第6話 そのメイド 『魅了』

 ビンセント邸にて、ミカコが住み込みで働いているときから、客人として屋敷に住んでいる探偵としか知らなかったが、こうして並んで歩くエドガーが一緒にいてくれるだけでとても心強いと思ったことはなかった。

 ミカコがなんで怯えていたのか、その理由も聞かず、気持ちが落ち着くまで遠廻りりをするなど、エドガーがさりげなくミカコを気遣っているのも、心強いと感じる理由のひとつである。

 予定時刻よりも大幅に遅れて戻って来たミカコを、屋敷の玄関ホールにてロザンナがにこやかに出迎え、使用人用の部屋で昼食を取るよう、ミカコに命じた。

 なんのことはない、ありふれた微笑みであったが、後で厳しい罰則ばっそくが下るのでは……とやや青ざめたミカコにとってそれは、恐怖でしかなかった。

 使用人用の部屋にて、たった一人で遅めの昼食をすませた後、ミカコはロザンナによって、これが罰則かと思わせるほど鬼のようにこき使われたのだった。



 翌、早朝。まだ夜が明けきらないうちに目を覚ましたミカコは、隣のベッドで眠るエマを起こさないようにそっと起き上がると身支度を整えた。

 クローゼットの扉を開けて、白いワンピースの寝間着から制服に着替える。それからクローゼット脇に置いてある姿見の前に立ち、髪型を整えるとミカコは部屋を出た。

 灯りをつけた使用人用の部屋にて顔を洗い、頭につけたホワイトブリムを、持参した手鏡で以て、整えていく。

 そして、いつもより早い朝食を取り、洗い物をすませた後、灯りを消して部屋を出たミカコは屋敷を後にすると一路、街の中心部へと向かった。

 昨日、街で知り合ったツバサとの約束を果たすため、街の中心部から西に外れたところまでやって来たミカコはふと、その場所に存在する立派な聖堂の前で足を止める。

 東の空がしらみ、昇り始めた朝日に照らされる石畳の道の端、広大な森を背に、ほどよい大きさの聖堂が、ここは神聖なる場所ぞと言わんばかりに神々こうごうしく建っていた。

 この街に来て半月くらいが経つけれど、こんなに立派な聖堂があったなんて、知らなかった。

 まるで、ここだけ空気が違う。そんな石造りの聖堂に唖然あぜんとしながらもミカコは、観音開きの扉を開けると中へ足をふみ入れた。

 ギィ……と、微かに軋んで扉が開いた正面玄関口を通り、聖堂の奥へと進むにつれ、なんとも言えぬ安らぎで心が満たされた。

 ところどころひび割れた、石造りの床。左右に並ぶ木製の長椅子。奥には主となる金色の十字架と祭壇さいだんが、びれいな巨大ステンドグラスを背に神々しくも圧巻な雰囲気を纏っている。

 ステンドグラスには、この街の風景や森、建築物を背に、この地にゆかりのある食べ物や産物を手にした聖人が、聖母を中心にして描かれていた。

「きれい……」

 祭壇の前で足を止め、朝日の陽光で、徐々に色濃くなっていくステンドグラスに魅入っていたミカコは思わず、溜息をらす。

 聖堂の正面玄関口の扉が、僅かに軋んで開く音がした。それに気づき、条件反射でミカコは振り向く。

「おはよう、ミカコさん」

 黒のタキシードを着たツバサだった。いささかばつが悪そうに、ひっそりと戸口の前にたたずんでいる。

「おはよう、ツバサくん!」

 ツバサの姿をひとめ見るや、ほんのり頬を赤く染めて、ミカコが朗らかに朝の挨拶を返す。

「ごめん……待った?」

「うんん、私も今、来たところだから」

 祭壇の前で合流、申し訳なさそうに詫びたツバサに対し、微笑んだミカコはやんわりと返事をした。

「そっか……」

 ミカコからの返事を聞き、ほっと安堵したツバサは、

「あっ、そうだ!」

 思い出したように大声を出すと着ているジャケットの内ポケットからあるものを取り出し、ミカコに手渡した。

 ツバサがミカコに手渡したそれは、とても美しい百合の花と、それをモチーフにした模様の刺繍ししゅうが入った、シルクのハンカチだった。

「昨日、手伝ってくれたお礼だよ。仕事の合間をって、僕が刺繍を入れたんだ。気に入ってくれるといいんだけど……」

 照れ臭そうにかつ、控えめに告げたツバサからの贈り物。それを受け取ったミカコは、言葉にならないほど感動した。

「私……百合の花が大好きなの。ありがとう、ツバサくん。私にはもったいないくらい最高の贈り物だわ」

 ミカコはそう言って、愛しむように両手で贈り物を抱きしめると心から礼を告げた。

「喜んでもらえて、安心した。本当はちょっと、後悔していたんだ。こんなものじゃなくて、もっとましなものを買えば良かった……て。でも……ミカコさんの笑顔を見ていたら、そんな嫌な気持ちがふっとんだよ」

 やや決まりが悪そうに本音を吐露した後、なんだかふっきれたような、晴ればれとした表情でツバサはミカコにそう告げた。

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