3️⃣
「サインして。『この場で見たものは誰にも話さない、教えない、吹聴しない』と」
「お前それ好きだね」
契約書を受け取り内容を読むが、不自然な部分は無い。ただ【契約を破棄した場合、甲が乙に対して正当だと思える罰を与える】の一文にアインも目を細める。
「お前さ、この書面に書かれた文章で安心するタイプなの?」
「少なくとも、保険が何一つ無いよりわね」
「ふぅん……まぁいいや」
アインは内ポケットに持ち歩いている万年筆でサインをしてやった。彼女はそれを丸めて蛇に飲み込ませ、蛇を身体の中に戻していく。女の肌に大蛇がズルズルと入っていく光景は、二度見ても奇怪で面白かった。
「その蛇、なんなの?」
「知らない。気付いたらアタシの肌に居た」
「“リコリス”って名前は?」
「アタシが付けた。アタシの肌に勝手に住んでるんだから、名付けぐらいアタシに権利があるでしょ? コイツ、自分の事を何一つ語ろうとしないのよ」
マリアは拗ねた方に言うと、少し落ち着きを取り戻したのか、室内着の裾を軽く持ち上げて小さく笑った。
「気絶した後、着替えさせてくれたのね。誰の指示かは分からないけど、ありがとう。血を落とさないで寝ると起きた時に固まって肌が痛いのよね」
「リーロンの指示だよ」
「そう。なら婚約者様の
「それは直接リーロンに言いな」
アインはバトラーズベルを鳴らしマリアの起床を報せると、「具合は?」と今更ながら彼女に尋ねた。
「何一つ、問題はございませんよ」
「そう、ならよかった」
「寝台を貸してくださってありがとうございました。婚約も成立と口約束が結べましたし、アタシはそろそろ退散致しますわ。リーロン様には
マリアは綺麗にカーテシーでお辞儀をすると、そのまま部屋を出て行こうとする。当然、アインは部屋の唯一の出入口である扉に寄り掛かりマリアを見下ろした。
「どこ行くの?」
「帰ります。用事は済んだので」
「まだやってないことがあるでしょ?」
「……なにか、ありましたっけ?」
首を傾げるマリアに、アインは笑みを深める。
「自分で言ったんだろ?
「……あぁ、言った気がします」
マリアの瞳が一瞬、ピクリと動いた。アインはそれを見逃さなかったが、言及することはなく彼女を部屋のソファーに押し戻す。後ろに押され、コテンとソファーに座らされたマリアはキョトンとした顔でアインを見上げていた。
「じゃっ、ご褒美部屋の支度が終わるまでもう少しこの部屋で待ってな。あぁそうだ、冷たいミルクティー持ってきてやろうか? “いい子いい子”してくれるなら、持ってきてもいいぜ?」
言い終わらないうちにマリアが手元にあったソファーのクッションを迷わず投げつけてきた。アインはそれをひょいと避け、「冗談だって〜」とケラケラ笑い部屋を退出する。
「——兄ちゃん」
部屋を出てすぐ、アインは弟であるツヴァイに呼び止められた。ツヴァイはずっと、扉の前でアインが出て来るのを待っていたらしい。とはいえ彼がなんのために扉の前で待っていたかなんて考えるまでもない、震える手で差し出された紙が全てを物語っている。アインはその紙を受け取り、すれ違い様にツヴァイの頭をぽんぽんと軽く撫で、「行ってくるわ」とだけ告げた。
向かった先は、屋敷の最奥にある執務室。この屋敷の主人でありサティサンガ家の現当主であるサティサンガ公爵が職務に当たっている部屋。
「——失礼します、旦那様」
アインは扉の前で待っていた近衛兵と軽く目配せで挨拶してから、扉をノックする。「入れ」と、返事は端的だ。
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