんだろう。他の街にでも逃げ切れれば、どうにかなるだろ。それと」

 

 一旦ここで区切って、イオス団長は続ける。

 

「この街をまれるかどうか、に関しては私が守ると言ったら守るんだ。いいか?私は古代より生けるエルフの天才研究者だぞ。龍ごときに引けを取るか」

 

「はいはい〜。団長ー。そこまでにしましょーね。街の皆さん怯えちゃってますから」

 

 小さな身体を目一杯使って力説する、イオス団長を別の女性の団員が後ろから脇に手を差し込み抱き上げる。

「ミルトン!何をする!!」

 

 手脚をジタバタさせて今度は抗議の対象をミルトンと呼ばれた女性の隊員に向ける。すらっと伸びた手脚。引き締まった身体。しかし同時に、その身のこなしに一切の隙のない女性。ミルトン・セセリア。この時のドラゴキディウムの副団長だ。

「しーずかにしてくださいって。団長。あ、みなさんこう見えてもこの子本当に天才ではあるんで、ご心配なさらずー」

「この子とはなんだ!私は貴様より」

 ここでミルトンがイオス団長の口を塞ぐ。塞がれた口はモゴモゴ言うだけで何を話しているのかは理解不能だ。

「副長。炎龍がこちらに向けて進行を開始しました」

「あーそう。それじゃ私達は作戦行動に移りますかね。団長はここで待っててくださいな。前回の風龍と違って、炎龍はどうしても攻撃範囲が広いんでね。戦場で団長のお守りは出来ないですよ」

 ミルトンはイオス団長を地面に下ろして屈みながら頭を撫でる。イオス団長は鬱陶しいそうな表情をしてはいるが、その行為を受け入れている。

「帰ってくるんだぞ、ミルトン」

 その声はわずかに震えていた事を覚えている。

 ミルトンは肯定も否定もせず、バツの悪そうな笑顔でイオス団長の頭を2度だけ叩いた。


 5年前。あの日は本当に沢山の事が起こった。故郷が龍に蹴散らされ、幼馴染の親は眼の前で殺され、そしてその幼馴染でさえ殺されかけた。

 しかしその光景よりも脳裏に焼き付いているのは、”ドラゴギディウム”の戦いだった。

 結論、その時の炎龍との戦いで当時のドラゴギディウムの団員の7割が戦死。ギルドとしての機能を失うところまで追い詰められた。言うまでもなく、ミルトン・セセリア副団長もこの時命を散らした。

 この時、龍を惹きつけたのがミルトンさんだった。


「団長は泣き虫だからな。僕の周りには泣き虫な女の子が多いな」

 

「それは言えてるな」

 

「団長、戦闘の前いっつも泣きそうなんだぜ!」

 

「わかるー」

 

 独り言のつもりだったのにオープン回線に繋がったままだったようで、他の仲間たちが僕の独り言に次々と反応する。皆の明るい声。明るく振る舞おうと、僕が恐怖に押しつぶされないようにと必死で取り繕っているのが手に取るようにわかる。

 

「えーなに?団長泣きながらイッシュに通信したの?めっちゃわかってないじゃん。イッシュ怖がるじゃん」

 

 衛生班の少女の声だ。僕の後に続いて、死地へ赴くことになる他の皆はともかく、後方支援が役目の彼女はもっと辛い思いだろう。彼女も泣くのを我慢して声が上ずっているのがわかる。

 

 ぐすん、と鼻をすする音の後。

 

「誰が泣き虫だ馬鹿野郎ども。貴様らの何千倍と生きている私にしてみたら、貴様らなぞ、赤子だ!」

 

 イオス団長が無理やり明るい声を出す。その特徴的な甲高い少女の声は、通信機越しで聞くと余計にうるさく感じる。


「ありがとう。みんな。団長も」

 

 大丈夫だ。皆がついてくれている。例え僕がここで倒れることになっても、きっと皆がこいつの息の根を止めてくれる。痛み止めの最後の一本を飲み干して、軽く屈伸をする。

 すこぶる調子がいいな。さっきまで全身痛くてしょうがなかったのが嘘みたいだ。


「来るぞ」


 団長の声のトーンが急に落ちた。

 

