4️⃣

 部屋の中には男が一人居る。青白い肌に真っ黒の瞳をした、深海のように深い藍色の髪の男。苦労が刻まれたような顔のシワも、白髪の混じる口髭も、草臥れたその立ち振る舞いも、どれひとつとってもリーロンとは似ていないリーロンの父親・・。サティサンガ侯爵家現当主のサティサンガ卿。どこから見ても似ていない、それもそのはずだ、リーロンはこの男と血縁関係が殆ど無いのだから。


「——……アレ・・は、男爵家の娘と婚約をすると言っているらしいな」


 執務室で署名捺印を行いながら、此方を一瞥もせずに男は話し出す。“アレ・・”が誰を指しているのかなんか、考えるまでもない。


「えぇ。大変仲がよろしい様で、リヒテンシュタン魔法学校卒業後は成婚の流れになるかと」


「ならぬ」


「おやどうして? 旦那様はリーロン様に早く婚約者を決めろと急き立てていらしたではありませんか。それとも……気が変わりましたか? “大切な息子”をどこかの令嬢にくれてやるのは勿体無いと?」


 ダンッと、机が強く叩かれる。だがアインは無機質な笑みを崩さなかった。


「よりによって男爵家の娘なんかと……」


「そうですね。ダントルトン家は政治的に利用価値は無いでしょう。ダントルトン家の経済状況も調べましたが、此方の利益になることは一つも見つけられませんでした」


「ならば、」


「——ですが、あの娘には価値・・がある」


 アインは言いながら、執務机に歩み寄る。そして一枚の紙を彼の前に差し出した。サティサンガ卿は訝しみながらその紙に一瞥をくれたが、一瞬にしてその紙を掴み上げ穴が空くほどそれを見つめた。


「あの女の肌を剥ぎ取ったものです。ラウドの固有魔法で、剥ぎ取りました」


「これは……本物か?」


「触れてみれば分かるでしょう? その紙に貼り付けられた皮は、人間の皮膚・・・・・だと。あの娘——マリアの左胸、心臓の辺りにあった皮膚です。ラウドの魔法で皮膚を剥がし、複製し、此方に持って参りました」


「私を馬鹿にしているのか!?」


「とんでもない。ただありのまま、お伝えしただけです。彼女を湯浴みさせた侍女達にも話を訊きますか? 不思議そうに言うと思われますよ。『あのお嬢様の胸元に、不思議な蛇の刺青があった』と」


 そう言って、アインはトントンと紙に貼り付けられたマリアの皮膚を叩く。そこには黒い蛇が尾を飲み込みメビウスの輪のような“∞”の姿をしたマークがくっきりと浮き出ている。


「このマークが何を示すか、何のシンボルであるか、卿ならご存知でしょう?」


「……あの田舎娘が、“方舟”の関係者だと言いたいのか?」


「それは私には分かりません。しかし本人は、衣服が変えられた——つまり裸にされた印を見られたと知っても取り乱した様子はありませんでした。おそらく彼女は、この印の意味を理解していないでしょう。もしくはこの印の意味を我々が知っていると微塵も思っていないか」


「……」


 サティサンガ卿は難しい顔で黙りこくった。


「更に、あの娘は身体に蛇を飼っております」


「蛇……?」


「えぇ。2m程の体躯のアルビノの蛇を。そのアルビノの蛇は面妖な刀に変身ができる特性を持っている」


「それは……!」


「ええ、まるで“方舟”の中にいたアダムとイブを誑かし、“聖母”を神から引き摺り堕とした大蛇“リリス”のような大蛇です。気になりませんか? 旦那様」


 ニコリと、アインは笑う。サティサンガ卿はじっくりと考えたようだが、「もう良い」とだけ告げた。その言葉はリーロンとマリアの婚約を許可したと同義だった。


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