第7話 そのメイド 『記憶』

 ハウスメイドとしての仕事をするため、ビンセント邸へと戻るまでの間、ミカコは聖堂に留まり、ツバサとの歓談かんだんを楽しんだ。

「ツバサくんのおかげで、こんなにきれいで素敵な聖堂を知ることもできて、とっても嬉しいわ!」

「ミカコさんって、聖堂が好きなんだね」

 にこやかなツバサの返事を聞き、にっこりした美果子は手を組み、祭壇へと向かって祈りを捧げる。

「ええ、そうよ。物心がつく、少し前から好きなの。聖堂に宿る神様に見守られているような気がして、心が落ち着くのよ」

「ミカコさんって、神様を信仰しんこうしているの?」

「そんなんじゃないわよ。だた……こことは違う場所にある聖堂で、信じられないくらいの奇跡が起きたことがあるから、今度もまた、神様が見守ってくれているんじゃないかって、そんな気がするだけよ」

「そうなんだ」

 やんわりと否定した美果子の話に、相槌あいづちを打ったツバサがおもむろに話を切り出す。

「実は僕も、好きなんだ。聖堂が……神様を信仰しているわけじゃないけどね。

 この世界に来る前にも立ち寄ったんだけど、ここと同じくらいきれいで素敵なところで……

 その聖堂にはね、とっても有名な英雄の像がまつられているんだ。白色の像として祀られている彼女達に会いたくなるときは、決まってそこを訪れていたよ」

「その像って……」

 しばし、ツバサの話を聞いていたミカコ、思い当たる節がありすかさず、

「ひょっとして、ジャンヌ・ダルクと、クリスティーヌ・ジュレスの像じゃない?」

 そう問いかけて、ツバサを驚かせた。

「よく分かったね……まだ、名前も言ってないのに」

「ツバサくんの話で、ぴんと来たの。そこは知り合いのシスターが管理をしている聖堂で、小さな頃からよく遊びに行っていたから、ジャンヌとクリスティーヌの像があったのはよく覚えているわ」

 得意げなミカコの返事を聞き、驚きから感動へと変わったツバサから溜息が洩れる。

「すごいや! ここまで同じなんて、偶然とは思えないよ! 僕達、気が合うのかもしれないね!」

「そう……かしら」

「絶対、そうだよ!」

「そう……それなら……」

 やや、ツバサに押され気味になっていたミカコはえりを正すと静かに問いかける。

「私とツバサくん、今はこの世界に住んでいるけれどもとは、縦浜たてはま市内の、海ヶ丘町うみがおかちょうに住んでいたんじゃない?」

 不意に、ミカコがツバサに投げかけたこの問いは、核心に触れている。そんなミカコの質問に対し、ツバサは果たして、どのような返答をするのだろうか。

「ごめん……僕もたぶん、そこに住んでいたんだと思うけれど……よく分からない」

 そこまで言って不意に俯いたツバサは、自信なさげに胸の内を明かす。

「記憶が……ないんだ。白色の像が祀られている聖堂のことは思い出せたけど、それ以外は曖昧あいまいで……ミカコさんがそこに住んでいたのならきっと、僕も同じ場所に住んでいたんだと思う。それこそ、元の世界と呼ぶに相応しいその場所で」

 ツバサに記憶がないことを知り、ミカコに衝撃が走る。

「本当に……聖堂のこと以外は、思い出せないの?」

 確認するように尋ねたミカコに、ツバサは肩をすぼめて力なく頷いた。

「今の僕は、ツバサ・コウズキで……この世界で初めてで会った、アロイス・アルフォード様に仕える執事なんだ」

 今から二十日ほど前。この世界に迷い込んだツバサは、街の中を彷徨さまよっている最中に馬車から降り立った、アロイス・アルフォード氏に声をかけられて執事になった。

 他に行く当てがなく、途方に暮れていたツバサを気にかけたアルフォード氏が執事として自身の屋敷に雇い入れ、食事と住む場所を提供したのだ。

 どこの誰かも分からない人間を温かく受け入れてくれたアルフォード氏に恩を感じて以来、ツバサは忠実ちゅうじつな執事としてアルフォード氏に仕えるようになった。

 燕尾服ではなく、タキシードを着用しているのは、自他ともに認めるどじっ子のツバサにとって正式礼服となる燕尾服は、諸事情しょじじょうにつき難易度なんいどが高い。

 そんな理由から、燕尾服よりも略式であるタキシードを自発的に着用している。

 なぜ、街の中を彷徨っていたのかは分からない。未だに記憶が曖昧で、思い出そうとすると頭痛が起きる。自身が記憶喪失きおくそうしつになっていることに気づいたのは、それから十三日が経った頃だった。

 ツバサから、事の顛末てんまつを告げ知らされたミカコは、なんとも言えない、複雑な感情を抱いた。

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