「龍の咆哮だ」

 

 彼女の声と同時に、僕は体を屈め、エーテル駆動推進を最大出力にまで上げて飛び上がっていた。脚部関節の駆動補助装置は強烈な衝撃に耐えきれず煙を上げている。僕は蒼炎の尾を引いて、空に向かって突き進む。今日のうちに人生の最高速度を二度更新した。あっという間に僕の身体は龍の頭より遥か高くにまで飛び上がっていた。龍は反射的にその首を上に向ける。龍が放つその咆哮を敵たる僕に確実に当てるため。

 僕が雲にも届かんとするほどの距離まで着たところで、エーテルの噴出が止まる。背面の推進装置は黒煙を上げている。ずいぶん高いところまで連れてきてくれた。

 推進力をなくした身体は重力によって地上に引き寄せられようとするが、慣性が働き、それでも身体を更に高く運び上げ、最後に一瞬だけ空中をふわりと浮遊するような感覚。

 地平線の向こうまで見えるほどの荒野が広がっている。龍を見下げる。気分がいい。

 獄炎の炎を纏う龍の大きく開けられた口内には、赤とも呼べないほどに、煮えたぎった灼熱のエネルギーが煌々と輝きを放っている。

 僕の身体が重力の法則に則り落ちようとした瞬間。眩い閃光が辺りを包んだ。光の遅れて轟く咆哮。

 眩しさに慣れる前に熱が届く。熱い。身体が溶けそうだ。機会鎧も溶け始めている。今すぐにでも特殊防御兵装を起動したいがまだ早い。もう少し。もう少し引き付けないとだめだ。

 開発班から伝えられている盾の限界稼働時間は5秒。一方で管制班が龍の体内で感知されたエネルギーの総量から、その持続時間はおよそ5秒であるとはじき出した。つまり1秒でも早く僕が盾を起動してしまったら、盾は稼働限界を迎え僕の身体は閃光の渦に飲まれてしまうということだ。

 余波は考慮に入れられてないのかね、と文句を言いたくなるほどの熱。実際のところ、余波が来てから咆哮が届くまでの間は感じられるほどの長さもないので考慮したうえでの5秒なのだろうが、それでも実際にその熱量を受けてみればそんなの机上の空論でしかないことがわかる。

 閃光が収まり、眼の前には極太の光の熱線が迫ってきていた。

 今だ。

 熱線が自身の身を溶かす直前に、特殊防御兵装を起動させる。盾から発生した薄い膜が球体となり僕の身体を包み込む。

 直撃。特殊防御兵装を起動した直後、その球体を飲み込む濁流のように、熱線が直撃した。

 熱線はその球体に沿うように四方八方と分裂する。僕を守る球体は、熱線の持つ莫大なエネルギーをものともしない。衝撃すら無にするのだから、押し出されるようなこともない。直撃と同時に、僕は脚部の推進装置を起動を起動させ、身体の落ちる向きを調整し、最大出力で大口を開けた龍のアホ顔に向けて急降下。目を焼く光の渦の中を切り裂いて突き進む。

 その間わずか2秒。

 

「イッ……シュ……げん……いだ」

 

 熱の余波でだめになりかけている通信機から辛うじてイオス団長の声とわかる程度の言葉が届く。

 どうやら見積もりが甘かったようだ。思ったよりも早く特殊防御兵装の展開限界は訪れ、思ったより長く龍の咆哮は続くということだろう。

 しかしもはや絶望は感じられなかった。

 

「まぁ大勝ちはなくても引き分けくらいにはもっていけたかな」

 

 多少計算は合わなかったが、それでも僕がこの熱線に飲まれたすぐ後には、熱線は収まるだろう。そうすれば後は仲間の出番だ。

 そう。みんなその時を待っているんだ。

 龍の咆哮を耐え抜きた後に訪れる、龍の弱点を。

 僕を守っていた球体が、後ろ側から消え始める。前面は展開しているので直撃はないが、猛烈な熱が身体を焼き付ける。

 どうせ死ぬなら一死報いよう。このままの勢いでこいつの頭蓋を叩き割れたら最高だ。

 少し、熱線が弱まる。加速をさらにつけるために既に最大出のはずの脚部推進装置が最後の蒼炎をあげる。

 その時、急に眼の前を覆う光が失せた。

 龍の顔が目の前にある。口を閉じた龍の顔が。龍はその瞳をグニャリを曲げた。笑ったのだ。僕の眼の前を守っていた僅かに残る光の盾が今、消えた。そうして龍は再び口を開く。灼熱を帯びた光が溢れる。

 ずらしたのた。こいつは。タイミングをずらして確実に僕を殺しに来た。あえて威力を絞り、口を閉じることでエネルギーを温存した。

 少しの油断もなく、少しの慢心もなく。ただ僕をその手で殺すために。

 脳裏を駆け巡るのは、僕の記憶。人生の歩み。

 そうか、これが走馬灯というやつか。最期に思い浮かべるのはやはり君の顔だな。それは5年前のあの日にも見たルリアの決意の表情。

 

「イーーーーーーーーッシュ!!!!」

 

 僕がその声に気がつくよりも早く、僕は地表から強烈なスピードで投げ飛ばされた”それ”を手にしていた。爆砕用特殊大剣型兵装”ボン・マグヌス2式”。1式と対になる片刃の大剣だ。加速落下する僕の勢いと、別方向に進もうとするそれを掴み取った時、勢いを殺すまいと思いっきり腕を引っ張ったので、身体の筋という筋が伸び切ってしまったように感じる。

 そして声の主――ルリアはほとんどの武装を外し、彼女持てる青い光の尾を引きながら最高速度で地表から飛び上がってきた。

 彼女の手には、爆砕用特殊戦鎚型兵装”ボン・マレウス”が握られていた。マレウスの柄の先端部分を、できる限り長く構えられるように握る。

 

「いぃぃっけぇ!!!」

 

 槌頭から青い炎が噴出される。その勢いで戦鎚は彼女を軸に高速で回転を始める。遠心力がその戦鎚の破壊力を最大化させる。

 今まさに口に溜めこんだエネルギーを再び放出しようとしていた龍は、その迫りくる何かに一瞬、ほんの僅か一瞬だが気を取れた。

 

「ルゥリアァァ!!!」

 

 その一瞬の隙を見逃さない。

 油断でもない、満身でもない。

 ルリアが決死の覚悟で作り出した正真正銘、神が見せた隙。

 マグヌスを点火させる。マグヌスの峰の部分に備え付けら得ている噴出孔からは、マレウスが放つのと同じ色の炎が吹き出す。その蒼炎が生み出す最大火力は、通常の推進装置を遥かに上回る。

 重力落下に加わったその爆発的な加速力は僕の身体を音の速さの向こう側に連れて行った。

 大地が割れんばかりの轟音。

 僕の音速を超えた袈裟斬りは龍の頭部を砕き、ルリアの回転を加えた最高速度の一撃は龍の顎下を貫いた。巨大な岩を砕き割るような衝撃。

 そしてそれに続いて、龍がまさに今放とうとしていた業火の熱線が、行き場を失くしたその膨大なエネルギーが、龍の口内で爆発を起こす。

 爆音と閃光。

 僕の身体はその衝撃で再び高く空に放り出される。

 耳も目もやられた。身体は全身が軋む。落ちる。だめだ。姿勢制御も完全に機能していない。どうなったんだ。龍は。ルリアは……ルリア!

 ちゃんとした武装をしていた僕でもこの状態だ。ほぼ装備を外していたルリアは。空中で自由に身動きが取られないまま、頭と目線だけでルリアを探す。

 いた。僕の直下。気を失っているが大きな外傷はなさそうだ。ただあと数秒もすればふたりともこのままの勢いで大地に直撃する。だめだ。僕は死んでもルリアだけでも。その身を一直線にして空気抵抗をできるだけ減らしルリアに追いすがる。手を伸ばす。掠りはするが届かない。もう少し。もう少しで手が届くんだ。

 

「ルリア……!」

 

 僕の呼びかけが聞こえたのかどうかはわからない。彼女はその手を伸ばした。僕はその手をしっかりと握りしめ、引き寄せ抱きしめた。

 

「君だけは死んでも守るから」

 

 もう地面は眼の前だった。

 

「英雄を死なせるな!!!!!」

 

 団長の叫び声。地面と僕らの間に割り込むように仲間たちが飛び込んできて、防御兵装を起動させる。

 防御兵装は全ての衝撃を吸収する。もちろん僕らの自由落下の衝撃をも。そのおかげで速度に反して、柔らかく地面に落ちきった。全身がバラバラになることを覚悟していた僕は、身体中の痛みで自分が生きていることを確かめる。目を開けることすらままならない。

 

「ルリアもイッシュもばかぁ!!!!」

 

 ピンク髪でショートカットの衛生班の女の子が覗き込んでいるのだろう。僕の頬に少し冷たい水滴が落ちるのを感じる。

 

「本当に死んじゃったらどうするの!!私はみんなを生きて帰ってこさせるのが役目なんだから……本当に……」

 

 僕と、僕が抱きしめるルリアに覆いかぶさってくる。僕らの下敷きになっているのも皆衛生兵だ。衛生班がこんな前線に出てくるなんて何事なんだ。

 

「はは……でも僕もルリアも生きてるだろ」

 

 抱きしめたルリアは浅いが息はしている。直ちに処置が必要な状態であることには変わりないが、それでも生きている。

 

「それで、どいてくれないか?体中の骨がやられてて、痛いんだ」

 

「そうだー先輩がどいてくれないと俺達だって下敷きにされたまんま何だからさっさとどいてくださいー」

 

 僕の下には幾重にも衛生班の仲間をが重なっている。

 僕とみんなの言葉を聞いて、衛生班の女の子ははっと飛び上がり、先程までの泣き顔が嘘のようにテキパキと指示を飛ばす。ルリアと僕はあっという間に担架に乗せられて、治療用のテントの中に搬送される。担架の揺れが満身創痍の僕の意識を眠りに誘い、そしてそこで僕は意識を失う。


 激しく身体を揺さぶられる。周りの騒音が眠りを妨げる。

 

「ルリア!止めなって!生命反応は正常だからそのうち目を覚ますから」

 

「うっさい!!!イッシュ!起きて!お願いよ!お願いだから目を覚まして」

 

 もう少し寝ててもいいだろ、と思うが、いよいよ身体を揺さぶる力が強く成ってきたため目が開く。天幕の天井と吊るされた豆電球。身体中が痛い。

 僕は生きてるのか。どうなったんだ。龍は。この声はルリア?みんなは。無事なのか。

 

「イッシュ!!!」

 

 寝ている僕の顔を覗き込むようにして、ルリアの顔が目の前に飛び込んできた。

 

「イッ……シュゥゥ〜」

 

 とルリアはそのままその場に崩れ落ちた。また泣いている。どちらにしても僕より元気そうだ。

 

「よう。イッシュ。目が覚めたか。さっきは良くも泣き虫と言ってくれたな」

 

 特徴のある甲高い声。声のした方に顔を向けるとそこには随分とご機嫌斜めなイオス団長が僕の隣で椅子に腰掛けている。い目元は真っ赤に腫れ上がっていた。

 

「優しい人だって意味ですよ。誰かのために涙を流せる。それで龍は。あいつはどうなったんですか」

「立て。こっちに来い」

 手を差し伸べる、団長。厳しい人だ。僕はその手をしっかりと取り、団長の肩を借りて、身体中に走る激痛を耐えながら立ち上がりテントから出る。ルリアも反対側から肩を貸してくれた。

 途中、衛生班の仲間に止められたが、団長が、この光景はイッシュに見せる必要があると押しのけていた。

 テントを出たところで飛び込んできた来たのは、星がきらめく夜空に、天高くその首を突き上げる龍の姿だった。

「お前たちの攻撃の後、巨大な雄叫びを上げた後、あの体制になりそのまま動いていない。あれから3日が経った」

「3日も!?」

 大声を上げたため、身体の痛みが全身を貫く。

「ああ。3日だ。その間幾度も聖龍騎士団の奴らが攻めてきたが、ことごとく返り討ちにしてやったわ」

 カラカラと笑う団長。

「私は治療終わってすぐに目を覚ましたわ!昨日にはもう戦線に復帰したんだから!」

 ルリアがその慎ましやかな胸を張る。こいつは化け物か?あれだけの爆発をほぼ生身で受けて翌日にはピンピンしてるなんて。

「それで、あいつは」

「奴はもう瀕死じゃよ。ただこのまま眠りにつかせれば、奴はいずれ復活を遂げるだろうな」

「それじゃあなんで放って置いてるんですか!」

 また大声を出してしまったが今度は興奮が勝っているのか痛みを感じない。

「イッシュ。君だ。君が龍の首を落とすんだ。君にはその資格がある」

 団長は淡々と告げる。

「ふん。そろそろ教団がちょっかいをかけてくる頃だろう。ちょうどいい。奴らが崇める龍の素っ首落としてやる様を見せつけてやれ」

 事前に用意していたかの様に武装班の団員がボン・マグヌス2式を持って現れる。

「君だけは守るから、あっついお言葉で炎龍ものぼせあがちまってるなぁ」

 こいつはいつもこの調子でおちょくってくる。作戦中はとても寡黙で機械みたいな男なのに、普段はこうだ。

「な!」

「なにそれ?」

 ルリアが聞いてくる。

「オープンチャンネルで愛の告白たぁ痺れちまうねぇ。そりゃ全員必死になってイッシュを助けるわけだ」

「イッシュが愛の告白?誰に?」

「決まってるじゃーねーか。そりゃお前」

 言わせる前に小突く。顔が熱い。きっと真っ赤になっている。

「覚えてない!何も言うな!」

「いてて。みーんな知ってるぞー。まぁ今更感もあるけどな」

 若干大げさに痛がるふりをする男を尻目に彼の持つ、ボン・マグヌス2式をひったくる。

「団長!騎士団です!数は……5000!やつら何が何でも討たせない気ですよ!」

 通信機から情報班の慌てた声が聞こえてくる。

「だそうだ。ルリアいけるか?」

「よーゆう!私だけで全部やれちゃうくらい全開よ」

「さて」

 団長が、僕の方に向き直る。

「イッシュ。君には特別任務だ。騎士団の猛攻を掻い潜り、あの龍まで到達し、首を落とせ」

 団長は僕をじっと見つめる。

 身体中が痛い。今にもその場に崩れ落ちたいくらいだ。これからこの大剣を担いで戦地を駆けるなんて。と思うが不思議と怖くない。

「やれるか?少年?」と

 僕はその言葉に、ただ首を縦に振って答えるだけだった。



 その日、世界を我が物顔で蹂躙してきた6柱の龍種のうち1柱の首が落とされた。世界の均衡の崩壊の始まり。

 聖龍教団総本部はこの聖暦634年の出来事を龍伐闘争の諸端と定め、龍を守るための聖戦の開始を発表した。同時にドラコキディウムと名乗るギルドを世界に対する反逆者集団とし、その首領イオス・テイルズの首には金万枚の懸賞金がかけられた。同時に人類で初めて炎龍の首を落とした”龍殺し”イッシュ・ガルフォード及び、炎龍の防衛戦にて騎士団兵士1000人を殺害した”狂人”ルリア・ミスティを大罪人として、同様に世界指名手配をかける。

 

 しかし、世界は動き出す。龍に蹂躙されるだけであった人類が遂に反逆の狼煙を上げたドラコキディウムと、その名前が明かされた3名は多くの人の希望となり、この発表はむしろ人民の教団への反発を大きく招く引き金となった。これまでの龍災によって命を繋いだ多くの勇気あふれる者達がこの集団の仲間になるべく立ち上がる。

 彼らはどこからか聞きつけて歌うのだ。


 ”敗走者達の挽歌”を。

 

 

 

 


 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

[短編]敗走者達の挽歌 胡座 @Grab

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